その猫の足跡
初めて病室に入ったサクラは自分の目を疑った。彼女は見る間に青ざめて言葉を失う。
病室には一人の呻き声が響いていた。
「うっ・・・ううー!アァー!」
ナルトの声だ。普段の彼からかけ離れた姿に見ている者の顔が歪む。
後から入って来たヤマトは両の握り拳を強く固め佇むカカシの背中をハラハラと見ていた。
脈拍もいつもの何倍も速く働いている。
「うあ゛ー!あぁー!!」
ひたすら苦しむ声が部屋中に響く。綱手の隣に立つシズネは口元に手を当てて顔を逸らした。
余りにも苦しみもがくのでその両手両足はバンドで拘束されベッドに縛りつけられている。
綱手の命でした事だがシズネはより一層酷い事をしている様に思うのだ。
快楽を通り越した痛みに暴れるナルトの体は限界まで反り返り足はピンと張り見ている者の表情を歪ませる。
体の内側から突き上げる衝撃は断続的で、やっと解放されるかと思う合間に呼吸を繰り返すので却って消耗を招きやつれ、初めはまだ強がっていたナルトも疲れ果てていつもの面影は消え操り人形の様に力ない。
サクラは見ていられずリノリウムの床に膝をついて終始涙を流した。
最早ここにいる全員がナルトの身に何が起きたのか、綱手の説明を得なくともはっきりと理解していた。
そして既にどうしようもなく進行している事も。
このままではまともな意識を保てなくなり廃人、果ては衰弱死だ。
それを避けるべく綱手は睡眠薬を投与したが効かなかった。今は栄養剤点滴を行っているが一時凌ぎにしかならない。
根本の対策を急ぎ模索しているがさすがの綱手もその顔に焦りを表す。
そもそもこの悪薬の効力は何時間で切れるのか見当さえついていない。一滴のヒントも掴めないというのは大変恐ろしい事だった。
ナルトがこの状態では憑いている九尾も心配だが、彼は当初この事態に苦々しいコメントを発したきりで今は沈黙している。
九喇嘛自身とても苦しげだったので恐らくこの作用は人間以外にも苦痛を齎(もたら)す物なのだろう。
「ウウー!アァ゛ーッ!!」
シズネはサクラを気遣って病室から連れ出した。
綱手はヤマトに目配せ、カカシを残して外に出た。
治療に関しては彼らに出来る事はなく綱手を含む医療班に任せるしかない。
例の男達の捜索は暗部が行っているがあれ以降手掛かりが消えてしまい振り出しに戻った。
大捕物の後では無理もない。暫く鳴りを潜めているつもりだろう。
けれどこちらとしてはそうはいかない。
病室を出たカカシは己の無力さを痛感して血が滲むほど拳を強く握り白い壁を殴った。
カカシはあの作戦で総隊長だった。だが行動の責任は忍ひとり一人にあり、それを前提とする仲間達は彼を責めなかった。ナルトも誰かを責めてなどいない。
けれどカカシは自分を責め苛(さいな)んだ。
そして暗部とは違う独自ルートで男達への追跡を始めた。
時を同じくして、放っておけば一週間持たないと踏んだ綱手はヤマトに任を課した。
一つは急ぎ首謀者を捕らえる事。もう一つは精神の不安定さで肝心の者を殺しかねないカカシを制する事。
症状の対抗策が見つからないのであれば首謀者を捕らえた方が早い。
「分かりました。でも二つ目の任の方が重いですね」
ボクには。
心情を察して綱手は目を細めた。
「しかし、今は他に策がない!カカシには暗部の精鋭を見張りにつける。里からは一歩も出さない」
言葉通りカカシは拘束され自宅謹慎の身となった。
「先輩今は堪(こら)えて下さい」
ベッドに腰掛けた彼を見下ろすヤマトの顔に気遣いが浮かぶ。カカシの背後には研ぎ澄まされたクナイが見えた。
「くくっ何心配してんのテンゾー」
「いえ・・・」
「大事な奴を殺す訳ないでしょ」
カカシは口端を緩めてヤマトを見上げる。
「いえ・・・ですからその目がですよ・・・」
ヤマトがよく知る男の目は暗部の荒(すさ)んだ頃の眼差しへ戻っていた。
「あいつらが居なきゃナルトは助からないんでしょ」
「綱手様のご尽力もありますが・・・確率は・・・・・ッ!」
ドスッと重い音が響く。
ヤマトの頭すれすれ横を通過したクナイが背後の壁に突き刺ささったのだ。
「分かってるよテンゾウ。最後まで言うな」
ピリピリとした空気が長い時間をかけて霧散する。
ヤマトは後頭部に視線を感じた。
恐らく屋根裏から見守る暗部もヒヤヒヤした事だろう。
「はぁぁーオレも駄目になったねえ」
「まさか、今でも先輩は暗部の憧れですよ?」
「違うな、今や昇った太陽は夕陽に変わり暮れ様としている。オレにできる事は・・・出来る限りナルトを見守る事だ」
「・・・そこにはボクも入ってるんですよね?」
「モチロン。そこでお前に相談だ」
「こういった場面での相談は碌な目に遭わないんですが」
「猫ちゃんに頼み事だよ。精鋭暗部一員のお前には容易い事だ」
「ハァ」
ヤマトは溜め息とも取れる返事を漏らした。
「オレの犬達が男の跡を追っている。その仕事を引き継いで欲しい」
「先輩の忍犬と共に」
「あいつらは使える。頼んだよテンゾウ」
「ヤマトです」
言ってヤマトは天井を見上げた。
「今の話聞かれていましたが」
「構わないよ。五代目に伝わったって」
「はい」
猫の面を被り部屋を出る。
指示をした男は振り返らず窓辺に立った。その背中は語らない本心を覗かせる様だった。
続く