シナリオ難易度:易しい
判定難易度:普通
春の川沿いの街道脇、緑成す草原に十台の馬車が連なっていた。
蒼天の高い所で太陽が柔らかい光を放っている。
<<どっちをやるか、って?>>
若々しくよく通る声が味方の念話領域に響いた。
御者を務める一般兵達が慌てて馬車の向きを変え後退せんとしている。しかし、積み荷を満載した馬車十台である。小回りが利かない。おまけに密集している。方向転換に手間取り、輸送隊の後退速度は牛歩の如く鈍重だった。
一方の『眷族(ゲノス)』達はゆったりと迫って来ているように見えて、接近速度の実際はかなりのものだ。一歩のコンパスが長い。
馬の嘶きや焦りを滲ませた兵達の怒号が飛び交っている。
<<そうだね……筋肉のでかい方を貰っていいかな>>
そんな中、ペースを乱さずに語る声の主は、年の頃十五歳程度に見えるアンスロポス(人間)の少年であった。
目を惹くのはミディアムカットにされた雪のように白い髪だろうか。身の丈は三クビトと十八ディジット(約168センチ)ほど。やや細身だが筋肉質に鋭く締まった体躯をブリガンダインで鎧っている。
脚にはグリーブ、両手には籠手を嵌め、左の前腕を盾裏の革帯に通しつつ取っ手を握りラウンドシールドを保持している。
名をハック=F・ドライメン、今は壊滅したドライメン傭兵団出身の若き剣士である。
傭兵というには覇気を感じさせない、ぽやんとした印象を与えがちな少年だったが、この危急にあっても動揺を見せない落ち着きは、彼が正規の戦闘訓練を積んだ剣士である事の片鱗をうかがわせていた。
まだ慌てる程の時間ではないと知っている。
そんなハックが剛鬼を受け持つ事を告げると、
<<了解です。では細い方は私が>>
聖堂騎士レシアは頷き、ソプラノの声を念話領域に響かせた。
白髪の少年は灰瞳の少女を緑色の瞳で見据え、
<<お願いするよ。でもレシア、あの蒼い光のゲノスも手ごわそうだ。やられないように気を付けてね>>
<<手強い、ですか……そうですね、確かに、わかりました。慎重に戦います。行きます!>>
騎士少女は長剣と円盾を構え『眷族(ゲノス)』へと向かい駆けてゆく。
後退中の馬車を守らなければならないから、あの二体を近づけさせる訳にはいかなかった。
<<了解>>
ハックもまた駆け出す。あっという間にレシアと並び、そして追い抜いた。まさに風の如き、獣の如き速さだ。
疾風の少年は駆けながら身を捻り、腰から剣を引き抜く。雪のように磨かれた白い刃が、蒼空に浮かぶ太陽からの光を照り返し、眩い閃光を放った。
心剣【ブラッシュ】、刃渡り一クビト半強(約80センチ)程の刀身を持つ片手用ブロードソードだ。
その刃は持ち主の心が落ち着いている時は白色だが、感情変化に呼応して色を変えるという。
十五歳の少年剣士の白い髪が、風圧になびき後方へと流れてゆく。彼方より迫るゲノス達との距離がみるみるうちに詰まってゆく。
黒い巨大な影達だ。体長は八クビト(約4メートル)はあるだろうか。
うちの一体、爪と瞳から赤黒い光を煙のように立ち上らせている。
猫背だが筋骨隆々で、太い筋繊維が剥き出しになっている。
見るからに頑強でパワーのありそうな相手。
かつてドライメン傭兵団で教わったことだ。
装甲のある相手には、純粋に火力のある一撃を見舞えと。
それは、ハックの得意分野だった。
パワー型である敵にとってもそれは同様の事だったが――ハックは装甲を活かした立ち回りを得意としている――まずは早目に決着を付けてレシアの援護に回りたかった。
「さぁて、かかって来いゲノス。遭遇して不運だったのは、果たしてどちらだったかな」
少年は言葉と共に精神エネルギーを燃やし、右手に持つブラッシュへと霊力を収束させてゆく。
ブロードソードの刀身が高まる霊気に呼応し、白く眩いオーラを放ち始める。
ブラッシュの輝きが最高潮に達した時、白髪の少年剣士は白光の剣を裂帛の気合と共に一閃した。
ドンッ! と、重く低く大気が破裂するような轟音と共に、振るわれた剣の軌跡より三日月型の閃光波が勢い良く飛び出す。
鋭く走った白き光の剣閃は、彼我の間に横たわる長大な空間を唸りをあげながら一瞬で制圧し、漆黒鬼の巨躯に激突、盛大な爆裂を巻き起こした。
前に突き出された剛鬼の腕がプルプルと震え、黒い筋繊維が見る見るうちに赤黒く膨れ上がってゆく。防御はされたが確かなダメージを与えたようだ。
猫背の黒鬼が鳥の嘴の如き口を上下にガバリと大きく開いた。怒りとも苦悶ともつかぬ尾を引く咆吼を発しながら、顎の奥より蒼白い光を灯らせる。
――何か、来る?!
