桂浜の石

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坂本龍馬が生まれ育った土佐城下を鏡川に沿って南下し、浦戸湾を抜けて太平洋岸に出ると、龍馬の銅像やよさこい節に月の名所と歌われた有名な桂浜があります。海岸には太平洋の荒波で綺麗に円磨された砂利浜が広がり、色とりどりの小砂利にはとても美しいものがあるそうです。

小さなものは10mm以下、大きいものでも40mm程の桂浜の石。どれも丸くて綺麗だ

この浜の砂利を桂浜に遊びに行った娘が少し拾ってきてくれました。手元で見てみると白・黒・緑・赤・黄と色鮮やかな可愛い小石ばかりです。三重にも熊野の七里御浜のように円磨した砂利からなる海岸がありますが、此方の石は那智黒石で知られる黒色粘板岩と白っぽい流紋岩系火山岩の礫が主体で桂浜の石ほどに色彩の変化は見られません。

桂浜の石の見た目では白は石英、黒は黒色頁岩( 泥岩 )、緑・赤・黄はチャートのように思えます。果たして私の乏しい知識でこれ等の石の種類を言い当てることが出来るものか、そぞろに楽しくなってきました。そこでまず色と質感で適当に幾つかのグループに分けてみました。

チャート

まずは、比較的判別が容易に思われた堆積岩のチャートをあつめてみます。日本で産するチャートは層状チャートと呼ばれるもので海洋微生物起源の堆積岩です。右上の小さい縞模様は砂泥質岩系の堆積岩のようですが一応堆積岩ということで一緒にします。他にも多色頁岩やら他の種類の石も潜んでいるかもしれませんがそのへんは愛嬌です。

赤・黄・黒・白と彩り豊かで眺めていても飽きません。私の家の近くにも、中新世から鮮新世にかけてチャート礫が主体に堆積した凝灰質の小山がありますが、山地近くの河口部 ( 扇状地 ) に堆積した礫のため、こぶし大の石も多く結構角ばった石もみられます。

桂浜のチャート。多くのチャートにはたいてい沢山の石英脈がはいっている

チャートの成因を見てみますと、もともとは深海底に堆積した珪酸質の生物遺骸からなる珪酸軟泥がプレート移動によって海溝に沈み込み加圧と温度上昇によって脱水固結します。この状態はオパールと同じ非結晶鉱物ですが、さらに変成 (埋没続成) がすすむとオパールが間隙水に溶解し石英に相転移して沈殿します。通常のチャートはこの状態です。

沈み込む過程で、沈み込む海洋地殻の一部が陸側地殻に強く押し付けられて取り残され陸側地殻に底付けされて付加体となります。この時働く強大な力によって、未だ十分固結していないチャートや泥岩は複雑に褶曲し今見るものを驚かせます。私の中学時代の地質学ではこの様に複雑な褶曲を素直に納得出来る説明がなく、地学の本を読む度に首を捻ったものでしたから、プレート移動と付加体の概念が登場したときは感動したものです。

近くの西行谷塁層の凝灰質のチャート礫層

鈴鹿山脈の美濃丹波帯層状チャート( 珪岩 )の褶曲面

チャートにはその内部に生物化石を見分けられるものがありますが殆どそれらしいものを確認できないものも多くあります。普段見かけるチャートは褶曲の過程で生じる無数の亀裂に、沈み込む過程で押し出された間隙水が入り込み水に溶け込んだ石英が沈殿結晶した石英脈が縦横に入っています。軟泥より石英に転移する続成作用の過程で堆積当初の生物質の構造は徐々に失われてゆくようです。幾つかのチャートとみられる石を拡大してみました。他の石が混じっている可能性もありますが違ったらゴメンです。

色はまちまちですが、大小の石英脈が横切りつるつるした緻密な表情はどれにも共通します

チャートの色は二酸化ケイ素中に僅かに交じる元素や鉱物によるそうです。穴がたくさん見られるものは放散虫の痕跡でしょうか

なかには表面が多孔質のものもありますが、緻密な表面の質感はどれも似通っていて色による差はあまり感じられません。石英脈の多寡はその石が辿ってきた続成作用の差を表すものなのでしょう。ではこれらのチャートはどこから来たのか? 桂浜周辺の地形から、桂浜に運ばれてくる石は浦戸湾に注ぐ鏡川・久万川・国分川もしくはその周囲の仁淀川・物部川の水系からもたらされたと思われます。これ等の川の上流水系の地質は非常に複雑ですが、大まかに次の4種類の地層にわけられます。

まず第1は浦戸湾の最深部、鏡川・久万川・国分川の河口付近を通り西南西及び東北東に伸びるライン ( 仏像構造線と呼ばれています ) と四国南部の海岸線までの範囲に分布する、白亜紀前期から中新世にかけて形成された付加体からなる四万十帯。桂浜のあたりでは白亜紀前期四万十北帯の付加体です。構成岩は泥岩・多色頁岩・チャート・玄武岩・石灰岩などです。

第2は四国中央部、鏡川・国分川・物部川等四国南部河川の分水嶺をなす中国山地東西稜線と南の仏像構造線の間に範囲に分布するトリアス紀末よりジュラ紀後期に形成された付加体よりなる美濃-丹波帯。私の家の近くでは三重県北部から滋賀県にかけて白亜紀の両家花崗岩帯とともに鈴鹿山脈を形成している地層で四万十帯同様に泥岩・頁岩・粘板岩・チャート・石灰岩・玄武岩などからなります。

