鈴鹿川

鈴鹿川

一級河川・鈴鹿川の本流は亀山市関町の高畑山・坂下峠を分水嶺として四日市市塩浜地区の河口より伊勢湾へ注ぎます。河口手前の楠町から分水嶺の坂下までほぼ河川沿いに旧東海道が走ります。

鈴鹿峠より見た旧東海道坂下宿の国道一号線。鈴鹿川はここ迄東海道に並走して走り、坂下より一号線を写真右手奥で横切って高畑山の南麓を坂下峠へ至る

河川の延長は38km その支流には鈴鹿山脈を源とする内部川、御幣川、安楽川、前田川、小野川などがあり、最南部の支流・加太川は鈴鹿山脈と布引山地の境界にそって両山地の側面を加太盆地まで流れ込んでいます。これらの支流は、その流域において鈴鹿峠から流下する鈴鹿川本流にも劣らない河川規模を持っていますから内部川・御幣川・安楽川はそれぞれ鈴鹿川とは独立した河川として後に取り上げることにします。

支流の中でも加太川は本流の鈴鹿川より水量も多く分岐より分水嶺までの河川長も長くて鈴鹿川が旧東海道とほぼ並走して流れる事実がなければ、こちらが鈴鹿川の本流となってもおかしくありません。

伊賀町柘植の分水嶺から加太盆地を関町新所の鈴鹿川合流点迄流れる加太川。加太盆地は日本海拡大期には海面下にあり当時の海成~陸成の堆積岩が多い

鈴鹿川の観察地点は加太川と安楽川の合流点に挟まれた区間で主に鈴鹿川と加太川からの転石が流れ込みます。なかでも転石が多くみられる勧進橋上流、亀山大橋上流、忍山大橋前後の三か所です。三つの橋のうちでは勧進橋が最も上流にあたり、最も下流の忍山大橋との間には小野川、桜川の支流があります。

伊勢別街道は関の東の追分から真っ直ぐ南へ下ると鈴鹿川に架かる勧進橋を渡る。古くから架けられていた様だが起源ははっきりしない

勧進橋は東海道・関の追分から伊勢別街道を500mほど下った辺りで鈴鹿川を渡ります。橋長は100m強の立派な橋ですが普段河床となって水流のある部分の川幅は40mほどで草木に覆われた中洲の占める割合のほうが多く一級河川に特徴的な河相です。

関町の古代史跡

伊勢別街道はすでに奈良時代より室町時代に至るまで京都から伊勢斎宮御所(多気郡明和町斎宮)に至る斎王群行路に当たっていましたから当時から架橋されていた可能性も高いですが、今日のような長い橋ではなく川幅の狭い部分を選んで架けられていたと想像されます。

勧進橋のある関町は古くから東海道の鈴鹿関が置かれた東西交通の要衝で、町内には古代よりの史跡が幾つも残り鈴鹿関跡は東海道と大和街道が分かれる関町新所の北にある観音山公園で見つかっています。先に上げた斎王群行の際に宿舎となった鈴鹿頓宮跡も関宿の木崎丸山に赤坂頓宮跡と共に史跡があります。

鈴鹿頓宮には鈴鹿峠直下の坂下・片山神社にあったとの説もありますが斎王群行が行われていた初期の奈良・天平の頃には加太盆地を経由する大和街道を群行路としており、三重県側が峻険な鈴鹿峠越えのコースをとるようになったのは平安以降とのことですから少なくとも平安以前にはありえません。

関宿・東の追分から東海道を離れ、勧進橋をわたるとすぐに鈴鹿駅家(うまや)跡があります。律令体制が整備された古代日本に設けられた伝馬制の駅の史跡と言われ、この辺りは地名も古厩とよばれて過去に馬屋があったことを偲ばせます。

勧進橋の上流には河川公園の広場があり、そこから簡単に河床へと降りることができるので河原の転石を見るには適した場所です。転石は水流によってその大きさや比重による選別が行われますから、河川の場所で大きな石が多く集まる場所から小さな石が集まる場所など様々です。また河川改修があったり、豪雨によって平時を遥かに超える水流が生じると、河床の様子が一変してしまいますから常に同じ場所で転石が見つかる訳でもありません。

上は勧進橋上流・関消防署前の鈴鹿川。常時の川幅は50m弱だが大規模出水時には中洲部分も浸水し100m近い川幅となる。写真右端より河川敷公園がある

観察点を複数取ったのは支流からの石を選別できることと、河相の違いによって転石の水流による選別が行われて特定の石ばかり河原に集まる可能性があるため、サンプルを平均化したかったからです。

上は名阪国道と一号線連絡道路が鈴鹿川を横切る亀山大橋。手前の高架は東名阪と伊勢自動車道の連絡橋。右下端は支流・小野川からの分流

上は亀山大橋下流、神辺小学校前の鈴鹿川河川敷。小野川から流下する斑糲岩や閃緑岩類が多くみられる

上は亀山市野村の南北を結ぶ忍山大橋。2014年に架橋された当時は河床も浚えられ川に降りるのも楽だった

忍山大橋の上流部。このあたりの河床には豪雨で近世の土石が洗い流され中新世の非海成堆積層が露出して古代象の足跡が現れた場所があったが何時しか失われてしまった。

流石に鈴鹿川や安濃川の転石では、七里御浜や桂浜のように美しい石を見つけるのは難しいが、少し形を整えて磨いてやるとありふれた石も思いの外美しくなる

上は亀山大橋の少し下流、神辺大橋下の鈴鹿川転石。河川は年がたつと場所によって転石の集まるところが変化する

見た目、この辺りの鈴鹿川転石は白っぽい石と黒っぽい石が混在していて結構種類が豊富なことです。御在所山以北の朝明川などは花崗岩主体の白っぽい石が優勢ですが、鈴鹿川の上流・中流域ではの写真の様に様々な色や質感の異なる石が混ざり合っています。

の地質図を見ますと、鈴鹿川上流水系においてもG(granite)表記された花崗岩類が優勢に見られますが、支流の加太川がs1表記された砂・泥質岩の付加体およびM1表記された砂泥質岩源変成岩を開析しており、黒く目立った石はこれらの岩体を源としているようです。

以降では鈴鹿川で見られる色んな種類の転石について少し詳しく見てゆくことにします。