デジタルカメラとの出会い
デジタルカメラとの出会い
思い返せば、私が初めて本格的なデジタルカメラを手にしたのは2000年12月 当時は20万程もしたOLYMPUSのCAMEDIA E-10 と云う当時のコンシューマ機では最高画質のレンズ非交換式一眼レフを買い入れてからで、E-10の撮像素子は2/3インチ400万画素でした。
昨今のデジカメと比較すると誠に少ない画素数に思えますが、CANONやNIKKONが売っていたプロ用機材で50万以上もしたレンズ交換式一眼デジカメでさえ800万画素程度であった当時としては、私にしてみれば実に贅沢な機材でした。
E-10購入当初に撮った風景写真。日陰部分の色もはっきりと再現され解像度も申し分ない
このカメラの素晴らしい点は、撮像素子の色再現性能の高さとF2.0-2.4の35mm換算で35mm~140mmの恐ろしく解像度の良いレンズが装着されていたことで、撮影した画像を等倍拡大しても1画素分まで分解して再現されているのがわかります。
明るく鮮明なレンズは動きの速いスポーツシーンの一瞬をも綺麗に捉えることができた
それまで手にしていたカシオのコンパクトデジカメの絵と比べるとまさに月とスッポン、鳳凰に燕雀の感があり、現今のデジカメと比較してもその解像度の高さは素晴らしく撮像画素の少なさを感じさせないほどです。
生物の好きな私はこのカメラで沢山の植物や昆虫の生態写真を写しましたが、さすがに望遠端で140mmのレンズでは接近撮影が難しい野鳥などの野生動物の撮影には無理がありました。
E-10で撮影した昆虫の生態写真。最初のイタドリハムシと下のクマバチはオリンパスのマクロレンズをつけて撮影
当時はまだ日本の電気系製造業が最後の光彩を放ちえた時期で、新興のアジア諸国に市場を奪われて凋落の一途を辿っていた家電業界を尻目にデジタルカメラ業界は既存のカメラメーカーに加えてSONY・ 松下・カシオ・リコーなど新参メーカーがしのぎを削り数年間で性能・価格比が10倍以上になる激変期を迎えます。
当時買い込んだコンパクト機の一部。初期のカシオ機からほぼ10年で価格性能比は激減した
2000年~2010年にかけてデジタルカメラは携帯に便利なコンパクト機から望遠や広角のレンズ装着可能な一眼まで各メーカー間の競争は熾烈を極め、日本国内では価格と性能の優劣に依って市場を開拓する、もはや日本国内では戦後の製造業界で最後と思われる熾烈な自由競争が展開されたのです。
当時買い込んだ一眼機。右の2台は懐かしいOlympusとMinortaの銀塩カメラ
このおかげで私もレンズ交換が可能なミラーレス一眼のコニカミノルタ α sweet digitalを皮切りに、PanaのLUMIX DMC-G3、DMC-G6、DMC-GX7MK2、OlympusのOM-D EM10、OM-D EM5MK2、OM-D EM1MK2、CanonのEOS M、キャノンの光学ファインダー機EOS KissX、EOS KissX4と様々な一眼の普及機を買い込むに至りました。
野鳥の撮影には当初Minortaのα Sweetに300mmのズームを付けて持ち歩いていましたが、鳥やトンボなど動体追尾の速さと機動性からCanonの光学ファインダー機EOS-Kissに乗り換え重い400mmのズームで手持ち撮影をこなしていました。
高倍率の暗所撮影はブレを抑えるのが難しい。レンズ開放で感度とシャッター速度の妥協点を見つけてなるべく低ノイズでブレのない設定を探す
当時は高速で移動する鳥やトンボを鮮明に撮影するには、まだ光学ファインダーの一眼に頼らねば難しかった
警戒心の強い野生の生き物は安易に人を寄せ付けない。自然な姿を映すには100mほどの距離が要る
CanonのEOS KissX4(右)とCanon初のミラーレス機EOS M。EOS-Mも買ってみたが当時は動体の追尾はやはり光学ファインダーに分があった
EOS-Mのようなミラーレス機の利点はカメラが捉えた対象をモニターに拡大表示してくれる点ですが、オートフォーカスのレンズの場合その有難味も今ひとつで、欠点はモニター表示までにタイムラグがあることと、EOS-Mではファインダーがない分、野外では見づらい背面モニターに頼らねばならないことが致命的となり直ぐに手放してしまいました。
その後マイクロフォーサーズ機の小型かつ高い性能価格比に引かれて常用するカメラは殆どPanaかOlympusのマイクロフォーサーズ機になり今日に至っています。
デジイチ以前のデジカメ黎明期におけるカメラ私史については、デジタルカメラの黎明 で少し書きましたので興味があれば覗いてください。