ヒトリの夜
「今年も雪降るかなあ・・・」
任務帰りふと足を止めたナルトは曇った夕刻の薄暗い空を見上げて、しんしんと降り注ぐ去年の雪を思い出した。
「去年はカカシ先生も一緒だったってばよ」
そう今年は恋人と別れてから初めて迎えるたった独りのクリスマスだ。付き合い始めてから毎年必ず愛しい恋人と過ごしていたクリスマス。それが今日からは変わる。あの傍にあった暖かな眼差しも包み込んでくれる腕もない。
「先生元気にしてっかなあ」
カカシ先生ってば完璧に見えて抜けてる所があるから心配だってばよ。
里人はみな家族が待つ暖かい家に帰り、人影が一つもなくなった道でナルトは寂しげな微笑を浮かべ独り呟いた。
ナルトには家族がいない。だから毎年この特別な日を灯火が漏れる暖かな部屋で唯一無二の大切な人、カカシと寄り添って過ごす事がどんなに特別な事だったか分かる。
「今年は・・・・・独りかあー」
一緒に過ごそうと言ってくれた人もいる。けれどその人には家族がある訳で、ナルトはその邪魔をしたくなかった。また同じように孤独を知る友人も誘ってくれた。だが彼には甘えられないとナルトは思った。何よりカカシと別れたばかりでそんな気にはなれなかった。
ビューッと音を鳴らして冷たい風が立ち尽くすナルトの体を包み、大人になりつつある頬を叩いて通り過ぎた。
「さみいっ」
ナルトはぶるりと体を震わせてズボンのポケットに両手を突っ込み歩き出す。
まるで失ったものを求め自然とその影を追うように。
「ごめんなナルト」
別れの時でさえ優しさを見せる男が少し憎かった。
けれど彼を詰ったところで今更だ。全て終わってしまったのだから・・・・・。
うまくいっていた筈の彼と自分の距離は少しずつ少しずつ開き、気付いた時には修復できない程大きな穴が目の前にぽっかりと開いて二人は随分遠くまで離れてしまっていた。
そう思った途端ナルトの目に涙が込み上げてきた。
しかしそれはカカシだけの所為ではないし、こんな時でも見せる彼の優しさが嘘ではない事を知っている。
だからナルトは縋る事さえ出来ずに本心を隠し笑顔で頷いた。
「先生が謝る事はねえってばよ・・・・・今までサンキューな、オレはカカシ先生と付き合えて嬉しかった」
そう伝えた瞬間のカカシの顔をナルトは忘れられない。
別れを切り出した側にしては妙に哀しそうな、それでいてとても辛そうな表情で涙を堪えるナルトを見つめていた。
「馬鹿だね」
カカシはナルトの体を今まで何十回としてきたように抱き締めた。けれど振られたナルトにとって別れ際のそれは辛過ぎて、未だ忍として衰えを見せない頼りになる胸を両手でそっと押し返した。
「さようなら、カカシ先生」
それからは何日も続けてカカシの夢を見た。決まって現れるのはあの時の寂しげな顔。
「カカシ先生ー寂しいよぉ、オレはカカシ先生が本当に好きだったってばよ・・・・・」
もうカカシを感じる彼の所有物だけでなく、匂いさえ消えてしまった独りぼっちの部屋でナルトは体を縮めて声のない涙をひっそり流した。
あれから数ヶ月、任務で顔を合わす事もなければ偶然道で擦れ違う事も無い。だというのにまだ独りきりの部屋に違和感を覚えるのは暖かいカカシの傍に慣れ過ぎてしまったからだ。
けれど、もう・・・・あの頃には戻れない。
「オレはまた独りぼっちだってばよ」
カンカンカン。
アパートの階段を上がる音が自棄に大きく響いて聞こえる。
思わず触れた錆びた手摺りは冷たく、ナルトの手を拒絶するかのようだ。
「鍵・・・・・どうしたんだっけ」
何処に仕舞ったのか忘れてしまった。
「ポーチ・・・」
真っ暗な自宅の前で腰に下げたポーチに手を突っ込んで銀色の鍵を探す。
「えっと・・・これは、違う・・・・・これも・・・・違うってば」
ごそごそと内側を掻き回して漸く凹凸がある金属の端が指先に触れた。
「あった!」
そしてそれを掴み出して鈍く光る先端をノブに差し込もうとした。がナルトは傍に人の気配を感じて動きを止めゆっくりと横を見た。
「ナルト」
何日も夢に見た低い声が彼の名を呼んでいた。
幻聴、幻覚、それとも―――――。
ナルトは一瞬くらりと視界が揺れるのを感じた。
これは何と残酷な幻覚だろうと思う。
酷いってばこんな日にカカシ先生を作り出しちまうなんて。
それともこんな日だからこそ、こんな夢を見てんのかなあ。だってそうだろ?ここにいる筈の無いカカシ先生なんて、オレの欲求そのままじゃんか。
「ナルトー?聞いてるか」
すげー喋り方もそっくりだってばよ。オレってば良く観察してたんだな。
「おいナルト?」
その笑顔を見る度にオレはずりぃって思ってた。だって大好きなカカシ先生の表情それだけで何でも許しちゃおうと思うんだからさ。ずりぃってばよ。
「ナルト大丈夫かっ!?」
うわー抱き締めてくるその腕も・・・・・・って・・・うそ・・・だ・・ろ?なあカカシ先生ー。
