十日夜、星火祭で君を希う
その通りはいつにも増して賑わっている様だった。普段より綺麗な余所行きの着物に身を包んだ町娘が軽い足取りで小走りに通り過ぎ、カラフルな反物や簪など荷を背負った行商人達が笑顔で行き交う。更には華やぎから遠い薬屋まで明るい顔だ。
それもその筈、間近に十日夜を祝う星火祭を控えているこの国は隣国、華の国からの姫君お輿入れが決定している。
「うん、うん。何度見てもこの景色はよいな」
今月に入って一気に華やいだその町の様子を静かな一室から望遠鏡を用いて窺っていた若者は、遠く離れた所の喧騒も手に取るように分かる風景を見て満足気に頷いた。
彼にとっては活気ある町の、民の安寧が何よりの幸せであり自慢である。
だからこの平穏無事を喜んでいるところへ突然割り込んだ無粋な低い声を一度や二度無視したところで大した罪にはならないだろう。
一度や二度・・・・三度、四度、無視したとしても・・・・・・。
「若様!若様!わーかーさーまーっ!」
「ええい!煩い、煩いぞ。そう怒鳴らずとも聞こえている」
城下を巨大な城の一室から眺めていた青年は背後から掛けられた声に眉を下げた。振り返れば声の主は畳に座し、膝の上に置いた両手を握り締めて十違う弟のような君をじぃっと見つめている。
「老中、上総の輔か。ふっ、そんなに見つめられては照れる」
「なっ!・・・照れている場合ではありませんっ。姫君のお輿入れまで後一ヶ月!一ヶ月しかないのですぞ!?」
「分かってる分かってる」
軽い返答に不安を覚え眉間に皺を寄せた上総の輔は首を横に振り苦言を呈する。
「何をそう決め兼ねていらっしゃるのか、理解できませぬな」
幼い頃に母を亡くし、父親に帝王学全てを叩き込まれたこの若き殿下は何一つ不自由なく恵まれ、小走りから側女まで選びたい放題だというのにどういう訳か首を縦に振ろうとしない。
「お前には分からないだろうな。何もかも与えられ、その全てを拒めぬ者の気持ちなど」
沢山の物を手に入れても自由は得られない。
幼少期から仕えている主君の寂しい横顔に知らない者の顔を見つけた老中は息を呑んだ。
「若・・・」
「だから俺は」
彼は理解を求め寂寥の眼差しを向けた。
しかし老中は己の膝を強く叩いてその空気をぶち壊した。
「若殿!それでは尚更。まさかお忘れではないと思いますが、我が国は代々姫君を娶る前に筆下ろしを済ませておくのが習わし、それが初夜当日まで童貞とあっては将軍家、前代未聞の恥!!」
「・・・・・・」
「若には一刻も早くお相手をお決めになられて・・・そうでもなければこの上総の輔、不肖ながら我が身を切って若のお相手を」
「ああ!やめ、やめい。お前のような男には興味ない。大体何処も彼処もゴツくて敵わん」
男同士云々と非難するつもりは毛頭ない。若衆道に関して言えば身分が高い者ほど傾倒しがちで、周囲にもチラホラそのテがいる事は承知している。
だが上総の輔は抱くには余りにも筋肉質過ぎる。
うんざりした彼は視線を窓の外に向け再び小型の望遠鏡を覗いた。
「やはりこうしているのが一番落ち着く。大概女の相手は・・・・」
不意に彼は望遠鏡から目を離して堀の内側を食い入るように見つめた。その魅入る姿に老中は外に何があるのだろうかと首を傾げる。
「若?」
「あの者・・・上総の輔、遠方から誰か呼んでいると言っていたな?」
「は?―――あ、ええ、十日夜が近いので城の警備と不審者への警戒を忍の里に依頼しておりますが。何か気に懸かりましたか?」
「いや・・・そうか」
「殿?」
彼の主人は依然として窓の外を眺めたまま指先で唇をなぞり、やがてにっこり笑って振り返った。
「よし!決めたぞ」
「おお!ご決心遊ばされましたか。してその相手は」
「うむ、実に相応しい相手だ」
ナルトの背中を仰ぎ見た春野サクラは動揺を隠せなかった。激しく上下する彼の肩は今し方倒した敵の強さを物語っている。興奮の為か荒い呼吸は容易に整わない。だが彼女が青褪めた理由はそれではなく、敵が地面に倒れると同時にナルトが呟いたほんの一言だ。
「ナルト・・・冗談でしょう?」
「いや、本気だってばよ。サクラちゃんも・・・この事はぜってえカカシ先生には言わねーで欲しいってば」
「ナルト、あんた」
「これはオレが墓まで持ってくから」
「そんなの無理よ!あんたカカシ先生が元暗部だって事忘れてない!?」
