任務を遂行した数人の異様な仮面を被った忍が木ノ葉の門を音もなく潜った。
「ここで解散だ、皆お疲れさん」
「ふん、じゃあオレは帰らせてもらうぜ」
「じゃあな、シカマル」
「オレも先に帰る」
「ばあちゃんへの報告よろしくなシカマル隊長」
「ああ、分かった。皆またな」
彼らは一言、二言交わすとそれぞれの方向に散った。
「何か用かよ、サスケ」
ナルトはさっきから後を付けて来る男の気配に足を止めた。彼とは先程別れたばかりだ。てっきり先に帰ったものと思っていたが、どうやらこちらに用があるらしい。
「話がある」
「明日じゃ駄目だってば?」
「今、聞きたい。この間の返事だ」
「・・・断った筈だってば」
「よく考えてくれと言っただろう」
「サスケ、駄目だってば。オレはっ」
ナルトは相手が近付いてくるのに気付き一歩、二歩後退る。けれどサスケは逃がすまいとナルトが走り出す前に腕を掴んで引き寄せた。
「なにすっ!」
拒絶の言葉を塞ぐ為サスケはナルトの狐面と自分の面を剥ぎ捨て無理やり唇を重ねた。
「んんっ!」
驚き顔を背けようとするナルトの耳に二つの仮面が地面に落ちる音が聞こえた。
「や、めっ・・・」
思わず開いた口からぬるりとした肉厚の舌が入り込んだ。嫌がるナルトを無視して侵入したそれは奥へと逃げる舌を捕まえ、絡め取り淫靡な水音を立てて口内を蹂躙じゅうりんする。
「ふ・・・んぅ・・・・はあ」
ナルトはサスケの口技に翻弄されながら力の入らない両腕で密着する胸を押し返す。しかしそれでは何の抵抗にもならない。
サスケは口角を上げ更に舌で口内を愛撫し溢れるナルトの唾液をじゅるりと啜り、腰を抱き寄せる。
けれど身勝手な横暴はここまでだった。
「んぅ・・・いや・・・嫌だってば!」
ナルトは自分の両腕を叱咤し渾身の力を込めてサスケを突き飛ばした。
「はあっはあっ・・・サスケ、最低だ・・・最低だってばよ!」
ナルトはギリと睨みつけ唇を拭った。
「お前が・・・・お前があいつを忘れられないからだろうっ!いつまでカカシを追い続ける気だ!?奴はお前の事を何とも思ってないんだぞ!?俺ならナルトと同じ目線で愛してやれる!あいつと共に見れない物を見れる!」
「分かってる!!そんな事分かってるってばよ!!!でも、それでもっ・・・・・駄目なんだってばよっ!オレは先生じゃなきゃ嫌なんだよ!」
ナルトはサスケから眼を背け走り出した。
「ナルトッ!!」
サスケの言葉に振り返る事もせず全力で、誰も迎える事のない独りぼっちの家に向かって。
「信じらんねー、サスケの馬鹿っ」
血の臭いを風呂で洗い流したナルトはベッドの上でカカシ人形を抱き締め、サスケの行為を罵った。
「あんなっ、あんなこと、する、なんて。幾らなんでもするとは思ってなかったってばよ!もうぜってー口きかねえ!」
うつ伏せになりポスッと枕に顔を埋めて身動き一つしないで数分。
「あんなサスケ・・・嫌いだってばよ」
思い出すのはナルトの意思を無視した強引なキスで、同じ男として悔しい気持ちと裏切られたという思いが高まり枕に隠れた瞳から涙が零れた。
「カカシ先生・・・やっぱりオレ、カカシ先生じゃなきゃ駄目だってばよ」
十八歳になってからのナルトは若いという魅力だけでなく、四代目に似たキリリとした男らしさをその風貌や行動の端々に見せ始め、それまで何とも思っていなかった女子達が気に留め、事あるごとにその口から「うずまき」や「ナルト」といった言葉が出るようになっていた。
中には何処で聞いたのか九尾の事を知っていても、堂々と告白して来るツワモノもいた。
けれど、ナルトは彼女達の誰とも付き合う気にはなれなかった。
それは子供の頃から慕い一心に想い続けた者の為。
しかし、その相手はナルトを元生徒以上にはみてくれない。
十七の誕生日にナルトは思い切ってカカシに自分の想いを告げた。
夏の暑さが過ぎ、肌寒くなり始めた季節の事だ。
「カカシ先生、オレ・・・先生が好きなんだってばよ」
僅かに頬を染め、らしくなく恥ずかしげに俯き告げたナルトは緊張に震える手を握って、カカシの返事を待った。
しかしそんなナルトに返された言葉は予想以上に冷たい言葉だった。
「お前・・・本気で言ってんの?」
