紅花の紅

朝日の当たる花盛りのベニバナ畑。

ベニバナの葉やガクには鋭い棘があるため、それが朝露でまだやわらかい早朝のタイミングで花を摘む。

山形県山形市高瀬。2017年7月上旬。

人生はうつろいゆく。人は必ず死ぬ。その無常観を反映してか、日本人は色あせる染料の色を愛で惜しむ風流な趣向がある。着物と共に歳を取り共に色褪せる、という考え方であるらしい。かつての染料は植物由来の色素が多く、それらはすべて有機化合物であり、光の吸収による呈色は同時に光分解反応をゆっくりと引き起こし、やがて色褪せてしまう。日本人の愛した色褪せる赤には、紅花がある。

紅はキク科の一年草草本のベニバナ (Carthamus tinctorius L.) の花弁から手間をかけて採取される。ベニバナはアザミによく似た形状の花をつけるが、色素成分は全く異なる。アザミの多くはアントシアニンを基本とする青~赤系色であるが、ベニバナは二つのカルコンのπ共役系が結びついた二量体色素を含み、これが赤色を示すものである。ベニバナの紅色は、繊維の染色に用いることも、色素のみを取り出して(化粧)紅にすることもできる。

ベニバナには草本全体に多数の棘があり、肌に触れると刺さり痛む。紅花摘みは、これに耐えながら行わなければならなかった。ベニバナは、かつては最上地方(山形県)の特産であり、江戸期には上方の紅花文化が興り、最上の紅花はブランドであった。最上のベニバナづくりを取り上げたアニメ映画「おもひでぽろぽろ」には、ベニバナの紅は以下のように表現されている。

「この黄色い花から、どうしてあんなに鮮やかな紅色が生まれるのだろう。

キヨ子義姉さんが悲しい言い伝えを教えてくれた。

昔はゴム手袋のようなものはない。娘たちは素手で花を摘み、棘に指を刺されて血を流す。

その血が、紅の色を一層深くしたというのだ。

一生唇に紅をさすことがなかった娘たちの、華やかな京女に対する恨みの声が聞こえてくるような気がした。

ひと握りの紅をとるには、この花びら60貫が必要で、玉虫色に輝く純粋の紅は、当時でさえ金と同じ値段だったという。」

ベニバナの花。紅はこの花の色素である。花には摘みどきがあり、このぐらいの開花のタイミングで摘むのがよい。

花全体が真っ赤になるようではタイミングが遅い。

また、ベニバナには染料用の古くからの種もあれば、切り花用の棘の少ない品種もある。

花屋で出回るのは切り花用の品種で、棘が少ない「丸葉種」。

写真は町田市大賀藕絲館で栽培しているもの(2017年7月)。

ベニバナには、色で分類すると黄色の色素と赤色の色素が含まれている。このうち、黄色の色素は水によく溶け、赤色色素は水に難溶である。この水に対する溶解度の差を利用して紅花染めが行われる。ベニバナの赤色色素は、ベニバナの学名の属名にちなんで「カルタミン (carthamin)」と名付けられた。カルタミンの分子構造の決定研究は古くから行われ、Preisser、Perkin、亀高、黒田チカ、Seshadri、小原、小野寺らの多くの研究によってその構造がようやく明らかとなった。ここまで難航したのは、カルタミンの構造が非常に複雑な配糖体であること、分子量が910と大きく前駆体の二量化を経由して生じること、そして、カルタミンが化学的な安定性にやや乏しいことによる。ベニバナに含まれる黄色い色素は、数種の構造のものが知られるが、いずれもベンジリデンアセチル置換のカルコン型のグルコース配糖体である。これらは、対称性の低さ、および分子上の極性基の影響で水によく溶ける。また、ベニバナを実際に摘むとわかるが、ベニバナは黄色い花を摘んで指先で揉むと、速やかに赤く変化する。これは、何らかの前駆体が存在し、これが刺激により変化してカルタミンになることを示している。この変化は、カルタミンの共役系の完成であり、前駆体はより共役系の短い分子であることがわかる。

