シナリオ難易度:無し
判定難易度:普通
翼を広げた渡り鳥の紋章を看板に掲げる祈装傭兵組織アドホック。
その本部、酒場にもなっている一階は、年明けである本日も傭兵達で賑わっていた。
(大活躍、かぁ……)
活気溢れる場の、卓の一つに着いている真っ白な髪の少年剣士は、一瞬過去を振り返るようにエメラルドにも似た緑瞳を遠くへと向けた。
細身だが筋肉質な身を持つ十六歳の少年ハック=F・ドライメンである。
活躍、その評価に対し思う所がハック自身では色々とあった。
しかし少年は微笑すると、
「ありがとう。明けましておめでとうございます、今年もよろしく」
眼前のルルノリア嬢へとひとまず年始の挨拶を返す。
「飲食代は持ってくれるの? じゃあ肉食べようかな。干し肉じゃない、新鮮な肉を」
艶やかに長い黒髪の少女もまた琥珀色の瞳を柔らかく細めて微笑し、
「はい、ご遠慮ならさずドーンと注文しちゃってくださいね。お肉お好きなんですか?」
と小首を傾げ尋ねてきた。
少年は若々しく良く通る声で答える。
「うん、それもあるけど、身体づくりには肉とミルクが一番って、ドライメンの先輩も言ってたからね」
ハックの身の丈は現在およそ三クビト十八ディジット(約168cm)だが、良く食べて飲んでいればまだ伸びるだろうか?
「お肉とミルクが良いんですか。ああ、そういえばレノス派の医術書にもそんな記述がありましたね」
ゼフリール島の人々は体験的に人の身体は何を食べればどうなる、というのを先祖代々から伝え聞いて知っている。しかし確たる体系的な学問として一般に広く知られている段階にはなかった。なので民間での扱いとしては信仰に近い。
「ハックさんは普段の食事からも気を遣っていらっしゃるのですね」
「まぁ身体が資本の商売だからね、ほどほどには。そんな事言ってられない場合も多いけど、良い物食べられる時はしっかり食べとこうとは思うよ」
そんな会話を交わしつつ、ハックはやってきた給仕の少女へと肉料理と牛の乳を頼んだ。ルルノリアも同じものを注文する。
やがて程よい具合に焼かれた湯気立つ厚切りのステーキ肉が運ばれて来る。
トラペゾイドのデュシスペディオン産のデュシス牛の腰の部分からとられた上質の肉であるらしい。
少年は銀色に輝くナイフとフォークを右手と左手に持ちステーキを切り分けた。右の刃を動かすと綺麗に肉が切り裂かれてゆく。
ユグドヴァリア等一部の国や地域ではナイフ一本で切り分け未だに手掴みで食べているが、アヴリオンや大陸の諸国ではナイフとフォークを使用するのが一般的である。
特性のタレで味付けされた肉を口に運べば、溶けるように柔らかく、きめ細やかな舌触りだった。そして溢れる肉汁と共に旨味が口内を満たしてゆく。
「んー、美味しいー」
黒髪娘がステーキの味に柔らかそうな頬を綻ばせている。
とりとめのない雑談を交わしつつステーキを平らげ、胃袋もくちくなった所で、ハックは牛乳を飲みつつ切り出した。
「ふぅ、ごちそうさま。それで僕に聞きたい事というのはなんだい? ドライメン傭兵団の食事事情を知りたいって訳でもないよね?」
ミルクが入った杯に口をつけていた黒髪娘は頷き、木杯を卓上に置くと、
「ええ、それはそれで個人的にはお尋ねしてみたい気もしますが、ギルドが知りたいのは、帝国のこれからの動向について、ですね」
とやや表情を引き締めて言った。
「……うん、僕は帝国の人間じゃないけども」
「でもあっちの中枢近くで戦ってたかたじゃないですか。護衛依頼で皇帝の腹心である賢者メティスとも直接お話なされてますし。大体の予想で良いんです。ハックさんはヴェルギナ・ノヴァ帝国は今後どのように動くと思われますか?」
今、アヴリオンの巷では『西の帝国はこのように動くだろう』と様々な予想がなされている。大別すると三つに分かれていた。
足場を固めるか、大々的に攻め込むか、それとも他の方策をとるか。
雪色の髪の少年はしばし考えると言った。
「……まずは内政を重視するんじゃないかな」
琥珀色の瞳がハックを見つめている。
「戦勝したとは言っても、内情がガタガタじゃ話にならないからね」
傭兵の少年はルルノリアへとメティスが戦闘前に語った演説の内容を説明した。
「――賢者メティスの言う“金貨を掴む”というのを、国内の民衆に実感させなくちゃならない」
喧騒の中にも埋もれない、良く通る若々しい声が対面へと響いてゆく。
