早春

公立高校の入試も終わり合格発表が近づく頃になると、私の散歩道の周りでも、それまで地中や地表に張り付いて冬の寒さに耐えていた、色々な野草が花をつけ開花しはじめます。

日々の喧騒から少しはなれて、我が身をそんな自然の中に置いてみると、四季折々に姿かたちを変えその色を変えて移ろう自然の営みは、世の生業に疲れた人の心に安らぎと感動を与えて、生きる元気と喜びを運んできてくれるように思えます。

殊にこの国の民は上代の古より、自然を愛で己の心を自然に託して歌い上げる豊かな感性にめぐまれており、我が国最古の歌集 万葉集でも、収録歌数4540首中1254首、全収録歌数のおよそ28%が歌中に直接植物名を含む歌であるそうです。

(服部 保 南山典子 小川康彦「万葉集の植生学的研究」植生学会誌 Ver27 2010 P48:万葉集に詠まれていた全維管束植物種数は総称も含めて145種,それらの植物を詠んだ首数は1650首,加工品等を除く植物種数は135種,同首数は1254首,庭に植栽または生育していた自生種は24種,同首数は104首であった.)

春の花を詠みこんだ首数のうちで最も多いのが梅の119首、次が桜の42首だそうです。梅は庭園植物を代表する春の花。桜は山里を代表する春の花ですからどちらも大いにうなずけるものです。

しかし桜や梅のように万人に認められ愛でられる種ではなくとも、新たな命萌えだす早春には、その訪れを身近に感じさせてくれる植物がいくつもあります。ここでそんな野草を3種挙げるとしたら、私は"ホトケノザ" " オオイヌノフグリ" "フキノトウ" の3つを選びたいとおもいます。

どれも早春を代表する草花で、それぞれ赤(桃)・青・緑の花色をもち色の三原色にも対比できます。ただし、前2種は良く陽の当たる畑地を好み、フキノトウはむしろ日陰の湿地を好むところが違っています。

そんな3種のうちでも、早春の野道に最も早くから彩りを添えるのは、淡い桃色の小花が可愛いホトケノザ(別名:三階草 漢名:宝蓋草 広辞苑より)です。小さな花ですが蕾の頃は色がすっと濃く、陽だまで多数が咲きそろう姿はなかなかに美しいものです。

ホトケノザの群落。株によって花色に差があり蕾のころは赤みが強い

この花は大変寒さに強く、南斜面の日当たりの良い場所に育った気の早い株では晩秋から花をつけますが、やはり本格的な開花期は春に入ってからで、このあたりですと3月中旬ではないかと思います。その名のように仏の蓮台を思わせる葉っぱの中心部から塔状に葉と花をつけてゆきます。別名の"三階草"もその姿をよく捉えた命名です。

気温が上がって徒長しなけれは、蓮台に似た葉は階層状に重なりあって可愛い姿をみせる

春の七草に出て来るホトケノザは、広辞苑や三省堂の古語辞典によるとタビラコを指すそうです。ホトケノザが帰化植物だと云う話は、植物学の本でも見たことはありませんから、当然万葉の昔から野に自生していたはずですが、万葉集には読まれていないようです。

早春から春にかけての山野では、桜やレンゲなど桃色を基調とした花が多く開花します。自宅周囲の畑や路肩には、ホトケノザに似て桃色の小花を塔状につけるオドリコソウの群落もほうぼうに姿を現します。花はホトケノザにくらべると地味ですが、花と重なるように成長するえんじ色の葉と相まって静かな美しさを持っています。

最近自宅の周りでオドリコソウの群落をよく見かける。この草も塔状に葉と花をつける。

私がこの花に最初に出会ったのは長男が長野の大学に進んだおりで、息子の下宿の周りの路地にたくさん咲いているのを見たのが始まりです。

此方に戻ってから注意してみると、牛谷橋のたもとにも咲いていることに気づきました。でも次女が幼なかった頃には一度もその姿を見た記憶がなかったものが、最近では方々で目につきます。私には年々分布域を拡大しているのではないかと思えるのですが、以前には気づかなかっただけなのでしょうか。

次に上げるオオイヌノフグリは、そのなんとも情けない命名には辟易しますが、青い花の少ない春先の路端にこの花が一斉に開いているのを見つけると、自然と長閑な心持ちになります。陽ざしを好む花で、日が陰ってしまうとたちまち花を閉じてしまいます。