「だからこそ!だってばよ!!」
「ナルトッ」
「頼む!これだけは死守しなきゃなんねーんだ。皆の為、カカシ先生の為にも」
「馬鹿・・・」
サクラはそっと足を踏み出してナルトのベストを掴み彼の背中に項垂れた。彼女の頭の重みを背に受けたナルトは体の向きを変えながら、優しく彼女の手を取り温かい手で包み込み苦笑した。
「ごめんな、サクラちゃん」
「よし、報告ご苦労!下がって良いぞ」
「はっ」
五代目火影の御前で任務報告を果たした若い忍三人はスッと背筋を伸ばして御意を示す。
「お、そうだナルト。カカシが里に戻っているぞ」
彼らが辞そうとすると、火影はふと思い出した事を呟き一人の足を止めさせた。しかし何故か彼だけでなく、同行していた医療忍者のくノ一までが立ち止まり驚いた顔で綱手を振り返っている。
「何だ二人して」
「あの師匠、カカシ上忍は長期任務じゃなかったんですか?」
「最初の予定ではそうだったんだが思いの外、事が早く進んだらしい」
「そんで・・・帰って来てるってば?」
「ああ?どうした、嬉しくないのか?」
「えっ、う、嬉しいってばよ」
「そうよねっ!ナルトが嬉しくない訳がないわよね!今直ぐ会いたいわよねーっ?」
「うんうん!スッゲー会いたいっ」
「ふむ・・・・そうか、じゃあ早く会いに行ってやりな」
綱手は若い恋情に呆れを抱き、頬杖突き半眼で片手を振って彼らを追い出す。彼女は若い頃の自分も同じだっただろうかと考えるが、素直に頷けず益々渋面になった。
「し、失礼しました~っ」
「「はぁ」」
元七班の二人、溜め息は同時だった。
「じゃあ俺は先に帰るぜ」と言う仲間に頷いて彼らは壁に凭れる。だがその内ナルトはずるずる背中を擦って結局床に座り込んでしまった。
「神は無情だってばよ」
「会いに行けってサインかも」
「んなっ無理だってばよ!」
「勿論相手は『あの』はたけカカシなんだからポーカーフェイスじゃなきゃ隠し通せないわよ?」
「うう」
「意気込みはどうしたのよ」
「つったって、サクラちゃん」
「にしても、参ったわねー。心の準備も出来てないのに早過ぎだわカカシ先生」
サクラは片手で両目を覆って予想外を呪う。
「もう少し猶予あると思ってたんだってばよ。そしたらオレだって」
「隠し通せると思ったのね?」
ナルトは頷いて天井を見上げた。恐らくこれからカカシに会った時のシミュレーションをしているのだろう。だが結果はどれも最悪らしく金色の眉がきつく寄っている。それも当然だ。この狭い里に居れば近い内に否が応でも出会ってしまう。
「先生を甘く見たらヤバイってばよ」
「それって木ノ葉の常識ね」
でも覚悟の上だったんじゃないの?あんた承知して付き合ってるんでしょう。
サクラの眼差しと共に声なき囁きを受け止めたナルトは体を起こしてゆっくり立ち上がり伸びをする。
「その通りだってばよ。うし!ウジウジしてんのはオレらしくねえ。なるようにしかなんねえけど、頑張って死守するってばよ」
「ねえ、ナルト。やっぱり・・・隠しておくの?」
サクラが心配そうな目で問う。
「・・・ああ」
「そう」
一言呟いて視線は床に落ちた。
「サクラちゃん」
「・・・・・」
彼女はすぐに言葉を返す事が出来なかった。ナルトはもう一度呼ぶべきか躊躇って結局止め、顔を背けた後グ、と拳を握り意を決して口を開いた。
「頼むってばよ」
床を踏むナルト特有の足音が遠ざかる。
「ナルトッ・・・・」
だが漸く顔を上げた時には彼の姿はなく
一陣の風が長い廊下を通り抜けた。
ふっと現れた気配に気を引き締めるが、背後からふわり抱き締められ耳元で「会いたかった」と囁かれてガードが緩む。
包容力のある男とはこういう人間の事かもしれない。風に乗って香る微かな匂いを感じながらナルトは思った。
しかし包容力があっても何でも許してくれるとは限らない。
「いつ帰って来たんだ?戻っていると聞いたが、どうしてすぐ会いに来ない?」
男の科白は包容からは程遠い狭量な文句だ。
「あ・・・ごめんってば。オレ色々忙しくて」
「だからってお前」
声音は明らかに素っ気無い恋人を責めている。
「マジで事後処理とかあってさ。悪かったってば。先生もこんな早く帰って来るとは思わなかったし」
「薄情だな」
「怒ってんのかよ」
ナルトが口を尖らせるとカカシはふ、と息を吐いて首を振った。
