あまおと
あまおと
サァァァァァ―――。
雨音が窓越しに聞こえた。
朝からの雨。
雨降りでは演習場での修行は無理だ。
「雨かあー」
夜半から嫌な予感はしていたのだ。暗闇を避けるようにブラインドを下ろしていたがポツポツと窓を叩く音が聞こえたから。
止めどなく雨粒を降らす空を見上げ落胆した様子で溜め息を吐いた子供は、しかしそうなると普段はできない部屋の掃除でもせねばなるまいと思うのだが気が進まない。
鬱々とした気分になるのはやはり雨音の所為だろうか。
けれど雨が嫌いなわけじゃない。
昔は寧ろ・・・好きだった。雨の日には彼が現れるから・・・。
そう、苦手になったのはあの人と出会い、突然訪れた別れに喪失の意味を知ったあの日から―――。
その青年は雨の日特有の暗澹の下にあってもなお輝く銀糸をしっとり濡らして、降り注ぐ空を見上げ立ち尽くしていた。
表情はよく読めないが顔から雨水を滴らせ、既に全身に至るまでぐっしょり濡れそぼっている彼は、けれど『その程度』の事に構わず、寧ろ全てを洗い流してしまおうとするが如く、ある種異様な存在感を放ってそこにいた。
その姿が子供の目にも麗々として見え、ただ通りすがっただけなのに、声をかけるかそっと立ち去るべきか選び損ねて思わず息を呑んだ。
鬱蒼とした木々を背景に孤独を纏う彼が「何者」かなどはどうでも良かった。
ただ眺めていた。
絵画を外界から見守る傍観者のように見ていたかった。
しかし暗闇に向けられていた青年の視線が不意に子供を捉えて、二人を隔てていた静寂の空間は呆気なく壊れた。
少年はその鋭さに一瞬、心が貫かれた錯覚に陥り凍り付いた。だが青年はたじろぐ子供に構わず無表情で向かって来る。
「あ、う、おれ・・・ってば、」
「・・・・ナルト」
「えっ」
「うん、独りでいちゃ危ないよ?」
「あ・・・」
里内でも
「ネ」
雫を垂らしたまま彼はにっこり笑い、ナルトの柔らかい頬と金糸に触れた。その子供らしくまるい頬も例外なく冷えていたが触れた指先は更に冷たかった。
ナルトは翳していた傘を差し出したが、彼は笑って頭を撫でて傘を持ったナルトごと背負った。
男は『いや、』と先程の己の考えを否定する。
寧ろ里内だからと言うべきか。この里はこの子には余りにも不人情だ。
胸中でひとり呟く青年の想いを知らず、子供はしっかりと手を回して彼にしがみ付いた。
歩くたび二人の頭上で雨粒が弾ける。
交わす言葉は少なく答える声はぽつりぽつりだったが、ナルトはこの男に理由なき安心感を抱いていた。
見知らぬ若い男だが、先程の濡れそぼつ姿を目に映した瞬間にうっかり堕ちてしまったらしい。魔力、というべきか彼にはそんなものが具わっている気がする。
そこにいるだけで、何もかもを引き寄せる力。圧倒的な吸引力。
ナルトは薄々自分の境遇と他者の身の上に違いを感じていたが、それとは全く違う惹き付けようだと思った。
「注目」の違い。
忌み嫌われる類いではなく、称賛と共に語られるような人なのだと。
「なんでこのひとオレに話しかけたんだろ」
ナルトは不思議だった。
するとクスクス笑う声が耳に届いてきた。
『カンチガイスルナヨ』
お前に優しくする者なんているもんか。
「・・・あ」
ナルトは傘を取り落として両手で頭を押さえた。
警鐘がガンガンと鳴り響く。
頭が割れそうに痛かった。
やめて欲しいと願っても、ナルトの意思に反して嗤い声は消えるばかりかどんどん大きく酷くなる。
誰も信じられないだろう?
