ツユクサと青花の青

ツユクサ Commelina communis Linné の花。夏の早朝に鮮やかな青色の花を付ける。

この花の色素は、古くよりアントシアニン系と言われていたが、

近年の研究により6分子ずつのアントシアニンとフラボンが

2個のMg2+を介して集合した超分子による発色だということが明らかになった。

花の色はうつろいやすく、通常はこれを長く留めておくことは難しい。これは、植物の花の発色がアントシアニンと呼ばれるイオン性の色素分子に基づくことが大部分であり、それがあまり安定でなく、かつ水溶性が高いことによる。しかし、水溶性で容易に除去可能だからこその染色用法もある。

ツユクサは盛夏に青い花をつけるツユクサ科の一年草で、その鮮やかな青と花の儚さゆえに古くから「月草」「鴨頭草」(いずれも「つきくさ」と読む)という名で愛された野草である。このツユクサの大花の栽培変種に、オオボウシバナ(青花)がある。この花の青色色素も鮮やかな青を示し、水に晒すと全て溶出してしまう。ツユクサの仲間の青色色素の水溶性の高さは古くより認識されていて、万葉集にはいくつもの移ろいゆくツユクサの青を詠んだ歌がある。この色素の水溶性を利用して、現在でも手書き友禅染めなどの下絵描きに利用されている。

オオボウシバナ C. communis L. ver. Hortensis Makino (青花、右)と、通常のツユクサ(左)の花の比較。

花弁の大きさが全く異なり、青花ははるかに花弁が大きい。

こういったドレープの多い青花の花は「チヂミバナ」と呼ばれ、青花紙を作るシルを多く含むと言われる。

青花は滋賀県、琵琶湖周辺の特産植物で、直径3cmを超える青く美しい花を真夏の早朝に付ける。学術的な分類記載としては牧野富太郎の1901年の植物学雑誌のものによるが(注1)、その歴史ははるかに古い。はっきりとした青花の文献では、江戸時代、寛文12年(1638年)の「毛吹草」がおそらく初出だと思われる。寺島良安の「和漢三才圖繪」(1712年)、平賀源内「物類品隲」(1763年)にはいずれも、花より搾り取った色素を多く含んだシルで和紙を染め乾燥させた「青花紙(藍花紙)」の説明がある。青花紙は近江特産品として、遅くとも1700年代の初頭には盛んに琵琶湖畔で生産していた。青花は当時、友禅染などの下絵書きに用いられるほか、貴重な鮮色の青色染料として、浮世絵摺りに用いられたり、あるいは行灯や団扇の張り紙の着色にも用いられた。水に濡れさえしなければ、紙を染めた青花の色はかなり高い安定性があり、特に着色した紙を光に透かした青色が美しい。浮世絵の青は、初期には青花を用いたが、その後は(インジゴ)を顔料的な用法で用いることが多くなり、さらに、安価でぼかしが容易なプルシアンブルーの出現により浮世絵用の青色色材の座は奪われてしまった。

初代歌川広重「五十三次 草津」(通称、「人物東海道」と呼ばれる)。

日の出とともに摘まれる青花の姿が見事に描かれている。

奥は琵琶湖と京都東山の山々。

ただし、歌川派では緑はプルシアンブルーと石黄の混色であることがしばしばあり

この浮世絵に見られる青系色材もプルシアンブルー使用である可能性が高い。

広重美術館(山形県天童市)蔵

オオボウシバナの青は、光を透かした色が美しいと言われる。2018年7月1日。

オオボウシバナはツユクサに比べ花弁が大きく、簡単に花弁を摘んで集めることができる。

朝早く摘まないと昼には萎れてしまい、花弁の水分も蒸発してしまう。

オオボウシバナの花弁を指先で絞ると、簡単に摺り染めすることができる。

濡れているときは鮮やかな青だが、乾くともっと藍色に近くなる。

万葉の青は、このような水に弱い儚い青を利用していたのだろう。

青花の色素は、いわゆるアントシアニンを発色団としたものであるが、決して単純なものではない。アントシアニンの一種マロニルアオバニン(アントシアニンの一種のデルフィニジン型)6分子と、フラボコンメリ ン6分子が、マグネシウムイオン2原子を介した分子量約8500の含金属超分子を形成している。アントシアニンはマグネシウムに配位しアニオン性のケト型になっているため、それに基づく青色を呈する。

