せみ
七月も半ばになると、家の庭のあちこちに、蝉の抜け出た穴が目立つようになる。多くはアブラゼミのもので、人差し指が入る程の穴を開けて地面に出てくる。辺りの庭木を探すと穴の主の蝉の抜け殻が見つかる。ごく稀に、もう一回り大きいクマゼミの穴を見つける年もあるが、たいていはアブラゼミだ。
ニイニイゼミの幼虫とアブラゼミの羽化
他には小指の先ほどの可愛い穴もあり、こちらはニイニイゼミのもの。彼らは七月になるといち早く姿を見せ、中庭のモチノキに止まって鳴き出す。甲高いジジーという鳴声を聞くと、今年ももうじき夏休みが来るなと思う。
この感慨は、夏が来るとタモを持って虫取りに走り回った子供時分からのもので、あの頃からもう五十年以上経った今でもニイニイゼミの声を聞くと夏休みを思い出し、当時と同じ気持ちになる。
私は子供時分、津の県庁近くに暮らした。県庁からその裏手にあった階楽公園の一帯は、桜の名所として有名で、当時は公園の周囲から津駅前商店街の辺りまで、道の両側には桜が植えられて、花見の時期には美しい桜花のアーケードが続いていた。
車が増えだすに連れ、桜並木は邪魔者扱いされて殆ど切り倒されてしまい、今では公園の中を抜ける僅かな区間にしかないが、昭和20年末から30年代初めにはまだたくさん残されていた。
そんな桜並木のあちこちから、七月に入り夏休みが近づくとニイニイゼミが一斉に鳴きだす。桜の木はニイニイゼミにとって最も住み心地がよいらしく、彼らの体の迷彩は、桜の樹肌と其処につく苔を模した擬態である。
桜の樹皮に似せたニイニイゼミの体色は、樹皮に着く地衣類の色まで写している
同じ桜でも、樹齢や生える場所こよって、特に蝉に好まれる桜(大抵は樹齢を重ねた大木だ)があるようで、周りの木に比べてはるかに多くの蝉が集まる。
そんな木の近くに行くと、おびただしい数の蝉の高い鳴声が一つに和して響き、どれだけ耳を閉じようと、鳴声が全ての障壁を乗り越えて体に進入し、頭の中心まで浸透してくる。
その感覚は極めて異常かつ強力で、しばらくその場にいると自分の存在が消えて無くなってしまうのではないかと恐怖すら覚えたものだ。これはニイニイゼミだけのもので、アブラゼミやクマゼミは、どれほどうるさく鳴いてもこんな感覚を引き起こすことはない。<
偕楽公園周辺の桜も、最近はめっきり少なくなってしまった。
階楽公園入り口の知事官舎の傍にもそんな桜の巨木があった。蝉の盛期にその木の近くに行くと、蝉の鳴声の中で全ての音が消えてしまい、体の隅々まで蝉の鳴声が入り込んで、なんとも不思議な空間に迷い込んだような気持ちになつたものである。
その鳴声は石や岩にさえも浸透する!!!
この異様な感覚は経験しないとまず解らないと思うので、自分の子供たちにも経験させてやりたかったのだが、今に至るもそのチャンスはない。
現在私は、ときおり猿や狐の出没する田舎に住んでいるのだが、それでも我の家の近くでニイニイゼミが無数に群れる木に出会えたことは一度もないからだ。
芭蕉の句に閑かさや岩にしみ入る蝉の声」というのがある。山形の山寺で詠んだと云われている句で、蝉についての文学論争で有名だが、私は三百五十年前、芭蕉もニイニイゼミの群生地を旅し、蝉の声に全ての存在が消えてしまつて空間の中にただ音だけが存在し、岩の中にまでも音が浸透してくるあの不思議な感覚を味わつたのだろうと想像している。
私の知る範囲で、ニイニイゼミが最も多く集まった木は、津市栄町にある四天王寺の裏山の真中に生えていた桜の木だろう。この裏山は今も自然林のままでよく保存されており、山を抜ける小道も程良く整備されている。
四天王寺の山門と背後に茂る自然林。
当時は寺の左手に広がった墓地の最上部からその中腹を南北に横切り北側の稲荷神社の脇に抜ける山道がついていたのだが、獣以外に誰も通るものが無いような笹ヤブ道で、獣のように身をかがめ笹のアーケードの中をすり抜けるようにして何とか通過できるのであつた。
件の桜の木はこの道のほぼ真中に在つた。その辺りは山の樹生が最も濃いところで、樫や椎の木々が頭上を覆い、日射が著しくとぼしいためか、小道を覆う笹や下生えの草木もめっきり少なくなって、ぽっかりと空洞のように周囲が広がった場所だった。群がり寄るおびただしい薮蚊を払いつつ、この空間にたどり着くと、其処はいつも何か特別な場所のような印象を与えた。
この空間の東寄りの斜面に桜の木があったのだ。この木に居た蝉の数たるやまことに凄まじく、子供の腕で一抱えほどの幹に、びっしりと、数え切れないほどのニイニイゼミが止まつて人が近づいてもあまり逃げず、ぞろぞろと平行移動しながら木の裏側に回り込もうとするのだった。
その鳴声も異様で、この木の側に近寄るにつれ、あちこちから幾つも聞こえていた鳴声がだんだん一つになって、その木の側では、頭がどうかなってしまうのではないかと不安になるほどに、鋭い一つの音が全てを飲み込んでしまう。
