石灰岩

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私の暮らす三重県の北部地域は、伊勢湾に面して東に河川周辺に開けた伊勢平野が広がり、西には鈴鹿・布引の山地が聳えています。この平野と山地の間には山地を源とする河川がいくつもの丘陵地を刻み、平野部とともに住民の居住地域となっています。

西部山地の中核は白亜期以降に活動してその後地表に上昇してきた白亜紀花崗岩からなっていますが、その表層には、古生代から中生代にかけて海溝に沈み込んだ海洋底が沈み込み帯の陸側地殻にシート状に底付けされて層状に成長した付加体が、白亜紀花崗岩に押し上げられて主に山脈南西面を中心に分布しています。

これらの付加体の中には海底火山列に成長した珊瑚礁を由来とする石灰岩が多く含まれており、ことに山脈北部の北勢地区から、さらには山脈以北の霊仙山や伊吹山などで顕著です。

石灰岩の定義は、炭酸カルシウムを50%以上含む堆積岩ですが、国内の石灰岩の場合その起源は海に生息する貝や珊瑚や有孔虫など炭酸カルシウムの殻をもつ生物の遺骸が、気の遠くなるような時をかけて海底に堆積して固着したものです。

石灰岩の主成分炭酸カルシウムは雨水の浸食に弱くカルスト地形と呼ぶ独特の景観をつくる。上は霊仙山のカルスト台地

このため石灰岩中には化石を認められるものも多くあります。北勢地域から伊吹山周辺の石灰岩は大垣市内の採石場のある地名を取って赤坂石灰岩と呼ばれていますが、赤坂の金生山は古生代の珊瑚やフズリナなど海棲生物化石の宝庫として有名です。

堆積当初の石灰岩は珊瑚その他炭酸カルシュウムの殻を持つ生物遺骸が無秩序に積み重なったものですから、結晶粒も微細で規則性がなく、さらに生物を構成する炭酸カルシュウム以外の部位や陸地からの砂泥の混入もありますから全体に非結晶質で透明感の乏しい堆積岩となります。

パラオや沖縄の珊瑚礁の海岸を見ると、源岩の堆積当時の環境をある程度想像することができます。

上の写真は2013 3月にダイビングで訪れた娘が撮影したパラオのものですが、海岸の砂は死滅したサンゴや貝殻などの堆積物で一面真っ白です。珊瑚で覆われた海中には無数の珊瑚の死骸が堆積して海底となっています。陸地からもたらされる砂泥などの砕屑物が多い場合にはそれらが石灰のセメントで結合された石灰質砂岩となります。

島の入り江によっては、海流によって堆積物の選別が行われ海底に石灰質泥が堆積して泥パックの観光名所となっている場所もあります。このような環境で堆積した石灰岩はほとんど化石を含まない均質な石になると見られます。

同じような環礁性孤島でも場所によって様々な堆積環境が生じ、それに応じて堆積した石灰岩の状態も変化して今日みられる石灰岩の地域差を生む一つの要因となった訳です。ただし石灰岩を構成する炭酸カルシュウムは炭酸塩補償深度(Carbonate Compensation Depth, CCD)より深い海では海中に溶け込んでしまうため6000mもあるような深海底では石灰岩の堆積は起こりません。

古生代や中生代では現在と比べて生息する生物は全く異なりますが、珊瑚礁の海は現在と似たところも多かったようです。金生山化石館の化石館だよりには当時の海の様子を想像したものがありますのでとても参考になります。

(金生山化石館だより Oct 2018 No.90)

海底に堆積した石灰質の砂泥は果てしない時をかけて海洋を移動し、最後に海溝から地殻深部へと沈み込みますが、その一部は陸側地殻に底付けされて付加体となります。更にその一部が幾多の地殻の構造運動を経て地表に到達し今日に至った訳です。

またこれらの石灰質岩は、陸側地殻に底付けされる際、島を構成する玄武岩や海溝に堆積した砂泥岩と混ぜ合わされメランジュと呼ばれる複雑な岩相にも変化します。また付加体は地殻深部の高圧・高温による様々な変成を受けます。

