シナリオ難易度:非常に難しい
判定難易度:普通
儘ならない。
ああ、儘ならない。
物事はいつだって儘ならない。
ハック=F・ドライメンは実感していた。
腹を括れば、それを問う出来事が起きる。
この塔上より一望する碧空を流れる白雲のごとく、世は絶え間なく変化し、試練は絶えず迫って来る。
因果は入り乱れいずれの選択が最善なのか容易には判別しない。
大きく強い風が吹いている。
(あぁ、少し苛立ちすら感じてしまいそうだ)
夏の蒼空を負って城塞の塔の頂に立つ十七歳の青年の白い前髪が風に乱れ、腰に佩かれた祈りの刃から、淡い緑色が漏れ出してゆく。
ハックは緑瞳を細めた。
<<……僕は確かに皇帝陛下の盾で、彼らはそうじゃない>>
黒髪を後頭部で結い上げている赤鎧の女男爵を見据え返す。
<<だが、それを理由に無辜の民衆と将兵が死ぬのは……ちょっと違わないか?>>
白髪の若き騎士は思う。
<<政治の都合で将兵が死ぬことを、皇帝陛下は果たして喜ぶだろうか?>>
黒髪の女男爵は頷き、答えた。
<<――深く心をお傷めになられるだろう。きっと嘆かれる>>
アデルミラは言った。アテーナニカは派閥外どころか、例え敵国の人間であろうが根本的には、人が死んだら悲しむ人間であると。
そんな性質のアテーナニカが政治を理由に自国の民衆と将兵が死んで喜ぶ訳が無い。
ハック=F・ドライメンは頷き、そして女男爵の緑瞳を同じエメラルド色の瞳で真っ直ぐに見据えて言った。
<<なぁ、アデルミラ――――本当に死ぬべきは、誰だろうな?>>
●
聖騎士団総長シロッツィからは指示あるまで待機と厳命されていたが、ハックは本隊からの命を待たずに動き出す事に決めた。
紛れも無き独断専行、命令違反であった。
しかしアロウサ兵とセドート兵は総司令官である騎士団総長からの命令に違反する形であろうとも、この場の皇帝派のトップであるハックからの指令に忠実に従い、城門前へと集結していた。
兵達が素直に従ったのは、これまでの数々の依頼を成功させてきたハックに対する皇帝と総督からの信頼が厚く、ハックからの指示にはよく従うようにと伝えられていた事と、また数々の戦いを勝利に導いた事でハック自身の声望もまた兵達の間で高まっていた事なども理由のうちの一つとなっているだろう。
皇帝の騎士を信じる居並ぶ兵達に向かいハックは言った。
<<僕の我が儘に付き合ってもらう事をセドート男爵及び兵の皆には詫びよう。だが君たち自身には悪いようにはならないようにする>>
謝罪するハックに対し兵達は敬礼を返し、赤鎧の女男爵が言った。
<<気にするなアロウサ騎士伯。先程はああは言ったが……この場に陛下やメティス殿がいらっしゃったなら、救援に向かえと必ずご命令くだされた事だろう。ここで兵達を見捨てるは義に悖る。シロッツィめが恩を仇で返しに来る可能性があったとしても、それでも救援に向かうが騎士道というものだろうよ>>
どうやら先程救援の是非をハックへと問いかけてきたアデルミラだったが、彼女の本心としてはそれでも救援に向かうを是としていたらしい。
部隊の兵達もアデルミラと似た気質の者が集まっているらしく、ハックの決断を支持している様子だった。
それも兵達がハックの独断専行に従った理由の一つだろう。アテーナニカやメティスに従う兵達の多くは基本的に大義を成すを善い事だと信じている。
もっともハックの目的は救援だけではなかったが――
しかし、それについては今は兵達に対しては伏せられていた。
アデルミラだけには伝えてあったが。
白髪の若き騎士伯は、腰に佩いた鞘より己の愛剣を蒼空へと向かい勢い良く抜き放った。刀身より放たれる緑色に輝くオーラが宙に残光の軌跡を描きつつ、鍛えられた霊鋼の刃の切っ先が太陽の光を浴び眩く輝く。
ハックは宣言した。
<<出撃する! 開門せよ! アロウサ、セドート両部隊はこれより本隊の救援に向かうッ!!>>
念話が味方の共有領域に響き渡った。
兵達が鬨の声を一斉にあげる。
それと共に鎖がこすれる音と共に滑車が勢い良く回り、プレイアーヒルの城門が重く軋む音をあげながら開かれてゆく。
