タマネギの皮と国防色

タマネギ (Allium cepa L.) はヒガンバナ科(以前はユリ科だった)ネギ属の野菜で、その鱗茎は古くから世界中で食用に供され、日本の家庭でも日常的に食する。ペルシアやエジプトでは、紀元前数千年前から食用目的で栽培されていたらしく、現在でもタマネギはイラン料理では料理の中核となる。タマネギの歴史は古すぎて原産地ははっきりしないが、中央アジア(インド北西、アフガニスタン、イラン、タジキスタン、ウズベクスタン、天山西部)だろうと推定されている。長い食用栽培の間に様々な品種が分化し、辛系統・甘系統があり、さらに鱗茎の色調により赤色系、黄色系、白色系で分類され、今では全世界で多種の品種が食用栽培されている。

タマネギ鱗茎には様々なフラボノイドが多量に含まれている。タマネギに含まれるフラボノイド類は染着性が高く、食品着色のみならず、衣類繊維の染色に使うこともできる。かつてのペルシア絨毯やインド更紗の染色には、タマネギの皮が利用されたものが含まれていて、それらの黄色、黄褐色、黒褐色はタマネギに由来する。また、ドイツなどのヨーロッパにおいても、古くはミョウバン媒染(アルミニウム媒染)により毛織物や亜麻布、綿などの家庭染色に利用されていた。ただし、ベニバナ等に比べるとそれほど重要な色素源ではなく、使用地域・使用期間はそれほど多くない。これは、黄色染料植物は多種が世界中で知られ、他にも黄色を与える種々の植物が存在していることによるのだろう。今でも欠かせないタマネギ染めとしては、復活祭の卵(イースタ・ーエッグ)のタマネギ鱗茎皮の煎液による褐色染めなどがある。

タマネギの鱗茎に含まれるフラボノイドは、アグリコン(糖を含めない母骨格)としてクェルセチン (quercetin) と呼ばれるフラボノールを筆頭とし、ケンペロール (kaempferol)、ミリセチン (myricetin)、およびイソラムネチン (isorhamnetin) などの構造の類似したフラボノール類が少量含有される。これらにはばらつきはあるものの、アグリコンとしてはクェルセチンが最も多く、これが新鮮なタマネギの鱗茎内部には配糖体(グリコシド)の形で含まれている。多くはジグリコシド、3-モノグリコシド、4'-モノグリコシドであり、これは球根の成長代謝によってタマネギ鱗茎外側に押しやられて「皮」となり、水分を失ってからからに乾く。乾くころには(酵素の働きによって)グリコシドの糖が外れ、水分の蒸発も手伝って、クェルセチンが著しく濃縮される。したがって、染色にはタマネギの鱗茎内部ではなく皮が向いていて、やはり鱗茎は食用にするのが良い。廃物利用という意味合いもある。タマネギの品種により鱗茎皮中のクェルセチンの含有量は異なるが、総じて乾燥タマネギ鱗茎皮の約 1-3% がケルセチン分であり、このうち 2-5割は糖が外れたアグリコンのケルセチンとして含まれている。タマネギ鱗茎に含まれるフラボノイドは、いずれも冷水にはほとんど溶けないが熱水によく溶ける。アルコールにはわずかに溶けるが、油にはほとんど溶解しない。加熱にもかなり強い。

タマネギの皮に含まれる種々のフラボノイドのアグリコン(糖を持たない状態)。もっとも多いのは、クェルセチンである。

クェルセチンは、分子内に金属とキレート形成しやすいカテコール部位を持っている(3'-, 4'-位の二つの水酸基がそれに相当する)ため、金属媒染により堅牢に布を染めることが可能である。タマネギの皮は、無媒染では皮の色に類似した黄褐色を絹や羊毛に染め付けることができる。スズを媒染剤とすると鮮やかな黄色に、アルミニウムを媒染剤とするときは絹や木綿を橙黄色に染色できる。鉄媒染では暗い黄緑を、銅ではもっと緑っぽい茶色を与える。クェルセチンの金属媒染は、ほかのフラボノイド系色素に比べると、確かに飛び抜けて染着しやすいのだが、強い光によって色が褪せくすんでしまう。夏の強い日差しにタマネギ染めの綿布を1日晒しておくと、その色褪せがはっきりわかり、光に対しそれほど強くないことがわかる。それでも、色が完全に抜けきってしまうことはない。文献によれば少量の(繊維に対し1ー2重量%程度の)銅塩を媒染のアルミニウム塩に加えておくと、その日光に対する褪色が改善できることが報告されている。また、カルシウム媒染では劇的に耐光性が増すことも報告されているが、カルシウム媒染の黄色はあまりパッとしない色らしい。