四国の地体構造区分 南より黄-黄緑:四万十帯 緑:美濃-丹波帯 赤・青:三波川変成帯 黒:黒瀬川帯 桃:領家帯 BTL:仏像構造線 MTL:中央構造線 ( 地学雑誌Vol.119 No.6 日本列島の地帯構造区分再訪 より )

まず第1は浦戸湾の最深部、鏡川・久万川・国分川の河口付近を通り西南西及び東北東に伸びるライン ( 仏像構造線と呼ばれています ) と四国南部の海岸線までの範囲に分布する、白亜紀前期から中新世にかけて形成された付加体からなる四万十帯。桂浜のあたりでは白亜紀前期四万十北帯の付加体です。構成岩は泥岩・多色頁岩・チャート・玄武岩・石灰岩などです。

第2は四国中央部、鏡川・国分川・物部川等四国南部河川の分水嶺をなす中国山地東西稜線と南の仏像構造線の間に範囲に分布するトリアス紀末よりジュラ紀後期に形成された付加体よりなる美濃-丹波帯。私の家の近くでは三重県北部から滋賀県にかけて白亜紀の両家花崗岩帯とともに鈴鹿山脈を形成している地層で四万十帯同様に泥岩・頁岩・粘板岩・チャート・石灰岩・玄武岩などからなります。

第3は美濃-丹波帯以北から四国北部を東西に縦断する中央構造線MTLまでの範囲に広がる三波川変成帯。変成帯の名が示すようにこの地層は白亜紀前期から中期の付加体が、プレート境界にそって地下40km以上地殻最深部あたりまで沈み込んだ後、下部の圧力によって今度は逆に地表近くまで押し出されて薄いシート状岩体として再結晶したものだと考えられています。結晶片岩からなります。

最後は第3の美濃丹波帯の内部に東西に細長く帯状に分布する黒瀬川帯です。第4の黒瀬川帯は、地層の中でも極めて特殊で、古生代前期から後期にかけての火成岩・堆積岩・変成岩の少岩体が蛇紋岩帯 ( 地殻最深部の橄欖岩を源岩とする超苦鉄質岩 ) に織り込まれた形で分布し、岩体の形成年代とその配置や塁重との間に何らかの相互関係を見出すことすら困難な非常に複雑な地質体です。

狭い範囲に、形成された年代・位置・成因さえ全く異なった岩体が混在していてるのが特徴です。美濃丹波帯形成以前に、古生代地殻の大規模な浸蝕が生じて様々な種類の古生代地殻が海溝に沈み、地殻深部で蛇紋岩体に捕獲されて上昇し再度地表にもたらされたと見られています。

桂浜の周辺域の河川は、これら4つの異なった地質帯をその水系の上流域に持ち、これらの地域の構成岩類は風化浸蝕をうけて各河川づたいに桂浜周辺の太平洋に面した海岸に流れ着く事ができます。ただ三波川変成岩のように太平洋に注ぐ河川の最上流部に位置し、分水嶺に達していなかったりすると太平洋岸の浜まで流れ着く確率は少なくなります。拾った石のなかには3個結晶片岩がありましたから、仁淀川や物部川の最上流部からもたらされたのではないかと想像しています。

高知周辺の地質図 薄茶色で細い帯状配列しているのがチャートブロック ( 産業技術総研 日本シームレス地質図より )

ではチャートについてはどうでしょう。第1の四万十北帯には高知市を通り東西に広がる山地部分に細い紐状配列をなして多数のチャートブロックが点在しています。更にその北部に広がる美濃丹波帯にも、仁淀川・鏡川・国分川の上流部に沢山の帯状配列をなすチャートブロックの存在が確認できます。上の地質図では薄茶~橙色に見える紐状の領域です。

桂浜のチャートがこれらの地域の母岩から過去のある時期に切り離され、河川による砕屑浸蝕を受けながら河川を下って海岸に押し出され海の波濤で更に円磨されて今日に至った訳です。母岩がどちらの地質帯に属したものかは分かりませんが、チャート内部の微化石が取り出せればその帰属は確認できるでしょう。

その堆積年代は美濃丹波帯のものでは3億年以上も前の石炭紀にまで遡ります。このころ地上には巨大なシダの森が茂り爬虫類と昆虫が栄えた時代で、未だ恐竜も哺乳類もいません。すでに日本の母体となる地殻は中国大陸の縁辺に生まれていて、海溝には更に古い時代の海洋地殻が沈み込み付加体の誕生と大陸地殻の削剥を繰り返していました。

四万十北帯のチャートでも古いものは2億5千万年以上前のペルム紀ですから、地球上の大陸が全て衝突して超大陸パンゲアが生まれ、大陸衝突の結果沈み込んだ大量の地殻が巨大プルームの発生を招いて地上が超巨大火山に覆われて、生物の大量絶滅が起こったと言われる時期。ちっぽけな日本など何処にあったとも良く分からないような、遥か彼方の遠い遠い昔の出来事です。

