コチニールとカイガラムシの赤

コチニール色素で染めた絹(媒染剤はスズ塩)と、食品用コチニール色素。

コチニールは、今でも頻繁に食品用色素として利用される。

コニチールカイガラムシの乾燥虫体(右)と、それを粉末にしたもの(左)。

コチニールの処理法によってグレードがあり、シルバーとかブラックという品質区分がある。

乾燥コチニールカイガラムシ虫体のアップ。確かに虫っぽい。

最初、これがヨーロッパに導入されたときはこれの正体が誰も見抜けず、植物組織か何かという様々な憶測が立った。

コチニールカイガラムシを少量砕き、それをアルコールで抽出したもの。カルミン酸のオレンジ色が色濃く見える。

昆虫には極めて多くの種があり、それぞれが生育環境に応じた独特で特異な生態を持ち、必要な物質を生合成する。昆虫が生産に関与する、人間の利用可能な色素にはいくつかある。タマバチが楢や樫に作る虫こぶである没食子は古くからインクに用いられていた。これは植物が昆虫の刺激によりタンニンを作るものである。昆虫が生合成を行う色素には、カイガラムシから取れる色素がある。動物色素として最も広く利用されている物質でもある。

コチニールは、コチニールカイガラムシ (Dactylopius coccus) の雌が作り出す赤い色素である。コチニールカイガラムシは、ウチワサボテンに付き、雌のみがアントラキノン系の色素、カルミン酸を作る。このカルミン酸は金属、特にアルミニウムとキレート錯体を作りやすく、そのキレートはカルミン(カーマインレッド)と呼ばれ、大変鮮やかな赤〜赤紫を呈する。他の色素を作り出すカイガラムシとしては、コチニール以前に人間の利用したものでは、ケルメスカイガラムシ(Kermes vermilio)が作り出すケルメス酸、ラックカイガラムシ(Laccifer lacca)が作るラッカイン酸などがあるが、これらの発色団はいずれも構造の類似した置換アントラキノンである。とりわけ、コチニールカイガラムシの作り出すカルミン酸は絹を真紅に染めることができ、かつ収量が多いため、コチニールの発見後はこれらのカイガラムシ色素は駆逐されてしまった。かつての「クリムゾンレッド」はケルメスカイガラムシ由来である。ラックカイガラムシの赤は日本では「臙脂」という名で呼ばれていた。

ケルメスカイガラムシから採取できるケルメス酸(左上)、コチニールカイガラムシから得られるカルミン酸(右上)、

および、ラックカイガラムシから得られるラッカイン酸A〜D(下)の分子構造。

いずれも、アントラキノン系の骨格を有する赤い化合物である。

コチニールカイガラムシはメキシコ原産で、かつてはメキシコ先住民のみが使える色であった。スペインによる統治後、メキシコの市場に非常に鮮やかな赤い染織布があるのに気付いたスペイン人は、これが極めて稀少な「堅牢な鮮紅色を染められる色素」だというのに気付いた。メキシコで一大プランテーションを興し、コチニールカイガラムシを育成し、ヨーロッパに運んで巨額の富を得た。

カンパリ。

古くから作られるこのリキュールはコチニールを赤色色素として使っていたが、最近は色素を変え、脱コチニール化した。

なお、このボトルはまだコチニールを使っていたころのもの。

カルミン酸のエタノール希薄溶液。

カルミン酸は固体では濃赤色、溶液では橙赤色の物質であるが、金属イオンとの混和により配位し、配位により深色化する。

金属種によって配位キレートの色がまったく変わり、アルミでは紫色、スズでは鮮紅色、鉄では黒紫色となる。

市販されているコチニール色素は水和したカルシウム錯体、またはアルミニウム錯体(レーキ)であることが多い。

1800年代の銅版画に見られるコチニールの採集風景。

やや誤解も含んでいるが、サボテンから赤色色素を含むコチニールカイガラムシを採集している様がわかる。

種々の媒染剤を用いたカルミン酸による絹の染色。

カルミン酸は、種々の金属とキレートを作り、難溶化する(レーキ化)。

特に、明礬を用いた時の赤紫、スズ塩を用いた時の赤は美しく、古くより利用された。

媒染剤を用いた染色は、まさに色素分子および繊維上の官能基を配位子とした金属の錯体合成であり、

染色が化学であることを思い出させてくれる。

コチニールの日本国内生産を狙ったカイガラムシの輸入は、徳川吉宗のころから出島経由でオランダに打診されていたが、虫の輸送をやんわりと断られていたようだ。日本で虫を栽培されたら商売にならない、とオランダは考えたのだろう。実際に着手したのは明治10年頃であった。小笠原父島にサボテン318本とコチニールカイガラムシを船で運び、島の南の北袋沢(今の小港海岸に出る八ツ瀬川の下流域)にサボテンを植えたらしい。ところが、小笠原は台風の通り道で雨が多く、メキシコ原産のコチニールカイガラムシを育てるのにははなはだ不適で、すべてカイガラムシは流れてしまったという。それに加え、明治16年の未曾有の台風被害と、西南戦争由来の財政引き締めもあって、小笠原のコチニールカイガラムシの育成計画は完全に頓挫してしまった。明治20年代にはサボテン畑は打ち捨てられてしまった。今ではそんなことがあったことを知る人はほぼいない。

(文献)

角山幸洋、「コチニールの飼養」、関西大学東西学術研究所紀要、第23輯、83~140p、1990年. (江戸~明治期の小笠原のコチニール事情を記録した数少ない報告書)

エイミー・グリーンフィールド「完璧な赤 ー『欲望の色』をめぐる帝国と密偵と大航海の物語ー」、早川書房、2006年.