十日夜、星火祭で君を希う
まだ闇の支配者たる夜が明け切らない時刻、木ノ葉の門を潜る者がいた。彼は極めて軽装、まるで友人の家に遊びに行くような気軽さで里を出ようとしている。
「やっぱ早く出て来て正解だったってばよ」
知ってる奴に会ったら気まずいし。
説明するのも面倒だ。
彼は誰かが待ち伏せしているとは疑わず後一歩踏み出せば里外という所まで近付いた。けれどその一歩を行く前に、脇から草を踏み締める音が聞こえて一人のくノ一が姿を現した。
「勘鋭いんだもんな、敵わねえってば」
「行くの?」
「うん。ばあちゃんにはサクラちゃんから上手く言っといてくれってばよ」
「納得できない」
「オレが決めた事だってばよ」
「師匠だって反対する!」
「勝手に動いてばあちゃんには悪いと思ってる。でも仕方ないってば」
「仕方無い訳ない!ナルトがこんな想いをする事は無い!」
「サクラちゃん」
ナルトはゆるり首を振って来た道を振り返り朝陽の欠片を浴びる里を眺める。あと数分もすれば目映ゆい光が降り注ぎ新たな一日が始まる。
次に帰って来る時、何が変わっているだろうか。
自分の、そして里の何が。
「ちょっと行って来るだけだってばよ」
だから安心して欲しい。消えて無くなる訳ではないからと親指を立てる。
「駄目!ナルトッ」
「ごめんってば」
ナルトは追い縋る声を振り切って走り出した。
門を出た時サスケが里抜けをした日の事が脳裏を掠め、こうしている自分も彼の事は言えないと思った。
自分達は彼女を悲しませてばかりいる。
「ごめんな。サクラちゃん」
少し黴臭い図書室、書架の前。巻物の整理をしていた忍が背中合わせに整頓している者に話し掛けた。
「なあ、あの噂聞いたか?」
「んあ?何だ?」
「うずまき上忍の」
「うずまき?」
「ああ。この間火影様の所でチラッと耳にしたんだが」
そこまで言ったところで流れていた空気が一転した。男の科白は途切れ、彼らの死角にいた影が動いた。
「ソレ何のハナシ?」
二人の中忍はその声に恐怖せずにはいられなかった。この里で知らない者はいないその相手。
「ねえ、詳しく話して聞かせてよ」
「あっ」
「あなたは・・・はたけ上忍っ!?・・・・・」
「包み隠さず全て話せ」
「ヒッ」
「はっはいぃぃぃ!」
ぶわりと広がる殺気に彼らは耐えられそうに無い。半泣きで躙り寄る恐怖に震えながらヘラリと笑って口を開いた。
「実は・・・」
「カカシ先生っナルトを止めて!!ナルトが行っちゃう!」
『ナルトが行っちゃう!』
突然割り込んできた女性の必死な声に三人は入り口を凝視した。特にカカシはくノ一が叫んだ名前に逸早く反応して意識を男達から彼女に移した。
「サクラ・・・どういう事だ?ナルトがどうかしたのか!?」
「それが大変なのっ」
「うわあああ春野上忍~!」
「本物だ、本物の春野上忍だ」
五代目綱手仕込みの怪力で畏れられている春野サクラ。しかしこの時中忍の目には後光が差して見え、彼女は宛ら女神のようだった。窮地を脱した二人はサクラの背後に隠れ逃げて行く。
彼女はそれに構わず真っ直ぐカカシを射貫き事情を手短に伝えた。
「とにかく急いでカカシ先生!私こんなの許せない。ナルトもどうしてっ・・・!」
両目にじわり涙が滲むのを見てカカシは遣る瀬ない気持ちになった。そして当然の怒りが心の奥底から膨れ上がる。
「分かった。ありがとなサクラ」
広大無辺な空は想い人の色だ。
サクラと別れ里を見下ろす高台に立ったカカシは壮絶な睨みを遠く離れた地にいる恋人に向けた。思い返す日常のシーン全てに於いて己が滑稽で情けない。ナルトが帰って来た日から今までずっと騙されていたのだと思うと彼が見せた笑顔全てが憎い。
あの時も、その時も、この時も・・・全て造り物だったのか。
幸せそうに笑ったのも些細な事に怒って脹れた顔も全部騙す為の虚構だったのか。