更に沈み込んだ石灰岩が多数の鉱物を含むマグマの熱水と反応すると、熱水中に含まれる様々な元素と炭酸カルシュウムが反応を繰り広げ、スカルンと呼ばれる多種類の鉱物群をもつ変成岩に変わります。過去国内で稼鉱されていた金属鉱山の多くは、大規模なスカルン鉱床に由来するものです。

また一度地表にもたらされた石灰岩が、崖錐での風化作用や断裂帯などによって砕屑された後再度固結すると石灰質の砂岩や礫岩になります。石英質の砂や礫が石灰質(方解石)によって結合した石灰質砂岩、石灰質泥岩、更にこれらの変成岩なども存在しますから、石灰質岩といっても結構種類があり見つけるのもなかなかに楽しいものです。

私の場合、殆ど北部の山へ行くことがありませんので、化石を含む石灰質岩を目にする機会も殆どありません。家が領家変成岩の大量に分布する布引山地や鈴鹿山脈南部に近いことから、河川の転石なども石灰岩を起源とする変成岩や方解石塊と出会うことが多くなります。

ここでは、これまで私の目に留まった幾つかの石灰質岩を見てゆきたいと思います。鉱物や化石収集のマニアでは目にも止めない河原や山の転石を集めたものですから、希少価値のない一般的な岩石ですが、それだけに岩石標本としては意味深いかもしれません。

赤坂石灰岩

鈴鹿山脈北部の藤原岳や御池岳から鈴ヶ岳・霊仙山を経て伊吹山に至る地域では、おおきな熱的変質を免れて堆積当時の環境の一部を化石として保持している赤坂石灰岩が飛び石上に地表に露出しており、山頂や山陵部には多数の石灰岩柱やすり鉢穴が発達したカルスト地形が形作られています。

これらの石灰岩は北部へ行くほど後期の花崗岩による熱変成をまぬがれて原岩の保存状態がよいようで多くの海棲生物の化石を含みます。赤坂石灰岩の場合、古生代石炭紀から中生代三畳紀に形成された赤坂海山列の珊瑚環礁がジュラ紀に至って沈み込み、付加体となったものですから、堆積年代の石炭紀から三畳紀にかけての海棲生物化石が含まれます。

しかし赤坂石灰岩は海溝に沈み込み付加体となってからでも1億5千万年以上の時が経過していますから、日本のような火山列島において、付加された源岩が今日に至るまで目立った熱変成も受けずに多数の化石を含んだまま存在し得たことは幸運であったと思えます。

霊仙山登山道周辺の山腹に発達した、カルスト地形に特徴的な多数の石灰岩柱

写真は鈴鹿山脈北方・霊仙山のもので、醒ヶ井の登山口から登る最もポピュラーなルートの登山道周辺で撮影したものです。注意深く歩いてゆくと、周囲に散在している石灰岩中に化石を含むものが結構見つかります。

石灰岩中に散在する生物化石。化石の知識は何もないので上はウミユリのようだが下のコイル状のものは不明

大きな生物の殻が存在すると、その殻の空洞部を中心にして選択的に結晶化が進行する様で、石灰質の石基中に埋め込まれた生物殻が方解石の結晶として化石化して保存される様子です。

再結晶化が進行しても源岩の内部構造が細部まで保存されて化石を含んだ美しい大理石となる場合もありますが、通常は再結晶化が進むとともに原岩の物理的構造は失われて均質な方解石の粗粒結晶となることが多いようです。

むろん堆積時に内部に埋め込まれその物理的輪郭が保持されていた化石は、その輪郭構造を失って消滅してしまいます。鈴鹿や津市西部の山地で見られる石灰岩の多くはこのような状態にありますから化石を含むものはあまり見られません。

方解石

面白いことにこれらの石灰岩の中には、弱変成の石灰岩に混じって大きな単結晶にまで成長した方解石の巨晶がみられる石があることです。堆積したと云うより、特殊な環境を得て水中に溶存した炭酸カルシュウムから長時間かけて晶出したものでしょうか。