ベニバナの花色の変化。左から順に咲き始め~咲いてから4日間経過したもの。

摘みどきは真ん中ぐらい。

ベニバナの花はみるみる色が変わり、収穫期には総出で花摘みに追われる。

ベニバナの黄色色素の代表であるヒドロキシサフロールイエローAと、赤色色素カルタミンの分子構造。

糖は強固な炭素-炭素結合で共役系に連結している。

また、末端にフェノール性の酸性水素を有しているので、アルカリによってこの水素が反応し、可溶性の塩を生じる。

このタイプの発色団は、キノカルコンと呼ばれる。

実際の紅花染めは、かなり手のかかるものである。藍染とは異なり、赤色色素を一回完全に単離するのが正統な紅染の手法である。まず、花弁を摘んでよく搗いたり練ったりして、酵素により充分にカルタミンを生成させる。これをやや発酵させ、平たく延ばした干物「紅餅」を作る。紅餅は乾燥させて保存することができる。また、花弁を流水に晒してから紅餅を作る流儀もある。

使用時は紅餅を砕き、流水でよく洗い、含まれる水溶性の黄色い色素を大部分除く。得られた赤色色素の残った花弁をアルカリ水溶液に投入すると、カルタミンの分子の末端にあるフェノール部位が中和されてフェノキシドになり、水に溶け茶色い溶液になる。古典的方法ではこのアルカリには藁灰を使った。試薬を用いる場合は、苛性アルカリではアルカリが強すぎるので炭酸カリウムがよい。

このアルカリで色素を溶出させた花弁を絞り、抽出したカルタミン塩溶液をすかさず酸で中和すると、カルタミンが再生する。濃度が低い場合は、この溶液に繊維を入れると繊維上にカルタミンが吸着し、紅染めができるが、まだ若干黄色い色素が残っているので、この時点で絹を染めると紅色が橙色を帯びやすい。絹などのタンパク質は赤色も黄色も染まるためである。一般的な染色では、麻や綿を使って一回赤色色素で染め、この繊維をもう一度アルカリで溶出させ、今度は絹を染めるプロセスを用いていた。これは。ベニバナの赤色色素はセルロースをよく染めるが、黄色色素はセルロースを染めないことを利用した赤色色素の単離作業ともいえる。

中和時の溶液中のカルタミン濃度が非常に高い場合は、中和液を放置するとアモルファスのカルタミンの沈殿を生じる。このプロセスは手早くしないとカルタミンの塩が分解してしまうために、慌ててするのが肝要である。昔からこの酸は、烏梅と呼ばれる焼き梅を用いた。烏梅に含まれる植物酸は、クエン酸が多い。塩酸などの強い酸を用いると、カルタミンが分解しやすい。こうやって沈殿させたカルタミンを集め乾燥させると、細工紅とか正味紅と呼ばれる純粋なカルタミンが得られる。いずれにせよ、不安定なカルタミンをいかに分解させずに取り扱い、精製単離するかが、紅染のプロセスには隠れている。