結晶片岩

しかしそんな想像を超えた時代から、誠に穏やかな小さい小石が今手元にやってきたことを思うと、この地球の歴史の壮大さと不思議さを嫌でも考えてしまいます。不思議といえば次に上げる高圧低温型変成岩・三波川変成帯の結晶片岩も不思議な石です。プレート運動によって一旦は海溝から地殻最深部をも超える深さに沈み込みながら、思い直して今度は地中の圧力によって地表近くまでじわじわ押し出されてきたと云うのですから。

海溝よりマントルに向かって沈み込む海洋地殻や海溝堆積物は沈み込む過程で地下の圧力と温度に応じてその岩層を様々に変化させながら深部へと向かいますが、高圧低温型変成帯の形成条件が整うと、沈み込んだ地殻の一部が上昇に転じ、高圧変成帯として沈み込み面に沿って地表へと向かいます。

この上昇過程でも変成帯は高圧と海洋側地殻から供給される水分により鉱物の再結晶と再配列が進行します。同時に地殻の間隙を上向きに絞り出される際に働く応力によって結晶面が一定方向に引き伸ばされ、片理と呼ぶあたかも堆積岩のような独特の面の重なりが現れます。この特徴から高圧低温型変成帯の岩石は結晶片岩と呼ばれます。私が結晶片岩と見た石は次の3個です。

上は塩基性岩起源の緑色片岩 、真ん中と下は珪長質岩 ( チャート )起源の結晶片岩でしょうか

最初の石は見た目、砂泥質の堆積岩が高温の熱変性をうけた粘板岩か雲母片岩のように見えましたが拡大してみると、緑色鉱物の定向配列がくっきり出ていますし、細かい白雲母の結晶が見えます。真ん中の石は拡大写真では緑色の鉱物が色濃く写っていますが、実際は白雲母の薄い層と淡い緑の互層で緑色の部分は石英や緑泥石です。下はチャートの源岩の感じをそのまま残したような結晶片岩だと思います。

これ等の石は四国中央部の三波川変成帯に由来するものですが、三波川帯は九州から関東までほぼ連続した帯状の地質体として、中央構造線以南の地域に見られます。形成年代に幅がありますが古いものは一億三千年以前に海溝に沈み込みを開始した付加体を源岩とし、地殻の最深部辺りまで沈み込んだのち、今度は逆に沈み込み面に沿って薄いシート状岩体としてゆっくり上昇を始め、六千万年近い時をかけて地下10km辺で定置して現在見られる三波川変成岩となったそうです。

西南日本の中南部を帯状に縦断する三波川変成帯・桃色部分 ( 地学雑誌Vol.119 No.6 日本列島の地帯構造区分再訪 より )

沈み込みに続く上昇運動は、沈み込み帯を持つ西南日本の全域において行われていますし、北海道にも三波川帯に相当する神居古潭変成帯・常呂変成帯が存在します。このような高圧変成岩の上昇は海洋プレートが誕生して沈み込みが始まり最後に中央海嶺の沈み込みで終焉に至る壮大な造山運動プロセスの最終局面となる営みなのだそうです。

三波川変成岩の特徴としては、緑色片岩・黒色片岩・赤色片岩・青色片岩など多彩な色どりに石英などの優白部を持つ美しい石が多いことです。このため庭石として古くから珍重されましたから、日本風の庭をしつらえたお宅をめぐると手近にいろんな彩りの結晶片岩を見ることが出来ます。

近所の庭石になっている結晶片岩も源岩の違いや変成度によって様々な顔をみせる。最後は石灰岩起源の石

四国では三波川帯と太平洋側との境には四国山地が在ります。このため太平洋側河川で三波川帯の転石を得るには、その分水嶺より南に三波川帯が分布している必要があります。

桂浜に下る水系では仁淀川と物部川等の最上流域では分水嶺内に三波川変成帯が存在しますので、これ等の河川を通して結晶片岩が流れ着いたと思いますが、流域面積から見ると三波川帯の占める部分は僅かですから、その量はあまり多くないはずです。

次は、緑色の石のグループを見てみます。同じ緑でも、黄緑色のもの、濃緑色のもの、淡緑色のものと様々で先に上げたチャートや三波川変成岩もいくつかあるようです。緑色の石としては、玄武岩などの塩基性岩・砂泥岩が変成を受けた緑色岩や緑色片岩、高知市の周辺に分布する黒瀬川帯の蛇紋岩・角閃岩・輝岩など様々な種類があります。

2007年に高知の西部・伊野地域の5万分の1地質図幅が刊行されていますが、これを見ますと古生代前半オルドビス紀から中新統にいたる年代の火成岩・深成岩・堆積岩・変成岩と様々な岩種・岩層をもつ独立した岩体が110以上に区分されて記載されています。私が住む津西部の地質図では36、隣の亀山でも56の区分ですから高知周辺の地質の複雑なことは全国五万分の一地質図幅中でも屈指のものです。

高知飯野地区にはこれらの多数の岩体を横切って仁淀川が流れ、その河口より黒潮の流れに乗って東に進めば桂浜です。正に桂浜はどんな石が転がっていても不思議がないような場所に思えます。目視による石や鉱物の同定には、その産地や産状の知識が大きな助けとなるのですが、転石の場合は候補が増えるので私のように現地での経験がないものにはハードルが高くなります。

