自由都市の議長タオ・ジェン「この程度を打破できないのであれば最初から見込みが無い。アヴリオンをこの世の地獄にする訳にはいかない」
アヴリオン共和国。
元々はヘリオタイ(大陸からの移民、トラペイゾイド系)達が築いた植民都市の一つだった。
しかし市民達は運動を行い独立を勝ち取った。
現在ではいかなる国家に対しても永世中立を宣言する、独立自由都市国家として名高い。
この共和国では市民からの投票で選ばれる市長と、議会をまとめる議長とが権力を二分している。
市長は「アヴリオンの狂雷」と呼ばれるユナイト。赤い帽子がトレードマークの希代の魔術師、そして祈士である。
もう一方の雄である議長はタオ・ジェンと呼ばれる男で、市が過去に独立運動を行った際に、そのバックアップを行った東部大陸系商団の末裔だ。
同市随一の大富豪だったが、あまり表舞台には出てこない男で、故に市民からの認知度は投票で選ばれたユナイトと比較すると低い。
「あまり好ましい事ではないねぇ、天秤が狂うのは」
『シャンチー(将棋)』のボード上に置かれた駒を若々しい顔立ちの、一見では青年に見える老人が動かした。
色鮮やかな色彩の大陸風の衣に身を包んだ男だ。薄紫髪に濃い翠の瞳を持っている。
彼がタオ・ジェン、自由都市アヴリオンの支配者の一人である。
「バランス、均衡というのが何事にも大切、でしたかしら」
同じく大陸風の衣に艶然とした起伏流麗な身を包んだ若い女が駒を動かした。
「そう、特にこのゼフリール島ではね」
男は盤上を見渡しつつ頷き、手に一つの駒を持ち、掌の中で弄んだ。
「然るにヴェルギナ・ノヴァ……この国はちょっとねぇ。神将殺しは見込み違いだったかな? あるいは、彼を破ったあの『アドホックの傭兵』がイレギュラーなのか」
「『アドホックの傭兵』……アヴリオン共和国の傭兵ですわね?」
「そうだね。うちの国の傭兵だねぇ」
「身から出た錆びですわ?」
「我々も一枚岩ではないからね。まぁそのあたりは仕方がない」
下手に干渉すると赤帽子がうるさい、と老人は肩を竦めた。
「ではうるさくない所」
女が指先を唇にあてて微笑む。
「西の国の皇帝陛下、アテーナニカ様でしたか……彼女の身は大陸のかの方々がお求めでしたわね?」
「うん、そうだったねぇ」
「売りません?」
「悩みどころなんだよねぇ」
タオ・ジェンが腕を動かした。女もまたそれに応えるように手を動かす。
駒が盤上に置かれる音が鳴り響いてゆく。
「アヴリオンは永世中立だ」
共和国議会の議長は断言した。
「我々の主人は我々であり、我々は決して奴隷にはならない」
連綿と受け継がれてきたアヴリオンの鋼の意志だった。
「しかしながら……我々が中立たりえてきたのは、我々が流して来た血が為であると共に、この島の均衡が保たれてきたからでもある」
状況が、地政学的なパワーバランスが、それを許してきたのだと老人は言う。
「もし仮にヴェルギナ・ノヴァ、かの国がこの島で一強となった時、あの帝国は我々の独立を従来通り許し続けるだろうか?」
――まぁ、普通の支配者ならば、潰すだろう。
タオ・ジェンはさらりとした口調で述べた。
長い指先を口元にあてながら女が青瞳を細め「そうでしょうねぇ」と頷く。
「ですから大陸のかの方々ですわ。我々の血筋からすれば親ともいえる方々です。渡せば、保証は、してくれるでしょう、他にも対価が必要でしょうが」
議長が口の両端を吊り上げた。
「親、親かぁ。我等の親はなぁ?」
男は笑いを含んだ翠瞳を女へと向ける。
「……非常に素晴らしい、実に強大だ。さすがは我等の親である。おそらく、親父殿達はトラシア大陸の覇者となるだろうよ。邪魔が入ったとしてもあらゆるそれらを叩き潰して」
真っ直ぐに長い青髪を持つ女は幼子のようにころりと笑うと小首を傾げた。
「あまり嬉しくなさそうですわね?」
「我等の親だからなぁ。その性根は良く知っている。だが、君だってそうだろう?」
女は無邪気そうな笑顔を保ったまま問い返す。
「だから売らないと?」
議長は肩を竦めた。
「我等の偉大なる親父殿達と比べれば、ヴェルギナの娘やガルシャ王達の方がマシだろうよ、幾分かは」
青髪の女は笑みを消した。真顔になると冷たさを感じさせる顔立ちだ。
「――本当に?」
タオ・ジェンは薄い笑みを口元に引いたまま答えなかった。
「……議長は、勇気がおありですわね? まず第一に、負ければ、この街には……他らなぬこのアヴリオンには、地獄が召喚されますわよ?」
「地獄、地獄か。嗚呼、やっぱり地獄かな……? そうだねぇ、まぁ、間違いなく地獄の底になるよねぇ」
「第二に、例え勝ったとしても、ヴェルギナ・ノヴァから『裏切られない』とも限らない。かの国、信用できまして? あらゆる意味で」
薄紫色の髪の議長は笑顔のままうん、と頷いた。
「君の懸念はもっともだ……見定める必要は、あるんだろうねぇ……だから、とりあえず色々やってはいるんだけど」
「あら? 何か南でコソコソ風を起こしてらっしゃると思ったら、そういう事でしたのね」
「英雄には試練が必要だろう?」
「試練というには随分と本腰を入れて工作なされているようですが」
乾いた音が響いた。
「売らないのなら」
タオ・ジェンが再び駒を置いていた。
「――皇帝陛下には我等の親父殿達と対決して勝って貰わなければならない。この程度を打破できないのであれば最初から見込みが無い。アヴリオンをこの世の地獄にする訳にはいかない。親父殿達からのご要望に従い、阻止して、留め置き、手引きをする。地に手をついて頭を下げ這いつくばれば、独立までは怪しいがアヴリオンの自治権くらいは贖えるだろうよ」
「ああ、ああ! 実に風見鶏ですわねぇ! とっても蝙蝠ですわ!」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「赤帽子が『どこが誇り高き中立だ!』と怒り狂いそうですけれど」
「あれは狂人の類だよ。小国の身の程というのを弁えない。だが、あいつもこの国が、我らが母国たるアヴリオン共和国こそが第一なれば、我等の邪魔はせんだろうよ」
「そういうものですか」
遊戯盤上に駒が進められる音が、室内に響いていった。