ほうねんえび

絶滅種という悲しい言葉があるが、私にとっても、過去にはいたるところで見られたのに、今ではまったく見ることが出来なくなった生物は、個人的体験の範囲で絶滅種といえるだろう。そんな生き物のひとつが豊年エビである。

同年代の方なら、6月の田植えが済み、稲の苗が根付き始めた頃、水田に張られた水の中に、おびただしい数の豊年エビが突然湧き出して、泳ぎ回っていたのを憶えておられる方も多いだろう。もちろん、彼らがまだ身近ににたくさん住んでいる地域も方々にあると思う。

五十数年前、田植えは今と違って、水が温まり、水の心配の少ない梅雨時の5月末から6月始めに行われたものだ。田に水が入り、真っ先に乗り込んでくるフナやメダカを掬い取るのにも飽きた頃、水中におびただしい数のエビに似た生き物が湧き出して泳ぎまわった。

田の取水口をタモですくうと重くてタモが上がらないほど一杯に捕れたものだ。小さかった私には、その生き物が、いつも何の前触れもなく、どこからともなく突然に田に現れるように思えて不思議でならなかった。

水田と云ってもそれは夏までの話だ。8月が過ぎれば田の水も抜かれ、冬から春は菜種や蓮華や麦の畑に変わる。だから稲刈りから皐月咲く頃まで、田には彼らが暮らしてゆけそうな水たまりはない。パスツール先生ではないが、子供ながらに、生命の自然発生が不自然だと感じていたのだから我ながらたいしたものだと思うのだが、当時の私にはそれほどに神秘的な生き物であった。

実際は夏に田へ産み付けられた卵が乾田の土中で冬越しし、初夏に卵が孵って突然湧きだしたように見えるのだが、さすがにそこまで考える知恵はなかった。

思えば当時の水田は子供にとって楽しい場所であった。田植えが済んで田に水が通い出すと、さまざまな魚が取水口の中から姿を現し、暫く立つと取水口の周りには、数種類の藻が茂りだす。中でも美しいのは緑のレース編みの様な金網状の藻(アミミドロ)で毎年水田に一週間程の短い期間繁茂しては消えてゆくのだった。

そして夏に入る前、水田は一面浮草に覆われる。水田の中で浮草が層をなし腐って枯れだすころ水田の水は抜かれて、田の上をギンヤンマが舞い始める。

私が芸濃町に越してきた当初は、まだ山間の田で豊年エビの姿を見ることが出来た。1986年 7月20日に川向うの田で撮影したビデオが手元にあるが、そこには赤い目をした半透明の彼らの姿が沢山映っている。まだ川に架かる満足な橋もなく、川向うには草刈りを怠れば雑草で埋まってしまう狭い田圃道以外に道もなかったころのお話である。

1985.6.3のビデオより。まだ当時の山田は生き物にあふれていた。

今、我が家の周りにある方々の田を調べてみても、もはやあの不思議な生き物の姿はない。田植えと共に、水路という水路に入り込み、泳ぎ回っていたフナ、モロコ、タナゴ、メダカ、ドジョウはてはコイ、ウナギ、ナマズにいたるまで、まるで魔法にでもかかったように私の周りからは消え去ってしまった。

我が家の前を流れる中ノ川ですら、フナやモロコ釣ることが出来たのは十数年前まで、今では、シラハエとコイとヨシノボリ以外めぼしい魚は殆ど目にすることが出来ないありさまだ。「中ノ川における魚の昔の呼び名」(2004年12月:水辺づくりの会 鈴鹿川のうお座)という調査報告を見ると、過去には(たぶん戦前から戦後まもなくの頃辺りの記憶の聞き取り調査)我が家の前(芸濃町林川原)では20種ほどの川魚が日常的に目撃されていたのに。

私が自然について何か書こうとすると、いつもこんな風で、生き物が激減してしまった記憶ばかり目の前にちらついてしまう。この逆の思いを味わえる日々が、何時の日かこの国に訪れるのであろうか。