仔孤物語
※今昔物語・巻第24第16話を参照しましたが一部間違った言い回しなどあるかもしれません。
今は昔、はたけカカシといふ人ありけり。
忍の家にあらねども、非常に賢く見目よく働き者ありければ、百姓なれど人に所おかれてぞありける。
ある日、畑に行きけるに、森より一匹の仔狐さ迷い走りかかりて来たる。
森の辺りは陰にて人立てるも確かにも見えぬに、声ばかりして仔狐を追いける。
これを見て、猟師に捕まっては哀れと仔狐を去り難く思ひ、袖の内に隠し仔狐拾いけり。
仔狐は初め非常に怯えて寄り付かず、少しでも手を伸ばそうものなら引っ掻き噛み付く始末。
家主としては大人しくして欲しい所なのだが、狐は構わず狭い家の中を逃げ回る。まさに野生の獣だ。
そしてついには釜の中に逃げ込んで出て来なくなってしまった。
けれどそれも当然、さっきまで猟師に追い回されていたのだから。
人間への恐怖がそうさせるのだと思ったカカシは暫く距離を置く事にした。
彼は毎朝畑へ仕事に行く。窓は開けっ放しているので狐の出入りは自由だ。
大した物を持っていないカカシは盗られる心配をしていない。
あの狐が出て行って、もし二度と戻って来なくなっても構わないと思っていた。
男は天涯孤独の身で両親は元より親戚も無く独りの生活に慣れている。ペットを飼う習慣も皆無で寂しいと思う感覚が無い。
「出て行くか留まるか、どちらにしろ・・・ま、その内なんとかなるでしょ」
そんな調子なので昼まで諸々を忘れて作業に没頭した。
昼時には握った飯を二つ食べて木の陰で小休憩し、午後は日が傾く少し前まで働き、時には川へ釣りに行った。
そうして一日を終えるのだが、その頃になって漸くあの仔狐を思い出した。
家の粗末な形ばかりの戸を開けるまで今日の収穫や毎日同じ刻に沈む陽の色を浮かべていた。
しかし帰ると仔狐はひっそりと居て暗がりから入口を睨んでいる。
カカシは初めて自分の家で部屋の隅に向かって話しかけた。
「ただいまー」
けれど返る言葉はない。
「当然か、獣なんだし」
納得して荷を降ろし草鞋を脱ぎ、深い息と共に疲れた腰を下ろす。
「さて今夜は何にするかな」
独り言を言いながら蕪を取り出す。離れた村の知り合いが持って来た立派な野菜だった。
夕食の準備を進める男はふと気付いて手を止めた。背後の気配は未だに息を潜めている。
「あれ、狐って何食うの?」
これまで獣と触れ合う機会が無かったのだから分かる筈もない・・・が当てずっぽうで思うのはネズミや他の小動物だ。
チューチューと麻袋の辺りで囁く存在を目の端に留め
「いてくれたら助かるかもね」
勝手に考えていたらどこか遠くから別の声が聞こえた。
「そんなの食べないってばよ!」
しかしこの部屋には男しか住んでいない。女房子供なくたった一人だ。
「ん?・・・・気のせいか」
(やれやれオレも相当疲れているな)
再び蕪を剥き同時に湯を沸かし始めた。
翌日も同じ様なものだった。
仔狐は相変わらず家の中に居て、陰からじーっと男の動向を観察している。
彼は辛抱強く待った。
大体人間以外の生き物に好かれるタチでないのは分かっている。今更なので落胆はしない。
「いや、ニンゲンもかな」
本当の所ひとりが心地好いのかもしれない。
寂しいのか、自嘲しているのか、分からない表情を浮かべたカカシの影が薄くなる。
それを見ていた狐は丸めた体の中で小さく啼いた。
そんな日々が続いたある日。
彼が不用意に手を出して噛まれた時の傷を手当てしていると、不意にさわさわと柔らかな毛の感触がした。
腕に当たる尻尾が一度離れて同じ場所に仔狐の頭がすり付く。
