フタロシアニンブルーとフタロシアニングリーン

青色顔料の王者

青の顔料と言えば、19世紀末までにはウルトラマリン、そしてプルシアンブルーがあったが、いずれも美しい色を示すものの、安定性にやや問題が残されていた。ウルトラマリンは熱には強いが着色力に乏しく、酸性の雰囲気ではみすぼらしい灰色の粉になってしまうし、プルシアンブルーは色は濃いがアルカリに弱く、それに何より色が澄んでいない。他の無機銅塩の青色顔料は色が淡くて着色力が低いために多量の顔料を必要とし、かつ粒径を下げると白みを帯びるなど、あまり使いやすいものではなかった。そこに、1930 年ごろ、偶然にできた化学の顔料、青色顔料の王が乗りこんでくる。フタロシアニンブルーである。フタロシアニンと呼ばれる有機分子は金属イオンと非常に結合しやすく、こういった金属結合フタロシアニン誘導体は「金属フタロシアニン」と呼ばれる。有機化合物であるが、分子間の結びつき(相互作用)が非常に強く、水や多くの有機溶剤にほとんど溶けないので、顔料として用いられる。

フタロシアニンブルー(フタロシアニン銅)

カラーインデックスでは、pigment blue 15:1。

α型結晶構造を有するフタロシアニン銅で、最も代表的なもの。

一般的に、「フタロシアニンブルー」と言えば、これをさすことが多い。

フタロシアニンの物質科学

フタロシアニンの化学は、極めて多岐に及ぶバラエティに富んだものである。フタロシアニン骨格は、4分子のイソインドール環の1位と4位が4個のアザ(ーN=)基で連結した巨大π共役系大環状化合物で、イソインドール環上の4個の窒素原子が金属に配位し、金属を効果的に捕捉する。このような大環状化合物としては、葉緑素(クロロフィル)や血液の赤色色素へミンにおける基本骨格のポルフィンがあり、これによく類似している。

フタロシアニンブルーとして用いられる物質、化合物名ではフタロシアニン銅ではあるが、その顔料としての種類は多く、複雑を極める。フタロシアニン銅は種々の結晶構造を有し、それぞれの色味や特性がわずかずつ異なり、それを制御して顔料利用している。フタロシアニンの結晶構造としては、8種(α、β、γ、δ、ε、π、X、ρ)があり、最安定構造は β 型、顔料として常用されるのは α と β が多い。フタロシアニン銅はカラーインデックスではピグメントブルー15で呼称される。そのうち、フタロシアニン環平面が少しずつずれ(オフセット)ながら平行に積み重なった α 型を C. I. Pigment blue 15:1、これの非凝集型(NCNF (noncrystallizing nonflocculating type) 型) が15:2である。溶剤との処理などにより、結晶構造を転移させ、最安定構造の矢筈型(ヘリンボーン)にしたβ型が 15:3、この NCNF タイプが 15:4 となる。あまり使われないが、γ型、ε型のフタロシアニン銅もカラーインデックスに登録されている。それぞれ、15:5, 15:6 となる。また、スルホン化フタロシアニン銅のバリウムレーキを pigment blue 17:1 と呼ぶ。これはファストスカイブルーという呼称で印刷インキ用に大量に生産された青色レーキ顔料だが、最近はその利用が減りつつある。なお、無金属のフタロシアニンは、C. I. pigment blue 16 と呼ばれる。

セレンディピティとスコットランドの青

おそらく、人類最初のフタロシアニン誘導体の合成は、1907年のドイツのブラウンらの報告による「同定できない青い物質」であると思われる(文献1)。ブラウンらは、フタルアミドを無水酢酸を用いた部分脱水反応により、o-シアノベンズアミドを合成しようとしていた。その時に、副生成物中に痕跡量の濃青色物質が混入してくることを見つけ、これを報告した。しかし、彼らにとってはこれは役に立たない厄介者であり、かつ同定することができなかった。これは現在の化学の知見から考えれば、金属を配位しないフタロシアニンであった。ブラウンの実験を現在の化学の流儀で表現すれば、フタルアミドからo-シアノベンズアミドを生じ、これが無水酢酸より生じた酢酸を足掛かりに脱水縮合して、四分子環化し無金属フタロシアニンを生成したものと予想される(この合成法は、今でも時たまフタロシアニン誘導体合成に用いられることがある)。

ブラウンらの報告はしばらく忘れ去られていたが、20年後の1927年になって、スイス、フリブール大学のディースバッハ(プルシアンブルーの発見者のディースバッハとはもちろん別人)と学生のウェイドらは、o-ジブロモベンゼンをシアン化銅と反応させ、シアン化物イオンの求核攻撃反応によりフタロニトリルに変換しようと試行錯誤していたところ、偶然にも青い固体が収率 23% で生成し、これが濃硫酸、アルカリ、そして熱に対し極端に高い安定性を示すことを見つけ出し、これを報告した(文献2)。これはまさしく今でいう銅フタロシアニンであったのだが、彼らの元素分析はその組成比をはっきり示していたものの、分子構造決定まで到達できず、彼らはとうとうそれ以上の科学的追及は行わず、匙を投げてしまった。