緑色石のグループ

次は、緑色の石のグループを見てみます。同じ緑でも、黄緑色のもの、濃緑色のもの、淡緑色のものと様々で先に上げたチャートや三波川変成岩もいくつかあるようです。緑色の石としては、玄武岩などの塩基性岩・砂泥岩が変成を受けた緑色岩や緑色片岩、高知市の周辺に分布する黒瀬川帯の蛇紋岩・角閃岩・輝岩など様々な種類があります。

2007年に高知の西部・伊野地域の5万分の1地質図幅が刊行されていますが、これを見ますと古生代前半オルドビス紀から中新統にいたる年代の火成岩・深成岩・堆積岩・変成岩と様々な岩種・岩層をもつ独立した岩体が110以上に区分されて記載されています。私が住む津西部の地質図では36、隣の亀山でも56の区分ですから高知周辺の地質の複雑なことは全国五万分の一地質図幅中でも屈指のものです。

高知飯野地区にはこれらの多数の岩体を横切って仁淀川が流れ、その河口より黒潮の流れに乗って東に進めば桂浜です。正に桂浜はどんな石が転がっていても不思議がないような場所に思えます。目視による石や鉱物の同定には、その産地や産状の知識が大きな助けとなるのですが、転石の場合は候補が増えるので私のように現地での経験がないものにはハードルが高くなります。

緑色の鉱物を含み緑に見える石。露出過多でかなり色が飛んでいますが実物はどれも緑がかっています

黄緑や鶯色の多い石は黒瀬川帯に由来する蛇紋岩と思われますが、緑泥石や緑簾石、輝石を多く含む石も鮮やかな緑色をしますから断定は出来ません。上の写真中央部のうすく緑がかった丸っこくてすべすべした石も、見かけの上は砂泥質堆積岩とも固結の強い凝灰岩とも塩基性岩起源の変成岩ともとれて、この状態だと私には判別がつきません。

なかには、近くの領家帯でよく見かけるスカルン帯の石を思わせるものもあって、ルーペで表面を眺めていても石の種類を絞ることが出来ません。結局緑の鉱物を含む石のうちから幾つかの可愛い石を犠牲にして薄片を作り偏光状態を観察することになりました。まずは次の八個。右の列の石は色が出ていませんが実物はもう少し緑が載っています。

私の見立てでは、最初の3個は蛇紋岩。次の2個はチャート。続く2個は砂泥質変成岩、最後は凝灰岩か・・・

しかし拡大写真を取って見てみますと後の4個はどれもガラス質で変成度合いの進んだ変成岩の様な感じです。後から3番目の石は不透明の黒い挟在物が2方向に配列しているようです。何なんでしょう・・下がその拡大写真です。研磨面を撮したものに、一部そのままマクロ撮影したものが混じっています。

実体顕微鏡の拡大写真では割りと自然に近い色がでている。見かけは似ていても拡大すると質感にも大きな差が有る

以上の石を薄片にして鏡下撮影したものが次の写真です。偏光顕微鏡写真はすべて最初がオープンニコル、後がクロスニコルです。薄片厚は可能な限り0.03mmを出すように努めていますが、素人研磨のため剥離の激しいものは0.05mm程で止めているのもあります。対物倍率は5×です。まずは蛇紋岩と見立てた最初の石

一番目の石

一番目の石 PPL XPL

予想通り蛇紋岩でした。一部に未だカンラン石が残っている様子ですが大半は蛇紋石や緑泥石に変っています PLAN x 5

左斜め上の欠落帯は温石綿のバンドにタルクが詰まっていたようで、研磨の過程でも軟質の鉱物の剥離が良くわかりました PLAN x 5

色合いが美しいカンラン石も蛇紋石の網目の中にあると如何にも不気味でエイリアンの巣を思わせます。蛇紋岩に限らす劣化の激しい塩基性岩など、鏡下でその複雑怪奇な構造物を飽きず眺めていると、自身がとんでもない不思議世界に足を踏み入れたような錯覚に囚われて時間を忘れてしまいます。では二番目の石はどうか?

二番目の石

二番目の石 PPL XPL

こりゃ~どうだ・・私の浅知恵は見事に外れたか。火山岩・塩基性泥質岩の変成岩?緑の石基部分は殆ど不透明で一見非結晶 PLAN x 5

石英バンドの中央部には緑簾石の微晶が見られます。石基部は緑泥石・緑簾石・等の微晶集合・・・ PLAN x 5

石英帯に見える優白部の一部にファイバー状の結晶が集合して温石綿のよう。やはり蛇紋石もあるようです PLAN x 5

蛇紋岩は私の住んでいる三重では、中央構造線以南の鳥羽安楽島などには大量に分布しますが鈴鹿の領家帯ではあまりお目にかかったことがないので判断に困ります。この石基にみられる複雑な流紋は火山岩・火砕流堆積岩を思わせますが蛇紋岩にもこの様な紋様ができますから、どうやら最初の見立ても完全に外れではなく塩基性火山岩系の源岩が地殻深部より上昇する過程で変成作用を受けた石の様です。