霊仙山登山道で見かけた方解石の巨晶からなる石

石の表面には規則的な平行四辺形を描く多数の劈開線が見て取れます

この石の近くには、牙状に成長した方解石の結晶が幾つもちらばっていました。大きな石と同じ母岩から別れたものかどうかは不明ですが、見た感じがかなり異なるので別物かもしれません。一見同じようなカルスト石灰岩でもよく見ると様々な変化があるようです。

霊仙山登山道で拾った方解石

軽く叩くと鋭角の結晶面を見せて割れます

方解石の巨晶は自宅近くの安濃川上流域においてもよく目にするものですが、このような牙状結晶ではなく、平行四辺形の形状がよくわかる箱型の結晶の集合体です。

安濃川上流域の石灰岩転石(結晶粒が大きくてよくわかるもの)この辺りでは石灰岩はほぼ全て熱変成によって方解石の粗粒結晶に変化しているようです

上の写真は粗粒の結晶面がよくわかる石を選んでいますが、普通はもう少し結晶の粒度が小さく、部分的に黒色~灰色に着色した石のほうが一般的です。石灰岩の場合、石を割った端面は、暗灰色~灰色で粉っぽい感じですが、結晶化した方解石の場合は、白色で透明感があり、結晶の感じがよく出ています。

熱源による接触変成作用は熱源となった花崗岩体との距離でおおむねその変成の程度が決まりますから、花崗岩体が上部の古生層を貫通して地表にまで達している鈴鹿山脈中・南部や布引山地では再結晶作用も強くなります。

鈴鹿や津に近い鈴鹿山脈の南部にも、入道ヶ岳の周りなどに当時の石灰岩が存在していますが、南部では表層の古紀付加体は白亜紀以降に形成され上昇してきた鈴鹿花崗岩の激しい接触変成を受けて多くは結晶質石灰岩に、その一部は熱水反応により源岩とは組成・構造の異なる変成岩(スカルン)となっています。

大理石

石灰岩の主な組成の炭酸カルシュウムは石灰岩が多少の熱変成を受けても組成自体は変化せず、炭酸カルシウムが再結晶化して鉱物の純化が進み、より粗粒の方解石となり大理石と呼ばれるようになります。

小岐須渓谷 御幣川の石灰岩(大理石) 結晶の粒度は細かいが、再結晶化によって石の内部の純化が進み、炭酸カルシュウムの純度の高い白色部と不純物を多く含む着色部が縞状・網状に配列されていて見た目にも美しい

小岐須渓谷の石灰岩を薄片にしてみました。透明感のある白色の基質に不純物による暗色の縞が多数みられる石です。表面を太陽にかざすと多数の微結晶がキラキラ光を反射して光り、見た目にも全体が方解石の結晶からなると分かる石です。

右下の薄片は、3個所の異なる部位から切り取った岩片を一枚に継ぎ合わせていますがどの場所でも大した違いはない様子です。

暗色の縞は標本に厚みのあるうちは白色部分と明確に区別できるが、削り込んで厚みがなくなってしまうと他の部分と区別できなくなる。

薄片にして偏光顕微鏡で確認した写真は次の様です。以後6枚の写真の視野は約7mm✕4.7mm、偏光顕微鏡下で最初がXPL 後の写真がPPLです。

これらの写真を見ると、撮影する場所によって結晶の粒度に多少の差はありますが、優白部と優黒部の差は殆ど認められず、とどれもほぼ均質な方解石の結晶の集合体であるとわかります。一部微粒子の集合部分に異物らしいものがあるように見え、あるいはこれらが暗色の縞の原因なのかもしれません。

小岐須の石に比べると、より北方の化石を含むような石灰岩では、再結晶化が起きても結晶の純化の程度が低く源岩の構造がかなり残されている様な石が多く見られる様です。

上の写真は鈴ヶ岳下流の犬上川転石の石灰岩。源岩の構造の一部が方解石の白点などになって残っている

犬上川で拾った石灰岩の転石の一部を薄片にしてみました。暗灰色の基質に再結晶した方解石の白点や線条がみられる石で、表面を見た限りでは基質部分に化石は存在しません。再結晶の過程で消失してしまったのか、堆積環境が生物遺骸も砕屑された砂泥質石灰層であったのかもしれません。

