シナリオ難易度:難しい
判定難易度:難しい
墨に浸されたような暗黒だ。
黒の中に白や蒼や赤に紫、色とりどりの小さな光達が点となって、無数に浮かび、宝石のごとく綺羅に煌めいている。
春の星河だ。
一際大きく、眩く、輝いているのは満月、そして災禍を呼ぶという伝説の、朱き凶星メガリ・コキノスである。
月下の闇の荒野には、焚き火と、投げ捨てられた松明の火が転がっていた。
平野を吹き渡る夜風にゴウと揺れながら赤く赤く燃え盛り、周囲へと炎光を投げかけている。
燃える大地から上がる炎の光の中、甲冑姿の男が闇を背負いて、全長二クビト足らず(約90cm)程度の長剣を両手で握り構えている。
剣術の心得がある者なのだろう、普通の握り方ではなく、指と指の間隔を独特にあけた特殊な握り方をしていた。
バイザーが降ろされた兜から覗く青い瞳が炎光を照り返しぬらりと輝く。
(あ、これヤバいかも)
いとけなさを顔立ちに残した少女の表情が引き締められる。
先日十六歳になったが、外見的には十二歳程度にしか見えない小柄な娘ケーナ・イリーネだ。
胸上程度まで伸びている長い栗色の髪を持つ元名家の令嬢は、リスティルと賊とのやりとりの間、耳をそばだて、息を静め、心を澄ませていた。
音、そして霊圧の揺らぎ。
周囲にあるほんの僅かな違和感をも掻き集めんと意識を研ぎ澄ませている。
膝を軽く曲げ、茶色の革鎧に包んでいる華奢な身を前傾させる。
ガントレットに包まれている白い細腕を肩越しに背後へと伸ばす。背負っている剣の柄を掴む。
細身の剣ではあるが、祈刃の柄は頼もしい重量感を籠手越しに右手に伝えて来た。
傭兵少女は夜空に輝く紫星にも似た、炎の赤光に煌めく瞳で、じっと正面の男達を見据えながら、ゆっくりと革鞘から霊鋼の刃を引き抜いてゆく。
刃が走る音が小さく闇に響いた。
<<私の直感が、敵のうち三人以上……もしかしたら五人、多分祈士だって言っています>>
ケーナの感覚は正面、炎光に照らし出されている三人だけでなく、他の気配も察知していた。
先程、闇から矢が飛んできていたから一人がいるのは確実で、しかしまださらにもう一人が、いる。
焚き火の付近にいる為、闇が濃く、一瞥を走らせただけでは影と闇の区別がつけられない。
巧妙に霊的気配を抑えている為、霊圧も感じ取りにくい。
しかし、おそらくいる。
そしてきっと――全員が祈士だ。漠然とだがそんな予感がする。
念話を発すると、行商人に扮している赤毛の女は、短剣を逆手の握りで構えつつ、
<<……五人? なるほど、四でなく五か>>
良く当たる直感の事は道中で既に話してある。
『五感や霊圧によって細微な揺らぎを感じ取り、そこから本能が無意識的に判断しているのかもしれんな』
と彼女はケーナの勘に対し述べ、その力を疑うような様子はなかった。少なくとも表面上は。
<<はい、正面の三人と左から矢を放ってきた者の他にも一人、左の闇の奥にいます>>
正面三人を囮とし、矢も囮、本命は恐らく気配を殺しきれていないもう一つ。
そして五人全員が祈士。
――で、あるなら、間違いなくただの野盗ではない。
帝国の差し金か、あるいは他勢力がバックについているのか、疑念が湧いて来るところだ。しかしリスティルは無言だった。
ケーナもまた、
(迷ってる場合でもないし、後のことは後で考える!)