契約は遵守されなければならない。
報酬があるから傭兵は剣を振るうのだ。それはフェニキシアの兵達とて同様だろう。
約束が履行されなければ、不満が燃え上るだけではなく、以降何を言っても信用されなくなる。
「だから僕なら何を差し置いても、これまで不安定だったフェニキシア王国旧領の安定を図る」
ハックは杯に口をつけた。
仄かに甘い液体を嚥下し、顔を上げ、その緑色の双眸を黒髪の娘へと向ける。
「それに――アテーナニカ陛下の支持基盤は盤石とは言えない」
「皇帝陛下の支持基盤、ですか……確かに、アテーナニカ様はトラシア大陸から亡命してきたヴェルギナのお姫様で、余所者ですもんね」
黒髪娘のソプラノの声が潜まる。
ハックは頷き、
「うん、どうも……ガルシャ国王からの支持はあるようだけど、それ以外からの支持はまだないようだ。そこもなんとかしなければ、今後の外征に差し障りが出るかもしれないな」
「あぁ、なるほど……そもそも、ガルシャの大部分の人達って国の外へはあんまり関心がないのが本来ですしねぇ……」
天険に周囲を囲まれた盆地国家であり、氾濫する大河が産み出す豊かな土壌と実りを持つ国土がその気風を醸成したのだろう。
「そこを陛下の言葉によって本来とは違う方向へと動かして、国外に攻め込んでる訳だからね……」
皇帝と多くの諸侯の間には溝がある。
「不満分子を煽り立ててベールハッダァードを崩したのを、同じ手段でやり返されないとも限らない」
悪政が行われていたフェニキシアとは違いガルシャ国内の統治は現在の所上手くいっている。
だからガルシャ王に何事かがない限りは、諸侯が反乱する可能性は低い。
だがガルシャ貴族達は現段階でもとりあえず南方の脅威は取り除いて領土を拡大しゼフリール島一位の勢力になったのだから、この有利を保ったままもう博打はせずに終戦しても良いんじゃないかと和平工作に走るくらいは大いにありえそうである。
ハックの言葉にルルノリアは「なるほど」と得心がいったように頷いた。説得力を感じる言葉だったらしい。
「……まぁ正確には『しばらく戦争はしたくない』というのが、僕としての本音かな」
ふぅ、と息を吐きつつ少年は笑った。
「だから、いま言ったのは僕の願望。その通りになってくれれば嬉しいんだけどね」
ハック=F・ドライメンはそう言った。
しばらく戦争はしたくない、という傭兵の言葉に黒髪娘はその琥珀色の瞳でちらりと雪色髪の少年の緑瞳を見て、それから何も言わずに木杯に口をつけたのだった。
●
その後、話は南方のフェニキシアに関する事から、ヴェルギナ・ノヴァ帝国の北部を寡兵で守りユグドヴァリア大公国からの攻勢を防ぎ続けている帝国北方軍に関する話となった。
北部軍の中核となっているのはプレア州を治めているガルシャ聖堂騎士団だ。
そして聖堂騎士団の総長を務めているのは雷神と渾名される老将ジシュカである。
名将と謳われる彼の存在があってこそ騎士団は精強たりえているとされるが、その雷神ジシュカの持病が悪化しているという噂が流れているらしい。
「あれって本当だと思います?」
杯を片手にルルノリアが小首傾げ問いかけて来る。
「僕としては、大公国が流した流言であってほしいとは思う」
ハックは思案するように顎を撫でつつ、
「だけど、物事は常に最悪を見据えて動かなきゃならない。僕がプレイアーヒルにいた時も、ジシュカの姿かたちも見なかったし……そこも不安だ」
「あら、ハックさんは雷神とは会ってないのですね」
「うん、僕が応援にいった区画には出てこなかったよ」
傭兵少年は頷いた。
「というわけで、僕はジシュカについてあんまり知らないんだ。もし彼の武勇伝とかあるのなら、軽く聞きたいな」
「あー、雷神ジシュカの武勇伝ですか、山ほどありますよ」
その昔、ガルシャ王イスクラが王となる以前、ガルシャ国内では宗派争いがあり、ジシュカが所属しているリース派は圧倒的に劣勢だった。
リース派の拠点は次々に陥落し、一時期は拠点がプレイアーヒルの丘だけになってしまう程に追い詰められた。
そして滅亡を目前にしてジシュカが指揮官に抜擢された。
絶体絶命の状況からジシュカはリース派の信徒を率いて奮戦し連戦連勝、国内にその名を轟かせた。
ただ、勝ちはしても物資不足が著しく非情に苦しい状況ではあったらしい。
泥沼の戦いだった。