薄片にして偏光顕微鏡で確認した写真は次の様です。以後6枚の写真の視野は約7mm✕4.7mm、偏光顕微鏡下で最初がXPL 後の写真がPPLです。

これらの写真でも白色帯は再結晶した方解石が粒状に成長して美しい干渉色を示しているのがよくわかります。基質部分も微粒の方解石結晶で埋まっているのが見て取れますが、今一つ小さくて見にくいので拡大して見ました。以後4枚の写真の視野は約3.3mm✕2.2mm、偏光顕微鏡下で最初がXPL 後の写真がPPLです。

拡大しても基質を構成する方解石の粒子はあまり変わりません。×20の対物で覗いてみてようやく細かな砂状粒子の集合であると分かりますが、いずれにせよとても細かい構造であるようです。

再結晶化は鉱物を選別して同種のものを結びつけ異種のものを排除しょうとしますからその進行とともに鉱物の純化が起こり、不純物が少ないとほぼ純白で均質な方解石の結晶となります。また不純物が存在すると同種の鉱物や不純物を含む部分が寄り合って様々な模様を作ります。

ただし、これら石灰岩中の黒色や茶色の帯状や斑状の有色部分でも、偏光観察すると鉱物は白色の方解石結晶部分とほとんど変わりないことが多いので、極わずかの不純物の混入によって顕著な色がでる様です。

小岐須渓谷より更に南部の安濃川上流域の石灰岩(大理石)転石。上流域の谷によっても結晶の粒度が違う。

上の安濃川の石とより北の御幣川の石を比べてみても、南へ下るほど熱変成の程度が大きく、大理石の結晶粒度も大きくなる傾向が見て取れます。またこの辺りでは北部の霊仙山などではごく普通に存在する灰色で透明感のない非変成の石灰岩にはまずお目にかかることはありません。

安濃川の石灰岩(方解石)転石の一部も薄片にしてみました。粗粒方解石からなる石で、部分的に不純物によって黒く着色しています。黄色い色は含まれていた微量の鉄分が錆びたものと思います。

薄片にして偏光顕微鏡で確認した写真は次の様です。以後の写真の視野は3.3mm✕2.2mm、偏光顕微鏡下で最初がXPL 後の写真がPPLです。先の小岐須の大理石と比べると結晶粒度が遥かに大きいものです。

基質部分も方解石が大きな結晶粒に成長していますから視野全体に美しい干渉色の模様が広がります。黒色部分は薄片にしても黒くて不透明鉱物の集合体の様子です。

不純物が交じると、たとえ微量でも色が濁ってしまいますが、不純物の少ない大理石は純白でとても美しいものです。自宅近くでは小岐須渓の林道周辺にこのような大理石が多く見られ、小岐須渓の入り口では、現在も大理石の採掘鉱山が稼鉱しています。このため小岐須渓を流れる御幣川の下流では転石の中に沢山の白色大理石が見つかります。

小岐須渓谷・小岐須林道周辺の石灰岩(大理石) 石の表面は汚れていても割ってみると内部は純白の粗粒結晶質石灰岩で大変美しい

小岐須渓谷山の家の西側の駐車場から小岐須林道を1kmほど遡ると、谷川が石灰岩(大理石)をU字型に浸食した屏風岩の奇観を目にします。屏風岩の周辺は石灰岩の露頭が多く見られ、この下流では小規模な鍾乳洞も見つかっています。

鈴鹿山脈の隆起に伴い御幣川が表層の石灰岩層を浸食してほぼ垂直の峡谷を造り出した

御幣川の野登山から流下する谷にも、谷川が石灰岩層を侵食した小さい峡谷が存在します。こちらはこちらは石灰岩と砂泥質岩の境界断層とみられ地質的に強度の低い断層部分を谷川が掘り進んだようです。

