シナリオ難易度:易しい
判定難易度:普通
洞穴内の空気はひんやりと冷えている。
カンテラから溢れ出る橙色の火光が、地底に満ちる巨大な闇を僅かに押し退け、小岩に腰かけている色白な女エルフの細身を浮かび上がらせていた。
「なんでこっちに付いたかって?」
桜色の唇から放たれた、少しだけ高く朗らかな女声が、闇の洞穴内に反響する。
「それは勿論、私を育んでくれたこの国と、その頂に立つ女王陛下に恩返しする為よ」
やや垂れ気味の、髪と同じ色の瞳が、光を照り返し黒水晶のように煌めいている。
腰まで届く豊かな黒い髪を、一本の三つ編みにしている若い女エルフだった。
歳の頃は二十代半ば程度に見える。
身の丈一ペイスと半スパン足らず(約162センチ)のスレンダーな身を夏の草葉の色のシャツに通し革の胸当てを重ね着して、短外套(ケープ)を羽織っている。腰から下には襞(プリーツ)の入ったスカートとハイソックスをはいていた。
細い腰にベルトを巻いて刀を佩き、背に全長一ペイス(約150センチ)ほどの長柄刀――長巻と呼称されるポールアームだ――をストラップを用いて背負っている。
彼女の名はシラハ・フルーレン。
フェニキシア王国出身の若きアドホック傭兵である。
シラハは木工細工を家業とするフェニキシアでは割とありふれた家に生まれた。
十八の頃に祈士としての才能を見出されて母国を離れアドホック傭兵となり、以来七年、異神の眷属との戦いに漫然と参加し、あちらこちらを遍歴して剣の技を磨いてきた。
(それが、こんな形で役に立つだなんて……本音を言えば、そんな日が来なければ好かったのだけれど)
シラハは危機に瀕した母国を憂い、傭兵としての身分はそのままに、フェニキシアを救う戦いに身を投じる事を決意していた。
だから今、ここにいる。
「なるほど。理解はできる」
どうしてこちらについた、と問いかけた男はシラハの返答を聞いて納得したように頷いた。
「俺は故国を知らないから実感はないが――きっと、それを持っていたなら、その為に剣を執ったんだろうな」
滅びた国の流浪の民というのはしんどいものだ、とブラウンの髪と瞳の青年が言った。傭兵のゲオルジオだ。神将殺しとして名高い。
そんな会話をかわしていると、
<<来た。帝国軍だ――!>>
息を潜めろ、とグブラ伯ジザベルからの念話が響き渡る。
シラハ達はカンテラの火を消すと口をつぐみ、帝国軍が通り過ぎてゆくのを待ったのだった。
●
荒涼たる赤土の斜面を登りきると、眼下には陣形を組んで整列している帝国軍の背が見えた。
彼方からはフェニキシアの本隊もやってきている。
(いよいよ戦いね……さすがだわ女王陛下。まだ若いけど、ただものじゃない)
シラハは高台で風を受けながら、所々に細々と草木が生えているが大部分は赤茶けた土と岩が剥き出しになっている山肌と、そこに展開している彼我の軍勢を見下ろしつつ、胸中で祖国の女王を称賛した。
シラハは自分を生み育ててくれたフェニキシアという国を愛しているし、だからその女王にも敬意を抱いている。
そして実際、父王と兄王子の急遽により急遽王位を継ぐ羽目になった幼いとさえいえる年齢の少女としては、新女王ベルエーシュの働きは敬意を払われてもおかしくない程度には優秀なものだった。
彼女が引き継いだ時には既にフェニキシアという国の状態は悪過ぎたから、結果としてあまり良い状況が国内にはあらわれておらず、そこまで世間からの評価は高くなかったが――
しかし今、戦場において若き女王の才覚は遺憾なく発揮されていた。
<<総員構え……撃てぇっ!!>>
グブラ伯ジザベルの鋭い念話が隊領域に響く。
シラハはゲオルジオやフェニキシア兵達と共に戦列を形成して刀を構え、轟音と共に破神の閃光をその切っ先より撃ち放った。
銀の光が尾を引いて飛ぶ。
流星の如くに流れた光波の群れは、無防備な帝国兵達の背中や後頭部に吸い込まれるように命中し次々に爆裂を巻き起こした。