マロニルアオバニンとフラボコメリンのマグネシウムイオンを介した会合により、青色色素コンメリニン超分子が構築される。

この反応は実験室でも再現可能である。

この色素はツユクサの学名を取りコンメリニンと命名され、古くから研究されていた。にもかかわらずその構造決定は難航を極めた。これは、黒田チカによる昭和1桁台の「アオバニン」の研究からスタートし、最終的には名古屋大のグループにより放射光を用いた構造解析によりその結晶構造が確定された。青花の色素を水に溶かし、これに大量のエタノールを加えると、コンメリニンが沈殿してくる。これをろ別し、同じ操作を何度も繰り返すと、見事に純粋なコンメリニンの結晶が析出してくる。ただし、現在はカラムクロマトグラフィーによる精製が多い。コンメリニンのような含金属アントシアニンはメタロアントシアニンと呼ばれ、コンメリニンのほか、ネモフィラの花に含まれるネモフィリン、ヤグルマギクの花に含まれるプロトシアニンなどの数種が知られているが、いずれも青色である。

アントシアニン類の多くは安定ではなく、過去の研究において安定化させるためには酸、特に塩酸を加えてオキソニウム塩とし、これを単離する手法がほとんどであった。しかし、この場合、多くのアントシアニンは赤い塩となってしまい、本来の吸収スペクトル情報を失ってしまうことが多かった。また、この条件では配糖体であるアントシアニンは加水分解により糖を失いやすい。ところが、ツユクサの青色色素であるコンメリニンは酸性域でもかなり安定性が高い。これは、メタロアントシアニンによる超分子化が色素の安定性を劇的に高めることによる。

話を青花紙に戻すと、明治時代には草津市では500戸を超える農家がアオバナを栽培し、青花紙を作っていたという記録があるが、近年ではの生産は激減した。これは、戦中と戦後まもなくは手描き友禅染めを生産することが難しかったことと、安価で大量生産可能な別の色素「化学青花」に取って代わられてしまった、という理由による。2017年の夏に草津市に問い合わせてみたところ、昨年は三戸、今年は一戸の農家のみが青花紙を作った、という話であった。あの美しい青花紙の青も風前の灯火であり、寂しい限りである。

青花紙。朝早く摘んだ青花を絞って色素を含んだシルを採り、和紙に塗っては乾かし、を繰り返したもの。

これを切り、水に投入すると鮮やかな青花の青が再生する。

現在では滋賀県草津市上笠町周辺で作られているのみである。

生産にはかなりの手間がかかるため、かなり高価

青花紙を少量切り、水で青色色素を抽出したところ。これを用いて手描き友禅の下絵描きをする。

(注1)牧野の植物学雑誌の記載には、青花紙の記述がある;

(参考文献)

中川敦史「ツユクサの青色色素コンメリニンの立体構造決定とその発色機構」日本結晶学会誌,35,327(1993)

阪本 寧男, 落合 雪野 「アオバナと青花紙 近江特産の植物をめぐって」、淡海文庫、1998年.

宮永真弓「二千年の花-つゆ草物語」木耳社、1973年.

尾山、吉田、近藤「ツユクサ青色花弁色素コンメリニンの構成成分フラボコンメリンの合成と色発現機構」天然有機化合物討論会講演要旨集 (45), 133-138, 2003-09-01

前田千寸、「むらさきくさ 日本色彩の文化史的研究」、p257-262、河出書房、昭和31 (1956) 年。