小岐須山の家の南西、野登山登山道に並走する御幣川支流の石灰岩渓谷。白色の石灰岩(大理石)と砂泥質岩の互層部分が侵食されている様子がよく分かる

屏風岩の北西2km辺りには、後期白亜紀の鈴鹿花崗岩からなる仙ヶ岳から宮指路岳・水沢岳へと至る鈴鹿山脈の稜線が連なり、西方500mから南部の野登山一帯は、同じく後期白亜紀の野登山花崗閃緑岩が露出しています。

白亜紀後期のこれらの花崗岩類の定位に伴い、その上層に位置した古生代・中生代の地層はマグマの強力な熱源にさらされて熱変成を受け、砂泥質岩はホルンフェルスと呼ぶ硬質の変成岩へと変化し、石灰岩は炭酸カルシウムの再結晶化が進んで大理石へと変化したわけです。

スカルン鉱物

熱変成の過程で、大量のミネラルを含む熱水やマグマが固結する末期の高温高圧の漿液と、石灰岩等の炭酸塩岩が反応すると、珪灰石・柘榴石・灰鉄輝石・スカポライト・アクチノ閃石・緑簾石等のスカルン鉱物と様々な金属鉱石を含む鉱石鉱物が生成され、スカルン鉱脈が生まれます。

スカルン鉱化帯の岩石は輝石の緑と方解石・珪灰石の白、べスプ石・柘榴石の赤の三色を特徴とします

マグマ溜まりから派生した貫入岩脈が石灰岩層を貫くと、岩脈周辺の石灰岩はスカルン化して小規模なスカルン鉱脈を生じます。小岐須林道周辺にもこのような貫入岩脈に伴うスカルンが存在しますが、近年では林道の補強工事で見ることが難しくなっています。

宮妻峡キャンプ場周辺のスカルン転石。珪灰石中に透輝石のきれいな脈が走っている

小岐須渓の北部・雲母峰の山腹周辺にも石灰岩層が散在しますので、宮妻峡の雲母峰側の山腹にも小規模なスカルン脈が存在し、宮妻峡キャンプ場北側の谷筋を歩くと珪灰石や輝石を含んだスカルンの岩片を見ることができます。

スカルン帯の金属鉱石

私の自宅の周辺では、鈴鹿川や安濃川の上流域にも僅かですがスカルを産する地域が存在しますので河川の流域でスカルン岩塊に出会うことがあります。鈴鹿や布引の山地ではスカルン周辺の地殻は、花崗岩類か砂泥質岩起源の変成岩であることが多いので、緑色や赤色を含むスカルンは結構目立ち、慣れてくると割と楽に見つけられます。

スカルン中には金属鉱石を伴う場合も多く、硅灰石や柘榴石等のスカルン鉱物に混じって鉄・錫・亜鉛・鉛などの鉱石の結晶が集中している場合もあります。

スカルン鉱化帯の金属鉱物の転石。表面は鉄分が酸化して赤サビに覆われている

新鮮な断面は角閃岩のような色で様々な色彩の微細な金属鉱物の結晶がキラキラ輝く

安濃川上流域の笹子川下流では、稀にスカルン起源と思われる金属鉱化物の転石と出会うことがあります。水に洗われていないと表面は鉄錆に覆われて褐色でとても金属鉱石が含まれているとも思えませんが、割ってみると強い硫化物の異臭がし、破断面には閃亜鉛鉱や黄鉄鉱と見られる微細な金属鉱物の結晶が存在します。

デイスクサンダーで切断してみると、鋳物を切るような灰黒色の粉塵を出し、石よりは金属の塊に近いのが良く分かります。嘗ての日本では、これらの鉱石が大量に晶出するスカルン鉱床は金属鉱山として嫁鉱された所も多く、釜石や神岡のように国内有数の鉱山も存在しましたから、過去にはスカルンが極めて有用な鉱物資源であったわけです。

