「これで私の話はおしまい。火を消すわよ・・・フッ、さあ次は誰?」
蝋燭の炎がまた一つ消え、薄暗い室内はまた一段と暗くなったようだ。とっくに陽は暮れ、明かりといえば月の光か蝋燭の灯くらいだ。
「僕だよ」
「あらサイなの、面白い話が聞けそうね」
「サ、サクラちゃん、楽しそうだってばよ」
「当ー然っ。せっかく任務が中止になったんだし、空いた時間を楽しまない手はないわ」
こういうサクラの一面を見る度、ナルトは「女って強いってばよ」と実感するのだが、勝ち気な性格上、素直に怖いから止めようとはとても言えない。強引に頭数に入れられたサイが上手く止める口実を言い出してくれるのを期待していたが、こちらも随分楽しんでいる模様。
止める気など更々ないだろう。
ナルトは胸中で上手く逃れたシカマルを呪った。話を持ち掛けられた時、彼は偶然通りかかったチョウジを巻き込み、「俺コイツと約束あるから、じゃあな」とサクラの誘いを躱わしていた。
逆に物珍しさから乗った者もいた。イノとヒナタ・キバ・シノ達だ。
ネジは「修業がある」と断わったが、意外な事にヒナタとキバ・シノが参加して来た。ヒナタはナルトを見て来たに過ぎないが、キバは完全に興味本位で、シノは自分が外れるのが嫌だったからだろう。
シノはこーゆーの参加しなさそうなのにな。皆物好きだってばよ。
ナルトは皆の顔を見回し、こっそり溜め息を吐いた。顔を上げて正面を見れば、蝋燭の灯にぼうっと浮かび上がったサイの白い顔。
ナルトは思わず叫び声を上げそうになり、慌てて口を両手で押さえた。
ふっとサイが笑った気がするのは気のせいだろうか。
「じゃあ話すよ」
静かな声音が語り出すと蝋燭の炎が一瞬揺らめいた。期待か恐怖か誰かの喉がごくりと鳴った。
ナルトは自分の心臓がドクンドクンと脈打つのを感じた。あまりにも大きく跳ねるから音が漏れ聞こえはしないかと思ったほどだ。
ヤバイってばよー!順番は近づいてきてるし、聞きたくない話は勝手に聞こえてくるし。
サイの静かな声は自然と脳内に入り込み、否応なしに心を浸蝕していく。
早く終わって欲しいってばよ。こんな事ならダサイ任務でもやってた方がマシだってばよー!!
ナルトは必死に意識を逸らそうとした。しかしサイの声は魔力を秘めているかのように上手に心の隙間を縫ってくる。
「それでその男は・・・」
ナルトは無意識にサイの言葉を追っていた。
そして物語に引き込まれていった。
「うわあああああ!!!」
少年の涙と叫びは何も語らぬ男の躯に落ち、彼が着ている緑色のベストに沢山の染みを作った。
「じゃあ行って来るからな。帰ってきたら一緒に花火を観に行こーな」
そう言って出て行った男は冷たい体となって愛した者の許へ帰って来た。
「行って来ます」
「行ってらっしゃい」
何度繰り返しただろう。その度にいつも笑顔で帰って来た彼はもういない。
いつかこんな日が来る事は予想していた、けれど、こんなに早くくるなんて思いも寄らなかった。忍としての宿命だ。互いに理解していると口では言いながら心の準備さえ出来ていなかった。
「オレを、オレを置いて逝くなってばよお!!!」
心のどこかで安心していた。彼ならばどんなに難しい任務でも無事に戻って来ると、信じていた。
しかしそう思ったとしても所詮は人間。
「うっ・・・うう・・・ヒック・・・カカシ先生ぇ」
木ノ葉を代表するエリート上忍はたけカカシは任務遂行中、敵の攻撃によって命を落とし、魂の抜けた身体は仲間の手で里に運ばれた。
彼が愛しい人―――ナルトの前で笑う事は二度と、ない。
カカシの身体に縋るナルトに優しい大きな手が触れる事もない。
夜ごと囁いた甘く低い声さえ今はもうない。
シトシトと降る雨はカカシの死を悼むナルトの涙のようだ。
昨夜はバケツを引っくり返したかのような大雨がナルト宅の窓を激しく叩いていた。今は落ち着いているが暫くは雨の日が続きそうだ。
