かわせみ

かわせみのこと

私の散歩路は、自宅の前を流れる中ノ川を渡るところから始まる。十数年程前まで、此処には路らしい路がなかった。川にかかる橋は、丸太から切り出した太い角材を川に渡しただけのものだったし、それに続く路もヘビやマムシのうろつく田んぼ道と、下草の生い茂る山道。

昔は、この物騒な小道を抜けて、店のある林町へ買い物に出ていたのだが、次女が保育園に上がる頃、この山道が突然整備され、川には鉄骨製の橋まで懸かって、散歩道としてはまことに立派なものになった。

この牛谷橋の袂から、坂を上がりきった林町の明小学校まで、往復15分程の道のを、私はよく散歩するのだが、橋の周りで時折カワセミに出くわすことがある。

彼らは、川の堰に止まっていたり、土手から突き出た木の枝に止まっていたりするが、人の気配を感じると、青く煌く軌跡となって、あっと云う間に飛び去ってしまう。

カワセミを暫く見たいと思うなら、細心の注意で川に近づき、彼らに気付かれる前にその姿を見つけて、気取られないように木陰や、欄干の陰に隠れながら観察せねばならない。

上手くやると、彼らが水中に飛び込んで、シラハエを捕まえるところが目撃できるかもしれない。と何時も考えているのだが、犬の運動がてらの散歩もあって、そうそう気も廻せず、たいていはカワセミのほうが先に気付いて逃げ出してた後である。

思えば私がはじめてカワセミを見たのは、小学校一年の夏だった。私の通った津市立南立誠小学校は、安濃川から水田を鋏んで300m程離れた所に在ったが、その東に中学が併設されていた。私が小学校に上がる少し前、中学の東側のグランド沿いに、安濃川まで伸びる赤土作りの新道が開かれ、この路に沿って作られていた水路に、決まってカワセミがいた。

赤土路は田んぼの中を抜けて、安濃川の土手に通じていたが、川には橋が無く行き先もなかったから、当時は誰もこの道を利用せず、赤土の斜面に巣づくりして、カワセミが住み着いていたのだ。

宮ケ谷の赤土露頭に造られたカワセミの巣

水路の上を矢のように飛び去る輝青色の鳥は、子供にとってもまことに美しい感動的な姿であったから、学校が半日で引ける土曜日など、この鳥を見たくて、わざわざ赤土路まで遠回りして帰ったものだ。

当時から50年以上が過ぎたが、幸せなことにカワセミは子供の頃と同じ姿で私の周りに暮らしている。自宅周辺の中ノ川には、彼らが生活できる自然環境がまだ多く残されているからで、何時までも彼らの姿が絶えることの無い様、願わずにはいられない。

中ノ川のカワセミ

ちなみに、幼い頃私がカワセミを探した赤土道は、何時しか国道23号のバイパス道路となつた。橋のなかった川には安濃津橋が懸かって、毎日無数の車が行き交う道路に変わり、当時カワセミが住み着いた水路はコンクリート製の側溝となってもちろんカワセミの影もない。

カワセミの飛んでいた小川の横を国道が走る。かって、そこにカワセミが住み着いていたことを知る人が今、果たしてどれくらいいるのであろうか。

話を中ノ川に戻そう。この川には彼らの仲間でもう一種、白黒斑点をもったハトほどの大型種「ヤマセミ」が住み着いている。カワセミほど頻繁に出会わないけれども、春も暖かくなりだすと、中ノ川沿いに二羽が連れだって飛んでいるのを見ることがある。

中ノ川のヤマセミ

近くで見ると、ほれぼれするほど立派な鳥で、こんな奴がまだこの辺りで暮らしているのだと思うと嬉しくなってしまう。

川は牛谷橋上流で、北岸を護岸用の竹林で覆われ、南岸を山の崖に挟まれて周囲から隔離された自然のトンネルの様な環境を造る。この崖の垂直な壁面に彼らの巣穴とおもわれる直径10cm程の穴があったから、この辺りで繁殖できる環境が残されているのだろう。

牛谷橋で川面を覗う

うまい具合にシラハエを捕まえた

不幸なことに、数年前からその一帯で頻繁に川の土砂を採集する住人が現れた。このおかげで彼らのささやかな生活環境が乱されたのか、このところ姿を見ることがなくなってしまった。

カワセミの別名は翡翠(ひすい)と書く。宝石の翡翠のことで日本では緑色のイメージが強い。本家の中国では極めてポピュラーな石で、高級専門店から青空市場の店先まで至る所で売られており、庶民にもなじみの数十元のものから数十万元以上の値札のついたものまでさまざまだ。

中国にいたおり、現地の通訳さんからお土産に薦められて見て回った覚えがあるが、同じ様な腕輪でも均一で透明感のある商品は信じられないほど高額だった記憶がある。

中国の翡翠専門サイトの商品 http://www.bnjj.com/bnjj/product/1293965094971.html

翡翠の話が出たおり、彼女に翡翠の名を持つ鳥のことを知っていますかと聞いてみたが、残念ながら何も知らなかった。

大都会の上海と天津で生まれ育った子には無理からぬことかと思ったが、勉強家の彼女はその翌日にさっそく調べてきて、日本で云うカワセミは翠鸟(鳥の簡字体)と呼び、翡翠と呼ぶのは日本のアカショウビン(赤翡翠)のように大型のカワセミの仲間のことですよと教えてくれた。

百度百科より http://baike.baidu.com/view/287072.htm

翡と云う漢字は赤い意味があるらしいが、ではなぜ石の翡翠が緑なのかこの辺のことを聞きそびれてしまった。

確かに今これを書いていて、百度百科で翡を引いててみると

翡,赤羽雀也。出郁林,从羽,非声。雄赤曰翡,雌青曰翠。

と説文(紀元100年代の漢字辞典)からの引用例が書かれている。ここで云う雄がアカショウビンの翡で、雌が青色の翠。たぶんこれは 蓝翡翠 のことか。

百度百科より http://baike.baidu.com/view/276690.htm

いずれにしても石の翡翠の緑には直接繋がらない。ただ日本のカワセミの中国学名は普通翠鸟とあるからたぶん中国の河川でも地方によっては良く目にする鳥なのだと思う。谷歌や百度百科で翠鸟を引くと翡翠と呼ぶこともあるようだからやはり翡翠の緑はカワセミの翅に由来するようだ。

追記

安濃津橋について一言。たしかこの場所には、私が幼稚園の前まで、楽天橋という名の、その名とは正反対のまことに恐ろしい橋がかかっていた。なにが恐ろしかったかといえば、100m近い川幅に懸かったこの橋には、まったく欄干がなかったからである。幼い頃、兄やその友達の自転車に乗せられて、何度かこの橋を渡ったが、高々数m程度の幅の板橋を、ふらつく自転車の荷台にのせられて渡ってゆくのは、本当に恐ろしく、橋の真中辺りで、下を見ようものなら、川に墜落しないかとの恐怖で生きた心地がしなかった覚えがある。

現在の安濃津橋 ここに板橋が架かっていたことを知る人がどれだけいるだろう。

もちろん、こんな恐ろしい橋を一人で渡るなどと考えたこともなく、橋の側に近づくのさえいやであった。こんな子供の恐怖を察してか、この不気味な橋は、確か昭和28年9月に紀伊半島に上陸した13号台風によって、何箇所かの橋脚が流され、橋の役目をおえた。そしてしばらくして私の前から完全に姿を消した。

最近になって気づいたのですか、楽天橋の位置はもう少し河口よりで、左岸の河口手前にあった屠殺場よりも河口よりでした。川幅も100m以上あったのではないかしら・・・