ブルージーンズの歴史

日本では、江戸時代に藍染めの服が特に普段着や作業着に用いられることが多かった。紺屋という藍専門の染物屋が生計を立てられるぐらい、藍は庶民に愛された。外国でも同様で、インジゴ・ブルーは東西を問わず庶民を彩る色であった。世界中で現在、作業着のスタンダードとして用いられ、濃いインジゴ・ブルーがトレードマークの服がある。ジーンズである。これは、アメリカ大陸で開発され、アメリカの歴史と共に歩きつづけた服であるが、その歴史は150年程度とかなり新しい。

ドイツ、バイエルン出身の24歳の若いユダヤ人がアメリカに渡米し、ニューヨークから西海岸のサンフランシスコに移ったのは1853年であった。そのころ、西海岸は海からちょっと入ったシエラ・ネバダ山脈のゴールドラッシュで活気があり、大量の移民が金を求めてサンフランシスコに移っていた。カリフォルニア(当時はまだカリフォルニア州ではなかった)のゴールドラッシュは、1948年に金が発見されると、翌年には数万人が金を求めてやってきたのだ(フォーティーナイナーと呼ばれる)。彼は砂金掘りや鉱夫に売れるだろうと考えて多量の幌馬車用の帆布とテント用の布を仕入れ、行商した。ところが、なかなかテントは売れなかった。この原因を開拓者に尋ねてみたところ、温暖なカリフォルニアでは重厚なテントはそれほど必要とはされず、多くの者は、まずは作業着、それも鉱山採掘業務や砂金堀りに耐える頑丈で機能的なズボンが欲しいのだ、という。そこで彼はテント用帆布をミシンで丈夫なズボンに仕立てることにした。これは、テントとはうってかわって実に開拓者によく売れた。

そこで、彼は行商をやめ、服の製造を専門に始めた。帆布は重くて厚く、縫製するにも苦労するので、もうちょっとやわらかい生地をヨーロッパから送ってもらい、これを金属鋲で頑丈に仕立てたズボンやオーバーオールを仕立て、インド藍で真っ青に染めた。鋲打ちはネバダ州のデーヴィスという同じくユダヤ人仕立て屋のアイデアであったので、1973年に特許化してその権利を守った。この布は、かつてイタリア、ジェノバで多く生産されていた綿と亜麻の交ぜ織りで、「ジェノバの」を意味する「ジェノーゼ」の英語読みより、「ジーンズ」と呼ばれていたらしい。そのため、彼の作るズボンもまた、ジーンズと呼ばれた。この生地は、現在では「デニム」と呼ばれている。

鍋を用い、椀掛け(パンニング)法により砂金を集めるフォーティーナイナーズ

砂金掘りは丈夫なリーバイのジーンズを喜んで穿いた。

初期に作られた帆布地のズボンは特に染色はされていなかったが、ジーンズは、すでに生地の時点でインド藍で染められており、彼はさらにそれを藍で染めたようだ。インジゴの建て染めは堅牢で鮮やかな藍に染まるが、それでも(絹に比べ)木綿や麻を構成するセルロースとは相性が悪く、使用に伴う擦れや洗濯により、徐々に色褪せる。これは、建て染めが空気酸化によりインジゴ分子が再生するため、繊維の表面近くにインジゴ分子が優先的に分布することにもよる。そのジーンズの褪せ加減がまた、作業者の作業従事期間の長さを連想させた。ほどなくして、ドイツ、BASF社の合成インジゴピュアが安く大量に世界中に売られるようになり、亜鉛などを用いて堅牢で色濃い藍のバット染色ができるようになったが、ジーンズのメーカーは、染色後にわざわざその色を落とし、使い込んだ風合いにした。これは今でも変わらない。インジゴ分子と木綿の相性の悪さが、使い込んだ風合いを醸し出し、それを狙ってわざと色を落としてから売る、というのは皮肉なものだが、日本でも似たような染色をしていた。日本でやはり藍と紅花を重ね染めし、着る人とともに歳を取る染色「二藍」に似ている。また、日本の藍染めも高齢者ほど色を薄くしたのも同様であろう。

バイエルン出身の若いユダヤ人の名前は、リーバイ・ストラウス。彼の作った会社がのちのリーバイ・ストラウス社になっている。ジーンズは、そんなきっかけでアメリカ開拓時代の金鉱夫の作業服として開発された。坑道の中、特に手掘りで切羽にいると、とにかくズボンが擦れる。特に腿。そして尻。石だらけになり、あっという間に服に穴が開く。ジーンズはそれに耐える生地であった。また、石が落ちる不慮の事故でも、厚手の生地は人体をそこそこ守ってくれる。現在では、50年を超える古いジーンズはビンテージ品として目玉の飛び出るような価格が付くが、百年を超えるビンテージのジーンズは、西海岸の古い鉱山の関連施設や坑道から出てくるものらしい。専門のジーンズ・ハンターは廃鉱山の坑道に、落盤の危険も顧みずに潜入する。

ジーンズの歴史はそれからが長い。アメリカ合衆国の歴史と文化と共に発生し定着した作業着なのに、様々な意味をつけられた。それは置いとくとしても、ジーンズが常にインジゴで染められていたのは、リーバイがヨーロッパから輸入した木綿生地が、当時インドで大量に作られていた木藍で染められていたことによる。

今ではビンテージジーンズや穴開きジーンズは、くたびれたものが価値あるとされている。これはもともとは、ゴールドラッシュ時のアメリカ西海岸において、鉱山作業従事期間の長い腕っこきの金掘りへの皆の憧憬を引き継いでいる、と考えてみるのも面白い。