相手が何者であろうが、背後に何がいようが、まずはこの窮地を切り抜けなければならない。
思いついた作戦のうち最も成功率が高そうなものをリスティルへと提案する。
依頼人である北国の女兵士は「了解」と簡潔に返して来た。
彼女も迷っている場合ではないと恐らく知っている。
甲冑姿の男が動いた。
金属鎧の関節がこすれ、具足が土を抉る音が鳴る。
鎖帷子で隆々たる巨躯を包む大男もまた戦斧と円型盾を手に鎖を鳴らしながら突撃を開始し、柔革鎧を着込んだ小柄な女もまた小振りな刺突剣を手に風のごとく走り出す。
<<行きます!>>
ケーナは彼等が迫り来るより前、その出鼻を挫くよう素早く霊力を解き放った。
オラシオンの先端より眩い輝きを出現させ風裂く弧を描いて一閃。宙に残光を曳きながら振り抜かれた剣より光球が投射され飛んでゆく。
「ちっ!」
男が即応し、甲冑の重量を感じさせぬ機敏さで、素早く大きく身を捻り傾ける。鋭く飛んだ光球は、しかしそれでも逃し切りはせず、男の脇腹を掠めるよう喰らいついた。
瞬間、夜をも昼に変える程に強烈な純白が、膨大な光量で瞬く間に周囲へと広がる。
見る者の目を灼き、意識を消し飛ばす光。
この光は敵味方を区別しない。術者自身にさえも等しく害を成す。
しかしケーナは、閃光弾を放った直後さらに霊力を爆発的に開放、地を爆ぜさせながら飛び出していた。左方、西側へと瞬間移動したがごとき速度で駆ける。リスティルもまた西側へと向かい縮地で駆けている。
刹那の間に膨れ上がった光が周囲の闇を押し退け、掻き消えるがごとき速度で加速したケーナとリスティルはともに閃光の範囲から逃れている。
前方、長弓を手にし、腰に矢筒を提げ、背に剣を負ってる中年の女の姿が見えた。
傍らには銃剣付きの筒――マスケットライフルだ――を手にした若い男の姿も見える。
闇が戻る。中年女の右手に光が生まれてゆく。その光と満月からの明かりがあった為、見失いはしなかった。
ケーナは姿を現した直後に再び地を濃茶色の革のロングブーツの底で抉りつつ姿を掻き消す。夜風を裂き、セミロングの栗色の髪と茜色のミニスカートの裾を靡かせつつ弓使いの女へと迫る。黒いレギンスを穿いた娘は、振り返らずに記憶を頼りに勘で狙いをつけ霊力を発し、大地に干渉して見えざる霊糸を出現させる。
甲冑男、巨漢、刺突剣女の三者の足元から霊気が伸びあがってゆく。地霊縛だ。
中年女が雷光のごとく素早く、弓矢を引き絞るというよりは、弓弦に矢を引っ掛け弓身を前に押し出すようにして矢を撃ちだす。速射の撃ち方。
霊気で形成された矢が光と闇を裂いて飛び、ケーナへと迫る。
――頭数の差がある。
強引にでも速攻したい。
つぶらな紫瞳を見開き意識を極限まで集中させている少女は、危険を承知で真っ直ぐに突撃しながら、小柄な身を地を這うほどに前に倒し低く沈めた。閃光が頭上ギリギリを掠めながら後方へと突き抜けてゆく。
転倒しそうになる身を右足を素早く大きく前に出して大地を踏み締め支え、籠手に包まれている左手を伸ばす。荒野の土を指先で削りながら進路上に落ちている小石を掴み拾い上げつつ、さらに前へと駆ける。
女の左手が素早く動いた。弓身が、その大きさを増し正面よりケーナの顔面へと迫って来る。
投擲。
ケーナに対し弓を投げつけた女は、間髪入れずに素早く肩の後ろへ右手を伸ばし背負っている剣の柄を掴み、鞘走らせてゆく。
低い姿勢で駆けるケーナは、伸びあがるように上体を起こしつつ――飛来した弓は避けず、胸元に直撃するに任せながら――左手に握った小石と土を投げつけた。
土が飛散して広がる。石礫が女の顔面へと迫る。
女は反射的に瞳を細め身を捻り、顔を逸らしながらも――土が女の身にかかり、石礫が女が纏っている障壁を掠め、空間に水面を叩いた時のような揺らぎを発生させながら弾き飛ばされてゆく――長剣を抜き打ち、抜刀ざま振り下ろす。
ケーナは勢いを止めず、倒れ込むような姿勢と勢いで猛進する。
振り下ろされた刃がケーナの頭部を掠めつつ左の鎖骨付近に炸裂、しかし薄茶色の革鎧を斬り裂ききる事はできなかった。
刀身の根元付近があたる間合いであった事と片手打ちであった為に威力が弱く、さらに薄手の霊鋼片が内側に仕込まれていた為だ。
霊気を纏った少女はそのまま止まらず、長剣の強烈な衝撃に息を詰まらせながらも、右肩から相手の腹へとぶちあたった。
弾丸のように突っ込んで来た小柄な少女と中年女の身が激突し、凄まじい衝撃が巻き起こる。
