風景を撮る・鈴鹿の山の魅力

時間と空間の記録

常日頃カメラを持ち歩くことが趣味の人間にとって、その被写体の多くが身の回りの風景となるのはごく自然のことです。毎日見慣れている景色でも、時間と共に少しずつ変化して行きますから、何気ない日常の風景を捉えた写真であっても、月日が経てばその時、その場所の唯一の貴重な記録写真となります。

2012.10.30 御在所山 大黒岩よりの一の谷・北面の大岩壁の紅葉

2012.10.30 中道のある御在所山・東陵  おばれ岩や地蔵岩など花崗岩の奇観が多い

私は毎年、春と秋には知人と連れ立って鈴鹿の山へ出かけ新緑と紅葉を楽しむことが季節の行事となっていますので、自然とその山歩きの記録を写真に残しています。一度の山行きで数百枚の写真を撮るのが普通ですから今ではその数も馬鹿になりません。

そこで、これらの写真の中から気の利いたものを抜き出して鈴鹿山脈の四季折々の姿を自分なりに捉えてみました。自然の風景は場所により、季節により、天候により様々な形をとりますから、同じ場所の同じ構図の写真あっても、時には全く異なった姿で見る者を楽しませてくれます。

2014.05.09 御在所山・大黒岩から見た一の谷北壁の春・満開のアカヤシオが美しい

2012.10.30 御在所山・大黒岩から見た一の谷北壁の秋・紅葉万彩

鈴鹿山脈は北から滋賀の霊仙山に端を発し、御池岳、藤原岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所山、鎌ヶ岳、仙ヶ岳、高畑山、油日岳へと連なり県境となる主稜線の山々とその北西部に広がった朝日山、日本コバ、銚子ヶ口、イブネ、クラシ、雨乞岳、綿向山などの近江側の山群、および主稜線の南東部・三重県側に位置する雲母峰、入道ヶ岳、野登山などの山々の総称です。

マリーナ河芸より遠望する鈴鹿山脈の中・北部。仙ヶ岳から入道、鎌、御在所、釈迦、竜、藤原、御池までの山陵が見渡せる

鈴鹿山脈が今日のように起伏に富んだ山脈としての姿を見せ始めたのは比較的新しく、新生代第四紀以降およそ100万年程前頃からで、それ以前は起伏の少ない平坦な地形であったようですただし鈴鹿花崗岩の主稜線部分はすでに中新世・日本海拡大当時には地表に露出し始めていたことが分かっています ( もう少し詳しい説明は " 鈴鹿山脈の成立 "で別のページに書いてあります ) 

伊豆半島の追突と沈み込みは、本州中央部に著しい圧力を加え、本州の地殻は逆V字型に押し曲げられて地質帯の連続性も断たれてしまう。この力によって地殻深部にあった花崗岩には強い浮力が働き急速に上昇を始めたという ( 上写真: 産業総研 シームレス地質図より  )

1500万年前頃日本の太平洋岸からフィリピン海プレートに乗った伊豆諸島が日本列島に衝突して沈み込み始め、海洋プレートの沈み込みと相まって日本列島の太平洋側地殻に複雑な圧縮応力を加えます。ことに伊豆半島が日本列島に沈み始めた100万年程前頃から日本列島の中央部に加わった圧縮応力は非常に強く本州中央部の地殻を大きく変形させました。

伊豆半島の追突はフィリピン海プレートの沈み込みと相まって地殻内部にも強い圧縮力を加え、この力によって他の岩石に比べて相対的に比重の軽い花崗岩が地殻内部から地表に押し出されて隆起を始めたそうです。

鈴鹿花崗岩

今日、花崗岩は鈴鹿山脈南部の油日岳から竜ヶ岳南面に至る山脈主稜線部分を中心に地表に分布していて鈴鹿花崗岩と呼ばれています。他の岩石に比べると花崗岩は密度が低いため地殻内部の圧力によって浮力が働き、鈴鹿山脈も東西圧縮応力を受けて鈴鹿花崗岩が中央アルプスや南アルプスなどと共に激しい隆起を始め地表に露出した花崗岩帯は山脈の主稜線部分を形成し今日の鈴鹿山脈となりました

鈴鹿山脈中・南部鳥観図  手前が伊勢湾側、奥が近江側 カシミール3D・カシバードにより作成しました

鈴鹿山脈中・部鳥観図  手前が伊勢湾側、奥が近江側 カシミール3D・カシバードにより作成しました

隆起の中心は山脈の東縁で、山脈東部の伊勢湾側に一志断層系と呼ばれる多数の断層群を持ち新生代・第四紀、更新世以降100万年前頃から東西圧縮場に応じて、地下の花崗岩がこれらの断層に沿って急速に上昇し西部の近江側に広がった地殻を持ち上げて、東に高く西に低い傾動地塊と云う地形構造をとるに至ったそうです。

2009.10.11 鈴鹿花崗岩の代表のような山、鎌ヶ岳。南・北の両面から風化による崩壊が進み、鈴鹿山脈中でも鋭鋒として知られる

2022.05.29 御在所山・北谷より見上げた御在所山 東陵の地蔵岩と立岩。御在所山の南東壁と北東壁は花崗岩の大岩壁に覆われ、崩落した花崗岩の転石が本谷と北谷を埋める。

