鈴鹿川・付加体、砂泥質岩

付加体・砂泥質岩とホルンフェルス

鈴鹿川には中生代・ジュラ紀に付加した付加体由来の岩石も多く見られます。これらの現岩は加太川上流域・加太盆地と伊賀盆地の境界を区切る分水嶺周辺に分布するもので、先に上げた地質図には砂岩系のイニシャルs1と表記され五万分の一地質図幅では岩種が粘板岩・砂岩と記されています黒色の泥岩質の転石多く、シームレス地質図では付加体の混在岩となっています。

付加年代はシームレス地質図によりますと中生代ジュラ紀とのことですから1億6000万年前後も過去の話で、これらの石は想像するのも困難な程の時と歴史を経て現在の姿があるわけで誠に不思議な思いに囚われます。

上は勧進橋上流で集めた砂岩・泥岩起源の混在岩。混在岩は以前メランジュと呼ばれ海溝に堆積した陸源成堆積物が付加体となったもので泥・砂・礫が複雑に混在している。中には熱変成が進み優黒部と優白部にはっきりと別れているものもある

混在岩の転石は泥質のものから砂質のもの石灰質のもの、それらが複雑に混じり合ったものと様々ですが、これは陸成砕屑物が河川から海溝へと流れ込み、固結しないうちに海溝深部に引き込まれて陸側地殻に付加した後、複雑な圧縮、剪断応力を受けながら再度地表にもたらされた経緯を思えば当然のことでしょう。

上は鈴鹿川の砂泥質岩転石。この石は砂泥質変成岩に接触した花崗岩帯より熱水の浸透を受け、熱水中の石英が帯状に晶出している

これらの石の中には、後世の加太花崗閃緑岩もしくは鈴鹿花崗岩の熱変成を受けて優黒部と優白部が分離して再結晶が進みホルンフェルス化しているものも多く見られます。

領家変成作用で再結晶化の進んだ石の多くは黒雲母スレート帯の片岩と言えるようで黒雲母が再結晶した面から割れやすくなっていますが中には、優黒部と優白部が完全に分離してミグマタイト化しているものも見られます。

領家変成作用は鈴鹿山脈川よりも南の布引山地で顕著で布引山地では黒雲母スレート帯の片岩は著しく再結晶化が進み片麻岩化していますが、鈴鹿川でも一部にはそれに近い石も見つかります。

上は勧進橋の転石。砂質岩を原岩とする黒雲母と石英の再結晶化の初期の様な石。初期の堆積構造がある程度残っているようだ

上は亀山大橋下流、神辺小学校前の泥岩転石。熱変成により紅柱石が抄出している

上は忍山大橋の転石で優黒部(黒雲母)と優白部(石英)の分離・再結晶化が進み優黒部には菫青石や珪線石の晶出が見られる

領家変成作用の比較的弱い鈴鹿川水系では菫青石や珪線石が晶出している石はなかなか見つかりませんが、うまく拾えると磨き方によって結晶の斑紋が鮮やかに浮き出した素敵な石に変わります。

砂泥質岩と新領家花崗岩(加太花崗閃緑岩)との接触変成作用によって生まれた泥質ホルンフェルス。黒雲母・菫青石・珪線石が晶出し紋状の綺麗な模様を刻む

上は珪線石が晶出した泥質ホルンフェルス。接触変成のため結晶にはあまり方向性は見られない

上は菫青石と黒雲母が晶出した泥質ホルンフェルス。小魚が群れて遊んでいるような模様が生まれ私は「遊漁紋」と呼んでいる。

遊漁紋は珪線石の斑晶に変成した雲母類が重なって出来るようだ。撮影と照明の技術が未熟で写すたびに色が変わる

上は紅柱石を晶出した砂泥質岩ホルンフェルス。紅柱石は殆どが白雲母に変質しているが左の石ではごく一部に紅柱石が残っている。これほど晶出密度の高い石は鈴鹿川では珍しい

上の写真の石は層理面で平たく割れて円磨された自然のままの転石で、鉱物の浮き出た文様が面白くて拾ってきたものです。転石はその形や模様を楽しむと同時に、その石の由来や含まれる鉱物を考えたりする面白さもありますから、20年以上も前に拾ってきた石でも取り出して眺めていると以前には気づかなかった新たな事柄に思い当ったりして私には何歳になっても尽きぬ興味の対象となってくれます。