弁柄(ベンガラ)

吹屋(岡山県高梁市成羽町)のベンガラ工場での袋詰め部屋。

部屋中のものすべてが舞い散ったベンガラで赤く染まっている。

地殻中の全元素をその存在量順に並べると、酸素、ケイ素、アルミニウム、そして鉄へと続く。電気陽性のケイ素、アルミニウムと鉄は、そのほとんどが電気陰性の酸素と結合した状態で存在している。ケイ素酸化物のシリカ SiO2 やアルミニウム酸化物のアルミナ Al2O3 が無色であるのとは対照的に、酸化鉄(III) Fe2O3 は粉末では鮮やかな赤〜赤褐色である。大地の赤は、酸化鉄の色である。

赤鉄鉱(hematite)。石灰岩の風化により生じたもの。岐阜県金生山。

有色顔料として人類が初めて色を利用したのは、おそらくこの地表に産する酸化鉄であったのだろう。外国では有史以前の多くの壁画に、酸化鉄の着色が見られる。日本では縄文後期から酸化鉄による土器彩色が確認されており、古墳時代の装飾壁画にも多く使われている。酸化鉄を多く含んだ土壌は、黄色〜赤褐色を示す。これを焼くと、さらに鮮やかな赤になる。これは、海外ではレッドオーカー、日本では丹土(につち)と言われ、古くからの赤色顔料として使われていた。しかし、顔料としてさらに性能を高めたものは、より純度を高めた酸化鉄(III) Fe2O3 である。これには様々な製法が知られているが、江戸末期以降の日本では、緑礬(りょくばん、ろーは; 硫酸第一鉄の含水塩のこと)を焼成して、顔料用酸化鉄を作っていた。これは、ベンガラ(弁柄)と呼ばれ、辰砂、鉛丹と並んだ代表的な赤の顔料であった。

吹屋(岡山県高梁市成羽町)の街並み。

かつて、ベンガラで栄えたころの趣を色濃く残している。

家々の壁は、防腐性の高いベンガラで赤く塗られている。

ローハを焼いて作ったベンガラは、日本では岡山県の山あい、吹屋地方のものがブランドであった。江戸期にその製法が見出され、初期の工業的方法で生産された「吹屋弁柄」は、日本中に供給された。吹屋では、花崗岩と堆積岩の接触部に、硫化鉄および黄銅鉱を含んだいくつかの鉱床があって、古くは銅山として開発された。銅の生産が下火になると、豊富に存在する磁硫鉄鉱や黄鉄鉱からのベンガラ生産工業が1700年代前半に興った。この乾式法では、まず硫化鉄を粉鉱とし、空気を多量に混じえて焼くと硫酸鉄に変化する。これを水で抽出後に濃縮し、得られた硫酸鉄結晶をさらに熱分解させると、色鮮やかな微細な酸化鉄に変わる。水溶性不純物を何度も水で洗浄して除き、沈降した酸化鉄を乾燥させるとローハベンガラが出来上がる。これを等級分けして出荷していたようだ。温度によって色味がかなり変わり、低温ではより淡く、高温では黒色のマグネタイト(磁鉄鉱)が出来てくるので黒ずんでくる。オリジナルレシピでは、完全に転化させずに多少の未分解分を残すのが良いらしい。緑礬は天然にも産出するものの酸化帯にわずかに出てくる水溶性鉱物なので、このような方法を取るほうがいいようだ。また、この方法では鉱石中に含まれる銅分が微量に硫酸鉄に入り込み、これは色を鮮やかにし、顔料に生物忌避の能力を持たせることができる。

現在も残る古いローハベンガラの見本(吹屋、西江氏蔵)。

ベンガラは様々なグレードに分けられ、目的に応じて価格と出荷量が決められていた。

この方法では、硫酸分は二酸化硫黄と三酸化硫黄に変化して大気中に放出させる。また、二段階の焼成で大量の薪炭を燃料に使い、周囲の山は丸裸になったようだ。しかし、良質のベンガラは高値で取引されたため、環境を顧みることはあまりなかったかに思える。その代替品として大阪で生産された、鉄屑を錆びさせて作った「鉄丹弁柄」は粒が粗く、色の鮮やかさはどうしても乾式法のローハベンガラには及ばない。

ベンガラは無害で光褪色しない安価な無機顔料として、様々な用途に用いられている。九谷焼や伊万里焼の赤絵はこれを用いたものだ。木材への塗装では、防腐性を付与することができる。寺社神社にはしばしば赤色塗装が採用されるが、より鮮やかなオレンジがかった赤は鉛丹、より茶色っぽい赤は弁柄であることが多い。染料のように紙や麻などの繊維を染めることができ、江戸期の赤紺の縞の着物や足袋には弁柄染が用いられていたが、どうしても色落ちしやすい。漆など、塗装用の着色顔料としての利用も多い。

硫化鉄鉱からの一貫生産による吹屋弁柄工業は明治期までは隆盛を極めていたものの、各地で別法による弁柄生産が行われるようになると、かげりが生じてきた。製鉄工業が大規模に行われるようになると、メッキ鋼板製造の前処理で鋼を硫酸で洗って生じた硫酸鉄が大量に副生されるようになり、これからの弁柄が安く作られるようになったためである。さらに、青島からの安価な緑礬弁柄も多量に輸入され、また、鉄塩を溶液中で湿式酸化させると、環境に害を及ぼすことなく、色鮮やかな酸化鉄顔料が作られるようになった。軍用艦の船底塗料などの近代の大量消費には、吹屋弁柄は対応できるほどの生産量がなかった。それらのあおりを受け、吹屋のベンガラ生産は昭和期には下火になり、昭和40年代に完全に生産を停止した。それでもなお、乾式法による古典的なローハベンガラは、一部の焼き物の焼き付けや日光東照宮など歴史的建造物の修復に用いられている。それは、色に極めて敏感な、古くからの彩色を忠実に守ろうとする表現者の選択なのだろう。古くに作られたローハやローハベンガラは大事に保存されて、そのような用途のために出荷されている。

赤鉄鉱 (hetatite) Fe2O3. 岩手県北上市和賀仙人鉱山。

酸化鉄 (III) は細かい微粉末では赤褐色だが、目に見えるような大きな結晶では、鏡のように黒く輝くようになる。

バクテリアの働きで水中に作られる酸化鉄。

古来はこのような酸化鉄も着色に使われた。

バクテリア性の酸化鉄は色が濃く、電子顕微鏡で中空のパイプ状の構造が見られる。

このパイプ状ベンガラは、縄文〜弥生時代の遺跡の赤色顔料にはつきもので、径1μm、長さ100μmぐらいの

パイプ状構造をしている。これは、後の岡田らをはじめとする研究の結果、沼沢地などに沈殿する鉄バクテリアの一種

Leptothrix sp. などに由来していることが報告された。古代人は、このような酸化鉄を集めて焼き、赤色顔料としたらしい。

(文献)

成瀬正和、岡田文男「埼玉県寿能遺跡出土縄文漆器の研究(4)ー総括ー」日本文化財科学会第14回大会研究発表要旨(1997).

長尾隆「ふきやの話 : 伝統と文化の街」(1976).