青い花の少ない野にあってひときわ目立つオオイヌノフグリの群花

当然この花が開いている場所は日当たりがよくて温かいので、てんとう虫のように未だ風が冷たい2月末でも日光さえ浴びれば活動を始める気の早い虫に好まれます。私の孫達もそのへんは心得ているようで、2~3月のまだ寒い時期には、オオイヌノフグリが咲く様な草むらでてんとう虫探しをやっています。

この花がなんらかの記録に登場しだすのは、いったいいつ頃からなのでしょう。この花はwikipediaの記述によると「ヨーロッパ原産で、日本に入ったのは明治初年と推定され、1884年あるいは1887年に東京で見られてから急速に拡大し、1919年には全国的にありふれた草になった」とありますから明治維新の開国がもたらした典型的な帰化植物です。

おなじクワガタソウ属の帰化植物でオオイヌノフグリとよく似た花をつける春の野草にオオカワヂシャと云うのがあります。最初の記録は1867年に神奈川の相模とのことですから、やはり明治維新のころに外国船舶によって国内に持ち込まれたようですが此方はオオイヌノフグリほどの繁殖力はない様子で余り見かける機会はありません。

オオイヌノフグリと同属の帰化植物 オオカワヂシャ。クワガタソウ属の花はよく似ている

花がより小型の在来種イヌノフグリも明治に入ってからの牧野富太郎の命名ですが、こちらはオオイヌノフグリに生息地を奪われて今や絶滅危惧種に指定されているようです。

この和名では歌に詠む気も失せてしまうかもしれませんが、春先によく目立つ可愛い花だけに"いぬふぐり" "犬ふぐり"は 春の季語として俳句にもたくさん詠まれています。

「犬ふぐり星のまたたく如くなり」虚子 昭和19年「犬ふぐり空を仰げば雲もなし」虚子 昭和26年 どちらもこの花の持つ清々しさをよく現しています

「六百句」に収められた虚子昭和19年の句は、三月二十七日鎌倉での玉藻句会で読まれたもので、いぬふぐり開花の盛期。帰化植物としてすでに全国に広まって何処にでも見られるようになった頃のものです。

オオイヌノフグリの漢語は肾子草と書き、百度百科によりますと貴州では民間の薬草として使われているようで解熱解毒・腰痛・リューマチ・マラリア治療などの薬効が上げられています(百度百科:肾子草 ) 或いは本草学の分野で記録がないかと思い、本草綱目と和漢三才図会に当ってみましたが見当たりません。たぶん中国に入ったのも近代以降でしょうか。

しかし早春を代表する野花と云えば、やはり"ふきのとう"を上げないわけにはゆきません。冬の寒さを耐えて大地に身をひそませていたフキの花芽は春の息吹と共に芽吹き、気がつくと地面のそこここに薄緑の味わい深い花を咲かせています。

3月初旬、北向き斜面の枯れ草の間から一斉に花芽を開く。摘むには少し時期が遅いかな

その色に似てあまり日差しを好まないのか、冬場は殆ど日が差さない、山裾の北斜面に多く見られます。もっとも近所の庭では毎年日当たりの良い東向きの地面から多数顔をだしますから、自然界では他の植物に比べて競争力がないために、不本意ながら日当たりの悪い環境に押しやられているだけなのかもしれません。

顔を出すと直ぐ花を開く。食用には土から覗いた直後、蕾がまだ小さいうちに摘むといい

私の家では、季節の山菜を摘んで食べる習慣は無いのですが、このふきのとうだけは別格で、毎年花芽が顔を出し始める3月には、散歩がてらに見つけたふきのとうを持ち帰って、味噌和えや天ぷらにしてそのほろ苦い香りと味を楽しみます。

花を楽しむには開花し始めたころが美しいものですが、食用にする場合は、花が開きかけたものよりは、未だ蕾が大きく育っておらず、ガクに包まれて良くしまったものを選びます。

上手くアク抜きしないと苦味が強くでて失敗する。味噌和えご飯も美味しいが、私は天ぷらが好き

味噌和え(ばっけみそ)の場合は細く刻んでしまうのであまり感じませんが、天ぷらにするには、おおきな蕾よりむしろ小振りな蕾のほうが苦味と食感のバランスがよいようです。さらりと溶いたころもでカリッと仕上がったふきのとうの天ぷらを食すと、毎年ことしも春が巡ってきたことを感じて幸せな気分になります。