ハックの指示通りに城塞都市の大門が開かれんとしていた。
城門を守っているのは当然、皇帝派の兵士達ではない。
ハック達の出撃は門兵達によって制止される可能性があった。
だが、彼等は止めなかった。
<<サー・ハック・F・ドライメン、感謝いたします。どうかご武運を……戦友達をお願いいたします>>
門を守る王国派の下級聖騎士達からの祈りと敬礼を受けつつ、ハック達は門を潜り抜け、城壁の外へと駆け出していった。
●
北に大山脈を、南に大河を臨む狭隘の荒野にて、1500を数える帝国の軍団兵達と1000を超える北国の戦士達とが激突していた。
さらにヴァイキング船により川を高速で下り、激突点の横をすり抜け上陸したユグドヴァリアの別動隊がヴェルギナ・ノヴァ軍の後背へと猛然と襲いかかってゆく。
挟み撃ちである。
ユグドヴァリア大公ソールヴォルフの奇策であった。
数では優位にあった帝国軍だったが、この一手により一気に形勢が不利へと傾いてゆく。
しかし、その奇策は本来の威力を発揮しきれていなかった。
城塞にて待機を厳命されていた筈のハック率いる皇帝派の兵達150。
それが部隊長ハックの独断専行にて命令に違反して出撃し、帝国軍の背後を撃つ形のソールヴォルフ隊の、そのさらに背中を撃つ形で急行してきていた為である。
無防備な背を攻撃される事を嫌ったソールヴォルフは別動隊300を半分に割り、それをハック隊の迎撃へと向けていた。
その為、狙い通りに帝国軍の背中を急襲できたのは半分の150名に過ぎなかったのである。
これにより奇策の威力が大幅に減じた為、帝国軍の本隊は一撃で崩壊とまではいかずに踏みとどまり、数の優位を活かしての立て直しを図った。
正面のユグドヴァリアの戦士達も雄叫びと共に神々の名を叫び、広刃戦斧と戦槍を振り回して血風を巻き起こしたが、円十字が描かれた黒いサーコートに身を包む聖堂騎士達もさるもの、長剣を振るい銃剣で突き光弾を発砲して、頑強に反抗し始めていた。
アロウサ・セドート連合部隊の先頭を駆けるハックは、津波のごとくに迫り来るユグドヴァリア大公隊の戦士達が翳す槍に破神の光が輝いた瞬間、霊力を全開に解き放った。
重く破裂するような、空間を明確に振動させる程の轟音が連続して鳴り響くと共に、閃光波が雨あられと降り注いで来る。
アロウサの騎士伯はその時には既に姿を掻き消していた。
一瞬前までハックが立っていた地面が深く抉れ、砂煙が巻き上がっている。
雪色の髪の騎士は緑色に輝く残光を宙に引きながら瞬間移動したがごとくに猛加速していた。
縮地だ。
超高速で光の洪水の狭間を掻い潜り、大公隊の戦列の眼前へと一気に躍り出る。
次の刹那、ハックの周囲の空間が激震した。
不可視の衝撃波が荒れ狂い、居並ぶ大公隊の戦士達の鎧兜がひしゃげ、鮮血を吹き上げながら木の葉のように吹き飛ばされてゆく。
<<なんだァッ?! 何が起こっ――ぐはっ?!>>
<<円爆! ハックだッ!! ガラエキアで神将殺しを退けたアロウサの騎士伯!>>
<<神滅剣破りか!!>>
<<オオッ! 相手にとって不足はないッ!! アルファアアアアアズルッ!!!!>>
瞬時に出現した骸の群れにも怯まず、雄叫びと共に屍山血河を踏み越え突進して来る北の戦士達に対しハックは心剣ブラッシュを振り翳し円爆をさらに連発した。
北の戦士達が次々に衝撃波に圧殺され吹き飛ばされてゆく中、さらにハックはとどまる事なく左手に円型盾を構えて駆け突撃した。
北国の神々の名を叫びながらユグドヴァリアの戦士達が風切る唸りと共に繰り出した広刃戦斧が傾斜をつけて翳されたラウンドシールドによって受け流され、同じく雄叫びと共に戦士達が繰り出す槍の穂先が白髪の若き青年騎士の身に雷光の如く突き立つも、表面の皮革は貫けたがその裏に仕込まれている金属片を貫けず、身を捻られて受け流されてゆく。
剣の間合いまで踏み込んだハックは右手に握ったブロードソードを重い嵐の如くに振り回した。
