あきらの象

象化石

近年の地球温暖化でシベリアの永久凍土が溶け出して、それまで地中で氷漬けになっていたマンモスの牙や骨が方々で見つかっているようです。地球博の頃、そんなマンモスの赤ちゃんが日本にもやってきたましたが、中には生前の姿を留めたままで掘り出されるのもあって2009年に発見された2歳のケナガマンモスの発見者には国から100万ルーブルが送られたといいます。

写真元サイト http://www.mosnews.com/weird/2009/05/20/mammoth/

過去何万年もの歴史を氷漬けにして今まで保管してきたタイムカプセルの蓋が一気に開かれたような話で大変に興味深いことですが、地球環境激変の前触れとも取れ考えると恐ろしいことです。

ケナガマンモスは今からおよそ500万年前の鮮新世から更新世頃まで地球上の各地に繁栄していましたが、1万年前頃にはすべての種が滅んだと言われています。

私の子供の頃にはマンモスは寒冷地に適応した生き物で、氷河期が終わって温暖化した地球環境に対応できずに滅んだと教わりましたが、最近では人間に狩りつくされたと見る説のほうが有力なようです。

氷河期自体が一定周期で寒暖を繰り返しており、私が子供の頃想像したような寒いばかりの世界でもない。それに生命の環境順応能力は非常に高く、緩やかな気候変動ならワケもなく適応してしまうと考えるほうが自然なのでしょう。

幸運にも人間と接触しなかった地域では、数千年前まで彼らが生きていたとも言われています。

当時の日本にも北海道にはケナガマンモスが生息していたようです。その他日本各地にはムカシマンモスとよばれるマンモスの1種が住んでいたことが化石から分かっていますが、見つかっている化石がどれも歯のみで全体像が掴めず、この種の分類学上の位置が今ひとつはっきりしないとのことです。

大阪市立自然史博物館標本より

シベリアでケナガマンモスが繁栄していた鮮新世中期頃、日本ではステゴドンと呼ばれる古代象が生息していました。ステゴドンの化石は多くの場所から発見されており、その全身骨格も化石からかなり正確に分かっています。

この象のうち全長7~8mと大型のミエゾウ(Stegodon miensis )と、それからの派生種で日本固有種とみられている小型のアケボノゾウ(Stegodon aurorae )が特に有名です。

三重県立博物館標本より http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/haku/osusume/akebonozou.htm

アケボノゾウの学名は暁の女神アウロラ(オーロラ)で、どなたが名付けたのかは知りませんが日出ずる国の固有種にふさわしい命名だと思います。このアケボノゾウの方は日本のあちこちから全身骨格が掘り出されており、三重県立博物館の展示説明にも1954年には県下の藤原町からも全身骨格に近い化石が発見されたと書かれています(でもその標本、今は一体何処にあるのでしょうか?)

どちらのゾウも共に長い牙を持っていて牙や臼歯の化石は三重県立博物館の常設展示でも中心的な役割を果していましたが博物館の施設老朽化のため館は閉鎖されてしまいました。

三重県立博物館のことを少し書くと、私は小学生の頃から博物館が好きで、毎年数回は訪れていましたから通算すると100回以上になるでしょう。

ただ館のスペースも狭く、何時行っても展示品はどことなくかび臭い印象で展示内容にも観る人々に感動を与えたいといった意志や意欲が感じられること今ひとつ弱かったように思えます。館の裏手に一時期、大山椒魚が何匹も飼われていたことがありましたが、何時も彼らの姿がわびしげでありました。

休日に訪れても入館者と出会うことも少なく、時には館内で誰一人会わずに出てくる時もありました。移動展示を行うようになってからのほうが活動が意欲的になったようにみうけられます。

博物館は新たに建て替えられるようですが、予算の無駄遣いにならぬよう見る人達に感動を与える施設にしてもらいたいものです。

話を戻します。もう一方のミエゾウですが以前はシンシュウゾウと呼んでおり、国内初の化石が三重から出土したためごく最近命名権を得たものです。この名を勝ち取った明標本(臼歯と下顎骨)は1918年(大正7年)私の家のすぐ前の中ノ川河床より50mの地点に露出していたのが見つかりました。発見者は地元の宮崎辰蔵さんで、化石は国立博物館に寄贈され現在同所に収蔵されています。

ミエゾウの明標本

国立博物館所蔵のStegodon miensis 明標本 三重のゾウ化石標本データーベース 三重県立博物館より

発見場所の正確な地層年代はその上下に年代測定された火山灰層が無いためよくわかりませんが400万年前後ではないかと思います。

当時は日本列島が既に中国大陸から切り離され(3000~1500万年前頃に日本と大陸の間に日本海が拡大して大陸から分離した)大陸との間に日本海が拡張し終わった時期です。

日本列島の動植物も中国大陸と共通の種が殆どであった思われます。ミエゾウも当時中国大陸に生息していた黄河象の近縁と見られ、現在の象に比べても遙かに大きくその牙も巨大なゾウです。