「こぉーん」
か細い声がして、二つの青い目がカカシを見上げた。それから恐る恐る鼻を近付けカカシの傷に舌を伸ばした。
「お前・・・」
ぺろぺろ、ぺろぺろと嘗める姿にカカシは止まる。
「痛いってば?悪いことしたってば」
「えっ!おま、え」
「ナルトだってばよ」
「ナルト?・・・いやいやいや!しゃ、べった!」
「しゃべるってばよ?」
狐は首を傾げて、驚き尻餅をついたカカシを不思議そうに見る。
「オレ、ナルトだってばよ!」
ニカッと笑う狐は半妖だったらしく、ひとの子供の体に獣の耳と尻尾を生やして彼の周りを飛び跳ねる。
「うわ、出た!」
面白がるナルトを見てさすがのカカシもあんぐりと口を開けるのだった。
だがこれを見ていた者が居た。
開けっ放しの窓からギョロリと二つの眼(まなこ)が中の光景を睨む。
強欲な唇が不吉に震え、太い指が黒い髭を弄ぶ。
その者は静かに離れ、これは金になりそうだとほくそ笑む。
銃を背負い他の猟具を持った姿が遠ざかる。
それはあの初めの日の猟師だった。
見られていた事を知らない二人はすっかり打ち解けて、これまでカカシ一人で耕していた畑にナルトの姿が見られる様になった。
けれど勿論、人目を考慮して仔狐の姿だ。
「あの格好は家の中だけだ」
「りょーかいだってばよ!」
「お前の気楽さが心配だなあ・・・川の方は村から離れてるから大丈夫だと思うけど」
「川!?川は得意だってばよっ」
「う~ん・・・益々」
「カカシぃ~ほら行くってばよ~」
「・・・はいはい」
釣竿をぶんぶん振り回して走って行くナルトに一抹の不安を覚えながら家の戸を閉めた。
畑まで二人分の握り飯が入った巾着を銜えたナルトがカカシの足元を走る。
「そんなにはしゃいで落とすなよ~」
「そんな馬鹿じゃないってばよ」
(どうだか)
心の中で突っ込みながらもカカシは微かな笑みを浮かべていた。
幼き頃に父母と死に別れ、故郷を離れて幾年月、誰かと(人ではないが)過ごす日がこようとは思ってもみなかった。
いま彼にとって何十年ぶりかの温かい日々が訪れていた。
午前中ナルトは懸命にカカシを追い駆けてせっせと道具を運んだり穴を掘って種を蒔いたり(けれど半分以上は遊んでいた)していたが、午後にはすっかり厭きて『夕食』の大義名分の下、川へ魚釣りに行ってしまった。
「まったくアイツは危機感がない」
ぼやくカカシが汗を拭って顔を上げると畑の隅に知らぬ男が立っているのが見えた。
知らぬ者だが向こうは明らかにカカシを捉えている。
不吉なものを感じていると男は畔を越えて入って来た。不躾ぶりに普段穏やかなカカシも眼差しを鋭くして立ち上がる。
「あんたは随分立派な畑をお持ちだ」
感心した物言いとは裏腹にその目は卑しい気持ちを表している。
「そう言うあなたは随分失礼な方ですね」
すると男は慌てて首を振り、急に笑ってヘコヘコした。
「いやいや、わしは言い争いに来たんじゃない。あんたのとこの狐・・・元はわしが追っていた獲物だがな」
「狐?ああ、あの小さいのか」
カカシは焦りを表に出さない様努めて冷静に返す。
「どうだ、譲ってはくれぬか」
「譲る?」
「おお、そうだタダでとは言わん。礼はちゃんとする」
「しかし売り物ではありませんが」
「里で売っている山菜も初めは売り物ではないだろう。あれは採ってきて勝手に売っているのだ。だからあんたがわしにここで売り物にしてしまっても構わんだろうが」
男の言い分は他では通用する事だがナルトに関しては無理だった。
(ああ・・・理屈っぽくて面倒なやつだな)
カカシは嫌な気分になり首を振る。
