この山吹色に皆が狂わされます。

反射スペクトルが、これほど多くの人々にドラマを与えるという点では、唯一無二と言えるでしょう。

代表的な貴金属としておなじみの金ですが、自形の結晶を見る機会はあまりありません。

ましてや、エッジの立った、トキトキの結晶は。

この結晶はチューリヒ大のある化学者が気相成長させた金の結晶で、大変美しい結晶です。

ビスマスほどではないですが、骸晶が発達し、エッジが優先的に育っているのがわかります。

結晶面は簡単。正八面体 (111) に、正六面体 (100) の面が足された、切頭八面体です。

天然では、金を視認できるような高品位の金鉱石はかなり稀です。

秩父鉱山(埼玉県)では、「糸金」といい、閃亜鉛鉱の隙間に不定形にはまり込んだ金が産出したことがあります。

こちらは歴史的標本、鹿折鉱山の自然金。東大総合研究博物館の標本です。

自然金(native gold), Au, cub., Fm3m

宮城県気仙沼市上鹿折 鹿折鉱山

東京大学総合研究博物館蔵(登録番号 01955)

標本幅 : 3.0 cm

日本において、鉱山から掘り出したいわゆる「山金」の最大のものは、ここ、鹿折鉱山から産出しました。

鹿折鉱山は、気仙沼市と陸前高田市の境にかつてあった伝説的金山で、かつて金のプロフェッショナル岩崎先生をもってして、「怪物(モンスター)」と呼ばせた大金塊を産したことがあります。

記録では、その標本は910gあり、長さ10cm、そのうち711gが金であったといいます。残念ながらこれは現存していません。

明治末期(32-37年)に脈の高品位部に当たり、多くの金を産したと記録に残っています。 そのときの超高品位鉱は、十貫目中二貫目金を含んだといいますから、単純計算では20%!あります。

あの中瀬でも、菱刈でもこれにはかないません。ただし、脈幅品位ではもっと低かったでしょう。

おそらくこの標本も明治末期に産した鉱石の片割れだろうと思われます。鉱脈から捻じ切ったようで石英を食み、鮮やかな山吹色が目に眩しい標本。 鹿折鉱山は、たった2脈の石英脈だけだったため、明治末期に脈の大部分を掘り尽くしてしまい、戦前戦後と再開発したものの、鉱量を稼ぐことはできませんでした。 今は、鬱蒼とした森に戻っています。

新潟県橋立金山の最高の金鉱石です。石英に埋まった金ですが、普通は金鉱石中の金が目で見えることはめったにありません。

金が川に流れ、揉まれたりくっついたりしながら、不純物の銀分が流れ出すと、純度の高い「砂金」になります。

昔は金精錬にはかつては水銀によるアマルガム法が多かったのですが、環境的配慮から水銀は(国内では)ほぼ使わなくなり、青化法と呼ばれるシアン化物を使った抽出が一般的です。写真は持越鉱山(静岡)の青化法設備。

金は様々な用途があります。

相場を支配する投資用金属でもあります。

酸化や分解に極端に強いことから、装飾品や電気接点の端子の被覆に使われることも多いです。

ソケット型の基板端子部品です。金メッキされています。

金はイオン化傾向が極端に低く、水に対する溶解性も低いため、ほとんどの生物とかかわりがありません。

下の写真はヤブムラサキの実です。土壌中に金を含むところを好んで生えると言われています。

実質的な金の濃度はものすごく低いと思われますが、確かに金鉱山周りには多い植物。