貝紫(チリアンパープル)

6,6'-ジブロモインジゴ(チリアンパープル)で染色した正絹縮緬と貝紫の貝。

染色は建染め(バット染色)による一回染め。

貝はBolinus brandaris (左3つ), Hexaplex trunculus (右)。

チリアンパープル (6,6'-ジブロモインジゴ)水分散液 (0.5 mg/50 mL)。

チリアンパープルは、多くの溶媒に不溶の化合物で、熱氷酢酸にはごくわずか溶解する。

希薄溶液は、鮮やかな赤紫色を呈する。

フェニキア人により貝紫染めに利用されたアクキガイ科の貝。シリアツブリガイ Bolinus brandaris

シリアツブリガイには多くの変種がある。この写真は以下の変種を含む。

Bolinus brandaris var. trispinosus

Bolinus brandaris var. coronatus

Bolinus brandaris var. cagliaritanus

Bolinus brandaris var. tritubercolata

Bolinus brandaris var. nivea

Bolinus brandaris var. polii

染料は、溶剤に可溶な色素をさし、その多くは有機化合物である。有機化学の黎明以前は、人類は生物が作り出す多彩な色素を染料として利用し、衣類などの染色に用いていた。こういった生物の色素は、大量入手の容易さから植物を利用したものが多いが、動物由来のものもいくつかある。最古の動物染料は、地中海に生育する貝の色素を利用した貝紫(チリアンパープル)であろう。

貝紫は、海に棲むアクキガイ科の貝の鰓下腺(さいかせん。パープル腺とも。)に含まれる臭素置換インドールの二量化により生じる赤紫色の化合物、6,6'-ジブロモインジゴを用いた染色である。この染色技法は、地中海沿岸では紀元前17世紀ぐらいからはじめられ、海洋国家であったフェニキアの人々によって盛んに利用された。ただし、貝に含まれる貝紫は著しく少なく、1 g の染料を得るには 1000~2000 匹の貝を必要としたらしい。そのため、裕福な者しかその色素を用いた衣類を身に付けることができなかった。さらに、権力者がその色の使用に強い制限をかけた。有名なのは皇帝ネロで、許可なく貝紫を使用した者を死刑にしてしまったほどである(AD54)。紫色は、古今東西を問わず権力者の象徴であった。これは、自然界の紫色色素の大部分が堅牢でなく、褪色しやすいことにも基づいているのだろう。植物の花には紫色~青色の色素が含まれているものが多いが、これはイオン性のアントシアニンであることが多く、染色に用いることは難しい。

インジゴと貝紫色素の分子構造の相違。

臭素原子2つがインジゴに置換すると貝紫と同一の色素になる。

このように、置換インジゴはその置換基の種類と置換位置によって吸収スペクトルに変化を生じ

後に有機合成化学が発達すると、インジゴ骨格を基本構造とする種々の色素の設計のモチーフにもなった。

地中海のフェニキア人は、貝紫染めに主に3種の貝を用いていた。もっとも多用されたシリアツブリガイは臭素に置換されたチリンドキシル塩の含量が多く、鮮やかな赤紫色の 6,6'-ジブロモインジゴを選択的に生じるが、他の二種は臭素を有しないインドキシルを多少含み、この二量化では青いインジゴ(藍の青の色素成分)やモノブロモインジゴが生じる。この臭素含有の割合は、貝の種類によって、貝の性別によって、あるいは染色の技法によって変わり、青(ヒヤシンス紫)から赤紫までの色のグラデーションを生じさせる。古代フェニキア人の貝塚からは層によって出土する貝の種が変わるようで、色を制御していたのかもしれない。代表的な植物染料の藍と、動物染料の貝紫の分子構造が、わずか臭素二つの違いしかないのは面白い。

貝に含まれるチリンドキシル塩からの 6,6'-ジブロモインジゴの生成機構。

酵素反応から開始し、空気および太陽光の作用により、4段階の反応が一気に起こる。

最後の段階でメタンチオールやジメチルジスルフィドを発生するため、強い悪臭が発生する。

この反応機構は、インジゴプラントからのインジゴの生成とよく似ている。

アクキガイ科の貝は世界中の暖海に棲み、それを用いた染色は多くの国で行われた。多くのアクキガイ科の貝は可食であり、漁の際に爪を染めて落ちない鮮やかな紫は、さぞ漁師の目をひいたのであろう。メキシコ、オアハカ州では今でも貝紫の染色文化があり、サラレイシガイをうまく利用した貝紫染色を行っている。