「ナルト?」
囁きを聞いた瞬間頭の中が真っ白になり、思わず青年の背から飛び下りていた。
傘を放ったまま走り出した背中に呼ぶ声が聞こえたけれど振り返る事さえせずに走り去った。途中追って来るかと思ったがそれは余計な心配だった。恐らく青年は面倒だと諦めたのだろう、結局家に辿り着くまでナルトひとりの足音しかしなかった。
翌日、アカデミーに行くため家を出たナルトは玄関脇に立て掛けられている傘を見つけた。確認するまでもなく昨日忘れていった自分の傘だ。
「わざわざ・・・?」
疑いもなく届けてくれたのはあの青年だろうと思う。しかしなぜここが分かったのかは知らない。だが彼は自分の名前を知っていたのだ。住み処も記憶していたとしても不思議ではない。自分が有名人だとしても、躊躇いなく名前を呼んだ彼は他の里人とは違うような気がした。
「オレってばフツーじゃねぇけど、あのひとも変わってたってば」
胸の中でそっと呟いたつもりでドアに鍵を掛けた。
「考えが声に出てるよ?」
「うわっ」
突然背後から覗き込むように被さった影と静かな声に驚いてナルトは冗談ではなく本当に跳び上がった。
「わあああっ!・・・・むぐっ」
「しぃーっ。そんなに叫んだら、オレが誘拐犯と間違われちゃうでしょ」
「・・・・ムグ・・・」
「ま、誘拐する事に変わりはないけど」
「!!!」
やっぱこいつも他の奴らとおんなじだ!
ナルトは囲われた腕から逃げようともがく。だが男が囁いた言葉に思わぬ単語を聴き取って目を開いた。
「三代目も迂闊だよねえ・・・先にナルトに言っといてくれなきゃだよね~」
「?」
「そりゃ知らない奴が話し掛けてきたら警戒するよな」
ナルトの境遇を考えれば当然の事だって。
はぁあ。
彼は溜め息を吐いて拘束を解いた。
「さて、ちゃんと説明しなきゃな」
すると昨日会った青年はまず自分の呼称を名乗り、これから少しの間アカデミーには行かなくていいと告げた。けれど話す雰囲気から「行かなくてもいい」というより「行けない」のだという事が伝わってきた。
そしてその代わりに彼が家庭教師をすると言う。
「かたく考えないで話し相手ができたぐらいに思ってくれればいーよ」
だが彼の話す事には別の意図があるように思える。ナルトはそれを聞きたかったが、先程雰囲気とは違う表向きを言ったように青年の空気が詮索を禁じていた。
「ちゃんと説明してないじゃんか」
ナルトは喉元まで出かかった文句を引っ込めた。
「と言う訳で、ハイ!回れ右。せっかく出て来た所を悪いんだけど今日からお休みってことでね。一度火影様の所で話をしようかと思ったんだけど、ま、いーか」
両肩を掴んで体の向きをぐるっと変えさせた彼がナルトを後ろから押す。
「お邪魔しま~す」
言いながら男はナルトに気付かれないよう素早く部屋を見回して異常がないかチェックする。
取り敢えずは問題なしか。
そして昨日の様子を思い出して三代目の懸念は正しいと頷いた。ナルト自身は何も言わないが異様な気配が取り巻いているのは分かっている。駆け出した姿を見て不安は一層強まり、確信を得た。それは三代目も知るところだが、あの偉大なる火影は明らかにし護衛が仰々しくなればナルトが気に病むだろうと考えて、悟らせずにうまく警護しろと言った。まったく、彼もなかなかの可愛がりようである。
「でも、ま・・なんとかなるでしょ」
カカシはとてとてと台所へ行き茶を入れようとする子供の姿を眺めながら、考え込めばどんどん深みに嵌る悪循環を断ち切った。
「懐かしいな」
感慨深げに漏らした手の中にはアカデミー生の必需品たる初歩忍術を記した巻き物が。
「この頃は何をやってたかね・・・もう雷遁は完璧だったと思うけど」
しかし呟く内容がおかしい。
幸い茶を運ぶ途中だったナルトはこの桁外れな発言を耳にしなかった。
「どこからやろうか?」
「次のジュギョウはここからだってばよ」
「じゃ始めよーか」
そんなこんなで個人授業が始まった。
カカシは分かり易いように注釈を織り交ぜて話す。それにナルトは真剣に耳を傾け、時折頷いたり分からない時は素直に首を捻ったりした。
うんうん唸りながら納得するまで繰り返す。
そして一時間は経った頃。
コンコン。
広げた巻き物を二人で覗き込み、要所要所に書き込まれた図案を指差し説明しながら進んでいたカカシは微かな音に気付いて窓を見た。
「先輩・・・カカシ先輩・・・・」
精一杯声を潜めて呼ぶ後輩の顔が窓の端に見えた。路上から窓を見上げたら思い切り怪しいだろうその姿に、噴き出しそうになりながら表面上は変わりないが懸命に笑いを堪え、真面目な顔を作ったカカシは休憩を伝えて外に出た。
「何か分かったか?」
「はい、怪しい者が一名・・・正式な暗部要員ではありますが」