敵の挙動を見逃さず、目敏く危機を感じ取ったハックは足を止め、左足を前に半身・前傾の姿勢を取った。左腕に備えている円形盾を素早く前面へと翳す。
異神の眷属の咥内より赤黒い光が溢れ出した。
光は瞬く間に直径四クビト(約2メートル)にまで膨れ上がると、次の刹那、轟音と共に一直線に伸びた。
迫る巨大な赤黒光がハックの視界を塗り潰してゆく。
その時、翳された円盾より光が生じた。
ラウンドシールドを中心に光が伸び壁の如くに急速展開されてゆく。
次の刹那、雪のように白い光の障壁と血のように赤黒い光波とが激突し光彩が荒れ狂った。白光と赤黒光とが轟音と共に激しく鬩ぎ合いながら、光の粒子を散らし合ってゆく。
短くも凄絶な攻防の末にやがて赤黒光波の側が力尽きたように掻き消える。白髪の少年は盾を払うように振るい光障壁を消すと、前方へと再び疾風の如く駆け出した。鳥嘴剛鬼もまた咆吼をあげながら同時に前方へと駆け出している。
ハックが低く駆け、小山の如き巨体を誇る赤光黒鬼が迫る。
剛鬼が街道を爆砕させながらその大木の如き足で踏み込んだ。
巨大弩砲(バリスタ)から放たれる矢の如く右腕を爆風を巻きながら鋭く突き出す。
雪髪の少年は稲妻の如くに反応した。体を低く半身に捌きつつ盾を傾斜させ、角度をつけ眼前に翳す。
鉄灰色の閃光と円形の盾が激突し、その表面を削り轟音を巻き上げながら逸れ、ハックの後方へと突き抜けてゆく。
「さぁ、僕の一撃はどうかな」
剛撃を鮮やかに受け流した少年は、一歩をさらに低く踏み込むと、精神エネルギーを燃やし霊力を全開に解き放ちながら、体重を乗せて右腕を振るった。
雪白の刃が、燃えるような激しい白光を放ちながら唸りをあげて弧を描き、黒い巨鬼の腹へとその切っ先を深々と喰い込ませた。熱したナイフでバターを裂くように、鮮やかに掻っ捌きながら抜ける。
赤黒い鮮血が、溢れる臓物と共にぶちまけられた。
鳥嘴剛鬼が怒声を発した。
まっとうな生物ならば致命となる傷を負いつつも、燃え尽きる前の火が一際強く燃え盛るが如き勢いで右の灰爪を薙ぎ払うように盾へと叩きつけ、間髪入れず隙間を通すように左腕の爪を雷光の如く突き出す。
ハックは腰を落とし、重心を低くして真っ向から受け止めた。
赤黒の煙光を纏う凄まじく重い鉄灰色の稲妻が少年の胸元へと激突する。ブリガンダインの上から強烈な衝撃が炸裂する。一撃では貫かれはしなかったが、しかし、裏地に打ち付けられている金属片の幾つかの接続が破壊された。鉄靴の底が街道を擦りながら少年の身が後方へと滑り、赤瞳の黒巨鬼が踏み込みながら左右の爪を猛然と振り回す。
赤光が宙に螺旋の軌跡を描く嵐の如き爪撃がハックの身へと襲い掛かり、ブリガンダインの表面が裂かれ裏の小札が爆ぜ、少年の身より血液が溢れ出してゆく。
しかし、グリーンの瞳の少年は壮絶な猛攻に晒されながらも落ち着いて敵の動きを見据えていた。
やがて黒巨鬼の動きが限界に達する。
勢いが弱まったのを見て取ると、白髪の少年は、迫る一撃を盾に角度をつけて受け流しざま一息に踏み込んだ。剛鬼の赤眼を見据え、狙いを澄ませ全体重を乗せ右腕を振るう。
雪白光のブロードソードが掻き消えた。
同時、黒鬼の胸に斜めに深々と致命的な断裂が発生する。
赤黒い色が宙に盛大にぶちまけられ、鳥嘴剛鬼の動きが止まる。鬼の片膝が崩れるように折れる。
振り抜かれた心剣ブラッシュが雪色の刃に血を纏いながら八双に構え直される。
「そうだね……やはり、運が悪かったな、君が」
凶悪な斬れ味を持つ白光が再度弧を描き、巨鬼の首が宙へと刎ね飛んだ。
●
鳥嘴剛鬼を打ち倒したハックは急ぎレシアの加勢へと向かった。