「怒ってなんかいない。お前が無事で良かった」
肩に顔を埋めた彼の髪が首筋をくすぐりナルトは首を竦める。
カカシ先生―――。
「カカシ上忍疲れてるんだろ?」
前に回された手を解こうとすると男は困惑の表情を浮かべた。
「ナルト?」
「ゆっくり休めってばよ」
「どうしたんだ?まるでオレを避けてるみたいじゃないか」
「穿ち過ぎ・・・っ!」
尚もナルトが逃れようとしていると男は目を細め首を覆う黒いアンダーに噛み付いた。それは少しずつ捲られていき、肌を撫でるような昼間には相応しくない卑猥な吐息がナルトの首に掛かった。
そして離すまいと益々強く抱き締めてくる腕の痛みに顔をしかめると、突然鋭い痛みが首筋に走った。
「痛っ!」
カカシ先生!?なに噛み付いてんだよっ。
「は、離・・・」
しかしカカシの牙は亀のように食い付いて離れない。もしかしたら血が滲んでいるのではないか、そう思うくらいカカシは凶暴だった。
「痛いってばよーーーー!」
渾身の力で彼の腕を振り解いて振り向きざま拳を繰り出し、だが容易に避けられて舌打ちする。仕返しを恐れすぐに後退して首に手をやると案の定切れていた。掌に付着した血の量から傷の深さを知る。
「クソッ。何やってんだよ、カカシ先生」
「さあ」
「子供みたいだってばよ」
ナルトは睨んだ先を警戒しつつ首を押さえて、何を企んでいるのか分からない男とその恋人になってしまった自分が嫌になる。
『承知して付き合ってるんでしょう?』
サクラの科白が頭の中で渦巻き本心を問う。
“その通りだってばよ”
「怒ってんの?」
「当然だってばよ!普通やらねえって。こんな・・・・・馬鹿みてえ」
「・・・・」
「本当に何やってんだよ。あんたマジで上忍かってばよ。オレ情けなくなってきた」
「なーに、お前こそオカシイんじゃなあい?」
「オレはおかしくなんかねえってば!」
カカシの態度に段々苛立ちが募り自然と口調が荒くなる。更にそのナルトの様子がカカシを刺激して、二人はパンパンに膨張した破裂寸前の風船のように最悪の雰囲気を醸し出す。
「オレを避けているのにか」
「避けてねえって。カカシ上忍考え過ぎ」
「二人きりの時に他人行儀な物言いだな」
「マジで怒るってばよ」
「今までだって怒っていただろう」
「・・・・殺されたいってば?」
「お前にオレは殺れないよ」
「・・・・」
カカシは正しい。今や実力は彼と同等かそれ以上。だがナルトが本気で目の前の男を殺そうとしても刃を振り下ろす前に自身の本能と理性が邪魔をするだろう。
「勘違いしてないか?怒ってるのはこっちなんだよ」
「さっき怒ってねえって言ったじゃん」
「『さっき』はな。任務で何があった?」
カカシの鋭い洞察にナルトは流石上忍、元暗部だと笑う。
「別に・・・。ごめん、ただちょっと疲れてるだけだってばよ」
「本当か?」
「ホントだってば。今回の任務ってばサクラちゃんのダメ出しも多くってさあ。だから少し休みたいんだってば」
ナルトの頭はポーカーフェイスの文字でいっぱいだ。それを呪文のように唱えながら相手の無言の間に耐える。
「そうか、なら・・・・悪い。大人気ない事をしたな、オレは」
スッと近付いたカカシはぐい、と黒い布地を引っ張り傷の具合を見て顔をしかめた。
「結構酷いな」
「誰の所為だってばよ!」
九尾の力のお陰ですぐに治るだろうが、今の所はまだ痺れる様な痛みを感じる。
「ごめんね」
「全くだってばよ」
男はナルトの肩に手を掛け唇を傷に寄せて甘く吸い付いた。
それから暫くしてナルトは友人達の呑み会に誘われた。久しく会っていない友の誘いを断る理由はなく彼は喜んで輪に加わった。この歳の酒場での会話となると恋人がどうしたとか、友達か知り合いの誰がどうなったとか、色事を交えた会話が中心となる。忍と言えども根本は人間、ただの漢だ。明日の生死は分からないが、人との繋がりを求めて一瞬、一瞬を生きる。
もしかしたら約束のない身の上だからこそ温もりを求めてしまうのかもしれない。
ナルトは嘗める程度に呑んでいた冷酒を置いてビールのグラスを手に取った。
店自慢の八塩折之酒は旨いが今夜は静かに呑むよりも友人と懐かしい位の馬鹿騒ぎをする方が良い。
「って、いいよなーあいつは女に囲まれてよ。な!ナルト、お前なんか男にモテモテだもんなー?」
ブフッ!!
