デジタルカメラの黎明


Wikipediaによりますと、今日のカメラとほぼ同じ構造のカメラが誕生したのは19世紀に入ってからとのことです。感光材の硝酸銀を塗布した写真乾板を木箱の後ろに装置し、その前面に移動できるレンズを置いてレンズキャップをシャッターとして看板上に生じた倒立像で撮影対象の感光を行い、後処理によって写真乾板の現像と定着を行うものでした。

現在の銀塩カメラもその基本的な構成は当時と変わらず、乾板がフィルムに変わり、レンズには露出時間を調整するシャッターと露光量を調整する絞りが設けられましたが、レンズで発生した撮影対象の倒立像をフィルム面に写像して感光させる仕組みは全く同じです。

Panasonic デジタルカメラ講座より https://av.jpn.support.panasonic.com/support/dsc/knowhow/knowhow01.html

この仕組みはデジタルカメラになっても変わらず、フィルムの代わりに光を電気信号に変換する撮像素子を置き、撮像素子に写った画像を電気信号に変換してカメラ内部の記憶素子に録画します。フィルムが電子回路に置き換わりましたが撮影の光学的な仕組みは乾板カメラの時代と少しも変わりません、

私が工業高校の電子科で電子工学を学んだ1960年代は電子技術疾風怒涛の時代で、戦時中に米国のベル研究所で開発された固体増幅器・トランジスタは1950年代には真空管にとって代わり、1960年代初頭には真空管最後牙城であったTVの超高周波増幅もすべてトランジスタ化されます。さらにトランジスタの集積回路ICが登場するに及んで電子回路はそれまでのアナログからデジタルへと一気にシフトし、集積回路の集積度は二年を待たずに倍加、コストは1/2以下となるすさまじい開発競争が始まりました。

当時のIC・LSIチップ どちらも集積度は低く、チップの回路動作は殆ど頭に入っていたから、回路設計や修理は楽な時代だった

1970年代、マイクロコンピューターの登場とそれに使用する大容量メモリーの開発は、ほとんどすべての電子回路の分野を巻き込みあらゆる製品にマイクロコンピューターが搭載される時代に突入しますが、撮像素子はまだテレビ用に開発されたビジコンやオルシコンと云った真空管式の撮像管全盛の時代でカメラ用の固体撮像素子はまだなかったかと思います。カメラ画質を実現できる小型の民生用固体撮像素子を実現するには超高密度のメモリーチップが普及しだす1980年代を待たねばならず、それまではまだ撮像管の時代であり撮像素子と云えばビデオ用の撮像管しかありませんでした

1980年初頭にソニーがビデオカメラHVC-80と専用録画機SL3100を開発して家庭用のビデオ撮影機材の先鞭をつけましたが、カメラの撮像素子ももちろん真空管式でソニーはトリニコンと呼んでいました。私も買い入れて暫く使っていましたがカメラはまだしもデッキが大変に重い機材で持ち運びに苦労して直ぐに手放してしまいました。

ソニー渾身のビデオカメラHVC-F1とビデオデッキSL-F1 発売当時は従来機に比べると遥かに軽量・高画質のカメラとデッキだった

そのすぐ後にソニーからHVC-F1及びSL\F1と呼ぶ普及型のカメラとデッキが発売となり、こちらは前機に比べると遥かに軽量で扱いやすかったので購入して8mmビデオが主流となるまで使用して現在も手元に残っています。

撮像管は同じトリニコンですが、当時カラー画像を生成するには三本の撮像管の全面にR・G・Bのカラーフィルターを噛ませてそれぞれの撮像管からR・G・Bの電気信号を取り出し、これを電気的に加算して輝度信号とカラー信号を合成する三管式カメラ全盛の時代でした。

これに対してトリニコン管は一本の管内にRGB三色のフィルターを実装し、それを電気的に切り替えてRGB三色信号を取り出せる単管式の撮像管でカメラ小型化の助けとなりました。

ソニーの8mmカムコーダーCCD-V88 小型軽量で操作性に優れ当時のビデオカムコーダーの市場をほぼ独占した商品

撮像管の固体化が実現したのは、確か8mmビデオカメラが登場してからで、私がソニーの8mmカムコーダーCCD-V88で録画を始めたのは1988年ですから固体化が始まったのは1980年代後半からだと思います。SONYのサイトによると8mmカムコーダーの初号機CCD-V8搭載のCCDは25万画素とありますから、今日のデジカメと比べるとその画素数の差に驚かされます。私が2000年に購入したオリンパスの一眼レフCAMEDIA E-10の搭載CCDは2/3型400万画素でしたから10年程で民生機のCCDの画素数が10倍程に増加した訳です。

