幸せの鍵
秋の終わり、突発的に起きた木ノ葉と草の対立だったが、数々の忍の働きと異例の立案により一変、両者は示談し事は終わった。
その収束から二ヶ月。
まだ寒いながらも鶯が鳴き始める時季になっていた。
一軒の屋敷の軒先にもその姿が見られ、開け放った障子の内から雅な風景が観察できた。
普段は林下や藪に潜んでいる様だが、時折ひと休み木に留まり優雅に囀る。
だがその風流とは反対にむっすりと不機嫌を顕(あらわ)にした女性が庭には目もくれず対峙する男を睨み付けていた。
彼は場を和まそうと既に運ばれている料理を勧めた。卓には色取り取り、大事な客を慮った食が並べられている。豪華な中に好物の鳥のささ身もあったし、梅の花弁が浮かぶ美酒も供されている。
「ばーちゃん、そんな顔してねーで」
「馬鹿もん!こんな時に酒が呑めるか!」
額に怒りのマークがはっきりと見てとれ、睨まれた彼はヒヤッとしたが、結局彼女は手を伸ばした。
彼女の脳裏にはここまで来る途中揺れる駕籠の中から見た里の風景が浮かんでいた。
「良い里だが・・・全く、まさかこんな事になるとはな、ナルト」
「ハハ、ばあちゃんには感謝してるってばよ、皆にも」
「当然だバカが!」
あー結構回ってるってばよ・・・。
今は草の長となったナルトが対する火影の相変わらずぶりに乾いた笑いを浮かべる。
だが綱手はそうそう和らがない。肘掛けに凭れ、酔いが回り凄味が増した目で睨み上げた。
「サクラ、カカシ辺りは説得するのに大変だったぞ!あのアホは飛び出して行く勢いでな」
ナルトは黙って頷くしかない。
傍目にはしょんぼりしている様に見えたかもしれない。
しかし徐々に空気は変化していった。
綱手は赤くなり何かが抜けた顔を庭へ向けてとろんとした目で遠くを見た。
「だが、お前を送り出した時に・・・私は覚悟をしていたのかもしれん・・・」
彼女はふっと笑う。
宝くじが大当たりしていたからな。
すっかり酔い潰れ卓に俯せた綱手の顔を見てナルトは息を漏らした。本当に自分は皆に支えられているのだと実感したのだ。
「仲間のお蔭だってばよ」
もうこの里は安定している。
必死の説得で人々の思いは変わり、里全体があるべき姿へ移り次の長も決まった。
今が去り時だ。
わざわざ迎えに来てくれた綱手に恥を掻かせる事もない。
ナルトは草長の衣装を脱いで綺麗に畳み縁側に置いて庭へ出た。
「あ~明日っから、また木ノ葉の忍!がんばるってばよー!」
木ノ葉の里にもまた春が訪れていた。
ひと月先に入学式を控えたアカデミーにも、火影の屋敷の庭の木にも鶯が姿を現し、ナルトの家の脇の樹や大事にしていた植物にも、カカシのお蔭で新たな葉と蕾を膨らませていた。
騒がれるのが面倒で(無理を承知で)綱手に懇願して里の門から一人故郷の地を踏んだナルトは自然に我が家へと足を向けた。
だが今の今まで思いも寄らず、綱手にも尋ねなかったが、あと五分で家に着くというタイミングで急に不安になった。
あの部屋がそのままあるとは限らないのではないか。
一縷の望みを抱いて玄関まで辿り着くと案の定表札は下ろされて、お前の居場所は無いのだと言わんばかりの古びた扉を前にナルトは情けない様な、悲しい様な虚しい様な気持ちになった。
やさぐれ掛けて視線を落とすと、ノブがふと目に付いた。
ノブに掛かった紐の先に銀色のギザギザした鍵が吊り下がっている。
この部屋の鍵ではない。それは断言できる。
試しに差し込んでみた。が、やはり奥まで入らない。どこか別の家の鍵なのだ。
ナルトはこれを大家に報告すべきか悩んだ。渡さずともここの部屋の物ではないのだから問題ない。隣人が自分の物をここへ掛ける訳も無い。けれど。
暫し考え込んで、結局紐を握り取り鍵をポケットに仕舞い込んだ。
これ以上ここにいても意味がないので帰ろうと思った。
帰る?
何処へ?
「暫くは・・・ばーちゃんとこしかねーよなぁ?」
がっくり回れ右をしかけて、背後から声が響いた。
「ナ、ルト・・・?アンタ、ナルト!?」
振り返ると驚いた表情のサクラが立っていた。
彼女は最後に見た時と同じ溌剌としたオーラを纏っていたが、その指には指輪が無かった。あの時はしっかり嵌まっていたのをナルトは記憶している。
「サクラちゃん。ははっ、久し振りだってばよ」
「いつ帰って来たの!?皆には会った?」
「いやいま戻ったばっかで皆には会ってねー。カカシ先生は?元気にしてっかな」
「バカ!!」
「うおっサクラちゃ」
両手を握った渾身の叫びに後退り気味、顎を引いて叱責を受け止める。
「カカシ先生はね!あんたの事をずっと心配してて、必ず戻って来るんだからって言って植物の世話だってしてたのよ!だけどこの家も大家さんが・・・っ・・・からって・・・だから、ナルトの為に家をっ・・・・」
「え?サクラちゃん?」
涙乍ら話す彼女の声は肝心な所が抜けて、それ以上に涙を流す様子を心配したナルトは支えるように近付きかけたが、パッと振り切られた。
「とにかく、早く会いに行きなさいよ!」
「分かった」
まだ涙を拭い切れないサクラに頷き、別れる前に気になっている事を聞いた。
「サクラちゃんは幸せなんだよな?」
少し聞き難い話だったが、意外にもサクラはあっけらかんとして相変わらずの強さを見せた。
「ああ!私はね、うん、やっぱり当分くノ一の本分を全うする事にしたわ!医療の腕もまだまだだしね!」
グッと右手を上に挙げて片方はその二の腕を掴み、握り拳を見せる彼女は本当にカッコよく輝いていた。
戸の前に佇んでいた時とは一転、気持ちが軽くなったナルトは明るい表情で里を駆けていく。
見る者はすぐにナルトだと気付き、呼び止めようとしたが急ぐ彼は片手を挙げて謝り、必ず後で、と叫んで物凄い速さで走り去り、サクラに教えて貰った場所へ着いた。
この鍵は幸せの鍵だ。
木ノ葉の食卓で、と言ったカカシからの贈り物。
約束から随分経ってしまったが、今でも有効だろうか?
たぶん、期限内だ。
サクラが背を押してくれたのだから、きっとカカシはこの先で待っている。
ナルトはぎゅうっと鍵を握って真新しいドアを見つめた。
言わなければいけないことが沢山ある。
伝えたい事がいっぱいある。
逆に知りたい事も沢山。
だから。
「ただいま!カカシ先生ー!」