大量の帝国兵が一瞬で吹き飛んで地に転がり、たちまち絶叫や怒声が下方より響いて来る。
帝国軍は大混乱に陥った。
王国軍は完全に帝国軍を出し抜いていた。
<<――あなたを向こうに回すヴェルキナ・ノヴァ軍はご愁傷様ね>>
シラハは閃光を放ちつつ、ゲオへと念話を飛ばす。
<<だって、私から見てもあなたが負けるビジョンが見えないもの。それが出来るとすれば、どんな豪傑なのやら>>
ゲオルジオが力を収束させて放つ破神剣は鋭く、そして威力が並みの祈士よりも数倍以上に高かった。背後からの不意打ちという点を差し引いても、一発で必ず帝国兵を仕留め続けているのは並ではない。
過去に大陸で異貌の神々の将を討ち取ったというのは、伊達ではないらしい。
戦況が不利にあるなら、囲まれて多勢に無勢で、という事はありえるだろうが、今は決定的にシラハ達の側が有利な態勢にある。
<<まぁ、俺も腕に自信がない訳じゃない。昔は北面傭兵団の二枚看板の片割れ張ってたんだ。だがしかし……アンタに言われるとな>>
ゲオの念話には非同意の響きがあった。
<<『銀刃』さん。もしもアンタが帝国軍についていたら、わりと普通に怪しかったんじゃないか?>>
彼の方でもシラハの実力を探っていたらしく、そんな返答を返して来た。
長い黒髪を三つ編みにしているエルフ娘は笑った。
<<私がフェニキシアに弓をひく事はありえないから、その仮定は無意味ね。それとも貴方、今からでも帝国側につくの?>>
ゲオルジオもまた笑ったようだった。
<<なるほど、それは確かに無いな。なら、確かにこの戦場に俺を殺せる者は存在しないか>>
<<そういう事よ。そこに私の剣技を沿える……負け無しよ。勿論、油断は禁物だけれどね>>
<<違いない>>
帝国軍の混迷は甚だしかった。
厳しい訓練を積んできたボスキ兵達が、背後からの奇襲で成すすべも無く、鍛え上げたその実力を発揮する間もなく、弱兵と評判のフェニキシア兵からの射撃によって次々に薙ぎ倒され、山地に屍を晒してゆく。
だが、そんな中にあっても、統制を保っている隊が一つあった。
光波が雨あられと降り注ぎ、阿鼻叫喚が渦を巻く中でも。シラハ達の側へと陣形を素早く転換し、猛然と斜面を駆け登り始める。
装備はてんてんバラバラで、隊としての見た目は見すぼらしかったが、恐るべき手練れ達だ。シラハにはそれがはっきりと感じ取れた。
戦いに慣れている。
訓練だけを繰り返してきた者達の動きではない。凄惨な死がすぐ隣で巻き起こっていても、己のすぐ隣に立っていた者の頭が吹き飛んでも、それでも冷静に機動する、幾重もの死戦を乗り越えて来た者達が持つ独特の凄味があった。
<<ねぇ『暴風』さん、あの隊……もしかしてアドホック?>>
<<あぁ……ありゃ、アドホックの傭兵隊だな>>
ゲオが確かに、と舌打ちし頷いた。
どうやら御同業らしい。正規軍ではない。傭兵だ。
シラハも伊達に七年、アドホック傭兵をやっていない。すぐにわかった。
<<コンドッティエーレ・ヴァレスタインだ>>
道理で動きが良いと思った、とゲオがぼやいている。
ヴァレスタイン、指揮能力の高さに定評があるアドホック傭兵だ。一兵としてもかなりの猛者であると評判高い。
<<……出番、かしらね?>>
<<ああ、だろうな『銀刃』さん。あいつらに突っ込まれると不味い、止めるぞ>>
前に出る。
シラハは戦闘開始時より既に気持ちを切り替えていたが、その深度をさらに深めた。
冷たく、鋭く、刃のように――
<<シラハ・フルーレン……行けるわ>>
フェニキシア兵達が並べる光の障壁の群れに破神の光雨が激突し、爆ぜた瞬間、合図が響く。
<<俺とアンタが組んだんだ、打ち破れぬ敵などいないさ>>
革の胸当てと短該当に身を包む黒髪の女エルフは三つ編みを宙に靡かせながら前方へと飛び出した。
右手に握られ振り上げられた六ディジット(約60センチ)程の刀身を持つミスリル製の刀が、銀色に冴えた月の如く冷たく輝く。