カカシが逝って以来、元気が取り柄な筈のナルトは寝込み、一歩も外に出ていない。友人達が見舞いに来てもろくに喋らず、ただ時折青白い顔で寂しげな笑みを見せるだけ。
「このままではナルトが死んでしまう」
心配になった友人達は代わる代わる毎日彼の様子を見に訪れるが回復の兆しはない。
「ナルト君、元気出して」
帰り際ヒナタが言った言葉もナルトには届かない。
「ん・・・」
寝返りを打ったナルトはいつの間にか外が真っ暗になっていたのに気付いた。
朝から晩まで寝ているせいで時間の感覚がない。見上げた窓からは白い光を放つ月が顔を覗かせている。
「キレーだってばよ」
泣き過ぎて腫れた重い瞼を持ち上げ空を見れば、青い瞳が美しい月を捉える。
「カカシ先生ー。オレ馬鹿だってば、先生死んでんの頭では分かってんのに立ち直れねえ。後を追う勇気もねぇ、だってそんなの先生は望んでないだろ?オレは一緒に生きていたかったんだってばよ・・・うっううっ」
カカシの姿を思い浮かべ居ない相手に向かって話していると、再び涙が盛り上がり、溢れた液体がツウッと頬を濡らした。
「うっうっうっオレッもう泣かないって・・・うっ決めたのにっ!」
流れる涙はナルトの顎を伝いポタポタとシーツに落ちる。
嗚咽を漏らすナルトの脳裏に心配そうに己を見つめる仲間達の顔が浮かんだ。
「カカシ先生が死んで悲しいのは私も同じよ!でもアンタ・・・このままじゃ死んじゃうわよっ。ナルトまで居なくなったら私・・・」
サクラの悲痛な叫びはナルトの心に深く突き刺さった。
「ナルト君、元気出してね」
ヒナタの言葉がナルトを勇気づけてくれる。このままではいけないのだ。カカシがいなくても頑張って生きていかなくてはならない。
ナルトはグイッと手首で頬を拭い笑顔を取り戻す事を誓いシーツに潜り込んだ。
それから数日後ナルトは見事に復活した。任務をバリバリこなし、泣き暮らした日々は忘れたかのようによく笑った。
しかし、そんなナルトに恐ろしい魔の手が忍び寄ろうとしていた。
『ナルト』
「ん?」
ナルトは誰かに呼ばれた気がして、顔を上げた。
「どうした」
報告書を書いていたシカマルは手を止めて、向かいで巻物を読んでいたナルトに呼び掛けた。
「うん・・・シカマル今オレを呼んだ?」
「はあ?」
「い、いや何でもないってばよ!」
慌てて首を振るナルトを不審げにシカマルが見る。
「本当に何でもないから」
微かに笑うナルトの顔を夕陽が照らす。
夕暮れ時、アカデミーの一室を借りて報告書を書くシカマルに付き合ってナルトは巻物の勉強中だった。
カカシがいなくなって二人は一緒に過ごす事が多くなった。これまでチョウジを含め三人でつるむ事はあったが、二人きりという事は殆どなかった。というのも、カカシがナルトを出来る限り傍に置きたがったからだ。
いまのナルトにとって友人は大きな心の支えだ。
そんな中の出来事だ。もうそろそろ報告書を書き終わり、ナルトも巻物を読み終えるという頃、突然ナルトの耳に自分を呼ぶ声が聞こえた。一瞬シカマルかと思ったがすぐに否定する。
そんなわけはない、と。
実はこの空耳、これが初めてじゃない。昨晩も独りで風呂に入っていた時に聞こえた。
「幻聴」そう一笑に付してしまうには不安が残るセリフだ。
「誰かに呼ばれてる気がするなんて」
一度や二度じゃない。誰にも言っていないが任務に復帰した日からずっと聞こえている。低い男の声・・・それは、まるで。
ある所まで考えが及んでハッと我に返った。
「ハハッオレってばバカ。そんなわけねーのに。呼ばれてるって、きっと自意識カジョー・・・」
『ナルト』
暗い夜道、報告に行くシカマルと別れて独り歩く人気ない場所で、聞こえる筈がない声にナルトの顔がさあっと蒼褪める。ゾクゾクと背筋に走る寒気、体中に鳥肌が立つ。
「ナルト」
再び声がした。それもすぐ近く、耳の後ろだ。
「嘘、嘘だっ」
恐ろしさに思わず走り出した。決して後ろを振り返らずその場から一目散に逃げ出した。
気配っ何の気配もしなかったってばよ!!!