「ナールートッ」
「うわっ」
ナルトは間近で自分を見つめる男の顔に驚き、一気に覚醒した意識は己の両肩を掴む手が現実のものである事に漸く気付いた。
「マジで・・・本物?本当のカカシ先生?」
信じられないと顔に大きく書いた青年の前でカカシはにっこりと笑って肯定を示す。
「帰って来たよ」
「・・・・・」
任務後の埃を纏ったボロボロ、よれよれの上忍服姿でカカシは微笑みかける。しかしナルトは突然の事でまだ対応しきれないのだろう、現状を理解できずに呆然とカカシを見返した。
「あれ?おい、ちょっとちょっとナルトーまさか・・・お前約束したのに忘れちゃったの?」
「約束?」
「そうだよ、したでしょ?オレが任務に出る前、別れる時に!」
「任務・・・・」
「オレが里を出る時に話しただろう?今日みたいに、あの日ここで」
『ごめんなナルト・・・・ごめん。オレが生きて帰って来られたら必ず迎えに行くから。それまでは別れよう・・・・・』
「う、そ・・・だってアレは」
「お前は嫌がったけど、少なくともオレは本気だったよ」
『嫌だってば!オレはカカシ先生を待ってるってば!!なあ、今までだってそうだったじゃんか。今更危険な任務だからって事ねえだろ!!』
いくらカカシの頼みと言えど素直には頷けない提案だった。ナルトは自分の想いが相手に伝わるようにと願い、声を荒げて必死に思い止まらせようとした。
『うん・・・ありがとな。でも今回は本当にヤバイかもしれないんだ。もしオレが死んだらお前は辛い思いをして泣くでしょ?そんなのオレが嫌だよ。だったら一度繋がりを断ち切った方がいい。そして・・・・オレが里に戻らなかった場合・・・・お前は新しい道を見つけて・・・・・幸せになれ』
ナルトは激昂した人間を前にして静かに話し続け最後はきっぱりと言い放つカカシの神経が信じられなかった。
『いやだってば!!!ならオレも連れてけってばよ!』
『それはできない』
『カカシ先生・・・・』
全てを思い出したナルトの目に涙が溢れる。
『酷いってばカカシ先生・・・・・こんな事ならいっそ嫌われた方がマシだってばよ。その方が楽だったのに』
ナルトは少しでも状況を把握しようとカカシが赴いた国の内紛戦争地の事を火影に訊ねに行った。だがそこで聞いた話は想像を絶する内容だった。綱手の情報では敵味方双方に数え切れぬ程の死傷者が出ており、確かな生存人数も確認し難いと言うのだ。
毎日毎日、独りきりになってしまった静かな部屋でカカシは大丈夫だろうかと心配する。そして心臓が凍るような場面を夢に見ては飛び起き彼の人の無事を祈る。
それはとても辛い日々だった。
嫌われるよりももっと酷い。愛する人を失うかもしれない痛みがナルトの胸を締め付けた。
それから少し経ったある日、憔悴したナルトはある行動に出てしまう。
『も・・・やだってば・・・・忘れる。全部忘れるってば』
火影の書架には古今東西色々な術を記した巻物が仕舞われている。その内の一つの禁術書にこっそり忍び込んだナルトの手が伸びた。
『これで・・・楽になれるってば』
彼は記憶を新たなものに書き換えた。
別れ際のカカシの科白。
己の返事。
今の状況。
本当はカカシの全てを忘れるつもりだった。しかしその様な術は巻物には記してなかった。だから、都合のいいものに「書き換えた」のだ。
たった一つの弊害は、その術が解けてしまったこと。
「馬鹿だな」
「馬鹿はカカシ先生だってばよ。オレってば苦しくって痛くってもう死にそうだったんだからな!だから・・・・・ばあちゃんに内緒で執務室忍び込んで・・・・そんで・・・・っ」
要領を得ないナルトの話。けれどカカシには相手が何を言いたいのか分かった。何があったのか、ナルトの涙一つで全て分かってしまった。
「うん・・・ごめん。やっぱり泣かせちゃったな」
「ばかあっ」
「うん」
「カカシ先生の所為ですっげー苦しかった!オレは・・・・カカシ先生が大好きで、こんなに独りじゃ駄目なのにっ・・・・」
「もう大丈夫だから・・・ね、許してよ」
「カカシ先生」
「許してよナルト」
そこにはやっぱりあの笑顔があった。
ナルトの大好きな愛しい、何でも許してしまいそうになる暖かな眼差しでカカシが笑う。
「しょーがねーから・・・・今回は許してやるってばよ」
「ありがとうナルト」
ありがとうナルト。やっぱりお前がいなくちゃオレも駄目なんだ。
カカシに慰められたナルトは家の鍵を開けてこれから暖かな火が灯る部屋に二人寄り添い入って行く。外は冬の寒空に冷たい風が吹いている。しかしナルトはもう寒くなどなかった。隣りには去年と同じように幸せな存在がある。これからも、ずっと、ずっと。共にありますように。
実に忍らしくない、けれど忍だからこそ祈る願いを囁いて、窓に映る恋人達は幸せそうに笑い合った。
END