シナリオ難易度:無し
判定難易度:普通
白い布がかけられた長卓の上で蝋燭の火が揺れている。
炎が産み出す橙色の光は室内の闇を押し退け、しかし完全に消滅させるには至らず、壁付近で薄い黒と拮抗していた。
(暗殺……えっ、暗殺!?)
ワスガンニ家当主シュッタルナの対面にて晩餐後の卓を挟み椅子に腰かけている豊かな黒髪を持つエルフ娘――シラハ・フルーレンはその黒瞳を一瞬、真ん丸に見開いた。
眼前の男から打ち明けられた話の重みは、戦場にて剛勇無双を誇ると謳われる『銀刃』をしてさえ、平静を失わせるに十分だった。
咄嗟には言葉がでなかった。
間を繋ぐ為、何気ない風を装って手の中にある白銀のゴブレッドを口元へと近づける。
白銀の杯は水晶のように澄み切った赤淡色の液体によって半ばまでが満たされている。
ワスガンニ家が所有するイル・ミスタムル州の農場で栽培された葡萄から醸造されたワインだ。
国内だけでなく諸外国間においても評価が高い。
同州の貴重な交易品の一つである。
シラハはどうにか心を落ち着けようと、銀の杯に薄桃色の唇をあて、赤色の液体を一口嚥下する。
先程まではその香り高い濃厚な味わいを楽しめていたが、今は本当にこれが先程までと同一の葡萄酒なのかと疑う程に、風味が変化しているように感じられた。
動揺が酷い。
完全に想定外の内容だった。
常の平静が保てない。
(どうしたものか……)
天秤のように、エルフ娘の心は揺れていた。
彼女は敵とは、外から王国を害するヴェルキナ・ノヴァ帝国だけだとばかり思っていたからである。
しかしそうではないのだと。
そもそもに内が病に冒されボロボロであるからこそ、外の脅威が侵攻してきたのだと。
(それが、内に巣食う大病……アンムラピ総督だなんて。それを、殺めると)
シラハの生家はイル・バノン州の州都「海神と森の城都」と呼ばれるイルハーシスにある。
イルハーシスはその名の通り海と森とに接した港街だ。
フェニキス樹の大森林地帯より採取される資源――主に木材加工業の材料や鍛冶の燃料などにもなる――を王都アーシェラルドへと海運を利用して大量に運び込んでいる。
その関係で工房が多い中央とは経済的に強く結びついていた。
また国内だけでなくアヴリオンなど諸外国とも取引をしていて、イルハーシスの経済力は国内の諸都市の中では王都に次いで高い。
フェニキシアで精強なのは陸軍ではなく海軍であり、そしてイルハーシスこそが海軍派閥の一大根拠地である。
イル・バノン侯ハンノは良く州都軍の規律を保っており、イルハーシスの治安水準は高く守られている。
それらの複合的結果として、州都イルハーシスは清潔で華美であり、住民には陽気な者が多く、爽やかな空気が溢れる明るく豊かな場所となっていた。(無論それでも貧民街などが皆無という訳でもなかったが)
経済格差が激しいフェニキシア王国の、いわば上澄のような地域である。
シラハはそんな州都で生まれ、家業の木工細工を手伝って育ち、長じてからは漫然とアドホックで傭兵業を行ったりして生きてきた。
故に祖国内の出来事にあっても、悪政の話はいまいち実感の湧かない、どこか遠い世界の出来事のように感じられていた。
ハンノが州総督を務めるイル・バノン州とアンムラピが州総督をつとめるイル・ミスタムル州とではあまりにも状況が違う。
褐色肌の中年貴族は懐から円盤状の首飾りを取り出した。
――王家紋のメダリオン。
王家の代行者たるを示すもの。
それを目撃し、シラハの動揺はますます激しくなる。
(私は、今、ベルエーシュ女王陛下と同じだけの権威を持つ者の前にいる……)
エルフ娘の心臓がドクンと跳ねた。
シラハは愛国心が深い。
自分を育ててくれたフェニキシアに対し恩義を感じているからだ。
女王ベルエーシュへの敬意も深い。
故に、王家の代行者たる者に対して、抱く感慨は強いものがあった。
(――何より、それを示すということは、目の前の相手は並々ならぬ覚悟を持っているということ)
王家紋のメダリオン。
それを持っている事をみだりに明かしてはならぬ筈だ。
シュッタルナはしかし、シラハへと明かした。
シラハが愛国的な傭兵であるという事は調べがついているだろう。
だからこそ、見込んで明かした、という事はあるかもしれない。
だがそれでも、人の腹の底までは神ならざる身であれば容易に見通せるものではない。
おまけに相談の内容が州総督の暗殺である。あまりにもリスクの高い話だ。
その上で示してきた。
シュッタルナは確かな覚悟を以って、シラハと相対している。
(……そういえば)
シラハの脳裏に甦る事柄があった。
傭兵ともなれば祖国の噂を聞く機会もある。
その中にはフェニキシアでは賊徒や魔獣が跋扈し、そして人々が重税と賄賂とで苦しみ喘いでいるというものもあったような気がする。
以前、アドホックに張り出されていた張り紙の中にも、フェニキシアを巡る商人からの依頼が並んであったのを、見かけたような気がする。
他ならぬフェニキシアの、そして豊かなイルハーシス出身のシラハとしてはにわかには信じられない話だったし、その時のシラハには他に仕事が入っていたので、詳しくは見なかったから、記憶が曖昧ではあったが……
シラハはもう一度銀のゴブレットに口をつけ、呷った。
透き通った淡赤色の液体を嚥下する。
今度はしっかりとした味が感じられた。
『黒毛の妖精』とも呼ばれるエルフ娘は黒色の瞳で王家の代行者たる男を見据える。
薄桃色の唇を開き、やや高めで朗らかながら、決然とした芯が通る女声を発する。
「……話を、もっと聞かせて欲しいわ。その、アンムラピとやらについて」
卓上の炎が揺らめき、女エルフの黒い瞳を黒曜石のように煌めかせた。
そうしてフェニキシア王家の代行者たるワスガンニ家当主シュッタルナはシラハ・フルーレンへと語った。
州総督アンムラピがどれほどの悪を為してきたのか。
どれほど王国に害を為してきたのか。
「――きゃつは女王陛下からの勅命をすらなんのかんのと理屈をつけて実行を先延ばしにし、反故にし、うやむやにし、領内の治安を乱れるに任せ、むしろ自らも進んで荒らすばかりか、あろうことかその責すら中央に、王家に、女王陛下へとなすりつけている。狡猾極まりない狐狸よ」
そう前置きしてからシュッタルナは一つ一つの具体的な事例をあげてゆく。
シラハはシュッタルナからの話に耳を傾け、その実感を共有する事で、己の中の“冷酷さ”のスイッチを入れてゆく。
思う。
――州総督アンムラピは紛れもなくフェニキシアを蝕む大病である。
殺める対象が”“王国の敵”である事をシラハは理解した。
当惑していた若い娘の心は覚悟を帯びた刺客の心へと変貌を遂げていた。
黒い瞳が鋭さを帯びている。
アンムラピに関する話を最後まで聞き終えた時、シラハの肚は、完全に決まっていた。
「――わかりました。銀刃シラハ・フルーレンの名に誓い、受けます、その暗殺計画を」
かくてシラハはアンムラピ暗殺計画へと加わり、フェニキシアの悪徳貴族派閥と女王派閥との暗闘に、大きな影響を及ぼしてゆく事になる。
成功度:大成功
獲得実績:アンムラピ暗殺計画に参加を表明した