小型で体重が軽い少女ながら速度が乗りに乗ったその衝撃力の前に、さしもの精鋭祈士も態勢を大きく崩し、たたらを踏んで後退する。
ケーナは密着しながら前に出つつ、ガントレットに包まれた左手を伸ばし、中年女が右手に握っている剣の十字鍔を掴んだ。
引く。
強い抵抗が返って来る。
奪い取れない。
――気配が一つ斜め後ろから迫ってきている。
ケーナは生命力を燃やした。これまでの間にも、一シーク(約1秒)に満たない時の間に、常人の目にはまさに止まらぬ目まぐるしい攻防を高速で繰り広げていたが、飛躍的に霊力を高め、さらに動きを猛加速させてゆく。
怒涛の稲妻と化した少女は、小振りな細身剣の刃を女の右手首に押しつけ滑らせた。
女が目を見開き表情を強張らせる。皮膚と腱と骨肉とが深く斬られてゆく。
真っ赤な鮮血が溢れ出すよりも前、ケーナはすかさず再度、左腕に力を込め引いた。女の手の中から柄が滑り出る。少女は引き抜いた剣を流れるように後方に放り捨て、霊光を収束させた片手剣の柄頭を間髪入れず女の胸元へ振り下ろす。
強烈な衝撃が炸裂し、祈刃をすべて手放し常人とそう変わらなくなった女はたまらず吹き飛んでゆく。
直後、ドンッという大気を振動させる重低音が鳴り響いた。
悪寒を感じたケーナは咄嗟に後ろに跳ぶ。
眼前を三日月状の光波動が突き抜けた。
着地したケーナは、間髪入れずに素早く身を翻しつつ再度ステップし、栗色の髪を闇に靡かせながら駆け出す。
光が流星の如く次々に飛来しケーナの脇を掠め抜けてゆく。大地が次々に爆砕され、爆音を轟かせながら闇の中に土砂を吹き上げてゆく。
首(こうべ)を巡らし見やれば、甲冑姿の首領らしき男と戦斧の巨漢は、焚き火と松明に照らされている最初の位置からあまり動いていなかった。地霊縛が効いているらしい。破神剣を放っているのは彼等か。
しかし、
(さっき近づいてきていた気配は?)
至近から殺気が膨れ上がった。
振り向くと、柔革鎧に小柄な身を包んだ若い女が眼前にいた。
女は肘を曲げて手首を捻り剣握る手の平を天へと向け、刺突剣を地と水平に、その切っ先を真っ直ぐにケーナへと向けている。
爆発的な踏み込み。
白い光が閃く雷光のごとく少女の喉元へと伸びて来る。
ケーナは咄嗟に膝から力を抜き曲げた。
少女の身が斜めに傾く。光が首の端を掠め、皮と肉を斬り裂き、髪を押し退け一部を裂きながら空間を突き抜けてゆく。
首から鮮血が溢れ出すより速く、スモールソードの女は平突きに突いた細剣を、間髪入れずに横に動かしケーナの首筋へと押し当ててきた。そのまま一気に身を捻り、体幹を使い刃を滑らせる。
切り落とし。
水色の、氷のような瞳が、月下の闇の中で冷たく輝きながらケーナを見据えている。
滑る刃が少女の首を斬り裂きながら深く喰い込んでゆき――直後に横合いから迫り来た鋼と激突、甲高い音と共に弾かれる。
ケーナが咄嗟に振るった片手剣だ。
栗色の長い髪の元令嬢の首から赤い血が盛大に溢れ出てゆく。
冥府の河が見えかけたケーナだったが、しかし彼女は狼狽していなかった。精神を研ぎ澄ませたまま紫色の瞳で革鎧の女を見据えつつ霊力を解放、右から左へと振るった片手剣を握る手首を間髪入れずに返し、身を捻りざま水平に三日月を描くように左から右へと横一文字に薙ぎ払う。
同時、解放された霊気が働いて大地より見えざる霊気の糸が、倒れている弓使いの女の身へと伸び絡みついてゆく。
刺突剣の若い女は素早く後方に飛び退いて一閃を回避し、ケーナはすかさず刺突剣女を追い、連撃を仕掛け――ようとしたが、直感に従い咄嗟に横に大きくステップした。
飛来した光波が次々に闇を貫き、大地に突き刺さって爆砕してゆく。
連続して放たれる破神剣をケーナは荒野を駆けながらかわし、すかさず刺突剣女も駆けケーナへと迫って来る。
良く連携されている。
頭数の差を活かした苛烈な猛攻だ。
しかし、地霊縛によって甲冑男と戦斧の巨漢はその場から八スパン(約2m)も動けていなかった。その為、角度をつけて攻撃する事ができていない。
包囲されると死が見えたが、ほぼ固定の位置かつ、味方を誤射せぬタイミングで放たれる飛び道具であるなら――それだけでも大分きつくはあるが――脅威度は下がった。
小柄な女が真っ向より稲妻のごとく刺突剣を突き出して来る。