2009.05.09 一の谷新道より見上げる大黒岩

2014.05.14 藤内小屋横の北谷を埋める花崗岩転石。2008年9月の集中豪雨の土石流は谷筋を一変してしまうほどの転石をもたらした

花崗岩が地表露出したのは東部の山脈主稜線部分の周辺部のみで、北・西部では花崗岩の隆起以前に地殻を形成していた中生代から古生代に至る付加体や湖東流紋岩と呼ぶ中生代・白亜紀から新生代・古第三紀に琵琶湖東岸を中心に活動した巨大火山の噴火堆積物が花崗岩の上層部にあり地殻表層を形成しています。

古生代・中生代の地殻と湖東流紋岩

2011.11.26 東雨乞岳から雨乞岳の山頂部は古第三紀に活動した湖東流紋岩類に由来する花崗斑岩(脈岩)が表層を覆うが山腹部分は中・古生代の付加体に覆われている。花崗斑岩は火山岩に近く古第三紀の活動当初に既に地表近くまで上昇し一部は地表露出していたとみられる

鈴鹿山脈の西部で花崗岩の隆起が少なかったことは、この地域で地殻表層を深くまで開析している愛知川・神崎川・野洲川などの河川流域においても花崗岩(深成岩)の露出が見られず、中・古代の地殻が表層露出して、山頂部分には準平原と見られる過去の平坦な地形を残しているとからも明らかです。

2011.11.26 東雨乞岳より見たイブネ・クラシ、左奥に日本コバが望まれる。これらの山の山頂部は湖東流紋岩類で覆われているが、中新世・日本海開裂期の海進の際に準平原化したとみられほぼ同じ水平面で切り取ったように平坦な山頂地形を形成する

その結果、地域によって山の表層地質が異なり、鈴鹿花崗岩の露出を免れた地域では、その上層に位置する中・古生代の付加体や日本コバ周辺では湖東流紋岩類が表層を覆って地表環境にも大きな差が生じています。

2012.05.13 新緑の入道ヶ岳は馬酔木の赤い新芽が目立つ。鈴鹿山脈主稜線から東に外れた 入道ヶ岳や雲母峰においても中生代・ジュラ紀の付加体が表面を覆い花崗岩の山には見られない光景を見せる

石灰岩の山

また山脈の北部と南部の一部には、赤坂石灰岩に代表される古生代・石炭紀から中生代・三畳紀に渡る環礁性石灰岩が付加していて、霊仙山、御池岳、藤原岳などでは石灰岩地帯特有の景観を見ることができます。

2022.05.18 霊仙山山頂部を覆う石灰岩カルスト地形。霊仙山最高点より。背後は琵琶湖北岸・長浜の海岸線

2012.10.14 経塚山より近江盆地の遠望。石灰岩は僅かに水に溶けるので多年の歳月を経て地表には雨水の浸食により石灰岩柱が突出する

2021.05.18 霊仙山・お虎ヶ池  石灰岩柱とともにカルスト地形を代表する陥没地形ドリーネ。多くのドリーネを持つ御池岳などその名からしてドリーネ

2019.10.05 御池岳・ボタン渕より眺めた奥の平。広々としたカルスト平原は牧場かゴルフ場を思わせる

2022.04.30 御池岳北面の林間にできたドリーネの池。御池の周囲にはこのような池が多い

ただし石灰岩は水に溶けるからと言って、風化しやすいという意味ではありません。分子結合が緻密で花崗岩のように間隙水の浸透を許さず、風化に対しては強い耐性があります。

このため地殻が隆起してもよほど歳月を経ないと深く開析を受けることが少なく、御池岳や霊仙山などの山頂部分に見られる平原地形は過去の準平原面が開析を受けずに残されたものだと考えられます。

2022.05.18 霊仙山・西南尾根。 尾根を挟んで琵琶湖に面した北西斜面は樹木におおわれているが、南東斜面カルスト地形で登山道も無数の石灰岩柱の並ぶ尾根を行く

2022.10.27 霊仙山・西南尾根 南東斜面は石灰岩と丈の低い草原が行者の谷の手前まで続く

2021.11.05 霊仙山 行者の谷へと続くカルスト地形。谷の上部は植林を免れた落葉広葉樹林帯が辛うじて残され美しい紅葉の帯となっている

2021.11.05 霊仙山 行者の谷上部の紅葉帯

地質の違いによって生まれる地形や植生の差異は鈴鹿山脈の景観に様々な変化を与え、季節や天候による変化と相まって、山を歩く者に時には時に深い感動や驚嘆を時には不安や恐怖をももたらしますが、それらもまた月日が経つと懐かしく楽しい記憶となるように思います。

鈴鹿山脈の標高は最高でも御池岳 1247mで、雨乞岳 1238m、御在所 1209mと続き標高1300mを越える山さえなく、日本アルプスのように2000mを越える山の並ぶ山系から見ればまことに規模の小さい低山の集まりと言えるかもしれませんが、変化に富んだ山歩きはそれなりに素晴らしい魅力を持っています。

鈴鹿の山を深く愛した奥村光信さんのように多数の山を極める力もありませんが、こんな山の近くに生活できる幸運に恵まれたことに感謝して、機会を見つけては山へと通う日々です。

このサイトを作るに当たり、良友の渥美良三氏には山の案内や写真撮影において多大の助力を賜りました。御在所以北の山のページは氏の存在がなければ成立しえなかったものです。ここに渥美良三氏に対して深く感謝する次第です。