(輝石を扱った私の別のサイト 「輝石」 にこの辺りのスカルンについて少し書きましたので興味があればそちらも見てください)

石灰質砂岩

コトバンクに引用された岩石学辞典の解説によりますと石灰質砂岩(calcareous sandstone)とは、(1) 方解石で膠結された砂岩.(2) かなりの量の方解石の岩屑を含む砂岩で,破砕された石英が50%以上含まれているもの.以上の二つの意味に用いられる[Scarle : 1923, Pettijohn : 1957]とあります。

要は珊瑚や貝殻など炭酸カルシウムの生物殻を大量に含んだ砂泥質の海岸の砂が沈み込んで付加した場合などで、炭酸カルシュウムが再結合する過程で周囲の砂粒を膠結させた、セメントで固められた砂です。

この辺りで見られる石灰質岩はどれも中・古生代の付加体を起源としますから、今日に至るまでに地殻の様々な構造運動を経ており、地殻深部の高温・高圧による複雑な変成作用も被っています。

石灰質岩が角閃石ホルンフェルス相以上の高温度で変成作用を受けると、透輝石や角閃石を生じますので、石灰質砂岩も炭酸カルシュウムの多い部分が生成した輝石によって薄い緑色を呈するようになります。

石灰質砂岩起源変成岩(ホルンフェルス)の転石。細粒・緻密なとても硬い石でハンマーで叩くと火花が出たりします。破断面は鋭く平面状に剥がれるように割れます。露出部分は全体に鉄分が酸化して錆色をしている。

布引山地の笠取山周辺には砂泥質岩起源の変成岩中に石灰質砂岩の変成岩が帯状に存在していて、5万分の1地質図幅に詳しい記載があります。上の写真は高良城川の大堰堤手前の林道で拾った転石で、林道の路肩一帯に石灰質砂岩起源の変成岩層存在します。

この石もそうですが、露頭から崩れ落ちたままの石には土や苔が付着し、鉄分が錆びて変色しているため表面を見ただけでは、どれも黒や褐色の薄汚れた同じような石にしか見えないので、砕いてなるべく新鮮な破断面で原岩の種類を確認します。

笠取山を水源とする服部川や桂畑川には、円摩されたこれらの転石が見つかるはずですが、量が少ないこともあってか手に入らなかったので笠取山登山の帰途で高良城川沿いの林道より拾い集めたものを上げていますが、この状態では細粒で鉱物組成の判断が難しいので一部を薄片にしました。

石灰質砂岩起源変成岩の転石。黒っぽい部分は黒雲母や角閃石が多く晶出した砂泥質岩変成岩部分で、薄い灰緑色の部分が輝石を含む石灰質変成岩。一部鉄分が酸化して錆色をしている。

上はサンプルの薄片写真で最初が斜め上部からの表面反射光、後の写真が下部からの透過光による撮影です。砂岩は透明鉱物の石英が主体なので透過光では明部・暗部ともほぼ同じような明るさで写りますが、表面反射では黒色の鉱物が多い暗部と石英・輝石主体の明部との明暗が際立ちます。

上は薄い灰緑色部分の偏光顕微鏡写真。写真の視野は約6mm✕4mm、偏光顕微鏡下で最初がXPL 後の写真がPPLです。

PPLで薄緑に見える輝石の粒子が、ほぼ同程度の石英粒子間に均等に分布しています。石英粒子の間隙を埋めていた炭酸カルシュウムのマトリックスが変成作用によって輝石に変化したものです。

よく見ると石英と輝石以外にも、斜長石、角閃石、黒雲母などが僅かに交じっています。左端の優黒部では不透明鉱物が多数存在します。優黒部分の偏光写真を以下に示します。視野は約6mm✕4mm 最初がXPL 後の写真がPPLです。

優黒部では黒雲母の比率が大きくなり、PPLで茶色く写っているのは黒雲母で一部緑がかった軸色を示す黒雲母も混じっていて灰緑部と比べて黒雲母が多くを占めます。小さいと見にくいのでクリックして拡大すると良く分かります。