全身骨格が発掘されればさぞや立派なものだと思うのですが残念なことにまだ国内ではこの種の古代像の全身骨格の発掘はありません。でも、かってこの辺りにアフリカゾウをも凌ぐ巨大な牙の古代象が生活をしていたことを想うと感動を覚えずには居られません。

ミエゾウが住んでいた頃、この周囲は東海湖と呼ぶ巨大な湖の周辺部に位置し、西の山脈から湖に流入する大河の河口であったそうです。河口部に形成された低湿地や砂州の堆積物が地盤の沈下を伴いながら積もってゆき象の死体を取り込んで幾層もの地層を形成しました。

三重県立博物館標本より http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/haku/osusume/miezou-kameyama.htm

当時東海湖の津市周辺の湖底にたまった堆積層は奄芸層群(東海層群)とよばれ、中でもミエゾウの化石が出土した亀山累層の厚みは隣市亀山の辺りでは1600mにも達するそうです。

私の自宅前には中ノ川が削りとった亀山累層の露頭が河川の南側の崖一面に広がっています。明標本の見つかった地層(河床より50m)は露頭の最上部にあたり、亀山累層中の大谷池火山灰層より50m下位の地層とあります。

大谷池火山灰層は津市高野尾の大谷池で見られる火山灰層のことで年代測定の基準となり、この辺りより3kmほど下流域では露頭が見られるようですが、明周囲の丘陵では、もはや露頭は風化浸食されて存在しません。

中ノ川南岸の亀山累層露頭 350~400万年前の堆積層とみられます。

堆積年代の判明している火山灰層は大谷池火山灰より下層の阿漕火山灰層が460±20万年、大谷池火山灰より上層の野村火山灰層が310±30万年です。阿漕火山灰層は明の上の楠原西方では斜行した露頭が確認できますが、この辺りでは中ノ川河床よりかなり下位にあるようですから明標本の出た地層年代は400万年前後と言えます。

当時の明村で発見されたステゴドン化石にはもう一体あり、此方は1924年(大正13年)亀山との境界の野村田(亀山の野村に林村の田が多くあった)で見つかり、田の所在から野村標本と呼ばれています。

見つかった動機は地元の松田清十郎さんが客土のため畑を整地中に発見されたとあります。私の父が聞いた話では昔から田の水止め石に使っていたものだと云うのですが真偽の程はわかりません。この野村標本は現在でも地元の松田重三氏の元にあるそうです。

東海湖と中ノ川

先にも述べた東海湖が最大になったのは300万年ほど前のことで、このあたりから瑞浪や中津川東部にまたがる広大な湖だったそうです(吉田史郎 東海湖盆の古地理変遷)

象やワニも住んでおり当時の日本は今よりも暖かで、この巨大な湖の回りでのどかな生活を営んでいたのでしょう。

ここ明地区より西隣の楠原地区の西辺には西行谷累層とよばれる奄芸層群(東海層群)でも亀山累層より下位にあたる砂利の堆積層が厚く積もっており当時はそのあたりが砂利の浜を持つ河口の上流部だったようです。

楠原地区西の西行谷累層 大河の河原に積もった砂利の堆積層は60度近く傾斜しており層厚は100m以上あります

化石になったゾウは河川の上流部で死に出水で河口に運ばれたのか、湿地帯に入りこんで足を取られ溺れ死んだのでしょう。また西行谷累層の最上部には先に述べた阿漕火山灰層の露頭が見られます。

その後プレート沈み込みに伴う地殻の圧縮力に変化が生じ、東海湖西部一帯は隆起に転じて100万年前頃から鈴鹿山脈・布引山地が急速に高まります。

伊勢湾には海水が侵入し始め東海湖は消滅してしまいます。西部山地から伊勢湾に向けての勾配に応じて中ノ川や鈴鹿川の河川が東海湖に堆積した奄芸層群(東海層群)を開析して今日の地形が作られました。

地質調査所 地質ニュース 第546号 吉田史郎・尾崎正紀 中部地方の古地理より

中ノ川の化石

ただし、これらの堆積層で動物の化石を探してみてもまず見つかるものではありません。私も我が家の下の子の小さいおり、よく中ノ川の河床で化石探しをやりましたが、シルト層や砂岩化しかけた河床部で化石を見つけることはなかなか難しく、こんな所からよく象の化石が見つかったものだと思ったものです。

前の中ノ川で見られる植物化石 イネ科植物でしょうか、一部は炭化しています。

明周辺では、中ノ川南岸は奄芸層群の堆積した丘陵が河川で浸食されて丘陵の側面全体に地層が露出していますから、剥離崩落した土砂が河床にたまり川底を歩くと上層から下層にかけての堆積層をわりと簡単に調べられますが、この辺で見つかる化石は、広葉樹の葉や木のかけらその他植物由来の化石ばかりです。