二人の祈士が逆落としに斜面を閃光の如く駆け抜け、真っ赤な色が旋風の如く宙に吹き荒れる。
<<ゲッゲッゲッゲオだぁああああッ!!>>
<<こ、こっちはフルーレンだぁああああっ!! 銀刃の死神! 黒毛の妖精!!>>
<<アドホックのエースどもが一気に二人?! 冗談だろオイッ?!>>
ゲオとシラハの突撃を受け、先頭部を駆けていた十八名もの傭兵達が三シーク(約三秒)足らずであっという間に斬殺されると、今まで吹き荒れる死にもまったく動じなかったアドホックの傭兵達が、弾かれたように雪崩をうって逃走し始めた。
神将を討ったゲオは広く威名を轟かせていたが、シラハもまた同業者、特に同じアドホック傭兵の間ではその名を知られていた。なんせ強い。それが七年も傭兵をやっている。神将のような超大物は倒していないから業界の外にまではそこまで知られていなかったが、同じ傭兵達の間で名が通っていない訳がなかった。
<<我が名はシラハ・フルーレン! フェニキシアの民を弱兵と侮るならば己の浅はかさを悔やむがいい! ここにはゲオルジオと、私がいるッ!>>
<<うっ、うわぁああああああっ!!>>
<<む、無理だぁあああああ!! 勝てる訳ねぇッ!!!!>>
黒髪のエルフ娘が振るう銀色の刃が嵐の如く閃き、帝国の傭兵達が次々に倒れてゆく。
シラハとゲオの威名と殲滅速度を前にして敵の傭兵達の士気が一瞬で瓦解していた。
このまま敵部隊は壊走するかと思われたが、不意に流れが止まった。
大剣を手にした金髪の大男が前に出て一喝すると――恐らく同時に帝国側の領域へ念話も飛ばしただろう――逃げていた傭兵達がピタリと踏みとどまる。
そして傭兵達は逃げるどころか反転し、再び戦列に加わって来たのだ。
傭兵隊長ヴァレスタインは、恐慌した傭兵達の士気を一発で立て直した。
シラハとゲオという二大脅威を前にして傭兵達を再度奮い立たせたのは、神がかった統率力と評価して良かった。
<<――こいつがコンドッティエーレ・ヴァレスタインか! シラハ! ゲオ! コンドッティエーレを討て!! そうすればこの戦は我々の勝利だ!!>>
グブラ伯ジザベルからの念話が響き渡る。
大剣使いの金髪の傭兵隊長がシラハとゲオを睥睨した。青い瞳が鋭い闘志を秘めて燃えている。
<<ここが分水嶺か……舐めるなよ。不利なんぞは過去に幾らでも覆して来たんだ俺は>>
周囲を固める傭兵達もまた隊長の闘志に応えるように両手剣を振り上げ咆吼し、猛然と駆け出した。
しかし、
<<良い気迫だ。良い闘志だ。評価しよう――だが、精神だけでは俺とシラハは殺せん>>
ゲオの念話が敵味方の領域に響き渡ると共に、眩く激しい光が、太陽の如く傭兵達の眼前で炸裂した。
●
神殺しからの閃光弾が荒れ狂い傭兵達の動きが一瞬止まる。
眩い光の中、シラハはその姿を掻き消した。縮地だ。黒髪の女エルフはロングソードを手にした海賊のような恰好の女傭兵の左側面に出現すると、下段から冬刀【リッカ】を一閃する。
フィリエンホルトの名工の手で鍛えられたという、柄頭に祈霊石が埋め込まれたミスリル製の片刃刀が、唸りをあげて走り、柔皮の鎧を鮮やかに斬り裂き、さらにその奥に包まれていた肉体をも熱したナイフでバターで裂くように滑らかに掻っ捌いて抜けてゆく。
刃渡り6ディジット(約60センチ)の剃刀のようなミスリル刀は、血に濡れて赤く輝きながら間髪入れずに飛燕の如く翻り、袈裟に女傭兵を斬り裂く。
稲妻の如き二連撃に苦悶の声と共に革鎧女の身がよろける。シラハは流れるように即座に一歩を踏み込む。左袈裟の斬撃が閃光の如く放たれる。
皮鎧女が堪えきれず宙に赤色を撒き散らしながら吹き飛んでゆく。半シーク(約0.5秒)の間にすべてが叩き込まれた、恐るべき早業だった。
<<てめぇ!>>
傍らに立っていた男傭兵が、閃光に眩んでいる目を細めながらも、シラハへと踏み込み長剣を振り下ろす。
女エルフは三つ編みを靡かせつつ、軽やかにステップしすり抜けるように紙一重でかわす。