「見た所あなたの猟具は使いこなされている。その腕前がおありなら他の、それも大きな狐が捕れましょう」
「良いのか?そんな事を言って」
男はまたもや急に口調を変えてカカシを睨む。
「後悔するぞ!」
ドスの利いた声で脅し付けるのをカカシは表情崩さず見返す。
「後悔とは?」
「喋る狐と一緒に暮らしていると分かったら、村の者は放っておかんぞ!きさま今の暮らしを捨てる気か」
「ハァ、そこまで分かっているなら話は早い」
「なんだと」
「断ると言っているんだ。あれはアンタなんかの手に負えるものじゃない」
「き、さまっ!」
男は咄嗟に銃を構えた。
だが気色ばむ猟師とは反対にカカシは益々落ち着いて言葉を紡ぐ。
「やれるならやってみろ。けれど一人身なりにオレにもツテがある。その者にどう説明する?」
伝手というのは嘘だったが『知り合い』程度の表現では伝わらないと思ったのだ。
案の定男は奥歯を噛んで後ずさりした。
「クソッ」
しまいに猟師は渾身の恨み節を吐いて逃げて行った。
カカシは男が遠くに離れるまで待って、姿が見えなくなると漸く安堵の息を吐いた。
「なんなの、めんどくさぁ~」
今日は終いにすべく道具を集めて片付ける。
「追い払ったとはいえ、ナルトが心配だな」
荷を担いだカカシは外れの川へ向かう。
「ナルト~、帰るよー」
ぼうぼうに伸びた草を避けて川まで下りると元気にはしゃぐ水音が聞こえた。
「っしゃあああ!じゅういっぴきめ~!」
「あーらら・・・ナールトー!」
「よっしゃ、続いてぇー」
「全然聞こえてないなあいつ・・・ナルトー!帰るぞー」
「うおぅっ、かーかしーい!ひゃっほーう」
「何がひゃっほう、よ・・・オレの今日の苦労を知らずに」
「かかしーかかしーこっちー」
「はいはい。てかお前そんなに沢山捕ってくれちゃって、嬉しいけどどうすんのよ」
呆れ顔で近付くとそこらじゅう細かい傷を作ったやんちゃな体が目に飛び込んだ。
「・・・・・」
「カカシ~?」
「いやいやいやいや、オレそんな趣味じゃないし、ってか服、作ってやらんとな」
「なんだってばよ?」
「その無防備さが罪だって言ってんの」
先程の様な輩にいつ見つかるとも知れないのだ。
人型のナルトのふわふわな頭に触れてよしよし撫で、どうしたらそうなるのか、顔に付いた泥を手拭いで取り去り
更に、
「お前口の端についてる」
「ちょっとハラ減ってさ、ははっ」
「しょーがないねえ」
カカシは屈んでナルトの唇に付いた汚れを拭いかけハッと止まった。
幼いきょとんとした顔の半開きになった口が目の前にあった。
もう少しで口付けられえる近さにだ。
「な、ると・・・」
吐息が熱を含んで色が変わる 。
「っ!」
すんでのところで邪念を振り解きサッと拭いて体を戻した。
「カカシぃ~?」
「何でもないよ」
カカシは精一杯笑顔で誤魔化してもう一度ナルトの頭を撫でて離れた。
「さ、帰ろう」
二人は収穫をそれぞれ手に提げた。
胸の内がジリジリと焼ける様な錯覚を感じつつカカシは家路を辿る。その後を何も知らないナルトが大漁を抱えて付いて行く。
「勘違いだよな」
独り言は浮かれているナルトには聞こえない。
熱くなる心臓を押さえてカカシは彼を眺めた。
この川にはまた来るだろう。きっと。ただその時にはちゃんとしたナルトの服が必要だと思った。
「オレの服じゃ大きすぎるしなぁ」
カカシは小さな体から目線を逸らして、わざとらしく荷を担ぎ直した。
二人の後には泥濘んだ(ぬかるんだ)土に大きな足跡と小さな足跡、その確かな痕跡が残っていた。
それが一歩一歩増えていく。
温かな日々と共に
甘い予感を遺して。
END