こちらは広葉樹。ほんとうに象やワニが住む亜熱帯に近い森林があったのでしょうか。

砂岩やシルトの層(まだ完全に石化していないが結構硬い)では広葉樹の葉が見つかります。青色の粘土層では炭化した植物断片もたくさん見つかりますからこの辺りまでが低湿地帯だったのでしよう。

これはカヤツリグサのようにも見えます。湿地に生えた植物ではないかと思いますが素人には化石植物の判断は出来そうにありません。

私はこれまで中ノ川では小さな貝化石以外に動物化石を見つけたことはまずありません。それでも土地の過去に詳しい方の話しでは、その昔住民の出会い作業で我が家から200mほど下流部に支流(池ノ谷)の隧道を掘削した折には、青色粘土層から大型二枚貝の化石が大量に見つかったと言います。

この層は石のように硬かったそうですが、象化石の見つかった地層は硬質粘土というよりは砂とシルトに近いと見られ層位が違うのでしょう。

中ノ川の動物化石

唯一の例外は2007年の亀山地震で崩落した中ノ川の土砂の中で10cmほどの獣の角状の化石を見つけたことがあります。崩落堆積した土砂が徐々に水で洗われたため表面に現れた様子で、元はどの層準に在ったものかは不明です。

私にはどんな生物のどの部位のものなのかさっぱり見当も付きませんが、断面には生物起源と思われる組織の微細な構造が見て取れます。面白そうなので持ち帰って写真に記録しました。

これに気を良くして周囲を探していたら、今度は発見場所から5mと離れていない右岸のシルト層中から不思議な質感をもつ物体が覗いているのに気づきました。

河床から1.3mほどの層準にある灰色の硬いシルト層中に埋まっていたもので、掘り出してみると同一の物体から分かれたとみられる三つ破片が見つかりました。

周囲の堆積層よりは遥かに固く、ほぼ石化していると言っても良いでしょう。植物の根のようにも見受けられますが、中ノ川の崖で見つかる植物の根や幹の化石はどれも炭化していて脆くこのように硬質なものは見かけません。

形にはどこにも対称性がなくその歪さには驚かされますが、神経索の通っていたような穴がみられ周囲の部分にどことなく生物起源と思わせるような感じもあります。果たしてこれは何なんでしょうか・・・正直私にはわかりません。

終わりに

これらの化石を含む奄芸層群(東海層群)は津市や亀山市の広範な地域に分布していて、鈴鹿や布引の山地に近づくに従って砂礫層から礫層へと変わって行き最後は消滅してしまいます。

奄芸層群(東海層群)よりも山地寄りの一帯には更に古く日本海拡大期iに堆積した鈴鹿層群や一志層群が松阪から鈴鹿にかけて布引山脈から鈴鹿山脈稜線の周囲に広範に分布しており、その下位には現在鈴鹿山脈の主稜線を構成している後期白亜紀の新領家花崗岩の岩盤が広がっています。

磨崖仏で有名な石山観音。こちらは日本海拡大期の海底の堆積層が隆起した

鈴鹿層群や一志層群は海成層ですから当時この周辺は未だほとんど隆起していおらず、かなりの部分が海面下に在ったようですが、日本海拡大の終了とともに、太平洋側のプレート沈み込みに伴う地殻の圧縮力が優勢となって鈴鹿山脈も徐々に隆起し始め、その手前の奄芸層群(東海層群)堆積層の一帯は前弧海盆のエリアとなって土地が沈降し東海湖が出来上がったそうです。

一志層群などは多数の化石が出土するので有名です。地元の足元に過去の大地の姿の一端を留めるものが残されていることはとても興味深く、考えていても楽しいものです。


驚いたことに、今日のニュースで県博の建設予定地から大量に化石が発見されたと報道していました。地質図で見ますと、建設予定地周囲は大谷池火山灰層の上位にあるようなので300万年前後でしょうか。東海湖が最大の面積に広がっていたころの湖岸近くにあたっているのでしょう。新たな博物館の展示がどのようなものになるのか楽しみがひとつ増えたようです。

参考サイトと参考文献

三重県立博物館サイト http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/haku/index.shtm

大阪市立自然史博物館 http://www.mus-nh.city.osaka.jp/

国立博物館収蔵品データーベース http://www.kahaku.go.jp/research/specimen/index.html

亀山市の脊椎動物化石 http://kameyamarekihaku.jp/sisi/SizenHP/geo/geo10/geo10-1.htm ミエゾウの名の由来も分りやすくく書かれています。

亀山市の東海層群中の火山灰層 http://kameyamarekihaku.jp/sisi/SizenHP/geo/geo09/geo09.htm

北伊勢地方の古生物と地質 三重県立博物館 三岐鉄道株式会社

三重のゾウ化石標本データーベース 三重県立博物館

東海層群の層序と東海湖盆の古地理変遷 吉田史郎

三重県亀山地域の東海層群火山灰層 吉田周作 吉田史郎

三重県亀山市周辺の奄芸層群 和田幸雄