旧動燃ウラン鉱石標本群

動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現在は合併して原研機構に改組)が1960年代から集めに集めた標本の移管手続きの手伝いに、岐阜まで行ってきました。

場所は土岐市のはずれです。

かつてここには、花こう岩上の堆積岩(瀬戸層群)に胚胎した小さなウラン鉱床があり、国道端に出ていました。そこを探鉱し、探鉱後にその土地に研究施設を作りました。

そこに眠っています。

プレハブ建物のシャッターをあけてもらい、管理区域に入っていきます。

中が標本室です。12畳ぐらいの部屋で、線量計が置いてあり、定期的に線量計測しています。

暑いです。汗がだらだら出てきます。

いっぱいあります。鉛張りドラム缶の中にも山と詰まっています(ドラムに詰めるのは勘弁して欲しいです)。

法令に従って適正に、かつ厳重に管理されています。

んがしかし!ラベルと標本を別々に管理するのはおすすめしません。

標本見てもすぐにどこの何だかわからないんですもん。

以下は標本の写真。

ここの鉱区(21号露頭)でかつて産した閃ウラン鉱です。

非常に品位が高く、ずっしりしています。少なく見積もっても U-Th品位 20%近くはあるでしょう。

これが戦時中に見つかってたら、石川山でなくここを重点的に掘ったでしょうね。

この鉱床は、長さ600m、幅200mある小さなものですが、立派なピッチブレンドを産したようです。

岐阜では、国道端や公民館横にウラン鉱床が露出しています。

閃ウラン鉱(Uraninite), UO2, cub., Fm3m.

岐阜県土岐市泉町定林寺 国道21号露頭

原子力研究開発機構(旧動力炉・核燃料開発事業団)蔵(登録番号 0447)

標本サイズ 60 mm

Nikon Zoom Micro Nikkor 70-180mm D ED (f = 22)/Nikon D3

河辺石(京都府)。こりゃ立派だ。

河辺石-(Y) (Kobeite-(Y)), (Y,Zr)2(Ti,Fe)2O7, cub., F 格子.

京都府中郡大宮町河辺白石

原子力研究開発機構(旧動力炉・核燃料開発事業団)蔵(登録番号 0474)

上下サイズ 50 mm

Nikon Zoom Micro Nikkor 70-180mm D ED (f = 22)/Nikon D3

ヨハン石。

人形峠鉱山の神倉(かんのくら)鉱床に産したもの。 銅のウラニル+硫酸イオンよりなる塩なのですが、黄色みが強いですね。 もうちょっと緑かと思ってました。

ジッペ石。東濃鉱山。

カリウムのウラニル+硫酸イオンの塩基性塩です。はじめてみました。

おなじみ人形石ですね。

煤に似ているので、はじめのころは、ススライトと呼ばれていたそうです。

β-ウラノフェン。

東郷の鉱区、方面(かたも)で産したものです。

小さいですが、美しい結晶が無数に付いています。

ウランはたやすく酸化されてウラニルイオンとして挙動し、種々のイオンと結びついてウラニル塩を形成するのですが、いずれも美しい黄色を示す鉱物です。

こういった標本を含んでいます。

極めて貴重な標本群で、国内のみならず海外の多くの産地のウラン鉱物、鉱石標本を網羅しています。

かつてカーボーン調査報告書、地調報告でちょこっとふれられていた、検討のほとんどなされていないような産地のサンプルなど、「この標本、現存してたんだ!」とビックリすること間違い無しです。

ただし、厄介者です。これだけ集めると核原料物質としての届出が必須となり、厳重な管理を必要とします。

日本は戦前から原子核物理に強く、理研仁科グループを旗頭として、原子力を利用することを夢見てきました。

原子爆弾用に石川山でサマルスカイトを集めたりもしました。

戦後、GHQによりすべての核物理研究が禁じられ、ほとんどの機器やデータは没収廃棄されました。

それが解禁になった昭和30年代、資源の乏しい日本には原子力はうってつけの「第三の火」ととらえ、国策として原子力利用を邁進させ、日本中を走り回ってウラン鉱床を探したのです。

ところが、日本のウラン鉱床は可掘埋蔵量に乏しく、廃棄物問題を含めたコスト計算から、「稼行するほどのものでもない」と結論が下りたのが昭和60年代。

そして、核の火は「鬼火」で、状況に応じて牙を剥き、ただ「全冷却水が止まった」だけ((雑核種の崩壊熱が、スクラム後で全出力の5%以上あるというのにはビックリしました。1%もないと思ってたんです。))で国土の大面積を放射性物質で汚染してしまうという史上最悪の原子力災害に結びついたのが今年の大震災でした。

我々が思い描いた夢の絵は、裏に恐ろしい形相をした鬼が下絵で描かれていたのです。わかってはいたんですが。

日本の核開発は、確実に転換期に来ています。