シェーレ・グリーンとパリ・グリーン

シェーレ・グリーン(亜ヒ酸銅;左)と、パリ・グリーン(アセト亜ヒ酸銅;右)

いずれも古いもので、毒物ということもあって、今は入手が難しい。

古典的な無機顔料は人体に対して有害なものが少なくない。硫化ヒ素の石黄(オーピメント)、塩基性炭酸鉛の鉛白(シルバーホワイト)、ヒ酸コバルトのコバルトバイオレットなど、水銀、ヒ素、鉛などの元素毒性を示す化合物の顔料利用が多く、むしろ有害性の無い顔料のほうが少ないぐらいだ。それらの中でも際立って毒性が高いものがあった。シェーレ・グリーンと、パリ・グリーン(パリス・グリーン、エメラルド・グリーン)だ。これらは、鮮やかな緑色顔料に乏しかった1700年代に合成法が発明されたが、有害なヒ素(特に亜ヒ酸態として)を多く含むために、工業的に生産された顔料の中で最も有毒である。その毒性はラット半数致死量で 22 mg/kg(経口)という筋金入りの毒だ。「毒の緑」とも呼ばれる。

↑古いメルク社のシェーレ・グリーン(亜ヒ酸銅)。若草色(抹茶色)の美しい顔料。

今ではカタログには載っていない。

シェーレ・グリーンはスウェーデンの著名な化学者 Carl Wilhelm Scheele (1742-1786) の手により 1775 年に合成された亜ヒ酸銅を成分とする顔料で、三酸化二ヒ素と硫酸銅を炭酸カリウムと共に反応させると沈降してくる若草色の顔料である。その色調は、製造レシピによって変化し、黄緑色から深い緑までを作ることができたという。当時の緑色顔料では、塩基性炭酸銅の孔雀石(マラカイト)やヴェルディグリ(塩基性酢酸銅)が使われていたが、それよりも瑞々しい色で褪色しないため、世には喜んで受け入れられた。まずはスウェーデンに、次いでドイツに。シェーレは製造法の細かいレシピを秘密にしたため、フォロワーがその合成法を研究し、いくつかの亜種を産んだ。

シェーレ・グリーンの、最も出来の良い息子がアセト亜ヒ酸銅のパリ・グリーン(エメラルド・グリーン)である。これは、銅塩に酢酸銅 (CH3COO)2Cu を用い、亜ヒ酸ナトリウムを加え熟成すると沈殿する鮮緑色の固体である。パリ・グリーンは1808 年に工業生産がはじめられ、その鮮やかな緑色から爆発的に売れた。特に当時のビクトリア朝の壁紙(植物がモチーフのことが多い)に多用され、同時にヨーロッパの壁紙産業は飛躍的に成長した。イギリスの壁紙生産量は、1830年には 100万巻であったが、1870 年には 3000万巻まで増大した。その多くにはこのヒ素入り緑色顔料が使われていたようだ。


↑第二次世界大戦後に作られた、パリ・グリーンとその容器。

農薬としての利用を見据えたもの。

↑1900年代初頭のパリ・グリーン。

当時、ニューヨーク、ブルックリンには染料と顔料のメーカーが多く立ち並び、様々な顔料を製造していた。

1900年代のパリ・グリーンは主に農薬としての使用が多かった。

特に、アメリカにおける、綿花とジャガイモの害虫に対する殺虫剤としては優秀だったらしい。

大部分の植物は、土壌中のヒ素を吸い上げない。

日本では、同様なヒ素系農薬は、ヒ酸鉛がかつて多用された。

しかし、世にゴシオ病と呼ばれる奇妙な病気が流行り出し、特に、パリ・グリーンの壁紙が貼ってある部屋の住人に多かった。パリ・グリーンを用いた壁紙を貼った部屋は、湿ると鼠のような臭いを出した。後にわかったことだが、ある種の真菌類(Scopulariopsis brevicaulis など、ヒ素を好むカビはいくつかあって、ヒ素カビと呼ばれる)はヒ素を代謝してメチル化し、トリメチルアルシン (CH3)3As のような有害な有機ヒ素化合物を作り、室内に有機ヒ素の気体を放出する。世に流行る奇病が壁紙のせいだとにらんだドイツの化学者、 Leopold Gmelin が 1815 年に新聞に投書を出したがさしたる効き目はなく、亜ヒ酸銅塩の顔料を用いた壁紙の危険性が広く認識されたのは1860年代末であった。