中央上から右端にかけて輝石の細長い配列が写っていますがかなりの部分が角閃石や雲母、タルク状に変質が進んでいます。

薄片写真の右下側に結晶の粒度が他より大きく成長している部分がありますので、以下4枚はその部分の偏光写真です。視野は同じく約6mm✕4mm 最初がXPL 後の写真がPPLです。

結晶粒子の大きい部分では斜長石と輝石の結晶が卓越しているが輝石の多くは変質が進み角閃石、雲母、緑泥石、不透明鉱物などに交代している。ごく僅かに極めて高い干渉を示す方解石(と思います)が残存している。

このサンプルは林道脇の転石を安易に拾い集めただけあって、全体に質が悪く輝石の微結晶なども変質して輪郭が崩れているものが多く見られました。薄片を作る際は、なるべく風化の程度が少ない母岩より切り取ることが望ましいのですが、むやみに山野の岩を叩き割ってサンプル取りする行為は環境破壊のそしりを免れませんのでやむを得ないところです。

笠取山の石灰質砂岩については、もう一つ、東側山腹を流れる桂畑川の上流堰堤の転石を薄片にしていますので、こちらも載せておきます。こちらは転石が大きかったこともあって結構新鮮なサンプル取りができました。

上は桂畑川堰堤で拾った石灰質砂岩起源のホルンフェルス。極めて硬質・緻密で全体に均質な石。新鮮な面は暗灰緑色で酸化すると褐色を帯びるが、研磨面はきれいな灰緑色。以下4枚はその部分の偏光写真です。視野は4枚とも約3.3mm✕2.2mm 最初がXPL 後の写真がPPLです。

こちらのサンプルの主な鉱物は石英・斜長石・輝石でどれもが新鮮です。輝石の一部は角閃石と交代していますが高良城川林道の石に比べると輝石の輪郭もはっきりしていて遥かに綺麗です。下の写真の中央部には高干渉をしめす方解石の結晶が写っていて、原岩が石灰質であることを暗示しているようです。

写真の視野は約1.8mm✕1.2mm 最初がXPL 後の写真がPPLです。透明鉱物に変成作用で生じたと思われる斜長石が多いので、原岩の組成は泥岩を多く含む結晶質砂岩でしょうか

石灰角礫岩

コトバンクに引用された岩石学辞典の解説では石灰質礫岩(calcirudite)とは「岩屑性の石灰質岩石で,破片の50%以上が直径2mm以上のもの.結合は炭酸塩の組成の場合も異なる場合もある」[Grabau : 1904, Bisel & Chilingar : 1967]とあります。

この解説では石灰岩の角礫が続生作用によって礫岩化したものと解釈されますが、石灰質岩以外の礫が多数であっても、礫間を膠着するマトリックスが石灰質の場合も石灰質礫岩と呼ぶようです。

石灰岩は他の石に比べると柔らかい上に水に溶けやすいので、岩屑が河川に流入しても河川を流下する間に消耗してしまう可能性が高く、石灰質の円礫が堆積する例は少ないようで、一般に石灰質礫岩と言うと崖錐などの石灰角礫が続生作用によって礫岩化したものを指すようです。

三重県北部の藤原岳から滋賀の霊仙山、岐阜の伊吹山の一帯の石灰岩中には石灰角礫岩の層も挟在するため芹川や姉川、柏川では石灰岩に混じって石灰角礫岩の転石を見ることもできるようです。下の写真は霊仙山周辺を水源とする多賀町の芹川上流部で写したの石灰角礫岩・転石です。

芹川上流の石灰角礫岩。礫種はほとんどが石灰岩、マトリックスも石灰質と見られます。

決して珍しい石と言うほどでもありませんが、多賀町の多賀大社の社内にはさざれ石の見本が置かれています。

以上、三重県北部とその近辺で見ることができる石灰質岩について幾つか書いてみました。一応昨今の地質学的知識において、大した誤りはないと思っているのですが、所詮は素人の記事ですから内容がすべて正しいかどうか保証の限りではありませんので悪しからず。

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