同時期に、ふきのとうと似たような環境で花をつけるのがショウジョウバカマです。ロゼッタ葉の中心から伸びた花序の先に薄紫から桃色の6弁花をいくつもつける静やかな花で、日向よりは湿潤な日陰を好み、木立がかぶさる粘土質の切通しの斜面などにコケ類などと一緒に群生しているのを見かけます。

ショウジョウバカマの群生地は北向きの湿った斜面が多い。花色は開花のズレや株によって変化する

この辺では3月の初め頃から花序を伸ばして開花し始め、4月半ば頃まで花色を保ちますが、その後徐々に紅色から色を失って、緑色になっても花型を保っています。

牛谷には群生地がありますが、そこでは3月末の盛期に、多数の花序が引きちぎられて散乱しているのを目にすることがあります。花にとっては哀れな姿で、子供の悪戯のようにも見えますが、サルか何かの動物が花茎を食べるためかもしれず、私には未だにその原因は分からずじまいです。

開花時期には決まって花がちぎり取られる。違う場所でも同様で、どうも獣の仕業に思えるのだか・・・

ショウジョウバカマの漢字は猩猩袴です。猩猩は漢語で、百度百科によりますとオランウータン(別名:紅猩猩)のこと。その記述は古く呂氏春秋や山海経、水経注等の記載例が上がっており、実際過去には住んでいたようで中国南部からは化石がでています。(岩本光雄 「サルの分類名」霊長類研究 P123 1987)

象やサイも住んでいたとみられる古代中国の南方地方では、当時この言葉が出来た当時は、まだ類人猿が生息していたのかもしれませんが、実物に接した人もごくわずかであったでしょうし、一般には、猩猩が人に似た赤ら顔で酒好きな架空のいきものとして捉えられていたようです。早春の愛らしい花の名としては不釣り合いにもみえますが、日が立つと花色が濃くなるところからの命名と思われます。

漢語では大猩猩はゴリラ、黒猩猩はチンパンジーの意で、猩猩は人に近い猿類を表す言葉と云えましょうから、猩猩袴の花を折るのは、或いはニホンザルの悪戯かもしれません。

袴は古くからのやまとことばですから、"しょうじょうばかま" は和名の造語です。同種の漢語をネットで調べてみますと胡麻花(百度百科 http://baike.baidu.com/item/%E8%83%A1%E9%BA%BB%E8%8A%B1/1630102?fr=aladdin)となり、同じ花の漢字でも日本と中国では全く異なった名前がつけられています。

猩猩袴の和名はいつごろから使われだしたのでしょう。記紀や万葉集を研究された方々の論考を見ますと、先にも書いたとおり万葉などには植物を読んだ歌が多数上げられているそうですが、この花の名は見られません。

倉敷市立自然博物館のHPで、上代から江戸まで多数の地誌、歌集、物語等を調べた「文学作品に登場する植物 」http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/plant/index.html」でも記載は見られませんから、江戸の頃までの歌人や俳人の目には止まらなかったのでしょうか。不思議です・・

南方熊楠が幼少時に全文書き写して記憶したと言われる和漢三才図会には猩猩袴の記述がある

それでも江戸中期の百科事典「和漢三才図会」には第九十四 湿草類として猩猩袴の和名でほぼ正確な図入りで記載が見られますから、当時の本草学の分野では名を知られていた風です。

説明文の「猩猩袴高六七寸葉似蕙而短五六月開花浅紅色似櫻草花而稍小」も、五~六月開花の項を除いては猩猩袴の姿をよく表しています。文中に"蕙"とあるのは中国ランの一種で"かおりくさ"と読むそうです。ただ開花期が夏になってしまっているので、あるいは編者や著者も花の実物は知らなかったのでしょう。

猩猩の語を頭に持つ動植物は幾つかあって、広辞苑にはショウジョウトンボ・ショウジョウバエ・ショウジョウガニ(アサヒガニ)・ショウジョウ草(ポインセチア)・ショウジョウスゲなどが載っています。なかでもショウジョウトンボやショウジョウ草などは、その色からももっともな命名です。

以上自宅の周りの野山で目にすることができる早春の代表的な草花の幾つかについて書いてみました。

この季節は気温の上昇とともに日を追って咲く草花も増え、ここに上げたホトケノザ・オオイヌノフグリ・ふきのとう・ショウジョウバカマ以外にも様々な草花を見つけることができます。

また早春の鈴鹿北部の山々を歩けば、節分草・福寿草・三角草・黄連など石灰岩を好んで生える誠に可愛い花々にも出会うことが出来ますが、彼らのことはまた別の機会にでも書いてみたいと思います。