猫の顔が真剣な声で答える。だが猫ではない。人間が猫の面を被っているのだ。
この奇妙な面を見つめて話をすると、いつも自分も同じ格好をしているのだが、真面目なのにふざけているようなおかしな気分になる。
「先輩?」
「ああ、悪い」
「どうしますか?」
「う~ん、まだ向こうの出方次第じゃない?三代目もできれば穏便に済ませたいみたいだし」
「穏便に」
「“できれば”ね」
「先輩が言うとかなり不穏に聞こえますよ」
「どうとでも。どっちにしろオレが成すべき事は一つだ」
「・・・・・」
さらりと言う顔に真逆の本音を悟り、
かなり怒ってますね。
とは言わずに猫は引き続きの調査続行を了解した。
その日の夕刻、火影の屋敷を訪れた青年は昼間後輩から得た情報を元に老練な頭と意見を交えていた。
「こればかりはな」
非常に厳しい顔付きに落胆の思いを滲ませて苦渋を吐き出す。ならば、徹底的な措置を取るべきだろうと突っ込みたくなるが、最終的な判断を下すのはこの火影なのだ。
「何か言いたそうな顔をしておるな」
「ええ、まあ・・・」
「あの子に関しては、お前は厳しいからの」
「三代目も同じではありませんか?」
「四代目の事を思うと益々な。ワシはあの親子が不憫でならぬ。あの事件がなければ里で一等幸せになったであろうからな」
「今更です」
本当は四代目の行いを止められる立場にいたのだ。貴方もわたしも。
それをしなかったのは、里を優先したがゆえ・・・!!幼く弱い赤子よりも里に住まう百余人の命を大事にしたからだ。
「他に選択肢が無かった事は分かっているんですよ。ただ未だに上層部の決定が納得できない・・・・一時は、それが道理なのだと己を捻じ曲げて承服した気になって従った自分も許せない」
「カカシよ自分を責めるでない、そして四代目もな。この件に係わった者達はみな罪を感じておる」
「・・・・」
カカシは最後の言葉には頷かずに頭を垂れて部屋を後にした。
家庭教師を引き受けてから早くも四日が過ぎて。カカシはベランダの花に水をやるナルトを眺めていた。
休憩時間のことだ。急に立ち上がって何をしだすのかと見守っていたら、ナルトは優しい目で花を愛ではじめた。そういえば、植物が好きだと三代目が話していたのを思い出してなるほど、と合点した。
が、珍しいものを見た気になったのも確か。
何しろ泥だらけになるほど修行に熱中する姿を見て、その熱血ぶりを知っているがために正反対の印象には驚かされる。
どうしてこれほどまでに繊細な部分を持ち合わせた子に成長できたのだろう。
生い立ちは決して幸せでも、楽な道程でもなかったのにどうしてか。三代目の教えがあったにしても優しすぎる心根は何処で育ったのか。
―ここにくるまでには様々な人との出逢いや出来事、それらを含め紆余曲折があったのだが―知らないカカシには不思議だった。
大体ナルトは初めから真っ直ぐだったわけではない。更にこれから先も真っ直ぐである保障はない。けれどそんなものは他の子供達も同じだ。
ただカカシはまだ若く、ナルトを知ったばかりで(傍に付きっ切りでいるという意味では)よく分かっておらず勘違いしていた。
「やっぱイルカせんせーが言ったとーり成長が早いってばよ」
ふとそんな科白が耳に入ってきて、カカシの思考は宙ぶらりんなまま途切れた。
イルカ先生?
って誰?
「・・・イルカ先生、元気かなあ」
少し寂しそうに呟いた言葉はカカシの鼓膜を震わせ五感を廻り脳裏に焼き付いた。
たった一人の何でもない科白が耳から離れない。
「どーでも良い筈なんだけどねぇ」
任務に直接関係なければ構わないのだ。
対象者が苦しもうが、幸せそうな顔をしようが、任務を遂行さえできれば。任務の邪魔にならなければ。
いつもは・・・・。
家庭教師を引き受けたのは昼間だけだ。従って、当然ながら夜は御暇しなければならない。
大体、カカシが傍にいては誘き寄せられるものも来ない。悪さをしようとしている者が捕まると分かっている場所へ態々行く事はないからだ。
なので身辺警護を命じられているカカシはナルトの家を出たその足で、窓の側に植わっている大木に隠れひっそり見守った。
だがこれももう四日目である。
標的さえ現れればすぐに終わるのだが。
かといってカカシの本心は必ずしも終わりを望んでいる訳ではない。解決はしたいがこの幸福とも言える期間が終わりを迎えるのは嫌なのだ。
カカシは暗闇に身を潜めて夜の静寂(しじま)に耳を澄まし未だ灯りが点る窓を見つめた。
ナルトが眠りに就くまであと一時間。
けれどこの日は早かった。
ふっと暖かい灯火が消え、部屋は周囲と同じく闇に融け込んだ。
と、ほぼ同時にカカシが睨む先を妙な気配が過った。
来た!