石基部分も拡大すると完晶質の鉱物の微結晶の集まりでどうやら蛇紋岩の一部であった様子。濃緑色は蛇紋石・緑泥石・緑簾石と思いますが・・

石基部も蛇紋石による変成を受けている様子ですがどの様な石が変成を受けたものか私には分かりかねます PLAN x 5

石基部分を拡大してみると、非結晶と見える不透明な緑色部分も完晶質で複数鉱物の微晶集合体で緑泥石や部分的に葉片状の蛇紋石が共存しているようです。貫入して再結晶している石英帯の結晶にはあまり変形が見られないのですが、他の部分は複雑な応力を受けたような感じです。変形の最終段階で海側プレートから供給された石英を溶存した熱水の貫入をうけてクラック部に石英脈が成長したものでしょうか。

更にこの石とよく似た石が他にもありました。5番目の石・表面を見て適当にチャートと見立てた石ですけれど、削ってみると薄片はこの2番目の石によくにています。

五番目の石

五番目の石 PPL XPL

カンラン石や蛇紋石の網目は見当たらず濃緑の石基部は有色鉱物の微晶集合帯。緑簾石の不規則な干渉色が目立ちます。 PLAN x 5

5番目の石も切片を眺めると凡そチャートなどではなく緑色岩の仲間に見えます。

優白部の内部には針状結晶がまばらに見受けられます。 PLAN x 5

この石の産地は何処なのでしょう。仁淀川流域の黒瀬川帯からもたらされたように想像しますが詳しくはわかりません、この石がどの様な石を源岩としてどの様な過程で出来たものか興味はつきませんが、今の私の知識では手に負えませんので、今後の楽しみとしておきます。

こうなると3番目以降の石も予想が怪しくなります。石の表面の感じは二番目の石によく似ていて同じ仲間ではないかともおもわれるのですが、カッターで切断する過程ではとても緻密で硬く、チャートのようにも感じました。さて結果は如何。下の写真を見るとどうやらこれも外れですか・・チャートであれば色づいていても薄片ではほほ透明で、クロスニコルで見ると多数の石英微細結晶の集合体と見えます

三番目の石

三番目の石 PPL XPL

三番目の緑の石。薄片の見た目は不透明部分が多くあまり変成を受けていない砂泥質岩か凝灰岩のよう PLAN x 5

少し拡大してみました ( 10× ) 斜め右上に向かう向きに沿って鉱物の結晶の成長が見られます。でも優白部も干渉色が低くて暗いなあ

石基は砂泥質岩でしょうか非結晶の火山岩ともとれますが挟在物がみられず斑晶もありません。左右方向には潰されたような筋が認められます。細かい筋状に石英帯が走っていますが石英結晶の成長に方向性は見られません。しかし下の写真に見られる幅広の石英帯では石基同様に結晶が左右に引き伸ばされていますから、この方向に片理を生じる力が加わったようです。

石基の優白部は拡大してみると細粒の珪長質鉱物とも見えますが、それにしては色が暗いので凝灰岩のような感じがします。領家帯の砂岩や泥質岩など不透明に近くとも珪長質の微晶や雲母などの有色鉱物がもっとキラキラ輝いて見えるものです。全体に干渉色の低い緑泥石や蛇紋石など初期変成の鉱物を含んでいるからでしょうか。私の判定眼では判断がつきません。

眼視では石基部の色もオープンニコルでもっと緑がかって見えますが、光源の色が青味を帯びていて撮影すると青く出てしまう

不透明部は白色鉱物と有色鉱物の分離も十分に進んでいない PLAN x 5

結局私の判断は、凝灰質の泥質岩が低変成を受けた緑色岩かなと云う当たりに落ち着きました。源岩は四万十帯もしくは美濃丹波帯の付加体でしょうか。岩石や鉱物判定に長けた人から見ればお笑い草かもしれませんが私の手持ちの知識の範囲での判断です。

次は4番目の石。こちらも表面写真は2・3番目と似ているのですが3番目と同系統の堆積岩でしょうか。薄片ではどうか・・

四番目の石

四番目の石 PPL XPL

切片の写真では色白で砂岩系の堆積岩にも結晶質の石灰岩にも見れるのですが優白部以外は不透明です

切ってみると石基部は不透明な部分が多く緑に見える鉱物は非結晶に近い。中央の石英帯には片理が見られます PLAN x 5

弱い定向配列が認められるところからこの石も粘板岩のような砂泥質起源の弱変成岩ではないかと思うのですが、私の知っている泥質岩は色黒で、この石の白っぽくガラス質に見れる表面とは似つかわしくありません。火山灰の多い凝灰岩・流紋岩起源の変成岩か?薄片にしてみたら余計に分からなくなりました。

続いて6番目の石。こちらも表面の感じはガラス質で石基には斜めに押しつぶされたような配列があります。白っぽい表面には何やら黒いシミのようなものが混じっていて、石基に見られる定向配列の方向に並んでいるものが多く見て取れます。何なんでしょう・・

六番目の石

六番目の石 PPL XPL

6番目の石。この石も透明感があるけれど薄片で見ると不透明部分が多い。非結晶の白色鉱物が多く混じっている様子

石基は殆ど不透明。石英バンドだけがキラキラと光を透過しますが視野は全体に暗くて非結晶鉱物の集まり PLAN x 5

石基はどの部分もほぼ同じくらいの割合で優白部と夕刻部に別れているが透明感に乏しい。弱変成の泥岩・粘土岩かな・・ PLAN x 5

薄片で見ると石英バンドの部分を除いて、光を通しにくく、覗いていてもあまり楽しいものではありません。変成度の低い泥質岩でしょうか。火山灰の堆積層のようにも思えますが挟在物が殆ど見られません。私の知る凝灰岩は石基の中に班晶や土石を多く含んでいて識別しやすいのですが、火山灰だけが固結してさらに変成を受けていると砂泥質岩と紛らわしくなります。

次の7番目はどうでしょう。研磨面の質感や石英バンドの入り具合は先の6番目の石と似た感じです。同種の石でしょうか?