「ぐ・・・げふっ・・・ゴホッゴホッ!」
「うおっきったねー!」
「おま、お前の所為だってばよキバ!変なコト言うなよなっ」
ナルトは気管に詰まった苦しさから盛大に噎せて顔を赤くして怒鳴る。
「ああ?本当の事じゃねーか。ネジなんか口では冷めた事言ってっけどよ、かなり信頼してるぜー?」
「そ、そ、そ、それはダチとしてだろってばよ!」
「んん~?そうかあー?なあシカマル!」
「ニヤニヤすんなってばよ!」
「あー?めんどくせー」
「お前そればっかだな」
「おいっキバッ」
「そーいや、いのがよー」
「いの?テマリはどうしたんだよ」
「テマリってあの砂の?」
「ふ、二股ですか!?それはいけませんよ!相手の方に不誠実です。大体」
「チョウジ!それ俺のだろが。勝手に食うな」
「おい、ってば」
「ボク牛タン頼んで良いかなー?」
「お前まだ食うのかよ」
「待て、次はカルビだ。なぜなら」
「あ、お姉さんこっち注文です」
大所帯の会話はあれよあれよと言う間に本筋から外れて、それぞれが勝手な事を喋っている。ナルトはぼんやり手元のグラスを見下ろして、目の端で騒ぐ友人達を捉えた。
こうなったら駄目だ。
ええい!ままよ。呑まれてしまえ。
ナルトは口を挟むのを諦めてビールを呷りおかわりを注文した。
「おーい、大丈夫か?」
ゆらゆら光が揺れている。
その明かりの手前で蠢くぼんやりした影が段々人の顔に変わり誰なのか判然とした頃、ナルトは漸く自分が何処で何をしていたのか思い出した。
目の前の男がもう一度大丈夫かと聞き、それに頷く事で答え彼の手を借りて横たわっていた体を起こす。
やけに周りが静かだと思えば、ここはもう店ではなかった。見慣れた自分の部屋だ。どうやら彼が肩を貸して連れて来てくれたらしい。
部屋の鍵もちゃんと渡したらしいがナルトにその記憶は全くない。
「他の奴等は?」
「帰った。シカマル、チョウジ、シノそれからリー、後から来たネジもな。ああ!サスケも顔を出したぜ?お前の様子見たらすぐ帰っちまったけどな」
「そっか」
「お前さあ、強くもねーのにあんな呑み方すんなよな。何があったか知らねーけど・・・まあ予想は付くけどな」
「・・・・・・」
ナルトはまだ少し回る世界で隣に座った彼の横顔を眺める。
「カカシ上忍だろ?」
彼は首を横へ向けて直球で青い瞳に問う。
友人の纏う緩やかな雰囲気からは誤魔化す事も可能だったがそうはせずニカッと笑った。
「キバ案外鋭いってば」
「何年の付き合いだと思ってんだよ」
「ああ・・・・そうだったってば」
「大丈夫なのかよ?」
「たぶん。酒も大分抜けてきたし」
「ちげえよバーカ、カカシ上忍との事だよ」
勿論分かっていたがナルトは笑顔のまま首を縦に振った。
「もう解決したってばよ」
「そうか」
「サンキューってばよ」
「大した事してねえよ」
さて、じゃあオレも帰るぜ。
「ナルトーお前そのまま寝んなよ!風邪引くって・・・・馬鹿は引かねえか!」
ひゃははははっ。
「キバッ・・・・・・・誰がこのまま寝るかってばよ。つーか近所迷惑な奴」
駆けて行った友人の足音が扉に遮断されて部屋は静けさを取り戻す。同じようにナルトの心も冷めていき、友人達といた時の温かみはすっかり消えた。
十日夜まであと三日。
今年は恋人と祝えない己の誕生日。ナルトは胸の奥にずっしりとした重みを抱いて苦しげに目蓋を閉じた。
会いたい。
会いたいってばよ、カカシ先生・・・・!!
続く