<<正面は任せてくれ>>
慎重に防御気味に立ち回っていたおかげかレシアはまだ倒れてはいなかったが、大分負傷していた様子だったので、少年は前衛を買って出た。
剛鬼相手にハックも負傷していたが、しかしまだまだ余裕があった。
<<助かります>>
レシアは後退するとハックが鋭鬼と切り結んでいる間にハックと自身へと癒しの光を放った。
その後は剣士の少年と共に並んで長剣を振るい、二人は危なげなく鋭鬼もまた仕留めきったのだった。
その後、一般兵達と馬車が呼び戻され解体された(特に強力なゲノスの爪等は武具製作の際、有用な素材になるらしい)黒鬼達は不要な部分は埋められ、必要な部分は馬車の荷台へと積まれた。
「ゲノスに遭遇するとはなんて不運な、と思いましたが、ハックさんがいてくれたのでむしろ幸運だったかもしれませんね。あ、追加報酬は勿論出しますよ」
行軍を再開するとレシアはそんな事を言った。
「それは良かった」
少年は頷き、それから、
「そういえば、さっきの話なんだけど……」
「さっきの?」
「ゲノスが出る前にしていた話さ」
――正義というのは、くだらないものだと思いますか?
少女騎士の問いをハックは思い出していた。
「僕は、そうは思わない」
傭兵の少年は言った。
「だいたいの人は、自分の“正しさ”というのを持つことは難しい。
そういう人にとって、誰かの掲げる“正義”というものは、自分の進む道を決めるにはとてもありがたいものだと思う。
だけど、自分の利益のために他人を利用しようとして掲げる正義は、くだらないどころか唾棄すべきものだ」
翠の瞳の剣士は聖堂騎士を見据えた。
「――だから、せめて目の前のそれが“正しい義”であるかどうかは見極められるといいね。そして、自分がその正しさに納得する事が出来るかどうかも」
ハックの言葉を聞いたレシアは、しばし考え込むようにしてから、頷き、答えた。
「……そう……ですね。確かに、私は、見極めたいです。私の友人は何の為に戦い何の為に死んでいったのか、そこに価値はあったのか、正義の為の戦いなのか、何かの為に語られた正義なのか、私は、私たち聖堂騎士団は、何の為に戦っているのか――この国が進もうとしている険しい道は、歩むだけの値打ちがあるのか。それに私は、納得出来るのか――」
それから灰瞳の娘は出会った頃よりも少しシャキっとした表情でハックを見て言った。
「ハックさんもそういう事を考えながら剣を振るっているのですか?」
「ん……僕? そうだな……僕は、傭兵として今を生きるので精いっぱいだから、正しさとかそういう所まで頭が回らないな」
「これだけお強いのに、余裕無いんですか?」
「フリーランスは不安定だからね」
「そういうものですか」
若くしてそこそこ偉い地位にある聖堂騎士少女は、やっぱりどこかぼんやりした返事を返してくれた。今度のそれは気もそぞろ、というのではなく、世間擦れしていない、という意味合いにおいてだったが。
ドライメン傭兵団は壊滅した。
アドホック傭兵ギルドはとても巨大な組織だから、簡単には消滅する事はないように思える。
けれども大国とて滅びる時は滅びるのだ。
永劫不滅と多くの人々から信じられていた陽の沈まぬ超大国ヴェルギナでさえ、滅びる時は簡単に滅びた。
アヴリオン共和国もそこに本拠を置くアドホック傭兵ギルドも明日も無事とは限らない。
今は先の見えぬ暗黒の時代なのだという事を、滅びた傭兵団の少年剣士は骨身に染みて知っていたのだった。
成功度:大成功
獲得称号:ドライメン傭兵団の少年剣士
獲得実績:聖堂騎士レシアの悩みを晴らした