実際のところ、フラボノイドを利用した染色物は、現在の主流である合成染料を使ったものと比較するとはるかに気難しい。多くの場合、pH の変化に敏感に反応して色が変わるため、汗をかいたところだけが色が変わってしまい、なかなかこれが洗濯しても戻らない。もちろん酸やアルカリとの接触はご法度であり、洗濯には中性洗剤を使わなければならず、面倒くさいことこの上ない。こういったわずらわしさは、合成染料にはない。これが明治期において、急速にフラボノイド系の天然染料利用が廃れてしまった大きな要因のひとつであろう。

日本においては、タマネギは1780年頃に渡来したとされるが、広く食用栽培されたのは明治に入ってからである。染色に関してみると、タマネギの鱗茎皮染めは1900年代初めぐらいから軍用衣類の染色試験に用いられた。これは、染料工業の設備は他の兵器製造に重要な(例えば毒ガス合成など)化成品合成に回され、特に第二次世界大戦では染料を合成するゆとりがほとんどなかったため、天然染料の再検討が進められたためである。戦争中の街には色が無かったと戦争体験者が口をそろえて言うのは、このような背景もあった。第二次世界大戦末期は民間の家庭でもタマネギ鱗茎皮の鉄媒染の緑褐色が染色に使われた。いわゆる「国防色」である。これは、昭和15年の大日本帝国国民服令で制定され、それによれば男子はとにかく国民服を着なければならず、その色は国防色が指定されていた。女子用の国民服も検討されていたが、女性にとって国防色一色の国民服は非常に評判が悪くてあまり相手にされず、戦前に作られた和服をこわしてモンペにすることが多かったようだ。

家庭で国防色を染める場合は、タマネギ鱗茎皮の鉄媒染による国防色が勧められた。クェルセチンを戦中から戦後にかけて研究したのは東北帝国大を女性で最初に卒業した黒田チカであったが、女性研究者の研究が、戦時中に女性の色彩の装いを(間接的にも)奪ってしまったのは、皮肉なことである。とはいえ、一番戦時中のタマネギ染めに関与していたのは、軍から研究を依頼された上村六郎氏であったようだ。黒田チカは、むしろ戦後のケルチンCなどの健康食品用のタマネギ鱗茎皮利用に注力した。

国防色で染め上げられた、太平洋戦争中の戦闘帽様の国民帽。

タマネギの皮を煮出し、塩化鉄(III)を媒染剤((オリジナルレシピは硫酸鉄(緑礬)としたもの。

2価鉄でも3価鉄でも同じ色が出るので、鉄は III 価でキレートを作っているようだ。上が木綿、下が絹。

クェルセチンが含有される植物は、なにもタマネギに限らない。そもそも「クェルセチン」の化合物名は、ブナ科コナラ属の属名 Quercus からとられたもので、例えばクロガシワ Quercus velutina の樹皮には大量のクェルセチン配糖体が含まれている。クェルセチンは多くの場合、3-O-配糖体として植物に含まれ、糖がグリコシルの場合はイソクェルセチン、ラムノシルの場合はクェルシトリン、ラムノグリコシリルのときはルチン(特にソバ類に多い)と呼称される。これらは、多くの柑橘類、野菜、穀物、あるいはあまり食用に利用されない様々な植物に含まれる。イソクェルセチンはイチョウの葉にも多量に含まれている。一部の染色家はこれを利用して黄色の染めに用いている。クェルセチンの健康に対する効果を目的に、イチョウの乾燥葉を健康食品に使う向きもあるようだが、タマネギとは異なりギンコール酸(置換サリチル酸類)などの有害な成分も含まれているので食用には注意を要する。

<染色の実際>タマネギの皮を使ったアルミ媒染による綿のオレンジ染め

①タマネギの皮 50 g と綿のシャツを用意する。シャツは、糸まで綿の後染色用のものを。

②タマネギの皮 50g を手でざっくりとちぎって、沸騰したお湯 1Lで煮出す。15分煮たら、煮出し汁をこし取り、皮は絞って再度 1L の水で煮出す。これを合計3回行い、3Lの褐色の染液を用意する。煮出すときに、少量の酢酸を加えると良い。

③別にシャツをアルミ先媒染する。シャツは、ミョウバン 50 g を水 2L に溶かしたもので 30分間加熱して沸騰させる。煮たらしばらく放冷し、媒染駅から取り出して軽く洗ってよく絞る。

④ 先の染液に媒染したシャツを投入し、30分間沸騰するまで加熱する。タマネギの皮が混じっているとムラになるので、混じらせないように。

⑤ 染液からシャツを引き上げ、よく水洗いして終了。このオレンジは太陽光にはかなり強いが、pH 変化に弱く、酸やアルカリを嫌う(あまり子供の服には向かないかもしれない)。洗濯は中性洗剤で。

(文献)

A. Bilyk, P. L. Cooper, G. M. Sapers, "Varietal differences in distribution of quercetin and kaempferol in onion (Allium cepa L.) tissue", J. Agric. Food Chem., 32, 274-276 (1984).