七番目の石

七番目の石 PPL XPL

研磨面は透明感があってどことなく結晶質の石灰岩を思わせますが薄片は殆ど光を透過せず、ぜんぜん違う中身です

石基は不透明で結晶質の部分は少ない。先の6番に比べ此方のほうが視野が暗いがクロスニコルでは微妙に結晶している様子 PLAN x 5

薄片を見ると、先の6番と同種類の石のようですが、此方のほうが全体に非透過で石基はほぼ非結晶質、微細な火山灰・火山ガラスが固まった石のようです。優白部と優黒部の分離も進んでおらず変成の程度も低いのでしょう。石基に貫入した石英帯だけが鮮やかに光を透過してきらびやかに見えます。


最後の八番目の石。表面の感じが私の知る凝灰岩と少し似ていたため凝灰岩に見たのですが、切片の拡大では4番目以降の石と感じが似ています。やはり同じ仲間でしょうか?

八番目の石

八番目の石 PPL XPL

8番目の石。淡く緑かかった表面は拡大してみると和紙の繊維のような質感があります

この石も薄片の見た感じは泥岩もしくは微粒の火山灰堆積岩 ( 凝灰岩 )のように見えますがこれまでの石より遥かに完晶質 PLAN x 5

自家製の照明装置がお粗末なため、色白なこの石も薄片写真にすると暗く写って透明鉱物は少なく感じますが、それ以前の石に比べると透明鉱物が多く、クロスニコルでも殆どが完晶質の鉱物と見られます。石英・緑泥石・白雲母などの結晶を見分けられクロスニコルの視野が暗いのは干渉色が低い緑泥石等の結晶が含まれているからのようです。最後の二枚の写真は対物10xに拡大していますが透明鉱物の割合が多いのがわかります。

私の乏しい知識で以上を総合すると、どうやら緑系の石は蛇紋岩に近い石か、凝灰質の砂泥岩もしくは微粒の火山灰主体の凝灰岩ではないかと言うところに落ち着きました。特に凝灰質岩では結晶化の程度が違うので変成の度合いに差があるように見受けますが、源岩の出所はどの石も同じような場所ではないかと想像します。

火山灰と言えば私の暮らしている津市の一体には中新統後期から鮮新統にかけて堆積した東海層群亀山塁層とよばれる湖水堆積層が厚く広範に分布しているのですが、そのなかに鮮新統初期と特定されている阿漕火山灰層と呼ばれる微細な火山ガラス主体のテフラがあります。粒子がよく淘汰されていて私の子供時代には磨き砂として重宝されており、津市半田にその産地がありました。

我が家にも食器洗いに置かれていた磨き砂は、その粒子も十分の一ミリ以下でほぼ真っ白な色とザラザラした手触りで油汚れなどは簡単に落とすことが出来ました。この層は堆積年代が若いため ( それでも400万年以上も昔ですが ) 固結しておらず砂として掘れたので、今でも半田一体の地下には磨き砂採集のトンネルが至る所に残されている程ですが、この様な層が更に年代を重ねると桂浜の石のような姿に変わるのでしょうか。

また先にチャートの所で書いた西行谷累層には様々な種類の流紋岩質の凝灰岩が混在していて、そのなかには稀によく淘汰された火山灰だけからなるような礫も混じっています。ここでは火山灰が完全に固結して石になっていますが、その表面は桂浜の石の持つガラス質の感じとはかなり異なっています(西行谷の凝灰岩は中新世中期、日本海の拡大が終ったのちに紀伊半島南部大台・大峯地域で活動した火山由来と思いますから形成年代は1400万年頃でしょうか)

西行谷塁層に含まれる様々な凝灰岩。珪長質で左上がほぼ火山灰だけからなるもの。その色や斑晶の粒度も実にまちまちで驚きます

しかし同じ凝灰岩といっても、石基が溶結しているものからそうでないもの、流紋のあるものから無いもの、挟在物や斑晶の大小・多少、石基の色の違いなど実に様々で、これらは見た目では全く異なった種類の石と見えてしまいます。たいていの凝灰岩は石基の中に斑晶や礫片などを含んでいて割りと判別しやすいのですが、これら混在物がほとんど入っていない部分だけを見ると分かり辛いものです。

中には石基部分が細粒石英からなる砂岩と見分けるのが困難な石もあり、私のように経験の乏しい素人にとっては斑晶の存在がないと火山性の堆積岩若しくは火山岩と判定を下すことは難かしく、桂浜の石もそうですが源岩のある環境から切り離されて小さな石ころになってしまうと、ときにはその種類を判断することさえ困難です。

しかし逆に考えると、その出所種別が良くわからないからこそ、これ等の小石を眺めてあれこれと想像する楽しみがあるとも言えます。桂浜のこれら堆積岩風の緑かかった石は、私のよく知る鈴鹿山脈や布引山地ではお目にかかる機会のないもので、その源岩が何なのか私の知識では今ひとつ自信がもてませんがそれ故にこそ面白いのでしょう。

