誘蛾灯

今の子供たちは誘蛾灯と云ってもどんなものか分らないのではないだろうか。三重に所縁の作家梶井基次郎の短編「城のある町にて」は、主人公が義兄の家族と連立って上がった松阪城跡から、平地に広がる見渡す限りの除虫灯の海を眺めるシーンから始まる。

それは田に湧いたウンカを殺すために灯していて、あと数日で終わると聞いて皆で見物に来たのだが、ここに出てくる除虫灯が私の子供の頃によく見かけた誘蛾灯の前身である。

梶井がこれを書いた大正14年当時の除虫灯は、皿に入れた灯明油を屋外で燃やし灯りに惹かれた虫が油の皿に飛び込んで死ぬだけの簡単な構造であったろうと思う。

私が小学校に入った当時、敗戦による貧困のドン底からようやく立ち上がったこの国にも、朝鮮戦争の特需とやらが訪れて以降、徐々に景気好くなり出したころで、町の郊外ではそれまで荒れ地であった山野を切り開きあちこちに新興の団地造成が始まっていた。

団地の急増で自然のバランスが失われた結果か、このような新興団地の周辺で毒蛾の発生が声高に叫ばれだし、その結果あちこちに毒蛾を誘引して殺すため誘蛾灯が設置されたのだ。

ただし毒蛾騒ぎのあった地区から通学している同級生に聞いても、毒蛾を見たような話などついぞ聞かれなかったから、実際のところはどうであったのか、今思うと誰かが裏で動いた誘蛾灯ビジネスであったのかもしれない。

小3の初夏、津階楽公園の奥に造られていた新興の大谷団地の入り口に据えられた誘蛾灯のことを良く覚えている。現在この辺りは津駅から三重県文化センターに至る道路の中ほどに当たり住宅地に囲まれた一等地になっているが、当時はまだ周囲山に囲まれ、赤土剥き出しの、山を切り開いたばかりの新興団地だった。

昆虫採集に熱中していた私は、毎日カブトムシやクワガタを求めて朝5時起きしてしては自転車で階楽公園の裏手から大谷団地の奥に在った渋味町の里山をめぐり、最後にこの誘蛾灯のある団地入口を回って帰ることが多かった。

誘蛾灯は青色系蛍光灯の下にブリキで作った70cm四方ほどの浅いパッドを設けその中に殺虫液を満たして光に集まる昆虫を殺してしまう装置であった。

当時はまだ現在のように夜間も町に光が溢れているような時代ではなかったから、里山の周辺部に灯された誘蛾灯には面白いように昆虫が集まり溺れ死んでいた。もちろんカブトムシやクワガタも多数おり悲しい思いで眺めたものだが、虫の中には辺りの草に止まったり、誘蛾灯の根元に止まったままじっとしているやつがいて運がよいと生きたまま捕まえるができた。

また普段なかなか見つけられない珍しいコガネムシやカミキリムシの仲間が溺れていることがあったから当時の昆虫小僧にとって標本の種類を増やすためにも誘蛾灯のチェックは重要であったのだ。

私の見る限りこの誘蛾灯には毒蛾と思える蛾など殆ど死んでいなかった。様はただただ、無暗に周囲の昆虫を寄せ集めて皆殺しにしているだけの愚劣な装置でしかなかったのだが、たまに私にも珍しい昆虫をもたらすので私にとっては複雑な気持であった。

この誘蛾灯によって私の昆虫標本は、その夏はかなりの新種を追加できた。私は幼稚園の頃から昆虫標本作りを始めたが、小2の夏を境にもっぱらカブトムシのような翅の固い甲虫だけを狙うようになっていた。トンボやチョウなど展翅の必要な奴やバッタのように標本にしても直ぐ胴が腐ってしまう様な奴は気短な私の梃子には乗らず、もっぱらコガネムシやカミキリムシのように、針に刺して標本にするだけで何の苦労もなしに完成し、しかも長持ちする虫(甲虫と呼ばれている)ばかりを相手にするようになっていた。

私にとって誘蛾灯に落っこちた虫は、蝶や蛾は見事なまでに翅の鱗粉がなくなってしまうのだが甲虫の仲間では油剤系の殺虫液のため多少体色が黒くなるくらいで標本としても何ら問題がなかったから、殺す手間が省けるだけは楽チンな素材であったのだ。

私が誘蛾灯を最後に見たのは小6の夏ではなかったかと思う。確か階楽公園の奥に在ったように思うのだが記憶があいまいではっきりとわからない。此頃になると日本の高度成長は真っ盛りとなり、たちまちのうちにほうぼうの道路や公園に水銀灯が設置されだした。この超強力な青白い光は、誘蛾灯の青色蛍光灯の光なぞ足元にも及ばぬ牽引力で回りの虫を呼び集めたから、それ以降誘蛾灯を目にすることもなくなり、日本の夜は至る所で昼間のような光に溢れたものに変わっていった。

当時私は津市内の国道23号の近くに住んでいたが、未だ市の西部には多くの里山が残っていた時代で6~7月の風のない蒸し暑い夜に、この超強力な水銀灯の元へ行くと、周囲の森や草地や河辺から飛来した夥しい昆虫が灯火の周囲に群飛してすさまじい程の光景だった。

かなりの高さで飛び回る昆虫集めは、その事自体に面白みがあり誘蛾灯で死んだ虫を拾い集めるよりは、遥かに楽しかったが、目的の虫が手の届かぬ高さで飛び回るばかりでなかなか下に落ちてくれず、結局何処かへ消えてしまったときなどはさすがに悔しかったものだ。

今にして思えば、津駅の東口周辺など周囲に商店街が在る場合など、店の中にも多数の虫が飛び込んできてさぞや不愉快であったろうと