恋心、夢なら醒めないで
「好きだよ」
突然空気を震わせて囁いた声に反応したのは、熱の籠った眼差しを向けられた当人ではなくその周囲の人々だった。彼らは一様に驚きの視線で振り返り、それがいつもの光景である事を確認すると、がっかりしたようなホッとしたような顔でそれぞれ元に戻っていく。
ただ一人変わらないのは見当違いな告白をされた人間だけだ。
「~~~って、ぬわんで本人に言えないんですか!いい加減、私を練習台にするのは止めて下さい。はっきり言って邪魔です、迷惑です!」
「だあって~、言える訳ないでしょー。頼むよサークーラー」
静かで落ち着く図書室、勉学に励んでいたサクラは目の前に陣取り哀願する、居るだけでこの上もなく鬱陶しい上司を睨んだ。机に顎をのせダレた格好はふざけているのかと問いたくなる。
「私勉強中なんですけど。カカシ先生、あー、とか、うーとか煩いです」
「冷たいなあ。助けてくれよサクラ~。好きなんだよ。好きすぎて眠れないんだよ」
「そんなの知りません。勝手に何処かでぼやいててください。私は関係ありませんから」
「なによー上司への思い遣りが足りないんじゃないの」
「そう仰るなら、その前に部下への気遣いも大切です」
「昔は聞いてくれたのになあ」
「三年も同じ事を繰り返し聞かされれば誰だって嫌になります!先生はいつまでウジウジしていれば気が済むんですか。いい加減覚悟決めたらどうですか」
「オレだって努力はしたよ?つい最近だって精一杯告白したし・・・まあ、冗談ぽかったし誤魔化しちゃったけど。嫌われたら避けられたら気持ち悪がられたらどうしようかって、思ったらどうしよーもないんだよー」
わっ!と机に突っ伏す姿はどう贔屓目に見ても暗部出身のエリート上忍には見えない。
「だったら諦めるしかありませんね」
冷たく響く彼女の声はこれだけあからさまな態度をとられても気付かない、超ニブチンな相手も悪いと責めているよう。
「まあ、結局はっきりしない先生が悪いと思いますけど」
遠回しな言い方じゃあいつは気付きませんよ。
「うっ・・・うっ・・・じゃあさ、サクラはどうしろって言うのよー?あのナルトにどうしたら分かって貰えるって言うの」
「だからずーっと何回も言ってるじゃないですか。ああいう手合いには真っ向勝負しかないって。だけどそれが分かってたらカカシ先生は今ここにはいませんよね」
「サクラーッ」
司書に睨まれる前に悲しみたっぷり涙目で抱き付こうとする上忍の腹を、ドスッと殴り黙らせたくノ一は恐る恐る窺う人々にニコッと笑みを向けた。
「いてて・・サクラの奴見事に五代目の性格を受け継いじゃって」
昔は可愛かったのになー。
殴られた腹を捲って見れば軽い痣がある。手加減されなかったらどうなっていたか。
「怖いなあ」
苦笑を零して腹を摩っていると、
「なにヘラヘラ笑ってんだってばよ」
呆れた声が目の前から聞こえた。
「あはは、ついに幻聴まで聞こえてきちゃったよ~ほんとオレって四六時中ナルトの事しか考えてないから」
「カカシ先生」
「ヤバイヤバイ、こりゃ病気だ。帰ろう、今すぐ帰って寝よう」
「おい!カカシ先生ってば、ボケてんのかよ」
「!!!」
本物でした。
「ったく、休みの日までボーっとしてんだな」
呆れて物が言えねえってばよ。
なんとなく一緒に歩き出して、隣でぼやくナルトを眺めながらカカシはまだ驚いている胸を押さえる。
会うつもりはなかったし、会えるとも思ってなかったけど、偶然ってのは結構嬉しいもんだ。いや、訂正かなり嬉しい。
「ナルトは買い物かー?」
提げているビニール袋を指して問えば愛らしい顔がコックリ頷く。
「ずーっと任務ばっかだっただろ?休みんなったら、家に食うもんが何もねえんだもん。カカシ先生は?」
「ん?オレ、は」
図書室でサクラに恋の相談をしていたなんて言えない。それがナルトだなんて言えない。
「ボーっとしてた、かな?」
あははー。
「はあ?」
また呆れられてしまった・・・。
「なあ先生、これから暇?」
「え?」
うわ、何だこの展開。ナルトからのお誘いって事はもしかして、もしかしてナルトもオレの事・・・・。
「ばあちゃんに遣い頼まれててさー」
「・・・・」
な訳ないよな。なにを期待しているんだオレは。
「聞いてるってば?」
「え、ああ、聞いてるよ」
「やりぃっじゃあ付き合ってくれんだな!?これでばあちゃんに叱られなくて済むってばよ。サンキューなカカシ先生!」
跳び上がるナルトの側でカカシはやれやれと苦笑を零す。しかしそれは決して嫌な気持ちからではなく、もう少し側にいられる事への喜びとその照れ隠しだった。
だかってなんでこうなるの?