瞬時に反応したカカシの身体が宙に躍り出る。
その一秒に満たない間に残念な吐息を漏らすが誰も気付かない内に霧散した。
「案外早かったなあ・・・もっと傍にいたかったんだけど」
しかしいま捕らえなければ次はない。
「しょーがないか」
なるべく素直に観念してね。
自分が零した疲れたような寂しいような呟きには気付かないフリをして、カカシはターゲットに手を伸ばした。
「先輩!!」
声が聞こえて闇の狭間に目を遣ると馴染みの猫面が跳んで来る所だった。
「テンゾウ、遅~いよ」
「すみません、余所で問題があったもので」
「あそう。ま、いーや・・・この男だよ」
テンゾウと呼ばれた男はふう、と息を吐いてカカシに足蹴にされ押さえ付けられている雉面の忍を見下ろした。
「逆恨みもいいところですね」
「十二支に入れなかった猫風情が」
「そんな事をアナタに言われる筋合いはないよ」
「知り合い?」
「まさか」
「じゃあ同族嫌悪とか?」
「やめて下さいよ」
「なあに、お前だって昔はナルトを」
「先輩っ!」
「うそうそ、冗談だって。本気にするな。さーて、後は三代目にお任せしましょうかね」
カカシは面の奥の瞳を眇めて鋭利な月を見上げた。
「・・・っと」
不意に気紛れな一陣の風が吹き上げて銀糸を乱す。
その掴み所なく薄情な風はチリとした痛みをカカシの胸に起こし蟠りを残して去った。
「あやつ、禁術を使用してナルトに世迷言を吹き込んでいたらしい」
まだイビキが調べている最中だがな。
「彼の尋問にあっては半日も保たないでしょうね」
流石の暗部とはいえ“あの”拷問には耐えられまい。
「・・・・徹底的な対処か」
「それが必要な時もあります。あの時・・・監視が付いていなければ私は容赦なく手を下していましたよ」
「仕方あるまいて。ぬしの所業には前科があるからの。ナルト絡みになるとトコトンな所は変わっておらんなカカシよ」
「テンゾウの件は避けられなかったものと認識していますがね」
「あの時はテンゾウの側にも問題があった。だからこそ、ライドウにも注意させておいたのじゃ。それを主らは割って入れぬほどに白熱してからに」
「そのお蔭で今では立派な暗部要員ですよ。時には先輩方を凌ぐ働きを見せますから」
「分かった。ところでナルトの件だが」
急に改まった三代目の口調を耳でなく目で口の動きを捉え・・・カカシはついに終わりの時が来たのだとぼんやり思った。
聞く前から内容は分かっていたのだ。
ただ分かっているだけなのと、直接免職を言い渡されるのとでは大きな違いがある。
耳にした瞬間、予想は決定に変わる。
だがカカシは少しも気落ちした様子を見せずに「御意」と了解を示して意向を受け取った。
任務は成功したが達成感はない。ありがちな任務と言えばそうだが、気分が沈み込む理由はそこにはない。
カカシ自身分かってはいる事だが、ナルトの誕生以来彼のベクトルは真っ直ぐ余所見することなくナルトに向かって伸びている。最早危険なレベルであるが、時折諌める火影も本気で止めようとは思っていないようだ。
これくらい傾倒していた方がナルトを守れると判断したのだろうか。
「浮かねー顔してやがるな」
「・・・・アスマ」
人の気配を覚れぬほどに参っていたのかと自分に呆れつつカカシは懐かしい人物を振り返った。
「なんだなんだ、久し振りに会った友人にその顔は」
「悪友の間違いでしょ」
「おい・・・素っ気ないのは相変わらずだな。そんなんじゃ女が逃げてくぜ」
あ、お前にゃ関係ねー話か!がはははは。
「・・・用がないなら行くぞ」
「あっ待て待て・・・」
「三代目に呼ばれてるんだろ?」
「ああ・・・ハッ!・・・もしかして何か聞いたのか?」
「いや?なんかあるの?」
「それならいい」
「?・・・・歯切れ悪いね、また仕出かした?女関係?」
「やめてくれ・・・お前じゃあるまいし」
「こっちこそアスマに言われたくないんだけど。ま、いーやオレ忙しいから。またね」
「お、おお」
すっかり置いてけぼりを食らった形のアスマは曖昧な返事をして、去って行く友の後姿を眺めた。
しかし何か物足りない、腑に落ちない気がして別れたばかりの彼を呼び止めると笑って言い放った。