石英風の白い石

次は石英と思われる白い石です。石英は花崗岩のような珪長質深成岩にはつきもの鉱物ですが、これは深成岩起源のものとチャートに由来するものが混在しているようにも思えます。近くに石灰岩層があれば石灰岩 ( 大理石 )が混じるかもしれませんが、石灰岩は硬度が低く水によく溶けて摩耗が激しいので海岸に着くまでになくなってしまいそうです。 実際に互いに引っ掻き合って硬度をチェックしてみましたが、どれも同じようで石英に近い硬さでした。

白っぽい石ばかり集めてみる。見た目では同じ種類なのかどうか良くわからない

これらが石英だとしてその源岩はなんなのでしょう。写真右下のあたりはその質感と配色の感じからチャート起源ではないかと思いますが、左の白色の強いものは深成岩の石英脈にも見えます。堆積岩のチャートと火成岩ではその形成過程が全く違うので、薄片にして偏光状態を見れば区別できるでしょうか手間が要ります。

また先にも書いたようにチャートは続成作用で石英化しますから、続成作用が強ければ晶出する結晶も大きく成長しますし、さらに熱や圧力による変成が加われば再結晶が成長して深成岩起源の石英と見た目での判定は困難なように思えます。上流水系に広範なチャートの分布が有ることは先に見ましたが、では珪長質深成岩の分布はどうでしょう。

現在四国南部には鈴鹿山脈に見られるような大規模な白亜紀花崗岩からなる領家帯の分布がありません。五万分の一地質図幅伊野を見ましても珪長質深成岩の記載があるのは黒瀬川帯三滝深成コンプレックスに区分された古生代前期の花崗閃緑岩・トーナル岩・花崗岩及び黒瀬川帯寺野変成コンプレックスに区分された片麻岩体のみです。

このため石英の粗粒結晶を含む珪長質深成岩を産するのは美濃丹波帯や四万十帯の付加体内に付加体形成がなされた白亜紀以前の時代に、当時の陸域に分布していた花崗岩体が砕屑岩として海溝に沈み付加体に取り込まれたものか、黒瀬川帯に存在するこの古生代の花崗岩体くらいですがどちらもその分布域は広くないようです。

残るは源岩が変成を受けて優勢な石英脈を晶出した場合です。四国中部に広範に分布する三波川変成帯は結晶片岩からなり、層理のなかにはところどころに優勢な石英帯が見られます。このような石が河川上流域で谷に崩落し砕屑を受けながら河川を下るうちに、硬質の石英のみが残って他の部分は皆損耗することが十分に考えられます。

桂浜に下る水系では仁淀川の最上流域では分水嶺内に三波川変成帯が存在しますので、これ等の河川を通して結晶片岩の石英脈の一部が桂浜に来ることが可能です。ただし流域面積から見ると三波川帯の占める部分は僅かで、その量は少ないはずですが浜に白い石が落ちていると直ぐ目につきますから拾われる確率は高くなります。分布域から見るとチャート起源のものが多そうですがどうなのでしょう?

適当に石を選び出して拡大してみるともう少し色んなことが分かるかもしれません。

上の写真の石を左から順番に拡大したのが下の写真です。長辺は約12mmです

最初の石はその内部に緑色の有色鉱物を含んでいます。チャートにも緑色をしたものがありますが、石英自体に着色しているので優白部との境で色が連続することが普通です。この場合有色部との境界が結構はっきりと出ていて緑泥石・緑簾石・輝石等の有色鉱物かもしれません。後で薄片にすれば識別できるはずです。

二番目は見た目でも淡緑色のチャートと思える石です。拡大した面も綺麗で薄く色づいた部分は左右に連続した層理のような濃淡が見て取れます。層状チャートの堆積構造でもないでしょうが興味深い筋です。

続く三番目は石英の結晶部に部分的にシート状の鉱物が挟在しています。切片をルーペで拡大すると暗い金色でどうやら雲母のようです。多分チャートを源岩とする高い変成度の珪質片岩の一部ではないでしょうか。片岩の持つ層状構造も石の周辺部では失われて結晶粒度の高い石英塊に変化している様子です。

これによく似た石が他にも2個ありました。下の拡大写真で見ると石英に薄いシート鉱物が挟まれているのが良くわかります。こちらはシートの周辺に緑色鉱物も含んでいますがその産状は上に上げた石と同じような環境で造られたものと想像します。

今回も最初の2つの石を薄片にすることにしました。深成岩などに含まれる完晶質の石英とチャートの石英ではその構造がかなり違うので二番目の石がチャートに由来するものであれば、偏光状態から確認できるはずです。ただチャートの様に結晶の緻密な石英塊はとても硬くて切るのも削るのも厄介です。

私は自作のウェーブ刃の石材カッターで約0.3mmにスライスするのですが、固くて脆いチャートや石英はなかなか綺麗に切り込めず、大抵一部が欠けたりガラスから剥離してしまいます。今回もチャートの方は一部剥離してしまい研磨するとどちらも元の大きさの半分以下の面積に減ってしまいましたが、それでも何とか2つの石の薄片が出来ました。