「ナルトーどうして逃げるの?」
再び例の声が頭上でしたかと思うとあっという間に前方に移動した。
「うわああああ!!!」
目の前にぼうっと現れた男の姿に大声を上げたナルトは急ブレーキをかけて立ち止まり、咄嗟に来た道を戻ろうとした。すると尋常でない速さで相手が後方に移った。
「ヒッ」
「ナルトォ酷いじゃない。ずっと呼び掛けてるのに無視するなんてさあ」
「ヒィィィィ・・・カ、カカ、カカシ先生・・・足が・・・ない・・・」
やっと逢えた愛しい相手、とはいえ今はこの世にいない人間だ。素直に再会を喜ぶ事などできない。ナルトは恐怖のあまり地面にへたり込んでしまった。それも無理はない。目の前の男には足が無かった。正確には足が透けて向こうの風景が見えていた。
「ん?ああ、オレ死んじゃってるからね」
暢気に答える飄々とした男はいつも着ていた忍服姿で、茫然としているナルトにハハハッと笑った。
「う、そ・・・きっと誰かが、オレを騙してるんだってばよ。だってカカシ先生がここにいる筈無い」
「それがいるんだよねえ。何て言うかさ、オレ一つだけ心残りがあってサ」
自分に言い聞かせる為に呟いた言葉をいとも容易くカカシが破ってくれる。ナルトはショックに開いた口を閉じる事もできずにカカシを見上げている。
「オレねナルトを置いて行きたくナイの。だからさ、迎えに来たよ」
えええー!?
ナルトは電撃ショックを受けたらこんな感じだろうかと思った。
「さあ行こう?」
カカシの手がナルトに近づいて来る。もう少しで捕らえるというところでナルトは素早く立ち上り後方に跳んだ。
「ナルト?」
首を傾げるカカシにナルトはイーッと歯を剥き出しにして相手を威嚇した。
「お前はカカシ先生じゃねーってばよ!本物ならそんな事言わねえ!」
「・・・本物だよ」
「だとしても!嫌だってばよっ」
「駄目だよ」
「嫌だっ」
「これは決まってるんだよ。お前はオレとずーーーーっと幸せに暮らすんだ」
霊界でね。
だから諦めなさいよ。
「いやだあーーーーー」
走って走ってナルトは家に向かって必死に走った。けれどもうすぐ家々の明かりが見える、という所で石に躓いて転んでしまった。
「いてっ」
派手に転んだせいで衣服を破って皮膚を傷つけ、手首や膝小僧を擦り剥いた。
「あーあ、転んじゃって、まあ」
ナルトは背後でした声にゾッとした。
「ほら、立ち上って」
差し出された手は足と違って透けていないが青白くとても冷たそうだ。ナルトが恐る恐る振り返ると呆れた顔のカカシが居た。彼と過ごした間に何度も見たその表情。
それだけを見ればまるでまだ生きているかのようだ。
「カカシ先生」
思わずナルトの手が伸びる。
「ナルト」
ナルトの指先がカカシの手に触れるか触れないかまで近づいた瞬間、カカシの表情に変化が起きた。
瞳は細められ、口布の上からでも分かるほどに口端がニィッと吊り上った。
「!」
今度ばかりは逃れられない。ナルトは冷たい手に掴まれて引き上げられ、カカシの顔を間近に仰いだ瞬間に意識を手放した。
サイが話し終わるとどこからともなく溜め息が漏れた。
「僕の話はこれで終わり。火を消すよ」
物語にのめり込んでいたナルトは炎が消える気配にハッとして、闇に沈んでしまった正面にいる筈のサイを見た。
サイがどんな表情をしているのか、全く分からない。明かりはまだ幾つか点いていたのに、いつの間にか室内を暗闇が支配している。キバ・シノ・サクラ・イノ・ヒナタの顔も見えない。
強い風が吹き出したのだろう。窓ガラスかカタカタと音を立てている。
「花火大会楽しみだね」
「え?」
サイの呟きに思わず聞き返したが返事はなかった。
「カカシ先生遅いわねえ」
ナルトの隣で浴衣姿のサクラがぼやく。花火大会当日、一緒に見ようと言い出した本人が待ち合わせ時刻に遅れている事にご立腹な様子のサクラ。
ナルトはカカシ先生だから、と諦めモードだ。
「サクラちゃんその赤い浴衣似合ってるってばよ」
「当ー然っ、一目惚れして買ったんだもの。でもありがと!ナルトだって中々イイわよ。サスケ君には負けるけど。サイも似合ってるわ」
サクラの誉め言葉にナルトは「サスケに負けるってのは余計だってばよ」とぶつぶつ言ったが、サイはニコッと笑ってありがとうと言った。
それから暫く三人の間に沈黙が降りた。
ナルトはそろそろ始まる頃だろうかと夜空を見上げた。そしてふと視線を感じて左側を向くとサイが無言で見つめていた。
「どうしたんだってばよ?」
サイの能面みたいな顔を見ていると妙に胸が騒いだ。
「この間の百物語で僕がした話・・・実は続きがあるんだ。ナルトはその後の主人公がどうなったと思う?」
「え?」
どうなったかって・・・?それは、ええと・・・待てよ、サイがした話ってどんな話だったっけ?
ナルトは聞いた物語の内容をすっかり忘れているのに気付いた。
再び言い知れぬ奇妙な感覚がナルトを襲う。
花火はまだ上がらない。例の上忍もまだ来ない。
『ナルト』
ナルトはいつか聴いた声をぼんやり遠くで聞いていた。
END