「オレを騙せると思ったか?言わないで済ませる気だったのか?隠し通せると思ったか!?」
「ふざけんな」
「なめんなよ。オレの気持ちを踏み躙った代償は高いぞ」
一羽の大きな鳥が顔岩から飛び立ち鋭く一度鳴いて山の向こうに消えた。カカシは一呼吸置いて青の世界にダイブした。
―待ってろよナルト―
星火祭は遠い昔この国の始祖が突如一斉に消えてしまった星を術を用いて呼び戻したところ、星々が烈火の如く輝きそれが丁度十日夜だったと言うのが由来である。創始者がこの世を去った後もそれは伝説として語り継がれ、今でも十日夜には花火を星に見立てて盛大に打ち上げ豊作を祝う。
夷の国に無事入国したカカシは人波を避けて屋根伝いに移動していたが、奥の神殿に人々が集まっているのを確認すると屋根を降りて人の流れに乗り同じ方向へ進んだ。
神殿は赤と黄色の目映い光に包まれている。それらは人々の衣装に反射して明るさを増す。更に祭り好きな民衆の高い声と明るい声が加わって加熱する。どこからか祝詞も聞こえる。
カカシは人混みの中である一箇所だけ人々が避け遠巻きに注目している場所を見つけた。それはどれも羨望の眼差しばかり。
「誰かいるのか?」
近付いて行くと中心にいるのはこの国の重鎮、大臣達である事が分かった。彼らは列を成して神殿に入って行くところだ。カカシは行列を睨んでいたが、愕くべき事にその中にナルトを発見した。
「ナルト!?いやいや、まさかな・・・だがあれは」
金髪の青年はこの国の若君らしき者と肩を並べ歩いている。空色の直垂を纏っているが目を引くのは髪を飾る金の繻子で、ゆるり歩く度に揺れて煌めき男が肩に手を掛けて囁くと彼は魅惑的に笑った。隣の男のように烏帽子は被っていないが、夜目に美しい金の髪が人々の目に印象的に映る。
その光景をカカシは一瞬我を忘れて見入り、誰かが無防備な背中にぶつかって我に返った。
間違いない。
ナルトだ!!
そうとは知らずカカシの視線の先でナルトは興味深げに周囲を見回す。自分達を見つめる群衆の目に彼は気恥ずかしさを覚え、また視線を横に移してそして目を見開いた。
え・・・うそ、だってばよ。
互いの目線がかちりと合った時、カカシは辛抱ならずナルトの前に降り立った。音も無く現れた男とその物の怪も敵わない妖しい銀糸に大臣と従者達はざわめき後退る。だがナルトの隣にいる男は落ち着いたもので、カカシを見てにっこり笑い頷いて納得したように離れた。
カカシはそれを疑問に思いながら不信と鋭い目線を男に向けナルトの手を捕らえた。
「捕まえた」
「カカシ先生」
「こんな所で何やってるの」
カカシの空虚な瞳が着慣れない衣装のナルトを映す。
「お、オレってば」
ハッとして振り返ると大臣達は神殿の方に向かい、先程まで共に歩いていた男はナルトに和やかな笑みを見せ従者に促されて神殿に入った。
「行くぞ」
「えっ」
カカシはナルトの手を引き喧騒と賑やかな風景から離れて行く。遠ざかる景色に戸惑いと不安を残したままナルトはカカシの後を小走りに歩く。
どれくらい歩いただろうか。神殿から随分離れた野原の真ん中でカカシは足を止めた。ここは祭りの明かりが遠くにポツンと見えるだけで暗く静かで寂しい。繋いでいた手はカカシが離してしまった。温もりが遠退く。
ナルトが名残惜しい目を光の方へ向けていると傍らから舌打ちが聞こえた。
「そんなにあの男がよかったのか」
「は?」
「権力振り翳して自分の思い通りにさせるような奴・・・・どうしてオレに相談しなかった!?」
「カカシ先生?」
「五代目にだって遠慮する事は無かっただろう?この国と木ノ葉がどうなるかなんて知ったこっちゃない。険悪になろうが、戦になろうが」
「は、はあ?」
「サクラから・・・お前が副臥になるって聞いてオレは堪えられなかった・・・信じられなかった」
ええっ??
