へび

昨年の6月、鎌ヶ岳に登った帰り道三ツ口谷の入り口のカシの木でたくさんのモリアオガエルの卵を見つけた。モリアオガエルは森林性のカエルでアマガエルに比べて倍近い大きさがあるが普段は森の中で生活しているから余り見る機会がない。

それでも産卵の時期になると水辺の木に集まってきて水面の上に張り出した枝に産卵する。卵はメレンゲのような泡の塊で包まれて樹の枝に下がるのでよく目立ち周囲にモリアオガエルが住んでいることがわかる。

カエルの卵を撮影しようと樹の枝を覗き込んでいたら目の前の枝にシマヘビがいるのに気づいた。50cm程の距離で相手と直接目があったからさすがにぞっとして顔を反らしたが、ヘビの方もびっくりしたと見えて首をもたげて私を睨んだ。おかげでヘビに気を取られてモリアオガエルの卵を撮影することをすっかり忘れてしまった。

シマヘビに限らずヤマカガシなども結構木に登る。家の庭には丈の低い柿の木があって、この木には柿の葉に付くイラガが好物のアマガエルが集まってくる。

このアマガエルを捉えるため、まれにヤマカガシが柿の木に登っていることがあるのだ。こちらは何も気づかないから、日陰になった柿の樹の下でせっせとブルーベリーの実を摘んでいると突然顔の周囲でヘビに出くわして大いに驚かされる。

さすがに急に彼らに出くわすと、こちらもドキリとして身を引いてしまうが、私はヘビが嫌いなわけではない。マムシの様に見るからに恐ろしげなやつを除けば普段見かける普通の蛇は概して大人しいし良くみると顔なども結構可愛いところがある。

私の小さいころは、まだ田畑に農薬を使うことがなく水田の周囲には無数にカエルが住んでいたから、彼らを捕食するヘビも多かった。家から小学校に至る道には人家と水田が半々に存在し、学校の東と南は一面に水田が広がっていた。安濃川の堤へ抜ける道をとれば四、五軒の人家を過ぎると後の通学路は田んぼばかりで、通学の行き帰りにヘビに合うことも少なくなかった。

10cmにも満たない生まれたばかりの小ヘビなどはペットにしてもよいくらいに可愛く、そのままポケットに入れて学校まで連れてゆくことがあった。

けだし学校では彼らに対して私のように親愛の情を抱いているものは至って少数派で下手に見せたりすると禄なことはない。相手が男なら、少々驚いて見せてもまあ楽しんでくれるものだが、女子となるとこれはもう叫んで逃げ出すやら怒り出すやら大騒ぎで、たちまち先生に言いつけられて外に捨てにゆくハメになる。

先生に可愛いと説明したところで、質の悪いいたずら者と決め付けられてさんざん怒られるのが関の山だ。

たしかにこの世の中で蛇と言って良いイメージで使われることはまずない。「蛇蝎のごとく」などと嫌われて、冷酷で執念深く血も涙もないやつの代名詞のようになっている。

しかし彼らにしてみれば誠に迷惑至極な話で濡れ衣もいいところだろう。人間のたちの悪さに比べたら蝮も舌を巻くのではなかろうか。

私が子供時代を過ごした辺りでも、ヘビなら当たり前のように見れたけれど流石に蝮となるといちおう津市の市街でもあり、もはや人家の周りで簡単に目にすることができる生き物ではなかった。

ところが現在の住所に越してから、私は家の周囲で結構頻繁に蝮を見かける。たしかに以前いた津市内に比べると(市町村合併で今では此処も津市内になってしまったけれど)ここいらはさすがに山間僻地の趣はあるけれど、普通の蛇がどんどん少なくなっているのにマムシだけは相変わらず一夏の間に5~6回は目にする。これは一体どう言ったことなのだろう。

私の場合、彼らを見つけても殺すことをしないから、相手もそれが分かって姿を見せる訳でもあるまい。たぶん彼らの餌が年々減少している環境では、アオダイショウやシマヘビに比べると猛毒を持つマムシのほうが捕食の効率が良く他のヘビに比べて生存率が高いのだろうと思う。

しかしマムシを見ても殺さないなどと言うことは、田舎ではあんまり人に話すべきではない。うちの婆さんなどは、一度マムシに噛まれて津市の病院に一月以上も入院していたから、庭でマムシを見つけても生かしたまま川向こうに捨てに行く、などと聞いたらまず怒り出すに違いない。ここいらの部落は我が家も含めてほぼ全員百姓上がりだから、マムシなど見つけ次第たたき殺すのが当たり前の生き物で、一夏の間には何匹も殺されて路上の傍らに転がっている死骸もよく目にする。こう思えばマムシも不幸な役回りを背負った生き物なのだ。

マムシ程ではないけれどこの辺にはもう一種類毒を持ったヘビがいる。ヤマカガシと言う赤と黒の結構派手派手な体色のヘビでマムシに比べると遥かにおとなしい。

私の子供の頃には毒があると言った話も聞かなかったから平気で手づかみにしていた覚えがある。しかし聞くところによるとその毒の強さはマムシやハブより何倍も強力だというから今思うと誠に恐ろしい話だ。