妖しい緑色のオーラが宙に軌跡を描きながら逆巻き、戦士達の手首が切断されて吹き飛び、足が膝から断たれて崩れ落ち、首が刎ね飛ばされて噴き上がる鮮血と共に宙を舞い、残った胴体が前のめりに大地に倒れ伏してゆく。
瞬く間に死体の山が築かれてゆく。
先頭に立って鬼神の如く暴れ回る部隊長の姿に勇気づけられた皇帝派の兵士達が鬨の声を盛大にあげながら突撃してゆく。
ハックは戦況をさらに自部隊有利に傾けるべく、再度血の海を越え駆け出さんとしたが、
<<――好き放題やってくれるなッ!!>>
憤怒を帯びた大音の念話と共に横手から落雷のごとくに刃光が降って来た。
振り向きざまに円形盾を翳し、咄嗟に受け止めるも轟音と共に壮絶な衝撃が荒れ狂い、腕に鈍い痛みが走る。
ハックの体勢が崩れ、さらに人の身の丈を超える程のサイズの鉄塊が横殴りにハックの顔面めがけ襲いかかって来る。
白髪の青年騎士伯は咄嗟に身を低く沈めながら前方へと踏み込み、紙一重でグレートソードの斬撃を掻い潜りつつ、次の刹那、伸び上がりざまに右手に握るブラッシュを振り上げた。
鉄塊の主の姿が掻き消え、緑光のオーラが空を薙ぐ。
五歩程度離れた位置に要所を霊鋼で補強された硬革鎧に身を包んだ若い赤眼の男が現れ、ハックを憎々し気に睨んできた。
<<てめぇはアロウサ騎士伯ハックだな?! なんでここに居やがる。待機命令を破った上に監視の兵達まで蹴散らして来たってのか?! ハッ! んな事してもシロッツィの野郎に皇帝派を潰す口実を与えるだけだというのに殊勝な事だなァ?! 英雄気取りかッ?! 忌々しい!!>>
男はこちらの内情に通じているらしく、ハックが待機命令を受けていた事や帝国内のガルシャ王国派と皇帝派の派閥争いの事まで知っていた様子だった。
ただ一点、誤りがあった。
ハックが待機命令を受けていたのは事実であったし、独断専行によって命令違反を犯した事でシロッツィがそれを口実にこちらを潰しにかかって来る可能性も高かったが、監視の兵達からの妨害は受けていない。
その為に、速やかに出撃できたので、ソールヴォルフ隊の半数を引き付ける事ができていた。
<<……確かに僕がアテーナニカ陛下の騎士伯、アロウサのハックだ。あなたがユグドヴァリアの雷狼大公殿か?>>
もっとも誤りに気づいても、それを指摘する義理もない為、ハックは代わりに剣と盾を構え直しながら男の素性について問いかけた。
若い男はグレートソードを構え直しつつ、
<<いかにも! 我こそがエルダールガルズが銀狼谷の戦士長にしてユグドヴァリア大公ソールヴォルフよ! アロウサ騎士伯! てめぇを殺せば後は雑魚だ! ゼフリール島最強の戦士が誰なのか! ここで俺がハッキリと教えてやるッ!!>>
吼えるような叫びと共に牙を剥き、雷光の如くに斬りかかって来た。ハックはすかさず軽避祈装を発動、機動力を上昇させこれを迎え撃つ。
たちまち戦場のど真ん中にて、白髪の若き騎士伯と赤眼の若き大公による暴風の如き斬り合いが始まった。
それは一騎討ちではなかったが、あまりの凄まじさに両軍共に両者に手を出そうとする者がおらず、自然と一騎討ちのような形になっている。
純粋な実力でいえばアロウサ騎士伯ハックのほうに分があった。
ハックが全神経をソールヴォルフへと集中させていれば、勝利したのは高確率でハックだったろう。
だがこの時、彼は眼前のソールヴォルフの事よりも、大公を倒した『その後』の方へと意識が割かれていた。
戦いの最中にまでその事を考えていた訳ではなかったが、眼前のソールヴォルフに対していまいち集中しきれない、精彩を欠いた動きとなっていた。
十数合の激しい剣戟の末、大公が竜巻の如くに振るった剛剣をハックは盾で受け損ねた。カタパルトから放たれた巨石弾の直撃でも受けたがごとき壮絶な衝撃が身を貫いてゆき、体勢が大きく崩れる。
刹那、ソールヴォルフの霊圧が膨れ上がった。
元々俊敏だった動きがさらに高速化し、コンパクトに大剣が振り上げられる。何か猟技かスキルかを発動した――恐らく紫電、アクセラレイター、力溜め――咄嗟に盾をハックは構え、その瞬間、ソールヴォルフの姿が瞬間移動したが如く掻き消え、ハックの右隣に出現する。