ハッと見上げた蒼い瞳に映ったのは、流石のカカシも男からの告白に驚いたのだろう、一瞬露になった片目を見開きそれをすぐに冷めた目線に変え、心臓が凍るほどの侮蔑を込めた表情でナルトを見つめるカカシの姿だった。
「せ、んせ・・・?」
ナルトだって快く迎えてもらえるとは思っていなかった。けれど、初めてこんな冷たい顔のカカシを見てとてもショックを受けた。
「悪いけど、オレはお前を生徒以上に思ったことはないし、これからもないよ。この際だからはっきり言っておくが、オレがお前の傍にいたのは担当上忍としての義務だったからだよ。九尾の事もあったしな。まだ不安定だったお前には監視が必要だった。それだけだ、勘違いするな」
ナルトはこれ以上カカシの顔を見たくなくて何も言い返せずに走り逃げ出した。
その後どうやって家に帰ったのかナルトは今でもよく思い出せない。
ただ気付いた時にはベッドに突っ伏して声が嗄れるまで泣いていた。
そして後に残ったのは告白した後悔、ではなく諦めきれないカカシへの想いだった。
もしかしたら一生この先生と元教え子という関係は変わらないのかも知れない。それでもナルトは諦めきれずにいる。
ナルト自身サスケの言うことは分かるし、彼が自分に好意を持ってくれるのはありがたいと思う。
友としてライバルとして、自分には勿体無いほどの男だと思うからだ。けれどそれを恋愛対象として見るにはもう随分長い事ライバルでいすぎた。
子供の頃であれば変わっていたかもしれないと思う。
でも、どうだろう。サクラを追い駆け、彼女がどれだけサスケを好いていたか知っているナルトはやはり遠慮したかもしれない。
昔も今もナルトにはカカシしか見えていない。
他の誰でもなくカカシただ一人を愛し続けているのだ。
深夜の『人生色々』いつもならば任務に出ているか自宅に帰っているかのカカシがひょっこり顔を出し、中にいた紅を呼んだ。
「ちょっと紅、暇なら付き合ってよ」
「あら珍しいわね、最近付き合い悪かったじゃない?そうね・・・これからアンコと会う約束してるんだけど、それまでならいいわよ」
紅は壁の時計をチラリと見て座っていたソファーから立ち上がった。
「ありがと、少し・・・呑みたい気分なんだ」
カカシはふ、と寂しげな表情で笑う。
紅はカカシの様子に首を傾げる。以前にもこんな顔を見た気がしたのだ。
「呑みに行くならいつも他の奴らを誘うじゃない。どうしたの?」
「今日は皆任務なのよ。今頃非番のオレを罵ってるかもネ。でも、オレも任務に行けばよかったなあー・・・・・」
「あんたいつもだけど、それ以上におかしいわよ。どうしたの?」
紅は怪訝な顔で覆面男を睨んだ。
「ククッ・・・酷い言い様だなあ」
自嘲気味に低く笑う男に彼女の不審は益々深まる。
なにコイツ、ついに頭腐っっちゃったんじゃないの?
一応同僚を心配する素振りで観察している内に紅はある事にピンときた。昼間後輩のくの一達がカカシの話をしていたのを思い出したのだ。確かその内の一人がカカシとデートすると嬉しそうに言っていた。
「カカシ今まで何処にいたの?もしかして女と会ってたんじゃ・・・」
「ああ、さすが紅、察しがいいねえ」
カカシの人を小馬鹿にしたような言葉に紅が怒った。ドンッと扉を思い切り叩き、その音に驚いた室内の仲間達が入り口を振り返る。けれど紅は気にせずカカシに詰め寄った。
「ったく!相変わらず最低だねカカシ!何とも想ってない相手と付き合うなって言ってるでしょ!?」
「弄んでるとでも言いたいの?」
「その通りだよ・・・相手がどんな想いであんたと付き合ってるか、分かってる?真剣なんだよ?」
紅は昼間の女の子の顔を思い出し胸が苦しくなった。どれだけ勇気を出してカカシに声を掛けたのかと思うと、可哀相になる。
「相手が言うんだよ、一回きりでもイイってね」
「カカシッ!・・・」
紅は怒りに任せてカカシの胸倉を掴もうとした。しかし、ある事が頭を過ぎり冷静さを取り戻す。
「カカシ・・・ナルトは暗部にいるらしいわね」
「何でいきなりナルトの話を」
「やっぱり」
紅は思い通りの反応に溜め息を漏らす。カカシはナルトという言葉に眉をピクリと痙攣させ、紅はそれを見逃さなかった。
「そろそろはっきりしなさいよ」
「何を・・・言ってるんだ?」
「そうやって呆けるなら一生やってなさい。でも後悔するわよ」