今度こそナルトは目を真ん丸にして口をポカリと開け立ち尽くす。目の前の男が何を言っているのか全く分からない。
「オレはナルトがオレ以外の奴に抱かれるなんて我慢できない」
「ちょ、ちょっと待った!待て、待ってってばよ!何!?カカシ先生、それどういう事だってばよ!何かの間違いだってばよ?」
「はあ?オレはちゃんとサクラから聞いたんだよ。この間お前等が任務でこの国に来たのが始まりだったって」
「ん?んん?任務?」
「依頼されたんだろう。個人的に」
「されたけど・・・そんなのとっくに断ったってばよ」
「断ったって・・・じゃあお前、抱かれてないの?これから抱かれる予定もないの」
「とーぜん!その話があった時点ですぐに断ったってばよ!オレがカカシ先生以外の野郎とヤるわけねーじゃん」
「は・・・・じゃ、なんで隠してたんだ?」
サクラだって勘違いしてたぞ?
「あー?だって言ったらカカシ先生怒るだろー?この国に迷惑掛けらんねーってば」
元暗部だしー。
カカシは肩をがっくり落として疲れた吐息を漏らした。
「サクラに何て言ったんだ」
「サクラちゃんに?『副臥頼まれたけどカカシ先生には内緒にしといてくれってばよ』って言った」
「お~ま~え~なあ!それじゃ勘違いするだろう。馬鹿!オレがどれだけ心配したと思ってるんだ。いいか、今度こういう事があったら素直に話しなさいっ」
「うへぇ~命令かってばよ」
「お前は何でもひとりで背負い過ぎるの!」
「へえへえ」
「ったく。大体断ったのにどうして来ちゃうかな」
「ああ。それはオレの誕生日が丁度祭りの日だって話したら若護衛の名目で招待されたんだってばよ。それまでの流れもあるし、断れなかったんだってば。里とこの国が険悪んなってばあちゃんに迷惑掛けんのも嫌だったし」
「この状況が充分迷惑なんだよ。ナルト君」
分かってんの?
「あっもしかしてオレ里抜け状態!?」
「はあ・・・・それはサクラが何とかしてくれました!」
「あっあははっ流石サクラちゃん」
カカシは頭を掻くナルトを呆れた顔で見ていたが不意に真顔になって彼を引き寄せ抱き締めた。
「頼むから・・・・心配掛けさせないでくれ」
ナルトはパチリと瞬いたがふっと笑って頭を男の肩に預け目を伏せた。
目蓋を閉じれば共に過ごした千の夜。
この恋人以外に自分が想う相手はいない。
それから二人はどうなったのか。
中々二人が里に帰って来ない為、五代目火影は処理しなければならない書類の山を前に苛々としていた。見兼ねたサクラは「大丈夫です。きっとカカシ先生がナルトを取り戻して来ます!」と太鼓判を押した。
けれど実際はサクラも随分気にしていた。
だがそれは取り越し苦労だったらしい。
なぜなら二週間後彼らは晴れ晴れとした顔で皆の前に現れたのだから。
そして二人の無事を確認した翌日、サクラはばったり会ったナルトの首筋に紅い痕を見つけた。
聞けば買い物に行く途中だというナルトはTシャツ姿だった。
「あらナルト首に何か・・・」
偶然覗き見たその首筋。
ナルトは笑って誤魔化したが、そのカカシが残したであろう甘い印が全てを物語っていた。
END