企業家社会において必要とされる政策と対策について考えるとき、重要なことは機能しないものを明確にすることである。
一般に理解されている意味の「計画」は企業家的な社会や経済には馴染まない。イノベーションはその本質からして、分権的、暫定的、自立的、具体的、ミクロ経済的である。予期せぬ成功や失敗、ギャップ、ニーズ、「半分入っている」から「半分空である」への認識の変化に見出される。
それら逸脱したものが計画屋の目にとまるようになった頃にはもう遅い。イノベーションの機会は、暴風雨のようにではなくそよ風のように来て去る。(p312)
前のセクションでは、社会的問題を解決する手段として、革命を期待すべきではなく、小さなイノベーションを積み重ねていくことだという主張がありました。本セクションではこれに続き政策によってイノベーションを成し遂げるのは無理だと言っているようです。
上記に挙げたように、政府の計画を立てるような人たちが、イノベーションの機会を目にするときにはすでに時遅しという状態であるからというのがその理由です。
さらに同じセクションでは、イノベーションをハイテク産業にのみ期待する社会の過ちを指摘しています。社会全体がイノベーションと起業家精神を奨励するべきであって、一部の先端的な技術だけにそれを求めるべきではないというのです。
「確かにハイテクこそ最先端の刃(リーディングエッジ)である。だがそもそもナイフがなければ刃は存在すらできない。活力にあふれたハイテク部門は、死体に健康な頭脳があり得ないのと同じようにそれだけで存在することはない。活力あるイノベーターや企業家であふれた経済がまず存在しなければならない。」 としています。
The first priority in talking about the public policies and governmental measures needed in the entrepreneurial society is to define what will not work.
“Planning” as the term is commonly understood is actually incompatible with an entrepreneurial society and economy. Innovation, almost by definition, has to be decentralized, ad hoc, autonomous, specific, and micro-economic. They are to be found in the unexpected, in the incongruity, in the difference between “The glass is half full” and “The glass is half empty,” in the weak link in a process.
By the time the deviation becomes “statistically significant” and thereby visible to the planner, it is too late.
2014/5/26