紅は壁の時計をもう一度見上げ先程とは一変、呆然とする男の脇をすり抜けて『人生色々』を出た。
「悪いわねカカシ、もう時間なの。呑んでる時間なかったみたい。また今度ね」
数歩歩き、微動だにしない男の後ろ姿を振り返る。
「カカシ、大切にする事と、見守る事は我慢や自己犠牲とは違うわ。ましてや、相手を傷付けてまで護る方法なんてないのよ。いい?恋愛にはそんなのは必要ないの」
紅は言葉を返す様子も、頷く様子もない男に今度こそ背を向けて歩き出した。
いつまでも放って置くと誰かに掻っ攫われるわよ。その時冷静でいられるかしら。
サスケはナルトが置いていった狐面を手にじっと見つめながら、怒ったナルトの様子やキスした時の感触を思い出していた。
自室から見える月はいつになく煌々と輝いている。
「ウスラトンカチが・・・・」
サスケは唇を人差し指でなぞった。
ナルトがカカシを想ってきたように六年間サスケもナルトを見て来た。今更諦められる筈がない。
ナルトにはああ言ったが、サスケにはカカシの気持ちがよく分かった。二人は様々な面に於てよく似ている。だからカカシがナルトを振ったと知った時、サスケはその理由にすぐ気付いた。
幸い鈍いナルトには伝わっていない。勿論わざわざ教えてやるような馬鹿な真似はしない。せいぜい強情を張っていればいい。そしてナルトが奪われる様を見て悔しがればいいのだ。
サスケは勝ち誇った優越の笑みを浮かべた。
「ナルトにはずっと同じ目線で一緒にいられる俺の方が相応しいぜ」
「大丈夫かよ、疲れた顔してるぜ」
キバはナルトの様子を見て眉を顰めた。
陽の下で見るナルトの瞼は若干腫れているようだ。昨夜任務で会った時は何ともなかったのに、その後何かあったのだろうかとキバは首を傾げる。
「え?そんな事ないって、元気だってばよ!」
ナルトは見ろよ、と両腕を振り回してみせる。
「な?何ともねえだろ?」
昼間の彼らは支給された深緑のベストを着て一般の忍と見分けがつかない格好をしている。
「ふうん、ならいいけど。気を付けろよ、夜の任務で倒れちゃどうしようもねぇからな」
「ニシシッそんなダセェ真似するかよ!」
ナルトは笑い飛ばしたが、キバが余所を向いているのに気付いて笑みを引っ込めた。
「ナルト、あれカカシ上忍じゃねーか。こっち来るぜ」
「あ・・・」
お前に用があるんじゃねえの?
暗にそう言われてナルトは何と返していいか迷う。自分から会いに行く事はあったとしても、カカシから来る事など任務以外ではない。ナルトがどんなにカカシに纏わり付いてもあの男が己に興味を持つ事などないと分かっている。
不毛な恋をしている。
報われる可能性など無いに等しい、悲しい恋をしているのだ。
「たまたま、見かけたからだってばよ」
「そうか?」
「・・・・・」
相変わらず両手をポケットに突っ込んだ胡散臭い格好の上忍は、戸惑うこちらの気など知らず近付いてくる。
「お、お疲れ様です!はたけ上忍!」
キバは緊張した表情で咄嗟に頭を下げた。
「ん~、オツカレサマ」
カカシはキバの挨拶に間延びした声で答えたが、その視線は俯いたナルトの旋毛に向けられている。
カカシは答えたきり数分無言でナルトを見下ろし、居た堪れなくなったナルトとカカシの様子に疑問を持ち始めたキバの間に微妙な空気が漂う。
「ナルト、お前疲れてるでしょ。気をつけなさいよ」
「!」
突然掛けられた言葉にナルトは全身を硬直させる。
何の気紛れか、優しい科白にナルトは戸惑う。
カカシ先生なんでそんな事言うんだってばよ。こんな風にされたら、オレ・・・期待しちゃうってばよ。
諦められない強い想いとは反対に、絶対に振り向いては貰えないという確証があるナルトはカカシの身に何があったのかと訝しむ。
「無理、しちゃ駄目だよ?」
驚いて仰げば間近にカカシの苦しそうな顔が見える。
「カ・・・」
「じゃあな、頑張れよ」
ナルトが何か言おうとする前にカカシは背を向けて行ってしまう。
「なんだー?あれ」
漸く顔を上げたキバは訳が分からねえ、と呟く。
「カカシ先生・・・・」
ナルトは追い駆ける事も出来ないまま何故かいつもより小さく感じるカカシの背を見送る。そしてその姿が見えなくなってもその場を離れる事ができなかった。