そんな時にガルシャ王となる以前のイスクラが両派の間に立って和平を仲介し、リース派の存続は認められ、プレイアーヒルが正式名『祈りヶ丘に建つリース聖堂を守護する兄弟姉妹達』の領地となった。これが後に渾名されて『ガルシャ聖堂騎士団』と呼ばれるようになる。
この時、ジシュカは和平を仲介したイスクラにいたく恩義を感じ、以降ジシュカはイスクラに忠誠を誓う事になったらしい。
その後、イスクラと彼の弟で争った王位継承戦争でもジシュカはイスクラに味方して獅子奮迅の活躍をしイスクラを玉座へと導いた。
先の異貌の神々との大戦でもガルシャ王国からの援軍として一軍を率いて大陸へと渡り異神皇の軍勢相手に大いに活躍した。
直近ではプレイアーヒルへと攻め寄せてきたユグドヴァリア大公国の大軍を寡兵で撃退したのが有名だ。
「個人的な戦闘能力も尋常じゃなく高いんですけど、兵の動かし方が非常に上手い事でも有名です。特に少数での機動戦が恐ろしく強いとか」
宗派争いの時には特殊装甲を施した馬車を利用しての機動射撃で大軍を翻弄し絶体絶命の危機を打ち破り、大公国との戦いでは寡兵ながらに壁内より出撃し夜陰に紛れて川を遡って大公国軍の後背へと出て奇襲し大打撃を与えた。
正面から普通に戦っても恐ろしく強いが、あの手この手を縦横無尽に使い、予想外の動きや方法で攻めて来るので、相手側からすると非常に戦いづらい恐ろしい将であるらしい。
「武勇伝として有名なのは寡兵での機動戦ですが、大軍の指揮にも優れた方です。実力、名声共にありゼフリール島一の名将と謳われているジシュカ総長が居るからこそ聖堂騎士団はまとまってると専らの評判です。ですのでジシュカ総長が健在かそうでないかで、北方戦線の状況は大きく変動するでしょうね」
ルルノリアはそう話を締めくくったのだった。
●
昨年の仕事で一番印象に残ったのは何だったか、という質問に対してハックはイル・クアン州の平野での女王ベルエーシュとの最後の戦いを述べた。
「そうだな……あの戦いは、結果の上では僕の勝ちだった。だけど、覚悟の上では、命を懸けて戦ったベルエーシュには負けていた、そう思う」
少年はどこか遠くを見るように緑瞳を向けた。
窓から差し込む陽の光を浴びてエメラルド色の瞳が複雑な色合いを見せている。
「だから、アデルミラが彼女を締め落とした時、内心ほっとしたんだ……彼女には感謝しないとね」
ハックは真面目な表情で言った。
「僕は、ベルエーシュのことを弱国に祭り上げられた哀れな人身御供だと勝手に思っていた」
――けど、違った。
「彼女には彼女の覚悟があったんだ」
少年は己の右手の五指を広げると、その掌に視線を落とした。
「僕には、それがまだ足りない。何時か、彼女のようにあれる日が来るだろうか。それとも、そんな覚悟がなくても戦っていいんだろうか」
独白するような少年の声が響く。
ルルノリアは黙って耳を傾けている。
雪色の髪の少年は顔をあげて苦笑すると、
「……しんみりしてしまったね」
「いえ、貴重なお話、有難うございます。やはり剣を持つ方は悩まれるものなのですね。まったく悩まない人も多いですが」
ルルノリアは微笑して礼をし、そう述べた。
ハックは給仕の娘を呼び止めると飲み物のおかわりを頼んだ。とりあえず前進する為の一歩は身体作りからだ。
「――ハックさんは今後ともヴェルギナ・ノヴァ帝国を助力する依頼を引き受けてゆく方針ですか?」
ふと思いついたように黒髪娘が尋ねて来る。
ハックは頷いた。
「僕はまだ、帝国の“正義”を心から信じたわけじゃない」
それでも、
「部分的には納得できるし、それを成し遂げる可能性もあると思う」
今、ゼフリール島ではフェニキシアを制圧したヴェルギナ・ノヴァ帝国が頭一つ抜きん出た勢力となっている。
トラシア大陸の諸国をまとめるというのは先行きがまだまだ不透明過ぎるが、ゼフリール島の統一までは現実的に達成する可能性が十分にある。
このまま良い結果を積み重ねてゆけば、メティスが語った未来に辿り着ける芽はあった。立ちはだかる無数の困難を前に、その可能性はか細いものだとしても。
「だから、僕は帝国の行く末を見届けたい……そう思う」
傭兵少年はギルド受付嬢へとそう言って、給仕が運んできた杯を礼と共に受け取ると、口をつけて飲んだ。
売れている店らしく牛の乳は二杯目も新鮮なもので、ほんのりと甘い味がしたのだった。
成功度:大成功
獲得称号:帝国の行く先を見つめる者
獲得実績:ルルノリア(アドホック)からの質問に答えた