ディースバッハが溶けない青色の化合物を見出したのと同じころ、 スコットランド、グランジマウスにあった Scottish Dyes 社の研究所に勤めていた A. G. ダンドリッジ(A. G. Dandridge)らは、ひょんなきっかけから類い稀な青色顔料を偶然に発見した。彼らは、溶融無水フタル酸とアンモニアガスとの高温加圧反応によるフタルイミドの製造プロセス開発の際に、ガラスライニング(大きな反応容器にしばしば用いられる、ガラスで容器内部の接液部分をコーティングしたもの)釜に傷の入った鉄製反応釜を使用すると、反応混合物が青緑色になることに気づいた。彼らは色素会社に勤めていたので、この青い着色成分の特異的な安定性を素早く見抜き、追加合成して調べてみることにした。ダンドリッジらの研究により、これは無水フタル酸溶融反応の反応生成物と鉄製容器との反応によって生じること、そして、金属を変えるとさらに新規な顔料ができること、色が濃くプルシアンブルーそっくりの色を紙に付けるが、溶剤にはほとんど不溶なことがつきとめられた。特に、鉄を銅で置き換えると、色濃く鮮やかな青色になることがわかったのは収穫であった。ダンドリッジらは1929年ごろ、この結果を最初の特許にまとめ、さらに鉄塩サンプルをロンドン大学の若い教授、リンステッド R. P. Linstead らのところに送り、検討を依頼した。Scottish Dye 社の親会社 ICI (Imperial Chemical Industries) 社は当時、リンステッド教授の研究室に資金援助をしており、依頼がしやすかったのだろう。また、Scottish Dye 社は、この色素は産業利用よりもむしろアカデミック的に興味が持たれるだろう、と考えたらしい。リンステッドはこの一連の金属化合物の価値をすぐに見抜き、じっくりと研究した後に、1934年に6報の論文を英国化学会誌(Journal of the Chemical Society)の全て同じ巻に矢継ぎ早に公表した。6報の論文の内容はここでは書かないが、正確な元素分析による組成、そして沸点上昇法による分子量の見積もりで、どうやらこの青い色素は、今までのどの色素、あるいは合成されたどの物質にも当てはまらない、フタロニトリルの縮合4量体の有機銅塩であることがようやくわかってきた。この一連の研究により、フタロシアニンの構造や性質に関する知見が急速に得られ、化学としての形が出来上がってきた。この化合物に、フタロシアニン (phthalocyanine) と名付けたのも、リンステッド教授である。結晶構造を決定したのは、1935年のロバートソンらの研究による(文献4)。

このように、化学の強国ドイツ、色素・染料の本場スイスで相次いでアクシデンタルに合成されたにもかかわらず、フタロシアニンのエポックメイキングな研究はイギリスの独壇場になった。これはおそらく、ガラスライニングに瑕疵のある反応釜でのみ出来てくる不純物を見出し、これを棄てずに注目し、しつこく検討したダンドリッジをはじめとした Scottish Dye 社の研究者の注意深さによるところが大きい。まさにセレンディピティと言えるエピソードである。かつてイギリスを代表する有機化学者パーキンは、アリザリンの合成競争でドイツの BASF 社に僅差で敗れ、事業から手を引いた痛い過去があったが、色素化学におけるその逆襲はフタロシアニンで達成できたのかもしれない。

青色顔料の王者への道

フタロシアニンの工業化は、Scottish Dye 社を吸収した ICI 社によって、1935年ごろからスタートした。1933〜1942年までの間に、26の特許が同社によって出願された。

銅フタロシアニンは、スペクトル中に赤の吸収成分をほとんど含まない、理想的な青の顔料である。特に、4色印刷におけるシアンにはうってつけであった。その色は今まで知られていたどの青色顔料よりも鮮やかで色濃い。プルシアンブルーの約2倍、そして合成ウルトラマリンの20〜40倍の着色力を示す。そして、光に対して極めて安定で、強酸や強塩基に対しても全く反応しない。それに何より、他の銅塩とは違い、有害性をほとんど示さないという、絵に描いた理想的な青色顔料であった。今では、塗料、印刷インク、壁紙、高分子などの混練顔料などに、多量に用いられている。その生産量は、日本国内でも15000トン/年を超える。

(文献)

(1) A. Braun and J. Tcherniac, Chem. Ber, 40, 2709 (1907).

(2) H. de Diesbach and E. von der Weid, Helv. Chim. Acta, 10, 886 (1927).

(3a) R. P. Linstead, J. Chem. Soc., 1934, 1016.

(3b) G. T. Byrne, R. P. Linstead, and A. R. Lowe, J. Chem. Soc., 1934, 1017.

(4) J. M. Robertson, J. Chem. Soc., 1935, 615.

(5) Dandridge, A. G., Drescher, H. A., and Thomas, J. (to Scottish Dyes Ltd.), British Patent 322,169 (Nov. 18, 1929).