フェニキシア女王ベルエーシュ「フェニキシアの覚悟を天下に示してやりましょう。簡単に踏み潰されてなどやるものか」
ボスキ公ルカ「ガルシャ王国の未来の為、ガルシャの次期国王として、ここでつまずく訳にはいかない」
光陽暦1205年アシェラの月(6月)の事である。
フェニキシア女王ベルエーシュはフェニキシア王国北西部の城塞都市ベールハッダァードにて軍を起こしヴェルギナ・ノヴァ帝国へと攻め入った。
率いた祈士の数およそ500祈。
帝国の南東部を守護するボスキ公爵ルカは、女王軍出陣の報を受け、急ぎ祈士を招集させると集まったおよそ850祈のうち100祈を防衛の為に国境の城塞都市ボスキ・デル・ソルに残し、残りの750祈全てを率いて疾風の如く出撃した。
女王軍と比較して公爵軍は1.5倍である。
500対750、まずボスキ公側が有利といって良い人数比であった。おまけに兵個々の質もボスキ側の方が高い。
ボスキ諸侯内には『城塞都市に籠城すべき』という意見も一応ありはしたが、ボスキ側の方が有利な戦力比であったので、籠城を推す声は小さく、大勢は迎撃案を支持していた。
というのも、都市に籠った場合、兵糧攻めや、都市周辺の村々を焼き討ちされた場合などが厄介だったからである。
ガルシャ王国の是は「戦争するならば国土の外で行え」である。戦火による荒廃を国内へと持ち込ませない。
それが彼等、地元に根付いたガルシャ貴族の正義であり、存在理由だった。
ヴェルギナ・ノヴァ帝国と名ばかりを改めようともその精神は失われてはいない。
故にガルシャにおいては余程不利でない限りは国内で戦うよりも国外へと出ての迎撃策が好まれた。
ガルシャ王イスクラの孫にあたるボスキ公ルカはガルシャ王国の次期国王として有力視されていたが、まだ次期王座が確定した訳ではなかった。
その為、ここでガルシャの次期王として瑕疵の無い勝利を手に入れ、箔をつけておきたいという事情もある。
さらにはフェニキシア王国の軍を率いているのは未だ十五歳の若年で初陣の女王ベルエーシュだという相手側の事情もあった。
もしも有能な補佐がついていて、その者が実際の指揮権を握っているのなら油断はならないが、フェニキシアの重鎮貴族達は揃いも揃って凡庸であると他国でも評判だった。
対するボスキ公ルカは、彼もまた二十代半ばの若者と呼ばれる年齢であり、まだ大きな戦の経験は無かったが、しかし王族として最高級の教育と訓練を受け、演習では優秀な采配のキレを見せていた。一人の祈士としてもトーナメントらで活躍しグレイブの達人として名高い。
その為、統率者の能力といった点でもボスキ側の方が大幅に勝っているというのが大勢の見方だった。
普通に考えて負ける道理が無い。
近々攻める予定だったのだから、相手の方から野戦へと出て来てくれるのは渡りに船である。
野戦というのは、高所など戦う際に有利となる要衝を先に確保した側が、大きな有利を得る事が出来るというのが一般的な法則である。
今回の戦いもまた、迅速に前に出て、要衝を抑えられれば、ボスキ軍が大きな有利を掴める可能性が高い。
故にボスキ公ルカはベルエーシュを有利な地点で迎撃すべく、ヴェルギナ・ノヴァ帝国とフェニキシア王国との間に横たわるガラエキア山脈へと風の如く、神速ともいえる行軍速度で進んだのだった。
対するフェニキシア王国側、弱冠十五歳の女王ベルエーシュは、ルカ達がそのように考え迎撃に出て来るであろう事を予想していた。
正確に言うならば、彼女自身が予想した訳ではない。
国家存亡を賭すという今回の一戦に際し、彼女が従軍させる事にしたフェニキシア貴族の中に大層な旅行好きの道楽者がいた。
名をイラト子爵アーシェラという。
イラト子爵は自領の統治を血族の代官に丸投げし自身は旅に明け暮れていたという過去を持つ、領主としてはまさにボンクラ中のボンクラである。
彼女はゆく先々の国々で、様々な身分の人々と交流を持つ事を好み、故に各国の人々の気性、基本的な性格傾向を肌で良く知りえていた。
その旅道楽っぷりを耳にしていた女王ベルエーシュは出陣より前に彼女に尋ねていたのである。
「ガルシャの連中は例えばこうした時、どのように反応するか?」
と。
そして旅道楽貴族は彼女と交流があった典型的な南部ガルシャ人の性格を思い出して女王へと答えた。
「戦術的な事は私にはわかりませんが、単に好みの問題であるなら、彼等は籠城よりは迎撃を好みます。ガルシャ貴族は自領を戦火で荒らす事を好まない」
ベルエーシュはイラト子爵の言葉を信じた。
道楽貴族の予想に国家の存亡を賭した。
どうせまともにやってもフェニキシアはヴェルギナ・ノヴァに勝てはせんのである。
籠城しても削られて押し切られるどころか、フェニキシアは内部から崩壊する不安定な国情である事を女王は理解していた。
だったら伸るか反るか、博打が効く野戦へと一発勝負に出たのである。
故にベルエーシュは出陣した。
フェニキシアの陸軍は統率が取れているとは言い難い状態にあったから、急ぎはしたが、それでも行軍速度は凡庸以下であった。
強行軍してきたボスキ軍に山脈内の有利な地点を既に抑えられ、彼等が一晩ぐっすりと休んで回復した後に、ようやく女王軍はその付近へと辿り着き、不利な地点から攻めかかる状態となってしまった。
けれども、それでもベルエーシュは勝つつもりでいた。
ガルシャが迎撃に出て来る事を予想していた彼女には策があり、それは既に戦場に仕込まれていたからだ。
「見なさい、ボスキ公の兵達から漂うあの気の抜けた空気を。既にあいつら勝った気でいる。確かに彼等はとても有利な態勢にある。けれども、戦場でああも緊張感が無いのは、彼等は根本的に私達を舐めているからよ。フェニキシアを弱兵、弱小国と侮っている。だから気を抜いている。だから勝つのは私達だ。皆、フェニキシアの覚悟を天下に示してやりましょう。簡単に踏み潰されてなどやるものか」
十五歳の女王は、氷のように冷めた、しかしその奥に激情の炎を封じた瞳で彼方を見つめながら、自身が率いてきた祈士達へと語りかけたのだった。