虚掛けによるフェイントからの縮地。
――やられる。
ハックが直感した時、強烈に眩い光がハックの背中から膨れ上がった。
光は今まさに剣を振り下ろさんとしているソールヴォルフを呑み込み、しかし光の中でソールヴォルフは止まらず、剛剣を竜巻の如くに逆袈裟に振り抜いた。
光が消えると共にハックの姿も大公の視界から掻き消えていた。
強烈な閃光によってソールヴォルフの攻撃の精度が鈍ったそのほんのわずかな一瞬に、膝から力を抜いて前傾に倒れ込むように身を低くし、ソールヴォルフの側面へと回り込むように踏み込みつつ、剛剣を紙一重で掻い潜っていたのである。
白髪の若き騎士伯は一撃を掻い潜りざまに心剣ブラッシュを一閃させた。
緑光を放ちながら唸りをあげて走った刃が、カウンターとしてソールヴォルフの左手首へと喰いこみ、ガントレットの装甲の隙間より入って彼方へと抜けた。
赤黒い血飛沫と共にソールヴォルフの左手首が落ちる。
「――ぬぅっ?!」
雷狼大公は憤怒の呻き声を洩らしながら後退し、大きく距離を取った。
<<――大将を守れ!!>>
<<ヴァルファァアアアズルッ!! グラズヘイムの主よ!!!!>>
一転窮地に陥った主を護らんとユグドヴァリアの戦士達がハックへとそれぞれ戦斧と槍を構えて突撃してくる。
ソールヴォルフが何事かを叫んだが、北国の戦士達は止まらず、ハックは振るわれる刃を身を捌いてかわし、盾を翳して受け流し、あるいはブリガンダインの装甲を使って弾き飛ばすと、ブロードソードを嵐の如くに振るって次々に戦士達を斬り倒してゆく。
ソールヴォルフは左腕から鮮血を溢れ出させるままに駆け出した。ハックが居るのとは別の方向へと。
南側、川へと向かって駆け始めていた。
<<――覚えてやがれ!! この借りは必ず返すぞッ!!!!>>
撤退しゆく大公からの念話が響く。
ハックが周囲の戦士達を斬り倒し、追撃に走らんとした頃には、既にソールヴォルフは乱戦の彼方へと移動しており、追いつけそうになかった。
大公隊の他の戦士達も雪崩を打つように川へと向かって駆け出していた。
ハックは配下の兵達に追撃を命じ、自身も疾風の如くに駆け追いながら剣を振るって北国の戦士達を斬り伏せていったのだった。
●
ソールヴォルフ隊のすべては討ち取れなかったが、多くの戦士をハック達は船上へと逃さずに仕留めた。
本隊の方でも態勢を立て直した帝国軍が押し返し始めており、大公国の戦士団はそちらも撤退に動き出していた。
ただし混然とした敗走ではなく、秩序を保ったままの後退であった。
その為、逆撃を警戒したシロッツィは追撃を行わなかった。
激戦により帝国軍にも少なからぬ被害が発生していたのは、追撃を断念した要因の大きな一つだった事だろう。
<<すまん、咄嗟に閃光弾を使ってしまった。余計な事だったろうか?>>
アデルミラがハックへと申し訳なさそうに声をかけてきた。
どうやら先程のピンチの際に巻き起こった光はアデルミラからの援護だったらしい。
閃光弾は一日に一回しか使えない。
予定ではここで使う筈ではなかった。
ここで使ってしまった以上、本来使うべき時に使えなくなってしまった。
その事を気にしているのだろう、ポニーテールの赤鎧女男爵は謝罪してきた。
ハックは首を横に振った。
<<いや、助かったよ。有難う。さっきのは援護がなければ、こちらがやられていた>>
アデルミラが閃光弾を使わなかったら、今頃己は大地に臓物と鮮血とをぶちまけながら倒れ伏していただろう。ハックにはそれが理解できた。
<<ユグドヴァリアの大公は強いな>>
<<曲がりなりにも雷神ジシュカと渡り合ってた奴だからな、敗北続きではあったが……>>
屈強なる北国の戦士達の長は、さしものハックをしても片手間で容易く勝てる相手ではなかったようだった。
だがしかし、アデルミラからの閃光弾の援護もあり、なんとか退ける事ができた。
彼女曰く、この後にハックから使う事を指示されていた為、閃光弾の事を意識していたが故に、咄嗟に上手い具合に撃てたのだという。
予定とは違ったが、効果的に使用できたと言えた。