酷いよナルト。
五代目も五代目だ、オレが断ると分かっていてこんな事をしているんだから質が悪い。
普段ならば敷居が高くて中々入れない料亭の奥座敷で正座したカカシは困惑した顔で問う。
「ねえナルト本当に?冗談とかドッキリとかじゃないの」
「そーだってばよ!じゃ、カカシ先生精々嫌われないように頑張れってばよ!」
オレってば応援してっからさー!
ナルトはこんな時にも丸まっているだらしない背中をポンと叩いて中庭から飛び出して行った。
けれどそのナルトは分かっていない。
こんな場面だからこそカカシの背中は情けなく猫背になっている事を。
「なんでそれをお前が言うのよ」
滑稽な死刑宣告じゃないか。
「泣きたいよ」
カカシはテーブルに額がつくほど前のめりになって洟を啜る。ぐすぐす鼻を鳴らし、口布の下で湿気を帯びて鬱な吐息を漏らしていたが、不意にすぅっと障子が開いて三つ指をついた仲居の声が耳に届いた。
「お待ちのお客様がお着きになりました」
続いて何処かで聞いた事があるような声が響く。
「カカシさん、お久し振りです」
待った覚えのない女性がすらっとした体に藍色の美しい着物を纏い、極上のスマイルと心地良い声音をカカシに向けて立っている。
「あ・・・」
任務で何度か一緒になった事のあるくノ一だった。
「それで色々悩んだのですけれど結局・・・」
器量は中々良く、今まで独身だったのが不思議だが素性が暗部出身と分かれば周囲も納得顔で頷く。
今カカシの目の前に座しているのはそういう女性だ。
カカシの眼鏡に適わない相手ではない。けれどタイミングが悪かった。好いている人間には恋心を理解されず、打ちのめされている所へこの仕打ち。
恋愛では付き合う女性の数ほど修羅場がある。
カカシはこれまで様々な場面に遭遇してきたが、まさか選りにも選って想い人に結婚の御膳立てをされるとは思ってもみなかった。
今はとても女を相手にできる心境ではない。
「あれからカカシさんはどうされていたんですか?」
仲人が席を外した後の気不味い雰囲気を和らげようと、気を遣って話し掛ける彼女の言葉もカカシの耳を素通りするばかり。
やはり、ナルトにとってオレはどうでもいい人間なんだろうか。いや「どうでもいい」と言うのは語弊があるだろう。ただ恋愛感情が伴わないだけだ。
カカシは段々俯き加減になり、とうとう女性の声は全く聞こえなくなった。返事のない、ただ何となく頷かれるだけの一方通行な会話に女性の声も途切れる。
けれど彼女は怒り出したりせずに、それどころか「ふっ」と温かな息を吐いて
「もういいです」
柔らかな、けれどはっきりした口調で言った。
「え」
それだけは妙にハッキリ聞こえて、カカシが顔を上げると向かいの女性は少し困ったような顔に微笑をのせて囁いた。
「カカシさん好きな方がいらっしゃるのでしょう?」
ああ、
これは滑稽だ。
カカシは頭を掻いて項垂れる。
「はは、参ったな」
思ったよりも早く出て来た男を見つけたナルトは腰掛けていた塀からぴょんっと飛び降りてその背中を追った。
「カカシセンセー!なあなあ、どうだった!?上手くいったってば?」
両手をポケットに突っ込んだカカシはナルトを無視して夕陽に染まる道を歩いて行く。
あっちゃーやっぱ上手くいかなかったのかなあ。
ナルトは走って追い掛け、漸くの思いで隣に並んだ男を見上げてギョッとする。
カカシの横顔は殆どマスクで覆われているが、覗き見た瞳の色と纏う雰囲気はあきらかに不機嫌だ。
「カカシ先生待ってってば。なあ怒ってんの?」
「お前どうして」
カカシは一旦言葉を切り、足を止めてナルトを睨み付け再び歩き出す。
「部下じゃなきゃ殴り倒してやるところだ」
「っ・・・なんでだよ!オレはばあちゃんの言い付けでっ・・・」
言い返したナルトはしかし、ぼうっとした気配が消え失せた鋭い真剣な瞳に見つめられてハッとした。
元々の理由が何であれ、結局そうさせたのはナルト自身である事に変わりはないのだ。
「ご、ごめ」
「いーよ別に。今更どうしようもないでしょ」
謝りかけた相手を放って背を向ける。
その突き放すような言い方に、胸を深く抉られる錯覚に陥ったナルトは泣きそうな顔でカカシの手首を掴んだ。