ヒ素カビ (Scopulariopsis brevicaulis) の顕微鏡写真。わいたんべ先生に作っていただいたサンプル。

ラクトフェノールコットンブルー染色。数珠のような特徴的な分生子が見える。50x。

ナポレオン・ボナパルト (1769-1821) は、ヒ素中毒で死んだとされている。彼の遺髪からは多量のヒ素が検出されたからだ。しかし、服毒かどうかはわかっていない。彼が南大西洋のセントヘレナ島に幽閉されると、彼はロングウッドハウスの部屋に彼の皇帝色(緑と金)の星柄の壁紙を一面に貼らせた。セントヘレナ島は熱帯海洋性気候で湿気が多い。彼の死後、毛髪から多量のヒ素が検出され毒殺説が流れるが、壁紙由来のヒ素を疑う説もあるようだ。彼の体内にあったヒ素は、彼の部屋の壁紙から来たものも少なくなかっただろう。

アセト亜ヒ酸銅の色は6配位銅のd-d遷移に基づくが、 その美しさは他にも要因がある。結晶成長時に多くの板状結晶が集合し、バラ状になった結晶集合体の二次粒子を自発的に形成する。その粒子によって光が散乱す るため、色がとても鮮やかに見える。製造時にはその結晶成長が色味を左右することから、品質管理の技術が産まれた。世は家内制手工業による顔料作成から、工業的な管理された化成品生産に切り替わる時期でもあった。

1800年代の、パリ・グリーンの生産設備。結晶化条件が色を左右するため、結晶化槽が見られる(図中C)。

パリ・グリーンは、日本では花緑青(はなろくしょう)という名で、日本画顔料として輸入され紹介された(多量に輸入されたのは明治16年からだが、少量ずつはもっと前から輸入されている)。これは、緑青(ろくしょう、塩基性炭酸銅)とみなされ、混同された経緯がある。今でも「緑青は猛毒だ」という誤認識をしばしば聞くことがあるが、どうやらここからきているものらしい。パリ・グリーンは農薬としても多用され、比較的手に入りやすい顔料であった。そのため、毒殺や自殺にも用いられたことも少なくなかった。

昭和17年の塩田力蔵「東洋絵具考」には、「花緑青」という名で、パリ・グリーンとシェーレ・グリーンの記述がある。

その毒性の高さが記されている。日本の「緑青中毒」は、どうやらこれらによるものらしい。

パリ・グリーンの毒性は徐々に認知されていったものの、その切り替えには時間がかかった。やがて、酸化クロムのクロム・グリー ン、含水酸化クロムのビリジアン、亜鉛酸コバルトのコバルト・グリーンが使われるようになり、第二次世界大戦後になるとフタロシアニングリーン(塩素化フタロシアニン銅)が見出され、亜ヒ酸銅系顔料は完全に放逐された。今では、ゴッホなど、印象派時代の画家の油絵のみにその美しい緑が見られる。

↑ ゴーギャン 『アルルの病院の庭にて(アルルの老女たち)』(Dans le jardin de l'hôpital d'Arles)

1888年、73 x 92 cm、油彩・画布、シカゴ美術研究所

池の周りの緑、および手前の女性の顔に、パリ・グリーンが使われている。

パリ・グリーンは銅塩で、硫黄を多く含んだ顔料と混ぜると黒化しやすいため、こういった純色に近い使い方をする例が多いようだ。

ゴーギャンの鮮やかな緑には、パリ・グリーンによるものが少なくない。

(参考)

最近になっていい本が出ました。

Lucinda Hawksley, 'Bitten by Witch Fever: Wallpaper & Arsenic in the Nineteenth-Century Home'

Paris Green (Wikipedia) https://en.wikipedia.org/wiki/Paris_green

Emerald Green(ColourLex) http://colourlex.com/project/emerald-green/

DANGERS IN THE MANUFACTURE OF PARIS GREEN AND SCHEELE'S GREEN

Monthly Review of the U.S. Bureau of Labor Statistics

Vol. 5, No. 2 (AUGUST, 1917), pp. 78-83

https://www.jstor.org/stable/41829377?seq=1#page_scan_tab_contents

古い合成レシピ

http://www.webexhibits.org/pigments/indiv/recipe/emerald.html

The Color of Art Pigment Database: Pigment Green, PG-21

http://www.artiscreation.com/green.html#.VryrEub7MfU

http://www.absoluteastronomy.com/topics/Paris_Green

エメラルドグリーンの有害性についてよくまとまっているブログ

https://janeaustensworld.wordpress.com/2010/03/05/emerald-green-or-paris-green-the-deadly-regency-paint/

MSDS(アセト亜ヒ酸銅)

http://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/12002-03-8.html

食品衛生誌に記述された、緑青中毒の話。通常の緑青はここまで毒性が高くないので、「花緑青」を含めているものと思われる。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/shokueishi1960/21/5/21_5_327/_pdf

医家断訟学(毒物編)、1883年の法医学に関する書籍.

スケレー氏緑又エメラルト緑」で記述あり。