ケーナは右肩を前にした真半身――斜めではなく体の真横を相手に向ける構え――を取ると剣先を前方に出し、己の片手剣の刀身と相手の刺突剣の刀身とが交差した瞬間、相手の刀身を上から下へと抑え込むように絡ませ、さらにその勢いで左回りに渦を巻くように一回転させ跳ね上げた。
女の剣が勢い良く回転し、手首が捻られてその手の内よりすっぽ抜ける。星空へと刺突剣が高々と舞い上がった。
剣は月光に煌き強い風を受ける風車のごとく高速で回転しながら明後日の方へと飛んでゆく。
ケーナはすかさず崩撃を叩き込んで女を剣の落下方向と引き離すように吹き飛ばし、さらに地霊縛を放つと、踵を返し駆け出した。
見やればリスティルが甲冑男達へと短刀を振り翳して突撃している。マスケット男の無力化には成功したのだろう。
ケーナは手首を抑えうずくまっている弓女のもとへと接近すると、女の腰の矢筒から麻痺毒が塗られていると思われし矢を引き抜き突き刺した。
たちまち女が動かなくなる。
続いて、同様に祈刃を失い只人と変わらぬ状態になっている刺突剣女のもとへと戻ると、こちらへも毒矢を突き刺して完全に動けなくさせた。
急ぎ、リスティルの援護へと向かう。
甲冑男と巨漢は地霊縛から解き放たれて動けるようになっている様子だったが、リスティルを圧倒できてはいなかった。五分程度だろう。
片手剣を背の革鞘に納め腰ベルトからメイスを引き抜く。
甲冑と鎖帷子相手には細身の片手剣よりは鈍器の方が有利に立ち回れそうだと感じた為だ。
<<もう逆転は無理でしょ? 降参してくれたら楽なんだけど>>
メイス片手に接近しつつケーナは敵味方共通の領域へと念話を発した。
すると、
<<ユグドに降伏するくらいなら斬り死にした方がマシだ!>>
甲冑男は拒否を叫び、巨漢も無言ながら戦闘の手をやめない所をみるに同感の様子だった。
ユグドヴァリアの司法の苛烈さは犯罪率を低下させていたが、それと同時に一旦犯行に踏み切った場合、とことんまでやらせる傾向も強くなるらしい。
まぁその是非については、ケーナが思考するところではなかった。
賊に対しても大公国の法に対しても、正しいも悪いも考えていないし、どうでも良い。
人それぞれ事情はあるだろうし、とやかく言わないのがケーナのスタンスである。
<<そう。まぁどの道、殺しはしないんだけどね。生きて裁判を受けてね>>
<<畜生!>>
ケーナはリスティルと共に戦い、鈍器を振るって男達を無力化すると、五人全員に霊鋼製の拘束具をはめて満足な身動きを封じ、捕らえたのだった。
●
戦後。
ケーナは手首の傷が深い弓使いの女へと癒しの光を使って応急手当し自身も集霊法を使用して首の傷を塞ぎ、多少切られてしまっていた髪を元通りに再生させた。
「無事で良かった~って感じですね!」
一通りの処置を終え、緊張から解放されるとケーナは口調を少しゆるめて言った。
リスティルは処置の間に焚き火で沸かした湯を使って淹れた茶を注いだ杯をケーナへと差し出しつつ「うむ」と頷き、
「しかし、こいつら何者なのだろうな。これほどの祈刃を運用できる祈士が五人も揃って何故、野盗などをやっている? やれている? どうやって性能を保っているのだ? ありえない。被害が相次ぐわけだ。普通の商人が対抗できる訳がない」
「何ででしょうね? 国家に所属するのが嫌でフリーダムな山賊王になるのが目標な人達とか?」
ケーナは「あ、いただきます」と茶杯を受け取って口をつけつつ深くは考えなかった。
考えても仕方がない事は考えない。
それよりも地霊縛は今までイマイチ有用性を感じていなかったが、状況によっては結構使えるかも、なんて事を考えはじめていた。
テキトーを言っている気配が伝わったのだろう、リスティルは目蓋を半分閉ざした瞳でケーナを見てから茶を一度啜り、
「可能性はゼロとは言えんが、無いな。普通に考えればガルシャの連中の差し金であるのが最右翼だが……」
「違う気がしてるんです?」
「うむ。まぁ詳しい話はあとでこいつらから聞き出すとしようか。幸い、五人全員生きている。ヴァルハの役人に引き渡せばその道のスペシャリスト達が何がしかを聞き出してくれるだろうさ」
かくてケーナはリスティルと共に荷馬と拘束具で繋いだ賊達を引いてアヴリオンまでゆき、積み荷を大公国ゆかりの商会へと預けると、次元回廊を通ってヴァルハベルグへと戻り捕虜を軍へと預け、依頼を終えたのだった。
成功度:大成功
獲得称号:不殺の盗賊祈士撃退者
獲得実績1:五人の盗賊祈士達を返り討ちにした
獲得実績2:五人の盗賊祈士達を全員生かして捕虜にした