このヘビには大人しいせいか不思議な性癖がある。恐ろしい目に会うと仮死状態になって棒でつついてもぶら下げてもピクリとも動かなくなってしまうのだ。我が家の猫のゴロスケはヘビをいじめるのが好きでヘビを見つけるとちよっかいをだして散々弄ぶ。

ところがヤマカガシがこれをやられるとたちまち死んだよう動かなくなってしまう。私が見つけて引き離しヘビを草むらに放り出しておいてもしばらくはその場で動かず本当に死んだのではないかと思うのだが、気づいてみるといつしか消えている。

その体色が暗示する様に極めて強力な毒を持っているのだから死ぬ真似なんぞしなくともよさそうなものだが、なるべく戦わずに敵をやり過ごしてしまおうとするあたり、なかなか見上げたものだと思う。

でも同じヘビなのに彼らの中にはむやみに人からありがたがられる仲間がいる。アルビノと呼ばれ突然変異で体の色素が無くなってしまった個体で、普通は極稀にしかお目にかかれない白蛇だ。

何故か岩国の周辺にはこの白蛇が多く住み着き国の天然記念物に指定されている。

その他白蛇は神社の守り神や御神体として敬われるから他のヘビから見れば誠に羨ましい存在だろう。

もっともこの手の宗教団体の中には白蛇を露骨に金儲けの手段として利用しているとしか思えないものもあるから、さすが人間様のやることは抜け目がないと言うべきか。

私もこれまでに一度だけこの白蛇を見たことがある。中二の夏に安濃川の上へ鯉釣りに行った帰り道、水面を泳いでいる60~70cmのヘビを見つけたのだがこれが異常に白っぽかったのだ。

岩国のシロヘビのように抜けるような白さではなかったと思うが、普通のヘビに比べるとはるかに色が白く、こいつが白蛇かと大いに感動した記憶がある。

白蛇については、小五の終わり頃に学校映画鑑賞で東映の有名なアニメ「白蛇伝」を見ていたのが影響してかずいぶん良い印象を持っていたように思う。

このアニメは戦後の日本の映画業界が初めて製作した本格的なアニメーション映画でディズニーのアニメやソビエトのアニメ(1950年代にはわずかだけれど、ソビエト製のアニメがテレビ放映されている時期があってアメリカのテレビ用アニメと比べれは遙かに質のよいものだった)を手本に作られたようだが、日本人の繊細な感性で作られたこの作品は、当時の子供向け映画の中では群を抜いており、今見ても質が高い。

白蛇伝は中国の民間伝承を題材にしたもので、白蛇の精、白娘が人間の若者、許仙と恋に落ち様々な苦難の末最後にはひたむきな愛の力によって人に生まれ変わって互いに結ばれると言う誠に感動的なお話だ。本家の中国では京劇の演題として誰もが知っていると云う。

白娘の正体が蛇の精あることを見抜き二人の愛に割って入る法海道士が敵役で登場するのだが、今風の感覚では誠におせっかいな爺さんで、この男ののおかげで白娘は散々な目に合う。

この話には中国国内でも登場人物や結末に様々なバリェーションがある様で、雨月物語の蛇性の婬のように坊さんが正義となり、人に取り憑いた邪精として白蛇を退治するもの(雷峰怪蹟 その他)から、京劇の白蛇伝のように異端の愛だろうとなんだろうとその純粋さに感銘し他の妖精の助けも借りて坊さんを打ち負かしてしまうものまで色々ある。

しかしやっぱり庶民に受け入れられるのは、坊さんの勝利よりは京劇風に愛は勝つと云う結末のようだ。アニメの白蛇伝も白蛇の精の一途な愛を全面に押し出して、世間では受け入れられないヘビと人間の異端の恋を真正面から肯定的に描くことで観るものの感動を誘う。

当時私たちは学年の生徒全員が市内の映画館に行ってこのアニメを見たのだけれど、観終わった後、ほぼ全員が不思議な興奮と感動包まれていたことを覚えている。

ことに少女達には白娘の純粋な愛が天にも昇る程の感銘を与えたようだ。それまでの日本には、子供に向けてこれほど鮮やかに愛の理想を描いた作品は存在しなかったのではなかろうか。

宮崎駿は高三のおり場末の映画館で見たこの作品の感動が、彼の仕事の進路を決める出発点の一つであったことを書いている。実際有名無名の多くの人々に様々な影響を与えた映画の一つだったのだろう。

無名の私もこの映画から学んだことが一つある。許仙の友達として登場するぬいぐるみのようなパンダが実は中国国内に実際に生息している生き物だと知ったことだ。本物のパンダが日本の東山動物園に送られたのは白蛇伝から十数年も経ち田中総理によってようやく日中国交正常化が行われた年であった。

参考 白蛇伝 (Wikipedia) (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%9B%87%E4%BC%9D_(1958%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB) )