注連縄と鏡餅

私の子供ころ、お正月間じかになると、母は決まって近所のモチ屋さんに頼んで餅をついて配達してもらつた。

床の間に飾る直径25cm程の上下セットの鏡餅が一つ。神棚、玄関、台所それに居間に飾る直径10cm程の小さいセットの鏡餅が四っ。

もう一種類は大きな木箱に何枚も重ねて配達されるのし餅。一臼一枚にのされたものを小さい頃は4臼分頼んでいたものだが、年と共に数が減り、中学の頃には二臼になった。

のし餅が配達されると、自宅の平たい木箱に移し、柔らかいうちに切餅にしないといけない。

しばらく置くと、たちまち硬くなって包丁で簡単に切れなくなるから、配達されたその日のうちに米粉をまぶして切りそろえて箱に詰めてゆく。

この非日常的な作業は、何時も私のお気に入りで、母が四角く切りそろえるのを待ち構えて、なるべく大きさを合わせるようにして順番に箱へ並べては嬉しがっていた。

切り餅と云っても昨今の様に機械で量産される切り餅なら、その大きさや厚みもみな規則正しく同じになるのだろうが、餅屋が手作業でのし広げたものだから、切る場所によって厚みがまちまちで同じ大きさにそろえても、餅一個づつの重さが変わってしまう。

母は、これをなるべく同じ量になるように切ってゆくから、厚みに応じて段々に大きさが変わり、縦に並べてゆくと餅の切り口が緩やかな曲線を描いて変化して行く。

餅箱に緩やかなカーブを描く餅の列が幾つも出来あがってくると、山の尾根道の様なその曲線を見るのが私にはなぜか嬉しかったものだ。

今思うと、このなんでもない作業の何が楽しかったのか不思議な気もするが、お正月を間近に控えた師走のうきうきした気分が、この時期のちょつとしたことがらにもより一層輝きを与えていたのだと思う。

何時も鏡餅が配達される頃になると、お正月を迎えるためのさまざまな年賀用小道具をリヤカーに積んで売り歩く商売人が現れる。

当時は注連縄など町の店に並ぶことはあまりなく、農家の器用人が農閑期の小遣い稼ぎに作りためておいてこの時期直接売り歩いていたようだ。

彼らから買うのは玄関用の立派な注連縄、台所や便所や裏口、それに神棚にも飾るトンボと呼ばれる簡単で安い注連縄。

それ以外では、鏡餅に添える裏白の葉と、葉っぱの付いたダイダイかミカンも彼らから買った。

串柿やスルメイカも必要だが、こちらは何時も近所の八百屋で買い揃えていたように思う。

材料がそろうとまず鏡餅を飾りつける。白い半紙を先端が少しずれて重ならないように三角に折り三宝の上にしく。鏡餅をその上に乗せて裏白の葉、スルメイカ、串ガキ最後に葉っぱの付いたダイダイを置いて完成。

注連縄の飾りつけは、まず半紙を短冊に切り、その両側から互い違いに切れ込みを入れる。切り込まれた部分を交互に折り返して紙垂を三つ作り注連縄の藁に挟んで垂らす。

注連縄の真ん中に裏白の葉と、葉のついた橙をさしこむ。橙は落ちないように枝の部分を細い針金で注連縄に固定する。あとは大晦日に玄関につけるだけだ。

トンボの方は紙垂を下げるだけで完成。こちらの紙垂は短冊の短辺より二箇所に細長く斬り込みを入れ、切られた真ん中を折り返して吊り下げる。このとき短冊を二枚重ねにして作ると下げたときに見栄えがする。

こちらも大晦日の日に、台所やら便所やらに飾った。何のために注連縄を飾るのか母に聞いたが、一年間の厄払いと新年への祈念を込めたお飾りだとの返事だった。

正月も終わり、鏡開きも済んだころに、かき餅にするため母はもう一種類餅を頼んだ。

こちらは赤や黄に色づけられ、牛乳パックほどの長方形に形を整えられた餅の塊で届けられたが

受け取るとすぐにかき餅にするために包丁で薄く切りだして、餅箱や畳の上に広げた新聞紙に並べて乾燥させる。

かき餅だから正月前の切り餅より遥かに薄く切る。乾燥させるために一枚一枚重ならないように平らに置いてゆくから、新聞を引いた餅箱はたちまち一杯になり、残りは畳に敷き詰めた新聞の上に次々とひろげられる。

一部は少し厚めに切りさらに細かく切ってあられにする。これも新聞に広げて乾燥させるので、狭い家の畳はしばらくの間、かき餅に占領されてしまった。私はいつも硬くなるまで待ちきれず一枚二枚と持ち出しては、火鉢で炙って食べていた。

火鉢も最近はもう見られなくなってしまったけれどもちを焼いたりあられを炒ったりするのに大変便利な道具だった。陶器でできたものと、銅製のものと二種類あったが熱伝導の良い銅製火鉢は結構高くて我が家では手が出なかったのではなかったか。

陶器の火鉢にも、小型のヤカンを乗せるのがやっとの小さいものから、大型で鍋でもかけることの出来るものまで大小色々あって、我が家でも冬場は日常的に大小2つの火鉢を使っていた。

陶器火鉢の周囲には色んな彩食が施されているものが多く、家にあったものには火鉢のぐるりに青色で中国風の山水画が絵付けされていた。

火鉢にそって描かれた絵を見てゆくと、最後に火鉢を一周して絵が元の場所に帰ってくる。このなんでもないことが小さい頃の私には大層興味深く思われ、ぐるりに描かれた絵を見てゆくと自然と火鉢の中の山水の世界に吸い込まれてゆくような不思議か快感を味わったものだった。

火鉢の中には半分ほど灰を入れその真中に燃料となる炭や消し炭や豆炭を入れる。大型の火鉢では、時に火力の強い連単炭を入れたりする。

炭を埋け込んだ回りの灰の上に五徳を置き、その上に焼き網や鍋やヤカンを掛けるとそこで餅を焼いたりお湯を沸かしたり煮炊きしたりすることが出来た。

五徳と云う単語も今ではあまり聴かれ無くなってしまったけれど、現在のガスレンジでもバーナーの周りには四ツ爪の五徳が置かれていて鍋やヤカンを掛けるようになっている。

ただし火鉢を使う際には座りが良いので大概は三ツ爪の五徳であったと思う。

五徳の真ん中に埋けた炭は、火をつけても灰をかけておけば火種が長持ちし、灰から出して新鮮な空気に当ててやるとどんどん煽って火力が強くなる。

火鉢で煮炊きしたり餅焼きしたりする際には、ある程度火力が欲しいから灰から出して息を吹きかけ加勢を強めて火力調整を行った。

現在のガスや石油のバーナーなら、ツマミ一つで自由に火力調整を行うことが可能だが、火鉢の炭火は、炭の埋け方や灰の掛け方によって微妙な火力調整を行い発生する熱を無駄にしないよう工夫したものだ。

昼間のあまり使わないときには、灰をかけて炭を埋けこんでおけは半日ほども火種をもたすことも出来たのではなかったかと思う。

家では、冬場のおやつと言えば切り餅と決まっていたから、最も火鉢が活躍するのは餅焼きの際で、