アメリカの黒人の地位は大幅に向上した。高校よりも上の学校へ進む黒人は白人の5分の1という割合から、70年代初めには白人と肩を並べるにいたった。しかし1980年代の今日、アメリカの黒人の多くは、コップに「半分入っている」ではなく、未だに「半分空である」としている。
1970年代以降、社会で活躍する女性はもはや特別視される存在ではなくなった。今日ではむしろ職業を持たない女性のほうが特殊であって、例外とされる。
1950年頃、アメリカ人の圧倒的多数が所得や職業の如何にかかわらず、自らを中流階級として考えるようになった。明らかにアメリカ人は自らの社会的地位についての認識を変化させた。中流階級とは、労働者階級とは異なり、自分の子供が学校の成績次第で出世していけると信じる人たちのことだった。(p105)
日本においても「一億総中流」という言葉がありました。経済成長によって上流階級の人たちしか持てなかった商品やサービスをたくさんの人が持てるようになったり、生活の自由度が格段に上がりましたので、人々の認識の変化はアメリカとあまり変わらないと思います。
本書では、中流階級意識を利用したイノベーションの事例として、一家の中から初めて子供を高校に行かせるようになった親たちに百科事典を売り込み成功した事例を取り上げています。
必ずしも生活に必要不可欠な物ではない商品やサービスが急激に伸びを示しているのは、この機会を利用したイノベーションなのかもしれません。
しかしながらドラッカーはこの機会を利用したイノベーションの困難さについて、次のように述べています。
「社会学者や経済学者が認識の変化を説明できるか否かは関係ない。認識の変化は既に事実である。多くの場合定量化できない。定量化できたとしても、その頃にはイノベーションの機会とするには間に合わない」
イノベーションの機会を7つに分類し利用しやすい順に並べたとドラッカーが述べているように、6つ目の分類ともなるとなかなか利用することも困難だということだと思います。
American black participation in higher education beyond high school was around one-fifth that of whites. By the early seventies, it was equal to that of whites and ahead of that of a good many white ethnic groups. But what a large part of the American black population actually sees today in the mid-eighties is not that the glass has become “half full” but that it is still “half empty.”
When it happened around 1970, these great women leaders became in effect “non-persons” for their feminist successors. Now the woman who is not in the labor force, and not working in an occupation traditionally considered “male,” is seen as unrepresentative and as the exception.
Around 1950, the American population began to describe itself overwhelmingly as being “middle-class,” and to do so regardless, almost, of income or occupation. Clearly, Americans had changed their perception of their own social position. “Middle class” in contrast to “working class” means believing in the ability of one’s children to rise through performance in school.
2014/3/27