ほたる
ゲンジボタルとヘイケボタル
5月も半ばを過ぎ、心地よい春の陽気が何時しか梅雨を思わせる蒸し暑く汗ばむ日々を交えるようになると、自宅近くの水田のにチラホラとホタルの姿を見かけることが出来るようになります。
ゲンジボタルとヘイケボタルでは、その大きさが大人と子供ほども違う。
この個体では、ゲンジボタルの体長は約15mm ヘイケボタルの体長は約7mmほどです。
ゲンジボタル・ヘイケボタル共にその幼虫の餌は淡水に住む巻き貝のカワニナやモノアラガイなどですから、彼らの生息環境が失われると生活できません。そのため昭和三十年代に入って水田に大量の農薬散布が行われだすと蛍は急速に数を減らしてゆきました。
何しろ当時の農薬使用の恐ろしさは、散布している当人が中毒死したり、散布した水田の下流水系の夥しい魚を皆殺しにしてしまうことさえよくあったのです。
私が津市栄町に住んでいた子供の頃には、上流の水田で農薬が使われると、そのの毒水から逃げ惑う夥しい川魚が、普段なら決して入り込まないような自宅周囲の細い下流農業水路(みぞ)にまで入り込んで、腹を返して狂いまくる哀れな光景が何度もありました。
それでも、私が川原に住むようになった昭和50年代には、まだ川原の周囲にはヘイケボタルがたくさん住んでおり、自宅前の水田や中ノ川の河辺林で普通にヘイケボタルを見ることが出来ましたし、奥山田道の周辺では沢山の蛍の乱舞を見られたものです。
農業水路は皆コンクリート製の開渠に変わってしまったけれど条件さえ良ければカワニナやタニシが育つ。
この溝の周りでは僅かだけれど現在もヘイケボタルが見られる。
しかし今ではそんなヘイケボタルもめっきり数を減らしてしまい、ごく限られた水田や用水路の一部でしか姿を見ることが出来ません。彼らに混じって僅かながら大型のゲンジボタルも生息していますがその数は更に少ない様子です。
ヘイケボタルに混じって稀に大型のゲンジボタルも見つかるけれど、数はわずかです。
先に述べた農薬使用による種の減少に加えて、農業用水路が殆ど皆コンクリート製の水路に変わってたり、水源が中勢用水(安濃ダム)からの放流水やポンプアップの短期水源に変化した結果、蛍の産卵や幼虫・蛹の生育環境が失われてしまった事によるものだと思われます。
もっとも、数を減らしているのはなにも蛍だけの話ではなく、多くの生物が此処五・六十年でめっきり姿をみせなくなっていますから、取り立てて云うほどのことではないのかもしれません。
蛍の発光と発光器官。上はヘイケボタルの発光 下はゲンジボタルの発光器官で何方のホタルも同じ発色スペクトルの様です。
中心色は黄緑光ですが発光器官に波長変調のメカニズムをもち熱振動の様に波長の分散が可能なようです。また発光強度は時間に対して複雑に変化していおり、「東京に育つホタル」の古河義仁氏によればこのゆらぎが蛍のいやし効果を生むのだそうです。
(古河義仁氏のウエブサイト 「東京にそだつホタル」 には、蛍の発光原理や揺らぎのスペクトルについての詳しい解説があります)
またLEDは電気的エネルギーを供給して高励起を持続させ連続した光を発生させますが、生物発光では発光体(有機物)内の化学的エネルギーを光に変換して発光を持続させます。
光合成とは逆のエネルギー変換で、エネルギーを直接に光(光量子)に変換するため熱振動のような発熱もなく効率は良いわけですが、蛍の体内から供給されるエネルギーが少ない上、明滅を繰り返して一定の明るさで光ることもないので照度はとても低いものです。
ホタルの舞。彼らが発光しながら活動するのは主に5月末から6月初旬・7時半~8時半頃の時間で9時を回るとほとんど光を発しなくなる 6月10日 中ノ川において
蛍は生物発光を持つ珍しい昆虫で、日本産の発光昆虫は蛍以外には僅かにコバエの仲間が知られるだけです。発光原理はLEDと同様にルミネセンスで、高い励起状態にある電子が低いエネルギーレベルに落ち込む際、そのエネルギーギャップに相当する波長の光を発生するものです。
( 「ひらめきの散歩道」 と言うブログにホタルの発光スペクトルについての測定値が載っています。)
小学唱歌「蛍の光」の下敷きになった中国故事・蛍雪の功では蛍を集めてその光で勉学に励んたと言われます。しかし私は中国産の蛍の発光についてはよく知りませんが、日本のゲンジボタル程度の光では、数百匹寄せ集めてもその光を照明代わりとするのは難しいような気がします。
日本でもっとも大きくて明るいゲンジボタルでもその程度ですから、体長がゲンジボタルの半分にも満たないヘイケボタルの場合はなおさらです。蛍雪の功の故事を生んだ中国の蛍を何百匹か集めて読書が可能であるなら、彼の地の蛍は日本産の蛍に比べて遥かに明るい発光器を持っているのでしょう。