音が体中に浸透するまことに不思議な感覚は、当時の私に強烈な印象を残し、毎年夏が来ると、そのことを思い出しては、薮蚊の襲来をも排して、また聴きに行ってみようと思ったものである。
当時から五十年以上近く経つ今でも、まだ日本にはニイニイゼミがたくさん群れる桜の残つている場所が方々にあるだろう。子供の頃のあの不思議な感覚にまた出会える場所は無いものかと、夏場に旅行があると思うのだが、残念なことに今だそのような場所に行き着いたためしがない。
四天王寺の件の桜は現在(2010年)枯れかけているが、かろうじて残っている。いまでも多数のセミが集まる木であって欲しいと思う。
川原のセミ
私の暮らしている三重県の中西部では、春から秋にかけてハルゼミ・ニイニイゼミ・アブラゼミ・ヒグラシ・クマゼミ・ミンミンゼミ・ツクツクボウシの7種類のセミを目にすることが出来ます。しかし自宅のある林川原の近辺では、ハルゼミとミンミンゼミに出会うのは難しいと思います。
最初に現れるのは、5月連休の前後から鳴き声を聞くことが出来るハルゼミで「ギィーギィーギィー」とその名前の優しさには似合わない鳴き声です。このセミは特定の環境への依存性が強く松林にしか住んでいません。
嘗て松の木は民家の梁材として重宝されたため、里山の稜線部などにはたくさんの松が植えられていたものですが、建築様式の変化や安価な外材の大量使用によって松の需要も大幅に減少し、松を植えた里山も杉檜の山に変わったり、里山の管理も失われて私の周囲には松林がめっきり少なくなってしまいました。
次に姿を見せるのは、先にも書いたニイニイゼミです。彼らは7月初めから姿を見せ始め、8月初め頃までがその盛期です。ニイニイゼミに少し遅れてアブラゼミも鳴き始めます。アブラゼミの盛期は7月半ばから8月の終わり頃までで、セミの中で最も長い活動期間を持ち、9月に入ってもツクツクボウシに混じって鳴き声を聞くことがあります。
アブラゼミとほぼ同じ頃にヒグラシも現れます。カナカナの別名があり日の高い昼間は殆ど鳴きません。彼らの盛期は7月半ばから8月半ば頃でしょう。朝夕の涼しい時間帯を選んでカナカナカナと物憂げになくヒグラシは秋を告げるセミのような印象を与えますが、実際はニイニイゼミやアブラゼミと共に7~8月の最も暑い時期を中心に現れるセミのようです。
9月に入ると、ツクツクボウシとアブラゼミ以外には、まず蝉の声が聞けなくなります。そんな中でもツクツクボウシだけは9月の末頃まで鳴き続け、セミの一年を締めくくります。
ツクツクボウシに限らず、セミはコオロギやキリギリス等の鳴く虫のなかでは圧倒的に大きな鳴き声です。これはセミの發音器がコオロギやキリギリスのようなこすり合わせによって發音するのではなく、腹部の發音筋によって直接鼓膜を振動させ、それを腹腔で共鳴させて音を大きくする構造だからです。
まさにテレビやステレオのスピーカーと同様の發音機構で、發音筋がボイスコイル、鼓膜がスピーカーのコーン、腹腔がスピーカーの筐体に当たります。腹部からの音の出口には腹弁とよぶ半円形の弁があり、鳴くときはこの部分を開いて鼓膜が外から見えるようにして鳴きます。
鳴いている雄のセミを観察すると、腹部を心持ち上に持ち上げて腹弁を開き、鼓膜の振動音を周囲に拡散させている様子がよくわかります。腹弁の形は種によってまちまちですが、最もよく目立つのはクマゼミの縦長の黄色い腹弁です。
枝に止まって鳴いている時にも腹部の黄色い色はよく目立ち、セミ取りに夢中になっていた子供時分には、センダンの木に群れて鳴くクマゼミの黒光りした体と腹部の黄色の配色に捕獲意欲を掻き立てられて、6m以上の長さのタモまで作ってセミ取りに励んだものです。
クマゼミに似た腹弁を持つセミにエゾゼミがあります。クマゼミとは近縁の種ですが主に長野以北に分布しておりこの辺りでは見ることが出来ません(1000m程度の山地には九州から本州中部に点在している様です) 近畿地方では大阪周辺の山地に住んでいるそうです。
黒い胸部にどこやらでよく見かけるW型の黄色い模様を持ち、結構美しい大型のセミですが、私は今に至るも標本か写真や映像以外では生きている実物にお目にかかったことが有りません。以前子供が暮らしていた信州では、クマゼミの名前で平地にも普通に見られましたが、出会う機会が有りませんでした。
アブラゼミやミンミンゼミでは鳴き声に合わせてか、腹弁も丸くておとなしい感じがします。私が子供時代を過ごした旧津市の東部でも夏休みの頃に採集できるセミはニイニイゼミ・アブラゼミ・クマゼミ・ヒグラシ・ツクツクボウシの五種類でミンミンゼミはその鳴き声を聞くことさえ有りませんでした。