緑色鉱物を含む最初の石は割れずにスライス出来ましたが研磨すると周囲の損耗がひどく元の半分以下の面積です

二番目のチャートと見た石は切り込む際の応力に耐えきれず上と右部分が剥がれてしまい研磨後の面積は半分程度です

2つの石の薄片写真は次のようなものです。どれも先がオープンニコル( PPL)、後がクロスニコル( XPL)です。最初の石はやはり完晶質の石英でかなり大きな結晶を含みますから深成岩のようにある程度ゆったりとした時間をかけて結晶化したもののようです。緑色部分は予想に反して透明鉱物ではなく不透明鉱物の濃密な集合体でした。薄片の研磨が甘いため一部の石英の干渉色が高くなり黄色く色づいています。

緑色部分は不透明鉱物の集合でオープン( PPL )でもクロス( XPL )でも黒く写ります PLAN x 5

僅かに着色して見える部分はすべて石英の結晶に他の物質が混じって着色している様子でXPLでは透明な石英と同じように消光します。透明鉱物の着色原因はいくつもあり異物の混入以外に、石英の結晶格子の元素一部が他の元素に置換して色づくもので、多くの透明鉱物がこの同形置換によって様々な色をみせます。

もう一方のチャートと見た石の方は細かい石英結晶の集合体で拡大写真で確認できた層理の縞に沿って粒度の揃った結晶が配列して縞模様を形成しており、細粒の縞の部分ほど不純物が多く集まり結晶が色づいて見えているようです。クロスの写真だけ見ると石英質の砂岩のようですが、チャートの続成作用が強く働き、結晶化した石英の粒が大きく成長したのでしょう。

オープンニコルではほぼ透明です。特に結晶粒が大きいほど白く抜けて見えXPLの写真だけでは砂岩と見紛う PLAN x 5

チャートは元々二酸化ケイ素の殻をもつた放散虫などの生物遺骸が泥となって海洋底に堆積し、プレートの沈み込みに伴う続成作用によって石化したものが付加体となって陸側地殻に貼り付けられたすえ地表にもたらされたものですから、本来ならその内部に無数のガラス質の殻を化石として含んでいるはずなのですが、続成作用によって石英の結晶化が進み変成の度合いが高くなると石英結晶の粒も大きく成長するに連れ、放散虫など微細な生物殻は間隙水にどんどん溶解してその構造を失ってしまいます。

これはチャートに限らず泥岩や石灰岩でも同じで、変成が進んで再結晶した結晶粒子が大きくなると、源岩に含まれていた化石化した微生物の構造は失われて行き結晶粒がある程度の大きさに成長すると微細な生物体の構造は完全に消失します。1980年代・付加体研究の黎明期には四万十帯のチャートから多数の微化石が抽出されてその堆積年代の決定に用いられ付加体の解明に寄与しましたから、先に上げた桂浜のチャートの中にも化石を見つけられるものがあるかもしれません。

調べてみても良いのですが、石の表面の眼視ではそれらしいものを含む石は見られませんし、何よりもチャートの標本は掛ける労力の割に望みどうりのものが出来た試しがなくやる気がないのが実情です。それでも先にチャートのところに上げた赤色系のチャートと見立てた石を標本にはしてみたのですが、見かけに反してこの石は透明鉱物の班晶を含み火成岩の様でした。

切ってみるとチャートにしては思いのほか簡単に切り出せます。これはどうも何か違うかも・・・

覗いてみるとかなり不透明な石基に多数の班晶。石基は堆積時の構造を残したような白斑・・・火山岩ですか PLAN x 5

斑晶は傷んで汚れていますが、はっきりした累帯構造を示し、何処やらでよく見る菱形・・ PLAN x 5

干渉色が異常に高く虹色でXPLでも白く見える。おまけに菱形とくればこれは方解石の班晶でしょうか。源岩は何か  PLAN x10

はっきりした自形の鉱物班晶を含むチャートなど見た記憶がなかったので、過去に作った手元の5枚のチャート標本をよくみてみたところ標本の中にやはり小さい斑晶を含むものがありました。驚いたのはスライス研磨の過程での剥離が激しく殆どクズになっていた標本の中に小さい斑晶が沢山あったことです。

鈴鹿山脈美濃丹波帯の弱変成チャートにも多数の小さい班晶を含むものがありました。同倍率でも桂浜の石の数分の一です PLANx10

斑晶の形や高い干渉色から見て此方も方解石の結晶と思います。下の黒く抜けた部分も斑晶があったようです PLANx10

チャートが続成作用によって珪酸質の軟泥から脱水して固結する過程で珪酸は間隙水に溶け込み再結晶しますが、地殻に炭酸塩岩の付加体があれば間隙水には炭酸カルシウムも溶け込みますから方解石や珪灰石がチャート内に晶出するのも自然でしょうか。鈴鹿山脈のチャートに登場してもらったついでに、微化石の痕跡を残す薄片も載せておきます。上の写真共にどれも野洲川上流部の弱変成チャートから作った標本です。

チャートの続成作用が弱いと放散虫の殻を見つけられるものがあります  PLANx10

こうして見てくると、小さな石の姿形からその石が何なのかを正しく言い当てることは本当に難しいものだとつくづく感じます。桂浜の石については、未だいくつも面白いことがあるのですがキリがないのでこの辺りでお終いとしておきます。

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