アクキガイ科の貝をさばくと、鰓下腺の内容物が手に付き、手指や爪が染まってしまう。

これは、爪が生え変わるまでそのまま残る。この色は非常に目立つ。

おそらく古代人は、アクキガイ科の貝を捕食する際に、この紫色色素の存在と利用に気付いたのだろう。

日本では、昭和30年前後まで、伊勢志摩の海女が磯の潮間帯に多く生息するイボニシの鰓下腺を用いて、松の葉でまじないの印を手ぬぐいに描き、漁の安全を願った。最近になって、吉野ケ里遺跡(佐賀県)でもアカニシ由来の貝紫染色による染織布が見つかっているので、その利用は弥生時代までさかのぼれる可能性が高い(→「アカニシで貝紫を染めてみた」のページに。)。日本における貝紫染めの文化は、はるか昔に完全に途絶えてしまったが、過去にムラサキや二藍染め(藍と紅花を掛け合わせた紫色の染色)と呼ばれていたものを詳細に分析機器により分析すると、かつての貝紫文化の姿がわかってくるかもしれない。

アカニシの貝殻を割ると、内蔵の部分に鰓下腺がはっきり見られる。

ギザギザした模様の付いた、黒い線状の組織で、破ると中に貝紫前駆体の黄色い粘ちょう物が入っている。

明治14年の「三重県水産図解」に描かれた志摩の海女。

頭の手ぬぐいにまじないのセーマン(晴明印)、ドーマン(九字切り、道満印)が描かれている。

本来であれば、海女の身に付けるものの印は、黒い糸で両面つぎ針(往復縫うこと)で縫い取りで付けるらしい。

しかし、三重県水産図解には、このセーマン、ドーマン印が青で描かれている。

おそらくこの時代は貝紫を使ってこのまじないを印づけたのであろう。

貝紫の色素成分である 6,6'-ジブロモインジゴの分子構造は、フリードレンダーにより化学合成品との比較により明らかになった(1909年)もので、そこからもわかるように有機合成により容易に合成ができる。様々な合成法が知られるが、実験室的に手軽なものとして、2-ニトロ-4-ブロモベンズアルデヒドを、アルカリ触媒を用いてアセトンと縮合させることにより、多量に合成することができる(Bayer-Drewson インジゴ合成法)。海外のオークションなどでも貝紫色素をグラム単位で市販している出品者がいるが、おそらくこのような合成法によるものだろう。

チリアンパープルは還元的な建て染め(注: 不溶性色素を化学反応により可溶な形に変化させ、繊維上で元の構造に戻す染色方法。藍染に用いられる。バット染色とも。)条件時に光に当たると臭素が脱離して青変しやすく、その点ではインジゴに比べかなり気難しい。フェニキア人は古い人尿と蜂蜜を使って還元的な建て染めをしていたそうで、チリアンパープルの生成と共に放出するジメチルジスルフィドなどの有機硫黄化合物と相まって、フェニキアの街はさぞかし臭かったことだろう。

チリアンパープルの建て染めでは、不溶性のチリアンパープルを還元し、水溶性のロイコ塩にする。

これを用いて染色し、空気酸化すると元のチリアンパープルになる。

このロイコ体は短波長の可視光〜紫外光に弱く、脱臭素化してインジゴになってしまう。

そのため、チリアンパープルの建て染めでは、光を嫌う。

チリアンパープル還元体の水溶液。あの鮮やかな赤紫とは似ても似つかない黄色だ。

紫外線に弱く、脱臭素してインジゴになりやすい。

チリアンパープル還元体(ロイコ体)溶液の入った瓶の蓋をあけると、空気によって酸化され、チリアンパープルに変わる。

これは不溶性の固体として析出する。

再度封をすると、酸素をすべて還元剤が消費し、ロイコ体に戻って紫色が抜ける。

紀元前より権力者を魅了し続けたチリアンパープルだが、1453年、トルコ軍がコンスタンチノープルに進行し、東ローマ帝国が滅亡すると、その技術や産業は消滅してしまった。それは原料供給の問題もあるし、より安価で堅牢なコチニール(カイガラムシより取れる赤色染料)などの色素の台頭も影響している。1909年になってフリートレンダーによって化学構造が確立しても、同時期に見出されたパーキンのモーブを筆頭とした合成染料に取って代わられ、6,6'-ジブロモインジゴが再度脚光を浴びることはほとんどなかった。

ところが、ごく最近になって、ジブロモインジゴが蒸着により容易に結晶成膜が可能で高い電子移動度を示すことや、分子内の臭素原子をカップリング反応等により別の官能基に変換できることから、有機半導体への応用が検討されている。また、ヘアダイとしての特許も相次いで出願され、再度 6,6'-ジブロモインジゴに注目が集まっている。まさに、古くて新しい分子といえよう。

(文献)

1) 月刊染織α、No. 32、貝紫特集号、1983年、染色と生活社.

2) Kremer 社のチリアンパープル製品説明書。 http://www.kremer-pigmente.com/media/files_public/36010e.pdf

3) Bibliography of Tyrian Purple http://www.chriscooksey.demon.co.uk/tyrian/cjcbiblio.html 1994 年までの文献を網羅したもので、DOI があるので使いやすい。

4) 前田雨城「発表記録・吉野ヶ里の貝紫と茜」,国立歴史民俗博物館研究報告、第62集、61-76(平成7年)

5) Christopher J. Cooksey, "Tyrian Purple: 6,6’-Dibromoindigo and Related Compounds", Molecules 2001, 6(9), 736-769; doi:10.3390/60900736