「カカシ!いつも言ってるが、変な女には入れ込むなよ!」
女とは譬えの話だ。
付き合いの長いアスマはカカシの事を分かり過ぎるくらい解っている。そしていつもカカシが女に入れ込むという事は決してなかった。逆の経験は山ほどあるにしろ。またそれが悪い方へと尾を引く事も少なくなかったが。
「・・・・分かってるよ」
「そうか。まあ、がんばれや!」
最初は面倒だと、早々に切り上げようと思っていた。けれど久方振りの再会に励まされるのも悪くはない。
明るい声に背を押されて歩き出す頃、カカシの唇には微かな笑みが浮かんでいた。
翌朝、この頃になって漸くカカシが訪れる事に慣れてきたナルトはいつもと同じ時間に玄関先で彼を出迎えた。けれど今日はなぜか部屋に上がろうとしない。
不思議に思ったナルトが首を傾げるとカカシは子供の目線に合わせて膝を折り、無垢な瞳を見つめて口を開いた。
「あのねナルト。今日でおしまいなんだ」
「え」
「家庭教師。終わりだから」
「おしまいだってば?」
「うん、だからアカデミー行けるよ。良かったな」
良かったと言いながらカカシの雰囲気はそれを裏切っているような気がした。
物悲しい、奇妙な空気が流れる。
ナルトは出会った時から僅かに感じていた内面と外面の相違をはっきりと見た。
おとなになったら皆そうなるんだってば?
ナルトは少し口を曲げてカカシを見上げた。
するとカカシは形の良い小さな頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜて笑った。笑いながらほんの少し寂しそうな気配を滲ませて。
その時ナルトは唐突にカカシと過ごした数日間がとても楽しかったことに気付いた。
たったの四日間。けれどその四日間が思いの外充実していた。なのにナルトは一緒にいるカカシよりも、アカデミーに行けず大好きなイルカに会えない事ばかり考えていた。
それはカカシにとってはどうだったのだろうか。
「そんな顔しないで」
「どんな顔だってばよ」
けれど、どんな顔をしているかなんてナルト自身がよく分かっていた。
「泣きそうな顔、かな」
一方、カカシも答えながら自分が一番崩れそうな表情をしているのだと思った。
お互いが同じ様な顔をして同じ事を考えている。
突然ナルトは自分の頬をパチンと叩いて、顔を両手で挟んだままカカシを真っ直ぐ睨んだ。
「泣かねーっ。オレは泣いたりなんかしねーってばよ!」
「・・・・うん、泣かないね。ナルトは強いから泣かないよ」
カカシはよしよし、と頭を撫でようとして、しかしそれでは相手を馬鹿にする事になると気付いて手を引っ込めた。
「けど!」
「?」
「オレってばにーちゃんのこと忘れねーから・・・。だから!・・・・オレのことも忘れないでくれってばよ」
後半は呟くように小さく更に尻窄みになっていたがカカシはしっかり聞き取って目を瞠った。
気付けばナルトは俯いて両脇に握った拳が力なく垂れ下がっている。
「忘れなーいよ。忘れない。お前の事は絶対にね」
カカシは笑ってナルトの頬を撫でた。
朝の一杯。牛乳を飲み終わったナルトは再び窓の内から空を見上げて、そろそろかな、と思った。
「なんでだろーなァ・・・カカシ先生ってば、決まって雨の日に来るんだよなあ」
とは、ナルトの思い込みで彼が言う様に雨の日にだけ訪れている訳ではない。かの上忍は晴れの日だって遠慮なく上がっている。
だが確率から言うと断然雨の日が多かった。
「今日も来るだろうな」
すると思った通り窓を叩く音がした。
「よっ!」
「・・・・よっ、じゃねーってばよカカシ先生」
そうなのだ。なぜかカカシは雨の日には必ずナルトの前に現れる。
それこそ―――。
「先生、濡れてる」
「ん~急に土砂降りになったからねえ。すまないけどタオル貸して?」
それこそ、あの日出会った青年のような。
「しょーがねーってばよな。カカシ先生は」
雨に濡れ、透明な水を垂らし沈んだ色に変わってもなお、輝くほどに綺麗な銀糸を見せて。
容赦ない雨粒の為にしとどになった姿で―――。
ナルトの前に現れるのだ。
END