ヘリオタイ、つまりトラペゾイド連合王国を主に構成する人々は言う。
我々に流れる血はヴェルギナと同源にして上等高貴なものであり、野蛮なゼフリール島の原住民達とは違うと。
だから、我々は野蛮人達の主人になる権利があると。
(ふざけるな)
ユグドヴァリア大公国の若き大公ソールヴォルフはそう思う。
(侵略者どもが。我等の祖先と貴様らの祖先、真に野蛮だったのはどちらだ?)
ソールヴォルフ、そして多くのユグドヴァリアの民達が、島の『ハイロード』を名乗るトラペゾイド連合王国に対して抱く思いはそれだった。
元々は島の外から来た余所者の癖にゼフリール島の主人面するのは気に入らないが、最も気に入らないのは、その主人面できる地位を自分達独力で築いたのではなく世界帝国ヴェルギナという超大国の武威を後ろ盾にして掴んだ事だ。
いわば、かつてのトラペゾイドは虎の威を借りる狐だった。
そうして島の住民達から利益を搾取して肥え太り、今の時代となっては島随一の力を手にしている事が、ますます腹立たしい。
現在のトラペゾイド連合王国の軍事力はゼフリール島内最強だ。それはソールヴォルフとしても認めざるを得なかった。
(だがヴェルギナ帝国は崩壊した)
トラペゾイドの後ろ盾であった超大国ヴェルギナは皇帝や後継者達が軒並み死んだ事により後継者争いで分裂し事実上崩壊した。
もはやゼフリール島で何事かが起こったとしても、大陸の凶悪無比なるヴェルギナ帝国軍が島に押し寄せて来る事は無いのだ。
おまけに、異神の軍勢がエスペランザ諸島を抑えた為、ヴェルギナ帝国の狗であるトラペゾイド連合王国は連絡を断たれ、島内で孤立している。
その報せを受けた時、若き大公は、
(これは、千載一遇の好機なのではないか?!)
天祐であると大いに喜んだものである。
「ゼフリール島はゼフリール島民の手によってこそ治められるべきだ!」
ソールヴォルフは常日頃からその想いを抱いていたからだ。
自分達の運命は自分達で選び決する、それこそが奴隷ではない、一個の独立した人間というもののあるべき姿ではないのか。
トラペゾイドは強力ではあるが、大陸からの援軍が来ないのであれば、ユグドヴァリア、ガルシャ、フェニキシアの三国が同盟し連携してあたれば、決して倒せない相手ではない。
――ゼフリールをゼフリールの人間の手に取り戻す時が来たのだ。
大公はそう信じた。
そして、その為に計画を練り、動き始めていた。
だが……計画は実行に移される前に破綻した。
ガルシャ王国が大陸から逃亡してきたアテーナニカとかいう皇女をあろうことか主人に担ぎ上げて皇帝に即位させ、その臣下に降ってしまったからである。
ソールヴォルフには理解ができなかった。
「折角、世界帝国が崩壊して、その支配から解放されたというのに、何を好き好んでむざむざまたヴェルギナの皇族なんぞを主君に推戴してその支配下に入る?!」
おまけに、凶悪無比極まりなかった前帝国とは違い、皇女とやらは無力なただの小娘なのにである。
「……さては、イスクラの昼行燈ジジイめ、皇女にたぶらかされたか?」
国内外で『昼行燈』と軽んじられているガルシャ王イスクラであったが、ソールヴォルフ個人としてはそこまで愚かな王ではないと見ていた。だが、あの爺さんも歳を取って耄碌してしまったのかもしれない。
――ならば、ジジイの目を覚まさせてやる必要があるな。
『雷狼』の異名を取る若き大公は赤眼を鋭く細めた。
――もしも殴りつけても正気に戻らぬのであれば、棺桶に叩き込んでやるまでだ。
帝国を名乗ったようだが、実態はガルシャでありガルシャ王国は小国、名ばかりの帝国だ。ユグドヴァリアの大兵力を以ってすればその攻略は容易い。
ゼフリールの北方に君臨するユグドヴァリア大公国は数多くの勇猛なる強者を抱えた大国である。
歴代のユグドヴァリア大公は、いつかトラペゾイドを倒し、その支配下から脱却せんと面従腹背にて虎視眈々と牙を磨き続けて来た。
故にユグドヴァリアのその軍事力は世間に知られているよりも遥かに強大なのである。
さすがにトラペゾイドには劣るが、ガルシャやフェニキシアと比較すれば大幅に勝っている。負ける訳が無い。
(ガルシャにはジシュカが居るが、逆に言えば、名将と呼べるのは奴だけだ。それに衆寡敵せず、戦は数で決まるものよ。いかにあの雷神といえども、圧倒的な数的不利は覆せまい。戦略的優位は戦術的優位に勝る。フェニキシアと連携して南北から攻め入れば、勝利は間違い無しだ)
そうしてガルシャを切り取って従えた後、フェニキシアと共にあたれば、トラペゾイドを倒す事は十分可能だろう。
ただ、ガルシャに攻め入った時にトラペゾイドがどういう動きをするかが気になる所ではあった。
しかし、ソールヴォルフはあの国がガルシャに味方して血を流す事はあるまい、と判断していた。
上王であるピュロス個人が戦略上の理由からガルシャに味方しようとしても、ヘリオタイ達は賛同しないだろうからだ。
あの国はトップ一人だけの意志では動かせない。
ヴェルギナを名乗った所で、実態はゼフリールの地元民の国であるガルシャを上座に置く事などヘリオタイ達は認めようとすまい。
新皇帝はガルシャ王国を基盤として新帝国を興した以上、ガルシャの王と諸侯に配慮する必要が必ずある。故に新帝国が勝てば、ガルシャこそが上となり、トラペゾイドは下になる。
