鈴鹿川・礫岩、砂岩

礫岩・砂岩 

鈴鹿川上流域や加太川の流域には中新世・日本海拡大期の展張場によって地盤が水没し堆積した礫岩や砂岩層が存在します。当然これらを母岩とする転石も存在するわけですが、思いの外見つかりません。

勧進橋上流で集めた礫岩と砂岩。日本海拡大期の堆積岩

地質図からも分かるように、これらの石は上流水系の流域面積のかなりの部分を占めており付加体の混在岩よりも転石の密度が濃くても良さそうに思えるのですが探してみると黒色をした古生代の砂泥岩ホルンフェルスよりも遥かに数が少なく見つけにくいものです。

花崗岩やホルンフェルスのように火成作用によって誕生した石でないこと、古生代や中生代の付加体堆積岩に比べると固結した年代が中新世以降と新しいことが石の風化侵蝕を早め、転石として河川に長く留まっていることが出来ないのがその原因であろうと思われます。

砂岩は構成粒子も小さく粒子の種類( 普通は花崗岩質の石英・長石・黒雲母粒か泥質岩の細粒 )も乏しいため石の表情にあまり変化は見られないが、礫岩は礫種やサイズもまちまちで石の表情も変化に富み砂岩よりは面白い

拾ってきた礫岩の礫種は上の写真でも分かるように、概ね花崗岩質で石英や長石が多く中にチャートやホルンフェルスが含まれます。基質は石英・長石・黒雲母で主に加太花崗閃緑岩が砕屑されて堆積した様です。これらの礫岩転石の源岩は加太川・鈴鹿川周囲に大量に堆積する鈴鹿層群の板屋礫岩層・梶ヶ坂含礫砂岩層・観音山含礫砂岩層、筆捨礫岩層・石山砂岩層などとみられ石山砂岩層以外は非海成の湖沼堆積物です

どれも今から1800万年~1700万年前 前後、日本海拡大に伴い西南日本の地殻が薄化し正断層で引き延ばされてに地盤沈下した環境に堆積したもので礫を結合させているマトリックスは完全に固結していますが風化して脆い部分もあって少し力を加えたりするとそこから礫が外れてバラバラ崩れたりします。河川を転動して流下する間に礫が取れたりマトリックスが崩れたりして消耗が激しいのもうなずけます。

しかし礫の固結が良い転石を磨いてやると中に含まれた色とりどりの礫が面白い表情を見せてくれるので磨く楽しみも多い石です。下の写真は石山砂岩層に刻まれた磨崖仏  三十三番  聖観音立像。石山砂岩層は主に細粒から粗粒の花崗岩質の砂岩でこの層は日本海拡大の終盤、地盤の沈下と全世界的な海進で鈴鹿山系一帯が海面下に没したころの海成堆積層です

上は石山砂岩層の含礫部。石山砂岩層はその名のように殆どが細粒~粗粒の花崗岩質の砂が凝集したものだが礫を含む部分もある

多数の摩崖仏が刻まれた石山砂岩層は鈴鹿川に隣接する中ノ川水系で転石は鈴鹿川には流下しませんが、観音山層や筆捨礫岩層は鈴鹿川上流域の観音山から羽黒山、雨引山の山麓一帯に分布しており鈴鹿川と支流の小野川、桜川を通じて転石が鈴鹿川へと流れ込みます。

上は観音山礫岩層の露頭で右の拡大写真を見ると礫種が分かりますが五万分の一地質図幅亀山によると礫種は「チャート・ホルンフェルス・砂岩・粘板岩が多く,それに少量の花崗岩・“石英斑岩”の亜円―亜角礫 から構成される」とのことです 

礫岩は含まれる礫種のサイズや彩りに多彩な変化を見せる転石を見つけると磨くのが楽しみになる石の一つ。ただ風化してマトリックスの鉄分が酸化していると削ってもサビだらけになるし、すぐバラバラになり綺麗に磨けない

上は芸濃町楠原西端の旧採石場に分布する忍田礫岩層の礫岩巨石で、現在より1700~1800万年程も前の日本海拡大期の山麓扇状地に堆積した様です。ただ現在では太陽光発電施設に変わってしまい立ち入れません。

砂質のマトリックスで固結された礫はチャートが卓越し、流紋岩質の凝灰岩や火砕流堆積物等の火山岩がそれに次ぎます。

中新世の礫岩の転石は脆くて河川で消耗しやすいので、原岩に近い上流域で探さないと気に入った石はなかなか見つけられない。

これらの中新世の礫岩は、どれも主に加太花崗閃緑岩やチャートの砂礫で構成されており、日本海拡大期の終盤に水没して堆積したものです。拡大を続けた日本海側では大量の火山岩が噴出・堆積しましたが、鈴鹿山脈南部~布引山地北部の一帯には当時火成岩類よりも大量の花崗岩質砂礫を供給することが出来る花崗岩質の山地の広がりがあったこと、チャートを主とする古紀の付加体が大量に露出していたことを裏付けています。また今日では東近江の一部にしか残っていない湖東流紋岩類も当時はまだ鈴鹿山脈の一帯にまで残っており、これらの花崗岩質砕屑物もあったことと思われます。

礫岩のような堆積岩は、今日では侵食されて地表から失われてしまった堆積当時の水系後背地の地質環境を岩石中に取り込んで保存しくれるため、当時の後背地環境を知る上で大変重要です。ことにこれらの中新世堆積岩は日本海の拡大期・西南日本の内帯が現在の位置に定置する直前の環境を記録しているため、日本海拡大のイベントを知る上でも重要な役割を持っています。