滋賀の火山岩

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火山岩 volcanic rock

火山岩とは、マグマがその通路である火道(かどう)を通過して、火口から地表に流出して形成された溶岩類、空中または水中に放出されて形成された各種火山噴出物、これらのものが堆積(たいせき)して形成された火山砕屑(さいせつ)岩(火砕岩)の総称である。地表に噴出したのか、火山体の内側に貫入しているのかは、不明であったり、連続的なものであったりすることが多いので、岩脈なども含めて地表近くで火山活動に伴って形成される火成岩を火山岩として扱うことがある。日本大百科全書(ニッポニカ) より

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佐目溶結凝灰岩

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青土トーナル岩

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日本の活火山

活火山 とは 気象庁のホームページによると { 近年の火山学の発展に伴い過去1万年間の噴火履歴で活火山を定義するのが適当である との認識が国際的にも一般的になりつつあることから、2003(平成15)年に火山噴火予知連絡会は「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」を活火山と定義し直しました。 当初、活火山の数は108でしたが、2011(平成23)年6月に2火山、2017(平成29)年6月に1火山が新たに選定され、活火山の数は現在111となっています。}

(https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/kaisetsu/katsukazan_toha/katsukazan_toha.html)

この記事によりますと、現在の日本では過去一万年以内に噴火したか、現在活発な噴気活動のある活火山が111存在する訳ですが私の暮らす三重県や近隣の滋賀県などにはこの活火山がありません。また西南日本には他にも活火山のない県はたくさんあって下図のように日本列島のかなりの面積を占めています。学校教育でも日本は火山の国と言われ、世界的にもアイスランドなどと共に火山の多い国と教わっていますからこの地図は予想外であるかもしれません。

日本の活火山分布はプレートの沈み込みに伴い帯状の配列をなす。気象庁 火山 HPより HPアドレスは前掲に同じ

アイスランドやハワイの火山では、地下深部に有るマントル物質が上昇して減圧することで溶解し、火山となって地表に現れます。しかし日本のようなプレートの沈み込み帯における火山の発生機構はそれより遥かに複雑で私にもよくわからないのですが、一般に沈み込んだ海洋プレートとともに取り込まれた海水が、その沈み込み境界に存在する陸側プレートに大量の水分を供給することによって高温高圧下で含水した鉱物が溶解し始め、地下深部でマグマ溜まりをつくり、それが火山となって地表に現れると単純に理解しています。

岩石中に含まれる蛇紋石・緑泥石・角閃石・雲母などの含水鉱物は、ある定まった圧力・温度条件で結晶内部の水分を放出して上部地殻を溶解し始めるため、その条件を満たす深度でマグマが発生するとのことで、これが沈み込み帯からほぼ一定の距離に火山が集中して発生する原因のようです。

現在のプレートテクトニクスの定説では、ユーラシアプレートに属する西南日本の太平洋側にはフィリピン海プレートが、北アメリカプレートに属する東日本の太平洋側には太平洋プレートが沈み込み、さらに太平洋プレートはフィリピン海プレートの下へも沈み込む複雑な動きをしています。

これらのプレート配置によって、東日本の火山列・西南日本の火山列・伊豆小笠原火山列がほぼ直線上に存在するわけですが、プレート境界からの距離がマグマを生む深度にない地域では一時的に活火山の空白地帯が生じるとのことです。

しかし日本のようにプレートの沈み込み境界に位置する陸地は、絶えざるプレート運動によってその成長と消滅を繰り返して一定せず時と共に変化します。なにより2000万年以前には、日本と呼べる陸塊そのものが存在せず、南中国地塊(揚子地塊)と呼ばれる中国大陸の一部として存在していたものが、大規模なマントルの上昇流にさらされて大陸との間に日本海が開いたため、100万年ほどの間に数百kmの距離を移動して現在の位置に落ち着いたそうです。