それを長年ゼフリールの諸民族は下等で、自分達こそが上等、としてきたヘリオタイ達が到底許容出来るとは思えない。
ソールヴォルフは直接に国境を接する隣国の民達がどういう気性をしているか良く知っていた。
(特権に胡坐をかいた高慢な軟弱者どもが)
厳しい北の大地に生きるユグドヴァリアの民達と比較すれば、他国の民は大抵は『軟弱者』という部類になってしまうのだが、北国の男達の中でも指折りの戦士である『雷狼大公』ソールヴォルフにとってはそういう基準であった。
ともあれ、ソールヴォルフは側近にガルシャ王国を攻める旨を告げた。
すると、
「……たぶらかされてる? 連中がそんなタマですか? あの古狸の老王や曲者揃いのガルシャ貴族達を、大陸のお上品な宮廷で蝶よ花よと育てられた小娘がたぶらかせるとは到底思えやせんがね」
側近はソールヴォルフの見立てに対して懐疑的だった。
「皇女とやらは逆にガルシャの傀儡にされてるだけでしょうよ。逃げ場がもう『この世の最果て』くらいにしか残されていなかったのでしょうが、哀れな事です」
もし皇女アテーナニカがまかりまちがってユグドヴァリアへと逃げて来ていたら、それは例の輩へと引き渡す運びになっていた。
例の輩どもを好んでいる訳ではないし、与している訳でもないが、長年ゼフリール島を圧迫し支配し続けて来たヴェルギナの連中よりはマシだ。
しかし、ソールヴォルフは側近の言に対し首を振った。
「皇女が傀儡? いーや、イスクラのジジイはこの場面ではそういう事はせんだろうよ。あのジジイはなんだかんだで甘いヤツだ。追われて追われてこの世界の最果ての国まで逃げて来た哀れな娘を、その足元を見て自国や己の野望の為に無理やり傀儡にするような真似はしない」
確たる証がある訳ではなかった。
だが、幼い頃から隣国の王と付き合いがあった大公は己の考えを疑ってはいなかった。
「世界帝国の後継を号し、皇帝となってゼフリール島の再征服に乗り出したのは、他ならぬ皇女自身の意志だろうよ。『かつての黄金の世界帝国の再興を』だと? お前、その意味がわかるか?」
「意味……ですか?」
怪訝そうな側近に対し若き大公は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「それは『この世界を征服する』という言葉と何が違う」
側近は少し考えた素振りを見せた後、頷いた。
「……言われてみると、それは確かに、そういう事になりますね」
なんたって世界の八割以上を制覇していた超帝国である。それを復活させるというのなら、これはもうほぼ全世界を征服しようとするのに等しい。
「間違いない、イスクラじゃない、世界征服なんてクソな事を言い出すのは昔っからヴェルギナの皇族連中に決まってる。舐めやがって」
ソールヴォルフとしてはそう思う。
「決まってる、ですか……まぁ、確かに、分厚い人の歴史を紐解いても、世界の八割以上を制覇したのはヴェルギナの一族だけですね。普通の人間は、そんな事をやろうとすら思わない。しかし、手中に帝位第一位の継承者が転がり込んで来てイスクラに魔が差した、という可能性は」
「限りなく低いだろうよ。考えてもみろ、イスクラジジイは俺が産まれる前からガルシャを統治しているが、そのウン十年の治世でそういう類の謀をやった事があったか? 少なくとも俺の知る限りでは一度も無い。だから、それでもやったって事は、ジジイの方が皇女にたぶらかされたんだ」
ふん、とつまらなさそうに赤眼の青年は鼻をならした。
「馬鹿なジジイよ、その治世、長らく賢明と共にあったのに、ここに来て小娘に目を晦まされたか」
「はぁ……大公様はヴェルギナの皇族とイスクラ王のご気性についてお詳しいのですね」
「ユグドヴァリアの大公様だからな。だからむしろ、そのアテーナニカ皇女ってのを、あんまり甘く見ない方が良いぞ。傾国のジジイキラーだ。ガルシャ、引いてはゼフリール島を乱す、一代の毒婦だ」
「左様ですか」
側近は『まーた大公様が奇天烈な事言ってるよ』とでも思ってそうな不審気な面持ちだった。彼はソールヴォルフの言う事をしばしばあんまり信用しない。
が、問題はなかった。それでもやれとソールヴォルフが言えば彼は従うからだ。ユグドヴァリアは大公の権限が強い。
「まぁ真実が奈辺にあるにせよ、ソール様がおっしゃるように、ガルシャがヴェルギナの毒婦にたぶらかされてるって事にして、それを正すという口実で攻め込むのは悪くないとは思いやすぜ。ガルシャは小国ですが天険に囲まれ地味は豊か。これを呑み込めればユグドヴァリアの力は飛躍的に増します。そうすれば我等こそがゼフリール島の覇者になる事も夢ではない」
「ふふん、夢で終わらせるつもりは毛頭無いな。ガルシャは騙されやすい節穴どもだし、フェニキシアは軟弱でイマイチ頼りにならん、俺達こそがこの島の主人となって、ゼフリール島民の真の独立を果たすのだ」
北国の雷狼大公ソールヴォルフは頷き、牙を剥いて笑った。
その後、側近と同様に国内からの賛同を得た大公は、フェニキシアへと正式に使者を送って(密約はその前に取り付けていた)軍事同盟を結び、ヴェルギナ・ノヴァへと宣戦を布告した。
ソールヴォルフはそうして大軍を率いてガルシャへと攻め入り、そして――プレイアーヒルの戦いにて『ガルシャの雷神』ジシュカの前に大敗を喫してしまうのだった。