ベニバナの赤色色素を吸着させた青苧(あおそ)繊維と、紅花染めの着物(下)。

青苧は、イラクサ科のカラムシの茎表皮から採れる繊維で非常に強く、ベニバナの色素を吸着しやすい。

そのため、中和により析出させた赤色色素を青苧に一時的に吸わせ、必要に応じてそれで染色を行う。

化学の表現で言えば、担体に色素を担持吸着させ濃縮純化し、それを保存し、使用時に脱着させる。

これは、カルタミンが配糖体であるために非常に強くセルロースなどの多糖に水素結合し吸着されることに起因している。

カラムシ。今や雑草と化しているが、かつてはセルロース長繊維を採れる貴重な植物であった。

福島県昭和村で栽培生産し、これを「苧引き」を経て繊維とし、染織用に新潟に送った。

アルカリ溶解-中和-セルロース吸着プロセスを繰り返すと、カルタミンの濃度、純度いずれもを上げることができ、

過飽和になったカルタミンは非晶質の沈殿となって分離してくる。

これをろ取して乾燥させたものが化粧紅である。

しかし、その歩留まりは非常に悪く、手のひらいっぱいの紅花の花から、せいぜい数ミリグラムしか得ることが出来ない。

日本の歴史上では、紅花は数少ない鮮紅色を得られる赤色染料だったので、単色のみならず混色でも用いられることが多かった。濃紫色は古くから禁色の期間が長く、かつその染色原料であるムラサキが貴重だったので、深い紫は皆の憧れの色であった。そこで、ムラサキで染める代わりに、の色素で生地を青に染め、その上にベニバナ染めを重ね染めして混色し、紫色に染める「二藍(ふたあい)」が流行した(注)。ところが、二種類の染料を使うには多くの問題がある。片方の色素の耐久性がより低いと、ゆっくりと色調が変わってしまうのだ。二藍の場合も同様で、藍の発色成分であるインジゴは丁寧に染めれば堅牢度は高いが、ベニバナ赤色色素のカルタミンにはインジゴ程の耐久性はない。そのため、二藍は染色の時点では紫でも、使用によりゆっくりと赤色成分が減ってゆき、だんだん青みが強くなってゆく。逆に、二藍の色合いを見れば、どのくらいその着物を着ているかがわかる。そこで、二藍の染めの程度を年齢に応じて色味を変えた。若い人は藍を浅く紅を深くした赤っぽい紫に、壮年の服は逆に青みを強調させたやや薄い青紫に染めた。自分を落ち着いて見せたいときには、より青色を強くした服にしたり、など。その話が源氏物語に出てくる。二藍の赤みの強い衣料は、子供っぽく見えるのだと源氏が子の夕霧にアドバイスするシーンがある。

この二藍の年齢に応じた雅な染め分けは、ベニバナの色素の耐久性不足による経時変化を混色の色味の変化に対応させ、それをその持ち主の年齢に投影させている。日本人独特の、色褪せを愛でる一変法とも言えよう。ただ、紅花染めは直射日光でゆっくりと褪色してはいくものの、それほどヤワな染めではなく、染色直後にわずかな色落ちをみたあとは、その後はかなり安定にその色を保つ。おそらく、明治以前の日本では、洗濯時に汚れの油脂分を落とすアルカリとして木の灰をしばしば使っていたので、それによってカルタミンが抜けて色褪せてしまったところが大きいと思われる。そんな理由で、二藍という色には、はっきりと定まった色がない。

また、藍染めのインジゴも、どうしても時間経過で繊維からインジゴ分子が抜け落ち、徐々に色が薄くなってしまう。それもあって、藍染においても、歳を取るほど色を薄くする習わしがあった。壮年者は縹色(はなだいろ)に、もうちょっと歳を召すと浅葱色(あさぎいろ)に。

(注)藍染めは強いアルカリ性でインジゴをロイコ体に還元するので、アルカリにより可溶化する紅花染めの色が抜けてしまう。そのため、藍と紅の混色の二藍は、色の重ねる順番がある。藍が先で、紅花が後である。

(文献)

山形大 紅花関係図書一覧 もうこれだけで最上の紅花史のかなりの資料が PDF で読めてしまうというすぐれもの。

黒田チカ「The Constitution of Carthamin. Pt II」, Proc. Imperial Acad., 5, 82-85 (1929).

黒田チカ「The Constitution of Carthamin. Pt I」, Proc. Imperial Acad., 5, 32-33 (1929).

"Optimisation of the extraction conditions of natural colourant carthamin from safflower (Carthamus tinctorius L.) by response surface methodology", Y. Sun et al., Int. J. Food Sci. Technology, 49, 1168, 2014.

"Carthami flos: a review of its ethnopharmacology, pharmacology and clinical applications", Y. Tu et al., Rev. bras. farmacogn., 25, (2015).