<<――しかし、もう私は閃光弾の援護はできない。君も手負いだ。それでもやるか?>>
アデルミラから不安そうに問いかけを受けたがハックは頷いた。
<<やる>>
決意に変わりはなかった。
やるなら今をおいて他には無い。
<<わかった>>
アデルミラは頷いた。
閃光弾は使えないが、その時には破神剣などで出来る限り援護するとの事。
二人はアロウサ・セドートの隊を再集結させた。
150名いた隊員のうち23名が帰らぬ人間となっていたが、その8倍以上の敵は屠っていた。
<<僕らの勝利だ>>
ハックは兵達に勝利を宣言しその働きを労うと、兵達と共に移動を開始した。
本隊にいるガルシャ聖堂騎士団シロッツィへと会いにいく為であった。
●
「よく来てくれたアロウサ騎士伯!」
大柄な黒髪男が笑みを浮かべながら両手を広げ岩を転がしたような低く重い嗄れ声を張り上げた。
「いやはや、やはりユグドヴァリア大公は油断ならぬ強敵であったが、貴卿らのおかげで勝利できたよ!」
ハックが死屍が累々と転がっている荒野にて聖堂騎士団総長シロッツィと再会した時、彼は非常に上機嫌だった。
「それは何より」
ハックもまた微笑を浮かべてこたえた。
「それで、私は命令違反をした訳ですが、どのような御沙汰をくだされますか?」
「ふむ……」
大柄な総長は笑みを消し、まじまじとハックを見てから、再び笑顔を浮かべ、
「無論不問とする!」
そのように宣言した。
ハックには意外だった。
シロッツィは必ず命令違反を糾弾して来るだろうと考えていたからだ。
「失礼ですが、誓約書に一筆認めさせていただいても?」
「無論構わんよ」
アロウサ兵の一人が出撃前にハックがあらかじめ用意させておいた羊皮紙を携えてシロッツィへと進みでる。
総長はそれを受け取ると澱みなく署名した。
そして返された誓約書にハックが目を通すとそこには今回の独断専行について罪に問わないという事が書かれており、そこにはシロッツィの名が記述してあった。
「……確かに」
ハックもアデルミラもシロッツィは今回の命令違反につけこんで糾弾し皇帝派の力を削ぎにかかってくると思っており、ハックはそれに備えてシロッツィを斬り捨てる覚悟を決めてきていたのだが拍子抜けだった。
「――そもそもにな、私は初めから貴公の力を借りるつもりだったのだ」
ハックはシロッツィを見た。
騎士団総長の大男は張り付けたような笑顔を浮かべている。
「ユグドヴァリア大公ソールヴォルフは強いのだ」
シロッツィは言った。
今までは彼の養父、雷神ジシュカが指揮を取っていたからそれでも勝てていたが、シロッツィでも同じ事ができるかどうかは怪しいと彼自身は踏んでいたらしい。
「実際、プレイアーヒルの内部には父が死んだ時の隙を突かれて間諜に入り込まれていた節があった。こちらの作戦は大公に見透かされていると踏んだ方が良かった」
故にシロッツィ曰く、まっとうにハックとその部隊を使おうとしていたら、大公ソールヴォルフはそれに対策を練り、ハックの部隊は今回ほどに有効な働きはできなかっただろうと。
「だから、敢えて貴公を使わぬ作戦を大っぴらに立てた。普通だったらそんな事はせぬから怪しまれるだろうが、我々は王国派で貴公ら皇帝派だからな、この状況ならばありえぬ事ではない――と思わせる事ができると踏んだ」
「……つまり、敵を騙すには味方からだったと?」
ハックとその部隊の戦力を決定的な場面で有効的に活用する為に、敢えて本心とは真逆の待機命令を出していたと。
「その通り。だから、貴公が命令違反をして動き出してもそれを止める兵は城塞にはおらんかったろう? 表向きには邪魔する手筈だとしておいたが、実際は違う。大公はどうやらまんまとそれを信じてくれたようだったがな」
策が成ったとシロッツィは岩を転がしたような野太い声で愉快そうに笑った。
確かにソールヴォルフはハックが動けない状況にあり、動いたとしても邪魔される状況にあると信じていた様子だった。
だからこそ彼は別動隊で帝国軍本隊の背後に回り込む奇策を立て実行した。ハックが動けないなら、それを邪魔できる戦力はプレイアーヒルには存在していなかったからだ。