<<つたないな>>
剣をかわす動作で男の側面へと回り込んだ細身のエルフは、既に身を捻り冬刀を振るう為の予備動作を整えていた。
一閃、二閃、三閃、嵐のような冷たい刃の光が一瞬で巻き起こり、斬り刻まれた長剣使いが血飛沫を噴出しながら吹き飛んでゆく。
残身を取りつつ素早く視線を走らせれば、緑色の外套に身を包んだ青年の姿が掻き消え、敵の熟練傭兵が鮮血を吹き上げながら倒れた。もう一人も既に倒れている。さすがの手並みだった。
唯一残っているヴァレスタインが雄叫びをあげながら大剣を凄まじい勢いで振り回す。しかし、ゲオルジオは上体を反らして一撃をかわし、続く連撃も剣を翳し鮮やかに受け流した。
(放っておいてもゲオルジオさんなら大丈夫そうだけど)
戦況を有利にする為には手早く決着をつけた方が味方にとって良いだろう。
シラハはリッカを腰の鞘に納めると、背中から長柄武器を取り出した。長巻【カルワリア】だ。柄、刃渡り共に半スパン(約75センチ)程の長さを誇るポールアームである。装甲の厚いヴァレスタイン相手ならば、こちらの方が有効だろうと判断した為だ。
ゲオルジオが反撃に長剣を振るい、ヴァレスタインの大剣がそれを受け止める瞬間、シラハは霊力を全開に解放した。
火力を増強すると共に生命力を燃やして猛加速し傭兵隊長へと、黒髪の女エルフが長巻を振り上げ迫る。猛撃、アクセラレイター。
「――ぐッ?!」
ゲオの剣をヴァレスタインが受け止めた瞬間、シラハが振るった横薙ぎの長柄刀が、男の胴へと叩き込まれた。
鎧が陥没し、鈍い音が鳴り響くと共に大男の態勢が大きく崩れる。
シラハは動きを止めず、長柄の刃を縦横無尽に弧を描いて嵐の如くに振り回した。
「うぉおおおおおおッ?!」
一瞬の間にヴァレスタインの鎧が砕け、爆ぜ飛び、その屈強な肉体が斬り刻まれ、鮮血が吹きあがる。
木の葉のように吹き飛んだヴァレスタインが背から斜面に叩きつけられ、シラハは間髪入れずに踏み込み、その胸を踏みつけた。
苦悶の息を洩らす金髪男の首筋に長巻の刃が押し当てられる。
女エルフは黒い瞳で冷然と見下ろしながら敵味方の共通の念話領域で言った。
<<命乞いを聞かせなさい、ヴェルキナ・ノヴァ帝国に付いた傭兵。同じアドホックの誼、再び帝国に付かないと誓うなら命は取らない>>
ヴァレスタインは忌々しそうに表情を歪めた。
<<……オーケー、わかった。降伏する。俺達は豊かな未来を掴みに来たのであって、未来を閉ざしに来た訳じゃあない。武器は捨てるから命ばかりは助けてくれ>>
シラハはふてぶてしい面の傭兵を無表情で見下ろすと言葉を繰り返した。
<<もう帝国にはつかないと誓いなさい>>
<<……まぁ、傭兵としての義理は果たした。良いだろう。今後は帝国からの依頼を受けないと誓おう>>
<<よろしい>>
黒髪の女エルフは頷き、刃を男の首から離したのだった。
その後、隊長が降伏した敵の傭兵隊は壊走、グブラ伯の部隊は前進し、女王ベルエーシュの部隊と共にボスキ公軍を挟撃した。
前後からの猛攻を受け、ボスキ公は必死に部隊を立て直さんと足掻くもかなわず壊走、夥しい被害を発生させながらも自ら先頭に立ってグレイブを振るい血路を開き、辛くも脱出、這う這うの体で国境の城塞都市ボスキ・デル・ソルへと逃走していった。
「次の戦いはどうなるのかしら……」
シラハは勝鬨をあげるフェニキシア王国軍の姿を斜面上から眺めながら思いを馳せた。
帝国は更に強大な軍隊をまた送ってくるだろうか? それとも逆に今度はこちらから攻め込む事になるのだろうか?
(もしまた来るのならば、今度も容赦はしない)
西のヴェルギナ・ノヴァ帝国の方角へと視線を移し、睨みつつ、吹く風に黒髪を揺らしながら女エルフは胸中で呟いた。
しかし、まずは、今日の勝利を祝いたい所ね、と、そう思ったのだった。
成功度:大成功
獲得称号1:銀刃
獲得称号2:黒毛の妖精
獲得実績:ガラエキア山脈の戦い結果=王国の大勝利