「!」
立ち止まった男は目を瞠ってナルトを振り返りポケットの中の手を震わせる。
「ごめん!確かにオレの所為だってばよ。だけど・・・オレの気持ちに気付いたばあちゃんが先生だけは駄目だって、んでも・・もしカカシ先生が見合いを断り続けるんなら、告白してもいいって・・・だから。けどっ、オレもカカシ先生には幸せんなってほしーし、だったらやっぱフツーの女の人の方がいいのかもしれねーって、色々考えて・・・・」
「ちょっ・・」
「ごめんってば」
「ちょい待・・・」
「まさかカカシ先生が相手に気に入られないなんて思わなか」
「そうじゃない!」
声を荒げたカカシに両肩を掴まれナルトは言葉を失う。上忍の気配は既に怒りのそれから何故か焦っているらしいものに変わっていて、ナルトを困惑させる。
「そうじゃなくてだな。お前がオレの事を、いや。ああ・・・オレも混乱しているらしい。なんか幻聴?みたいなの聞こえた様な気がするんだけど、そもそも五代目がなに。なんであの人が・・・・悪いナルトもう一度ちゃんと言ってくれるか?」
ナルトは必死な男の形相を見つめてコク、と唾を飲み込み覚悟を決めた顔で顎を引いた。
「オレ、カカシ先生が好きなんだ」
「えっ」
「黙っててごめん。先生の気持ちには薄々気付いてたけど・・・・ばあちゃんに止められてたし。それにさっきも言ったけど、オレは男だし女の人には敵わねーし。そりゃ、おいろけで変化すればちっとはイケるかもしんねえけど、結局は男だからどうかなって思ってた」
「嘘でしょ・・・オレの気持ちに気付いてた?」
「うん・・・だってさ先生あの態度じゃ分かっちまうってばよ?」
上忍なんだから少しは忍ばなきゃ駄目だってばよ。
これは「ぷぷっ」と吹き出す彼の鈍そうな外見にしてやられたと言うべきか。
「は・・・」
「お、おい先生!?」
「気が抜けた」
くたり、ナルトに凭れ掛かった男はずっと触れたかった体を抱き締めて柔らかな髪に鼻先を寄せた。ぷうんと微かな太陽の残り香がカカシを擽る。
「オレもお前が好きだよ」
「うん」
「どうしようもないくらい好きだよ」
「うん。知ってるってばよ」
「愛してるよ」
「オレも」
「なあナルト」
「うん」
「キスしてもいい?」
「ムフフッでねーサクラ~その後ナルトとなー」
先程からずっとこの調子だ。当たり前の様に陣取っている男を見て、サクラのげんなりした顔は更に疲れたものに変わる。
鬱陶しい梅雨時のような気配が消えたのはいいが、にまにま笑う上司の惚気と彼が周囲にばら撒き始めた甘ったるいハートマークは、愚痴を吐き出していた頃よりも鬱陶しさを増している。
「はいはい。分かりました。良かったですねー。私カカシ先生の恋愛を詮索する気はありませんから、どーぞ!余所でお話になって下さい」
「サクラ~お前冷たいよ?オレの恋が叶ったって言うのに上司への思い遣りが足りないなあ」
「そう仰るなら部下への気遣いも大切です。って言いましたよね?」
「ええー?なんだよぉ、散々悩んでたオレが実はナルトと両想いだったんだよ?もっとこう・・・『わー!凄い。良かったじゃないですか~っ』とかさあ、ないの?」
わざわざ声音を真似てみせる気持ち悪い上司にはうんざりだ。
額に青筋を浮かべたサクラは微笑を張り付かせて立ち上がり両手をボキリボキリ鳴らす。
「お忘れですか?ここは図書室ですよ?」
「うん?だから?」
のほほんと聞き返すカカシの態度に周囲は目を剥いて体を硬直させた。
「だ・か・ら!恥ずかしい発言は止めろって言ってるんです。しゃーんなろー!!」
「うぐっ」
その後カンカンになって跳んで来た司書に二人が大目玉を食らったのは言うまでもない。
END
久し振りにこんな阿呆なカカシを書きました。
88888キリリクありがとうございました!イメージとは大分違ってしまったと思いますが、精一杯書かせて頂きました。
「カカシがへたれでナルトにアタックできずに苦しんでいたけれど、実はナルトも・・・」
↑のように仕上がっているのかどうか、不安ではありますが雰囲気だけでも伝われば嬉しいです。
随分お待たせしてしまってごめんなさいですーっ。
恒例、フリーとさせて頂きます。(いらないと思いますけど;平伏)