「そうであったのなら事前に一言欲しかったですねプロコノフ殿。もしも僕が動かなかったらどうされるおつもりだったのですか?」
「多くの者が既に帝国が大公国よりも圧倒的に有利なのだと考えていた。父が勝ち過ぎていたからな。だが今回の戦いにおいて帝国と大公国の戦力には実際のところはそこまでの差はなかった。敵味方の戦力にそこまでの差がなく、敵の指揮官が己よりも優秀であるのに、それでも勝たねばならぬとなったら、賭けの一つにでも勝たねば勝てぬよ」
シロッツィは笑った。
伸るか反るかの博打だったと。
「――聖堂騎士レシアからの報告から推してはかるなら、貴公という人物ならば必ずや動いてくれると踏んだ。逆に伝えていたら、貴公とその周囲の言動が不自然になると踏んだ。失礼だが貴公ら腹芸はできそうにない人種に見えたのでな。大公に気取られたら逆手に取られる」
それはなんとしても避けたかった、とシロッツィ。
「……なるほど、つまりすべては戦いに勝つ為の策であったと。では、今回僕達はプロコノフ殿らを最大のタイミングで救援できる立場にあり、そちらのご期待通りに最高のタイミングで救援を成功させた訳ですが、これを罪ではなく功績と認めていただいても?」
「無論だ」
シロッツィは満面の笑みで力強く頷いてみせた。
「今回の戦にて戦功第一位は貴公らであろうよ!」
●
戦後。
下級の聖堂騎士達がハックを讃えていた。
曰く。
アロウサ騎士伯ハックは命令違反の罪に問われる事も顧みず、窮地に陥った自分達を――対立している派閥である自分達を――救援に来てくれた。総長から待機を厳命されていたにも関わらず。
そして華麗にユグドヴァリア大公の奇策を打ち砕き、本隊の窮地を救い、今回の戦を勝利へと導いた立役者となった。
――ああ、これぞまさに騎士の鑑と言える! 当代の英雄である! 立派な人物だ!
という論調だ。
中庭で騒ぐ若き聖騎士達を窓から見下ろしてシロッツィ、
――お人好しの馬鹿どもめ。そんなのだからつけ込まれて良いように使われるんだ。
胸中で吐き捨てると共に苦々しく舌打ちしていた。
シロッツィがハックへと語っていた事――
『最初から本心ではハック達の力をあてにしていた』
というのは事実だった。
待機命令は敵であるユグドヴァリア大公を騙す為に、味方をもまとめて騙したという計略だったというのは事実である。
シロッツィは今回の策こそが、自軍の人死にを最も抑えて勝てる最善手だと信じたが為に、それを実行した訳だが――
しかし同時に、皇帝派の力を弱める事までをも行うつもりでいた。
皇帝派のハック達の力をあてにして勝利をもぎ取る算段を立てながらに、その力を弱めんともしていたのである。
そういった選択をするのが、養父のジシュカとはシロッツィが決定的に違う点であった。
――道義だと?
シロッツィは思う。
道義でいうならば、本来ならば長年のジシュカや聖堂騎士達の献身からすれば彼等はもっと報われていて良い筈だった。
だが現実は違う。
フェニキシア攻略の成功に関し、寡兵でユグドヴァリアの大軍を抑え続けたガルシャ聖堂騎士団には多大な功績があった。
だが戦後にフェニキシアの広大な領地を得て利益をあげたのは、有利な戦力で悠々とフェニキシアを切り取った次期国王と目されているボスキ公ルカを初めとした南部の諸侯達であり、そしてメティスらの皇帝派だ。
彼等彼女等が得たものに対してジシュカら聖堂騎士団が得たのはほんの僅かなものに過ぎなかった。
それでも養父のジシュカは怨みごと一つこぼすことなく黙々と国王と国王が従う皇帝に忠誠を誓い戦った。
文字通り死ぬまで。
下級の騎士達も無邪気に自分達の国が有利になって皆の暮らしも良くなりつつあるなどと喜んで、忠実にユグドヴァリアと戦い続けている。
そんなのは馬鹿らしい、とシロッツィは思うのだ。
――俺達は良いように使われているだけではないか。
そうしてユグドヴァリアを切り取りトラペゾイドに帝国後継と認めさせ従えたら、今度は大陸へと攻め込むのか? 俺達を駒にして、俺達の血で代償を贖ってか!