 民生用ハンディカムの爆発的な普及と共に、1980年代後半から2/3型と呼ばれる8.8mmX6.6mmのCCDセンサーを搭載したデジタルカメラの開発が始まります。高額な割に40万画素前後の製品が多く、ICメモリーはまだ高価であったため画像記憶小型のフロッピーディスクを用いており、画像の出力もせいぜいTV画面に写して楽しむ程度の画質解像度でしたからほとんど普及しませんでした。

1995年に発売されデジカメに新時代を切り開いたCASIO QV-10  2012年、国立科学博物館が認定する未来技術遺産になっている 写真共にWikipediaより

民生用のデジタルカメラが普及しだすのはカシオが1995年に1/5型25万画素のQV-10を登場させてからです。VGAの半分 QVGA 320X240ドットの画質でしたが市価6万円前後の価格設定のためパソコンの普及と相まって画像取り込み用に急速に普及しました。

MSXパソコンを造っていたSONYが一転、1995年に突然販売を開始した実用的PC VAIO これはその最上位機種で55万程もした

当時、私はSONYが1995年に力技で販売したVAIOの初号機PCV-T700MRを購入しており、このパソコンにはアナログのTV信号を取り込んでデジタル化できるMPEG1エンコーダーが搭載されていてβマックスや8mmビデオをデジタル化していましたから、テレビ画像の静止画出力QVGA 320X240 と大差ないQV-10には引かれませんでした。

デジカメはこれ以降日進月歩の進歩を遂げ、20社以上のメーカーが参入、精密機械加工と電子デバイスを得意とした日本製造業界最後とも思える熾烈な価格・性能競争に突入し数カ月で価格・性能比が半分ほどに下がって行きます。

私も1996年にはエプソンのカラリオ CP-500を購入しました。7万円程の買い物でしたが80万画素 XGA 1024X768の画質で4MBのメモリーを内蔵しており、CFカードにも記録できました。此処に至ってようやく民生普及品でも、テープやフロッピーではなく固体メモリーに画像を記録できる時代に入った訳です。

1997年以降次々にデジカメを買い入れる。左下がCP-500 80万画素 XGA 1024X768 pixel 出力。中央上はOLYMPUS C-960 130万画素 3倍ズーム 中央下はCANON IXY DIGITAL 300 210万画素 3倍ズーム 右はOLYMPUS CAMEDIA C-700 210万画素 光学10倍のズーム機

CP-500以降デジカメの性能は日を追うごとに向上して画質も良くなりましたが100万画素程度の普及型デジカメではCCDの発色に難があり今一つ鮮やかな写真となりませんでした。

この時代は時にビデオカメラがデジタル化した時期でもあり、私も遅まきながら1997年3月には8mmビデオカムから松下のDVカムコーダーNV-DL1に乗り換えました。VGAの解像度でPCに画像転送できたので動画撮影と共に静止画の取り込みにも利用しましたが、画像出力に難があり、デジタルビデオでありながらPCへのデジタル出力ができず撮影動画を直接PCに読み込めない欠点がありました。

1990年代半ばに入るとハンディカムにもデジタル化の波が押し寄せる。手前は3CCDを搭載したSONYの名機DCR-TRV900、奥は松下のNV-DL1

このため1998年にはSONYから発売されたDCR-TRV950に乗り換えました。69万画素×3CCD(動画時)100万画素×3CCD(静止画時)と当時のデジカメ並の出力画素数を持っており、iLinkDV出力で直接PCiに動画の転送ができる優れもので動画、静止画とも大いに利用しました。

2000年にPCV-T700MRの後継としてVAIO PCV-RX60Kを導入。DV端子を備え、デジタルカムコーダーから直接動画を撮り込んで編集できた

1995年以降5年間使ったVAIO PCV-T700MRも2000年には既に旧式化して2000年末にはPCV-RX60Kに買い換えました。iLink端子を備え、同梱されたAdobe Premiereでデジタルビデオ編集をこなすだけのCPU Pentium Ⅲ 866Mhzを搭載していました。

同時にカメラの刷新を図り、当時のコンシューマ機では最高画質400万画素のレンズ非交換式のデジタル一眼レフCAMEDIA E-10を導入しました。2/3インチ原色CCDを備え9~36mm( フルサイズ35~140mm相当 ) F2.0~2.4の大口径4倍ズームレンズで、それまでの普及型デジカメとは比較にならないほどの優れた画質でした。

2000年頃から、日本はデジカメの黄金期を迎えコンパクトカメラ、デジタル一眼ともに高性能で安価な製品が次々に現れ、私も絶えず新たな機材を買い込む羽目になります。これ以降のカメラの私史は デジタルカメラとの出会い につながります。