北海道東部に至っては全く逆の東側からプレート運動によって移動してきたものが、現在の日高山脈のあたりで既存の陸塊と追突してその衝突境界が日高山脈となったものですし、箱根から伊豆にかけての陸地も、東方よりプレート移動してきた伊豆小笠原火山列が100万年ほど前に日本の中央部に追突してできたことが地質学的な調査により判明しています。

地質年代が異なれば、陸地の様子も今日とは大きく異なりますから、現在は火山の存在しない地域にも過去には火山が存在しても不思議ではありません。事実、三重県をはじめ現在火山が無い地域の地質図を見ますと大量の白亜紀花崗岩や火山岩が表層を覆っているのがわかります。

白亜紀花崗岩類の存在は、白亜紀当時地下深部に大量のマグマがあったことを意味しますから、その表層にはマグマが生み出した多数の火山が活動していたと思われます。下の地質図を見ると西南日本を東西のベルト状に覆う白亜紀領家花崗岩類の北側には当時の火山活動によって作られた大量の白亜紀火山岩類が分布しています。

この当時、今日西南日本となった陸地は現在より遥か南、赤道寄りの南中国地塊と呼ばれる南部中国大陸の東縁・太平洋(古太平洋)に面した位置に存在し、巨大な恐竜達が生息する熱帯に近い環境であったようです。白亜紀火成活動帯は中国大陸の南東縁をベルト状に覆い、幅300km・長さ3000km以上の規模であったそうです。

今日中国遼寧省では熱河層群と呼ぶ非海成堆積層から大量の古生物化石が見つかります。当時遼寧省に近接していた日本の陸地にも福井周辺にこの時代の非海成堆積層が僅かに残されていて多数の恐竜化石が見つかることはよく知られており、当時の日本の地塊の位置を知る目安になります。

上の地質図では若狭湾から琵琶湖、伊勢湾にかけての一帯は、すでに表層浸蝕にさらされて下位の古生代付加体が露出しているか、より後世の堆積岩類に覆われていてこれらの火山岩類は殆ど存在しませんが、白亜紀の当時は多数の火山と共に西南日本の表層をベルト状にこれらの火山岩類が厚く覆っていたものと想像します。

湖東流紋岩類

今日、それらの名残ともいえる火山岩は鈴鹿山脈西部・滋賀県の多賀町から日野町東部の一帯に残されており、湖東流紋岩類と名付けられています。下の地質図は琵琶湖南東部から伊勢平野にかけて分布する白亜紀に活動したの火成岩類と火山岩類を色分けして表したもので、主に地図の左上部か中央上部に湖東流紋岩類が存在します。

主岩体は滋賀県犬上郡甲良町から滋賀県甲賀町にかけ南北約13km 東西約6km程の範囲に存在し層厚は700mを超えるそうです、また近江盆地内にも飛び石状に湖東流紋岩類の火砕流堆積物が散在するのがわかります。これらの火山岩は、その周囲を環状に取りまく花崗岩体と対をなし、過去9000万年前後から7000万年前後に活動した巨大なカルデラ火山の痕跡であると考えられています。

白亜紀花崗岩類と湖東流紋岩類の分布 産業総研シームレス地質図を元に作成

近江盆地の大半は中新世以降の堆積岩に覆われていて湖東流紋岩類の分布は僅かですが、堆積層の下部には広範囲に湖東流紋岩類の分布する可能性があります。また現在は古期付加体や深成岩類に覆われている地域にも広範に火山岩が存在したと思われます。上の地図では記載されていない琵琶湖西岸部の比良山地や比叡山麓にも白亜紀花崗岩類と貫入岩が存在しますから、当時の火成活動の規模の大きさが窺えます。