「冗談ではない」
シロッツィは思う。
権力者どもはいかに他人に餌を与えずに働かせ自分達だけが利益をあげられるか、その富の量こそが、己達の優秀さの証だとでも思っている節がある。
浅薄な話だ。
国防の観点上、島を統一した後に大陸へと攻め込むのは良いだろう。だがその時に犠牲を負担するのがまたシロッツィ達ガルシャ北部の人間達だというのは到底肯定できるものではない。
「俺は親父とは違う」
死ぬまで都合良く使われるような馬鹿な真似はしない。
――他人に良いように使い潰されるくらいなら、こちらが使い潰す側に回ってやる。
シロッツィはそのように心に定めている。
故に今回、ハック達を良いように利用した上でさらにその力を削ぎ落すつもりだった。
そのため『自分達を命令違反の罪に問うのか』と尋ねて来たハックに対して、
――無論不問とする!
と返答したのは予定にない行動だった。
「あの目は、本気で斬るつもりだったな、この俺を」
歴戦のシロッツィはハックから漏れ出ている殺意を敏感に感じ取っていた。
「ハック=F・ドライメンか」
彼がただ英雄的なだけの男だったら、シロッツィの思惑は成功していた筈だった。
ハックは動けない、もし仮に動こうとしても妨害されるという偽報によってユグドヴァリア大公の裏をかき、ハックに独断専行をさせて北国の軍勢を粉砕した上で、さらにシロッツィはハックの命令違反を咎め王国派へと貸しを作れる筈だった。
そうあくまでも『貸し』程度である。
さすがにまだユグドヴァリア大公国を降してはいない以上、皇帝派と決定的に対立して内乱となるような真似はシロッツィとしては避けたかった。
その為、ハックの命令違反を糾弾するにしても、戦勝による功績によって罪を減じ『皇帝派への貸し』程度の落しどころに持ってゆくつもりだった。
そうしてシロッツィらの王国派を政治的に有利な立場に導こうと。
しかし、あのハック=F・ドライメンという男――
「あの目は、本気で斬るつもりだったな、この俺を」
面白い、とシロッツィは思った。
そんなのは派閥間の貸し借りどころの話ではない。
ハックがシロッツィを斬る、あるいは逆にシロッツィがハックを斬っていたら、ユグドヴァリアとまだ戦っている最中だというのに、皇帝派と王国派による内乱突入へと待った無しだ。
それは火を見るよりも明らかだ。
つまり、
(あの男……――実は本心では帝国なんぞはどうなっても良いという事か?)
王国派と皇帝派による内乱ともなれば帝国は大幅に弱体化する事だろう。
今回の敗戦でユグドヴァリアは追い詰められた。
だが帝国が混沌とすればそれも息を吹き返すだろう。
フェニキシアの人間達も叛乱を起こし未だ生存しているベルエーシュを旗頭に再び担ぎだして、独立国としてのフェニキシアの再興、帝国からの分離運動を図る可能性も高い。
二派に別れての内乱、そしてそれに乗じた大公国の反攻とフェニキシアでの独立運動、となれば、夥しい数の人間が死ぬだろう。
裏でコソコソと暗躍している大陸連中の動きもまた活発化し始めるだろう。アヴリオンの蝙蝠達もまた旗色を変えるかもしれない。ここで変わったら、もう二度とは戻らないだろう。海を越えてトラシア大陸の悪魔達がやってくるのが確定となる。
帝国が今割れたら、兵も民も、夥しい数が死ぬ。
それは『政治的駆け引き』によって発生する人数の比ではない。
だから、それを考えれば、とても品行方正な英雄的な人間にはできない所業の筈だった。
それこそ、
『万民の事を考え、ここは自分達が我慢をすれば上手くゆく。派閥間のパワーバランスは今は耐え忍び、後々で巻き返せば良い』
そう考えるものであろうとシロッツィは思う。もしもジシュカや生真面目な聖堂騎士達ならそういう選択を必ずとった筈だと思う。
(だから良いように使われて使い潰されるんだ)
聖堂騎士団の一員であるシロッツィはそれを良く知っていて、だからこそそれを今回ハックら皇帝派の人間達へと仕掛けた訳だが――