さらに湖東流紋岩類は、その堆積状況より古期・湖東流紋岩類Ⅰと新期・湖東流紋岩類Ⅱに分けられ、古期は9000万年前(90Ma)頃、新期は7000万年前(70Ma)頃の活動と見られており、両者の活動時期には1000万年以上の開きのあることが分かっています。上の地図では一括して紫に色付けしてある湖東流紋岩類の貫入岩についても古期のものと新期のものが存在します。つまり極めて長期に渡る火山活動なわけで、これら現在表層にのこされた岩石から当時の地上の状況を知るのはかなり無理があります。

1000万年の時間差があれば浸蝕環境に置かれた1000m程度の山などは簡単に平地に変わってなくなってしまいますから、一概に湖東流紋岩類と言ってもその火山の活動期間を通して、山の姿形は全く異なったものとなっていたでしょうし、今日までの7000万年以上に上る歳月は、当時表層に存在した地殻と共に火山岩の大半を浸蝕削剥したと考えられます。なにしろ湖東カルデラが存在したのは、日本の陸地自体がまだ存在せず中国大陸の一部と言う方が正確な恐竜全盛時代のことなのです。

しかしこの様な湖東流紋岩類の存在は、転石が好きな私にとって大いに興味をそそられる対象です。遠出する折をみては湖東流紋岩類の岩が有る場所に寄って石を拾い集めてみました。採集場所は次の8箇所です。

1 佐目溶結凝灰岩 東近江市佐目町 永源寺ダム佐目子谷川下流部

2 佐目溶結凝灰岩 東近江市佐目町 永源寺ダム八風街道脇工事道路

3 萱原溶結凝灰岩 東近江市永源寺高野町 永源寺境内

4 萱原溶結凝灰岩 東近江市永源寺高野町 永源寺会館東愛知川沿い道路脇

5 犬神花崗斑岩 東近江市佐目町 永源寺ダム八風街道脇工事現場

6 犬神花崗斑岩 東近江市佐目町 永源寺ダム佐目子谷川下流部

7 犬神花崗斑岩 東近江市永源寺相谷町 永源寺ダム管理事務所南東の沢

8 青土トーナル岩 甲賀市土山町青土 青土ダム西県道9号線沿い蛭谷橋脇

9 青土トーナル岩 甲賀市土山町青土 あいの森ふれあい公園林道下の沢

10 猪ノ鼻トーナル斑岩 甲賀市土山町北土山 野洲川沿いの林道脇

1~2 の佐目溶結凝灰岩は主岩体東方の東部岩体に、3~5 の萱原溶結凝灰岩・犬神花崗斑岩は主岩体中に分布し、永源寺から永源寺ダムの近辺で集めたものですが、6~8の青土トーナル岩・猪ノ鼻トーナル斑岩は主岩体から南に10km以上隔たった土山町に分布します。

1~4の佐目溶結凝灰岩・萱原溶結凝灰岩は湖東流紋岩類Ⅰに、5~7の犬神花崗斑岩は湖東流紋岩類Ⅱに属するとされています。8~10の青土トーナル岩・猪ノ鼻トーナル斑岩は湖東流紋岩類には含まれていませんが犬神花崗斑岩と同時期に貫入岩脈を形成した近江盆地を囲む巨大な環状岩体の名残であると考えられています。

これ以外にも近江盆地周辺には湖東流紋岩類に属する火山岩体がいくつも存在しますが採集する機会がないのでここには上げていません。深成岩類まで含めると同時期の琵琶湖環状複合火成岩体と呼ばれる地質体の範囲はとても広いので、また機会を見つけては集めてみたいと思っています。

永源寺の周辺は、愛知川が表層地殻を深く刻んだ事もあって、下層の佐目溶結凝灰岩から上層の萱原溶結凝灰岩さらにこれらに貫入した犬神花崗斑岩が狭い範囲に集まって見られるため、標本採集には有り難い場所です。

それぞれの石については以下のリンクに有るサブページに写真があります。

湖東流紋岩類のサブページ

佐目溶結凝灰岩

萱原溶結凝灰岩

犬神花崗斑岩

青土トーナル岩

猪の鼻トーナル斑岩

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