しかし、土壇場で退かざるをえなかった。
命令違反を責めていたら、剣を抜いただろう、ハックは、シロッツィへと向けて。
あの緑色の光を鞘から漏れさせる祈刃には殺意が宿っていた。
一体どこまで本気だったのかはわからない。
あるいは、ブラフだったのかもしれない。
そうして反抗する意志を見せれば、こちらが譲歩するだろうというハッタリ。
しかし――
(あの目は『本気』に見えた)
後先の事などろくに考えていない。
帝国の内戦の引き金を豪快に引き抜き、統一されつつある島を再びどの勢力が勝つかわからない混沌とした状態まで巻き戻し、夥しい数の人々が死ぬ事になっても構わない。
『とにかくシロッツィを斬れさえすれば良い』
そういう意志が見えた。
およそ品行方正な『英雄的』な人間がやる事ではない。
故にこそ――
「あいつは面白いな」
シロッツィは笑った。
まさかやるまい、と思われる事を本気でやろうとしてきた。
あの男はジシュカや聖堂騎士達とは違う。シロッツィとも違う。
「あの男には牙がある。ただ使い潰されるだけのお人好しではない」
あまりにこちら側の都合の良いように振る舞おうとすれば、大勢の人間が死ぬ事になろうとも、捨て身でこちらを殺しに来る。
大勢の人間の人生も、島の未来も、帝国の未来も、自分自身の未来すらも、火中へとぶん投げる事を厭わない、まさに後先を考えない蛮行と言えたが、しかしその覚悟によってこそシロッツィは今回退かざるをえなかった。
利害計算が働かない狂気的な、ともすれば破滅的とも呼べる行動こそが、シロッツィにとっては最も手に負えないものだった。
迂闊な真似はできなかった。
その為、シロッツィは今回ハックの独断専行による命令違反の罪を、本隊の窮地を救った功績によって不問にせねばならず、逆にむしろ讃えなければならなかった。
功罪の軽重を計量すれば、そうするのが道義というものだからだ。
少なくとも聖堂騎士達の道義としてはそうだ。
シロッツィは彼等の理屈をよく知っている。
聖堂騎士達が口々にハックを讃える声が聞こえてきている。
シロッツィ周辺の幹部達は別として、下級の聖堂騎士達などはハックの事を対立派閥の最右翼であるにも関わらず、口々に感謝し賞賛し英雄視している。彼はあるいはジシュカに代わる英雄かもしれないと。
(馬鹿どもめ、そのハック=F・ドライメンこそが俺達を地獄に連れてゆく皇帝の狗だぞ)
シロッツィは眉間に皺を刻み舌打ちした。彼が一番嫌いなのは身内のマヌケさ加減である。
思う、アロウサ騎士伯は皇帝の盾ではない、皇帝の剣だと。
「だが」
シロッツィはハックに対し思う、
――面白い奴ではあるな。
と。
シロッツィにとってハック=F・ドライメンは今回己の策をその捨て身的な殺意で打ち砕いてくれた苦々しい敵ではあったが。
それでもシロッツィはハックを評価した。
自分達を救ってくれた英雄的な行動によってではなく、その武力によってでもなく、
『テメェが舐めた真似したらすべてを破滅させてでもテメェをブチ殺す』
という精神によってである。
(なおシロッツィからはハックの今回の行動はそう見えている、という事に過ぎず、真実ハックの本心がどこにあるのかは謎である)
義の為に自制し苦杯ばかりを飲まされ続けてきた聖堂騎士達の姿を苦々しく思っているシロッツィにとってハックの姿勢はとても痛快だったからである。
(愉快な男ではあるが――しかし、なればこそ厄介だな。あいつは制御が効かん)
シロッツィは今回の戦いの結果、ハックを認め、そして故にこそ皇帝派との派閥争いにおいて、ハック=F・ドライメンをこそ最大の障害として認識した。
故に聖堂騎士団の未来の為にはハックを懐柔すべきか、あるいは権謀術数の全力を以って排除すべきか、いずれの方針を採るべきか、新総長は頭を大いに悩ませるのだった。
成功度:成功
獲得称号:皇帝の剣
獲得実績:第二次プレイアーヒルの戦いを勝利へと導き戦功第一と認められる